⑩-8 希望の闘争①
――レオポルトの私室にて。
「掃除はされていたようだが、僕も長い間部屋を開けていたからな」
「いや、十分だと思うが……」
通されたレオポルトの部屋は片付いており、あまり私物がないように見えた。装飾品の類はほとんどなく、あるのは景国の文字の入ったタペストリーくらいだ。部屋は異国情緒あふれている。そんな部屋に似つかわしくなく、可愛らしいクマの手縫いのぬいぐるみが座っていた。
「クマのぬいぐるみ……」
「あ、それは……。僕の趣味じゃないからな!」
「わかるよ、母親のミラージュさんがお前に贈ったものだろう」
「……以前、手紙で話していたことを覚えているのか?」
アルブレヒトは頷きながら、そのぬいぐるみを抱き上げた。ぬいぐるみは塵一つ被っていない。恐らく、ぬいぐるみが塵一つでも被ろうものなら、ルクヴァが黙っていないだろう。
「覚えているさ。名前はミシェルだったか」
「母が名付けたんだ。僕の名前のミハエルの愛称だとか言っていた」
「対になっていて、ミラージュさんの部屋にもあったんだろ」
「そうだったか」
レオポルトは気恥ずかしそうに視線を逸らしていく。そこで気付いたようにアルブレヒトに向かい、男を睨みつけた。久々の冷たい眼差しに、アルブレヒトの頬が緩む。
「こんな話をしに来たのではないだろう」
「いや、悪かったよ。……景国風に言うが、単刀直入に言える話じゃなくて悪いな」
「ああ。気の済むように話して欲しい」
アルブレヒトは長く息を吸い込み、吐き出した。いつもアルブレヒトが緊張した際にやる行動だ。見れば冷や汗をかいているのか、額が汗ばんでいる。
「ティトーは、ルクヴァさんの娘で間違いない。コルネリアさんも、承知の上で匿い、育てていた」
「……そうだな」
「ティトーは、男として育てられた。それは、目くらましでもあっただろう。万が一にでもルゼリア王家に素性バレてしまった際、性別を理由にあの子を生きながらえようとしていたからだ」
「ルゼリア王国では女児であっても、成人男性より上の地位が与えられる。コルネリアのやったことを咎めることは出来ないだろう」
アルブレヒトはクマのぬいぐるみを見つめていた。その瞳は揺らいでおり、何かを躊躇しているかのようだ。
「どうした。話しにくいのはわかるが……」
「いや。クマのぬいぐるみが、ちょっとな……。覚えがあっただけだ。悪い」
「そうか」
アルブレヒトはクマのぬいぐるみを見つめたまま、もう一度深く深呼吸した。そして、レオポルトのオッドアイを見つめ返した。
「ティトーは、ケーニヒスベルクの生まれ変わりだ」
「そうか」
「な、なんだよ。もっと驚かないのか? あのケーニヒスベルクだぞ」
「驚くも何も。父やセシリア殿の会話を聞いていたらな。お前の想い人だったケーニヒスベルクは、ティトーとして生まれ変わった。そうだろ」
「…………」
アルブレヒトは押し黙った。現実を現実として受け止め切れていないは、信じていないのはアルブレヒト自身であるのだと、レオポルトは感じ取っていた。
「アルはいつから気付いていた?」
「レンにそっくりだった。佇まいから、何から全て」
「最初からか」
「まさかお前の弟……じゃなくて、妹で、ルクヴァさんの娘だとは思わなかったからな」
「……ティトーは、本当にケーニヒスベルクの生まれ変わりか」
「ああ、間違いない」
アルブレヒトは一呼吸置き、言葉を続けた。
「竜の俺が言うんだ。間違いない、同じ魂のエーテルを感じる。金色のエーテルだ」
「金色ね……。その話、マリアは知っているのか?」
「いや、正確には知らないんだ」
「知らない? 前に知っていると言っていたじゃないか」
レオポルトの言葉が、嫉妬から来るのかは判らない。ここで横やりを入れれば、レオポルトは更に冷たい視線を送り続けることになっただろう。だが、そんな横やりを入れられる場面ではなかった。レオポルトはハッとしたように、アルブレヒトを見つめ返したのだ。
「まさか、マリアも前世での繋がりがあるのか?」
「……そうだ」
「なるほどな。……記憶はないといった所か」
「ご明察。マリアは幼少期に色々あったんだ。前世の出来事の話を両親にしたところ、虐げられるようになり、生まれた妹にまで粗雑に扱われていた。俺がヴァジュトール国で出会うまで、マリアは家で靴も履いていなかった。冬だったのにな」
アルブレヒトは遠い日の記憶を手繰り寄せた。幼い少女は不釣り合いと言わんばかりのドレスで、冬のバルコニーに逃げ込んでいたのだ。マリアはおどおどしており、控えめながらも芯がしっかりとしていた。それはアルブレヒトの知る、前世でのマリアの姿だったが、当時のアルブレヒトに彼女の記憶はなかった。全てが戦後に思い出したことであり、マリアにもまだ何も話せていない。
「マリアが、そんな目に……」
「あいつ、強がりだから自分では話さないかもな」
マリアとケーニヒスベルクに何があったのか。それをアルブレヒトへ聞くのは野暮だろうか。当事者を抜きに話すのは礼儀に掛けると感じたレオポルトは、マリアに直接訪ねることにした。
「それで、ティニアという女性と何があった。ケーニヒスベルクの生まれ変わりだったのだろう」
「……俺が殺したんだ」
「何……?」
「俺が、ティニアを殺した。」
外の音が聞こえていた。それだけ、この場が静寂に包まれていたのだ。