⑬-6 月と幻影①
邪竜が黒龍として空を覆う。
幻影から伸びてきた黒い膿がとぐろを巻き、やがて竜の形となって月を喰らった。
「来るよ」
レンは再び右の手のひらから槍を取り出すと、器用に振り回し構えた。その後ろでルクヴァが双剣を、コルネリアが剣と盾を構える。レオポルトは鞘に手を振れており、マリアはロッドを宙に浮かせた。
<――アルブレヒト、お前が>
<――お前さえいなければ>
「俺を恨んでいるのは確かのようだな」
「ブレスが来る!」
レンは跳躍すると槍を構え、そのままバリアを展開した。黒い靄のブレスがフェルド平原へ降り注ぎ、レンの周囲以外の若葉が黒く腐り果てていく。
<――お前さえいなければ、彼女はずっとここにいた>
<――彼女を手に入れるためになら、何だって出来る>
<――何も知らない彼女は、死んだお前を追って地球へいってしまった>
<――地球はここからじゃ、遠すぎるのに……>
「何?」
「ッ……⁉ しまった、竜同士でテレパシー⁉ 駄目だ、アルブレヒト! 耳を貸しちゃいけない!」
「だが、あいつは……」
黒龍が再び息を吸い込み始めると、レンは槍を振りかぶり、黒龍目掛けて放った。槍は風の鎧をまとい、黒龍の瞳を狙った。赤く燃え上がる瞳は、アルブレヒトと同じだ。
「コアが見えない! 黒すぎて見えないの!?」
「レンもか、俺にも見えない!」
「なに、父上も⁉」
レンが、そしてラダ族であるルクヴァとレオポルトが歯ぎしりをする。コアが見えないどころか、全てがどす黒く膿んでいる。
<――お前>
<――やはりそうなのか>
<レンを、寂しさから求めていたのか?>
<――‼ 黙れ、アルブレヒト。お前に何がわかる! 彼女の愛を一身に受けるお前が!>
「テレパシーを止めろ、アル! 飲まれちゃうよ! 黒龍は心の隙間に入り込む、それが狙いなんだよ。耳を貸しちゃダメ!」
「待ってくれ、レン!」
「話してわかる相手じゃないでしょ! どうしちゃったの」
黒龍の放った黒い靄から、小さなドラゴンが蠢きだした。ドラゴンはレンを通り過ぎ、背後にいたルクヴァとコルネリアを襲う。コルネリアの盾で一撃を受けると、すぐさま跳躍したルクヴァが小さなドラゴンに飛び掛かり、その体を切り裂いた。小さなドラゴンはうめき声をあげ、四散すると黒い靄となって消えた。
「竜になるんだ、アルブレヒト! ボクは力が戻ってないんだぞ! 封印だって……」
黒龍は再び息を吸い込んだ。
「まずい」
レンが槍を掲げ、分厚いバリアを展開させる。それでも、レンの表情に余裕は見えない。
「アルブレヒト! 黒龍と闘えるのはキミだけだ! ボクじゃ、何の力も……またキミを守れないなんて、いやだ! お願いだよ!」
<――黒龍、お前は……>
アルブレヒトの眼下に、黒龍のブレスが襲い掛かった。レンはバリアをアルブレヒトへ向けると、慌てて駆け寄った。
「どうしちゃったの、アル!」
レンの呼びかけに応じず、アルブレヒトは尚も黒龍を見つめ、テレパシーを送る。
<――黙れ! 親に恵まれ、友に恵まれたお前に何がわかる!>
「アルブレヒト! もうバリアがもたない!」
レンは槍を持つ手を握りしめ、ブレスの脅威に耐えていた。
<わかるよ。俺も、ずっと、一人だったから……。>
「アルブレヒト!」
「わかっている。力を、解放する……」
<――だからこそ、傍にいてくれるレンの存在は大きいんだ……!>
<――黙れ、だまれ、だまれええええええええええええええ!>
黒龍は竜の咆哮を発した。それに呼応する形で、紅き竜も咆哮を放った。
エーテル波の渦であるその咆哮は大地に轟き、広がる山脈ケーニヒスベルクをも凌駕する。
アルブレヒトは赤いエーテルに包まれると、激しく燃え上がった。やがて姿が確認できるころには竜の姿ではなく、人の姿のままだった。
髪は腰まで伸びており、赤茶色の髪は赤く燃え上がっていかのように赤く、フェルド平原を赤く染め上げた。
「なんで……! ヒトの姿じゃ、黒龍を倒せないよ」
レンの叫び声に、アルブレヒトは笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。レン、俺を信じろ。竜の姿をとるよ」
「アル……?」
レンは困った表情を浮かべつつ、静かに頷いた。それでも、バリアを緩めようとはしない。
「レン、コアは額にある」
「!」
「レンはコアを貫かないで欲しい」
「え!? でも……」
アルブレヒトは振り返り、黒龍に背を向けた。黒龍は再び息を吸い込み、ブレスに備える。
「ブレスが来る! ボクのバリアはもう持たないよ!」
「俺が止める。だから……」
アルブレヒトはレオポルトに目を向けた。黒龍のブレスからマリアを守るために、レオポルトは刀を抜いたまま立ち尽くしていた。
「レオ、マリア。俺に乗れ」
「何?」
アルブレヒトはそのまま黒龍へ振り返った。紅いエーテルが放たれ、大地に注がれる。
「レンは、ルクヴァさんとコルネリアさんを乗せろ」
「へ?」
レンの気の抜けた返答に、アルブレヒトは眼を閉じたまま大きく息を吸い込んだ。そのまま吐き出すと共に、ゆっくりと目を開けた。アルブレヒトの呼吸に反応するように、レンの耳と尻尾も大きく身震いする。
「レン、あれは幻影だ」