⑩-3 夢を腕に抱き、涙を流す③
大きな背中に、小さな手が優しくふわりと乗せられた。
「ありがとう、ティトー。ちゃんと、アンセムに帰れるように尽力してくる」
「うん!」
抱きしめられながらティトーは、アルブレヒトと此処で別れることに踏ん切りをつけたいようだった。ふわりと乗せられた手に、力が込められる。
「アルブレヒトさん、ここまでありがとう。お兄ちゃんに会えたのも、マリアさんに会えたのも、サーシャさんに会えたのも、大巫女になれたのも、みんなアルのおかげだよ」
「そんなことはない。ティトーが頑張ったからだ。薬草だって、ティトーが見つけたんだろ。……気をつけていくんだぞ。油断はしないでくれ。マリアとサーシャが居ても、行き先はルゼリア国だからな」
「うん!」
ティトーは顔を上げると、泣き顔のまま一生懸命に笑おうとしているようだった。小さな体で、ティトーはこうも強く前向きだ。それが眩しく思え、頼もしく思えている。
アルブレヒトは跪くと、再び強くティトーを抱きしめた。その手には白銀の懐中時計が握られている。
「どうしたの。アル、寂しいの?」
「……それはお前だろう」
「えへへ。すぐに会えると思うから、僕は大丈夫だよ。……お兄ちゃんたちを呼んでくるね!」
ティトーは嬉しそうにアルブレヒトを見つめると、その体から身を離した。すぐに外に出ていた3人を呼ぶと、待っていたかのように兄であるレオポルトが部屋へ慌てて入り込んできた。
「ティトー……どうしたんだ。泣いて……」
「お別れをしていたの。……お兄ちゃん」
ティトーがレオポルトへ抱きつく前に、レオポルトが強くティトーを抱きしめた。小さなティトーは大切そうに、その胸に抱かれている。
「お兄ちゃん! 僕のこと忘れないでね!」
「当り前だ。すぐに会おう」
「うん! ルゼリア国に行った後は、絶対にセシュール国へ行くよ!」
ティトーは笑顔を振りまきながら、マリアとサーシャへ向き直った。その表情からは、前までのおどおどした少女とは思えぬほど、明確な意思を宿している。
「僕はすぐにでもいけます。大丈夫です。サーシャお姉ちゃん、マリアお姉ちゃんよろしくお願いします!」
「休まなくて大丈夫? 歩けそう?」
「うん! 大丈夫だよ!」
ティトーが強く頷くと、マリアも強く頷いた。その瞳からは強い意志が感じられる。ルゼリアの王族としてだけではない、底知れぬ力を持つ大巫女という存在が、小さなティトーに圧し掛かっている。それでも尚、瞳は煌めきを増しており、王女の風格をも感じとれるほど強い意志を持つ。それは、単なる瞳の煌めきだけでは説明しきれないであろう。
それは、ティトーの強さだ。
「わかったわ。……サーシャ、アドニス司教に伝えて」
「わかりましたわ。ティトー様がそうおっしゃるのであれば、私も否定は致しません。であれば、すぐにでも出立の準備をお願いします。きっと、すぐに出立の命が下りますわ」
◇◇◇
サーシャの言葉通り、すぐにティトー出立の辞令がサーシャ、そしてマリアに下った。マリアが同行できるのは、教会側の計らいだ。素性が知られては良くないという、アドニスの判断もあった。
「マリアさん。あくまでも、貴女は神官見習いという立場です。サーシャ様のことも、宜しくお願い致します」
「もちろんよ。サーシャのことも、ティトーのことも任せて」
途中までアルブレヒトとレオポルトも同行できるが、行先は別だ。ティトーは心配そうにレオポルトとアルブレヒトを見つめた。
「二人とも、本当に時計の町までは一緒なんだよね」
「そうだ。大丈夫だよ、ティトー」
「うん」
ティトーはそれでも不安そうに微笑んだ。7歳という幼い少女は、これから時計の町より更に南下し、ルゼリア国のルゼリア城を目指すことになる。一方で、アルブレヒトとレオポルトは北西へ進み、セシュール国のセシュール城を目指すことになったのだ。
アンセムの地にいずれ帰国するというアルブレヒトの意思を、レオポルトはどう思うだろうか。
時計の町までの道中、ティトーはレオポルトへ何度も話しかけ、様々な事を聞いていた。それはレオポルトの持つ剣、刀のことでもあり、景国という国のことでもあった。
そうして一行は数名の神官を連れたまま、セシュール国の時計の町まで戻ってきた。エーディエグレスの森にほど近い町だ。ティトーたちはここで一泊し、再びセシュール国を南下する。そして、ルゼリアとの国境を超えることになる。
ここでしばしのお別れだ。
ティトーは教会から報酬を受け取るレオポルトとアルブレヒトをじっと見ていた。
「それでは、こちらが約束の報酬になります」
「こちらこそ、身分を偽って仕事を引き受けたりしてすまなかった、アドニス」
「いえ。あなた方で良かったですよ。安心して預けられたというものです。それでは、ティトー様……」
「お兄ちゃん、アルブレヒトさん。ありがとうございました」
「今生の別れじゃない。ルゼリア国からはセシュールへ来れるんだろ?」
アルブレヒトの言葉に、アドニスは大きく頷いた。それを見たティトーの表情は明るい笑顔を目いっぱい広げていた。安心させたいという想いもあるのだろう。強い子である。
「それじゃあ、元気でね……」
「お前もな」
アルブレヒトはティトーの頭をしっかりと撫でた。嬉しそうに笑うティトーは、別で心配そうにしている兄を見上げた。
「お兄ちゃん……。僕、大丈夫だから。ね!」
「ああ。気を付けるんだよ。俺はもう、関りはないが」
関りとは、ルゼリア王家との関係のことであろう。かつて連合王国だった時代、レオポルトの母ミラージュ王女はルゼリア王家の王女だったのだ。当然だが、ティトーの母親でもある。
「ティトー」
「はい!」
アルブレヒトの呼びかけに、ティトーは嬉しそうに答える。アルブレヒトは跪くと、ティトーを手招きした。ティトーが近づくと、アルブレヒトは耳元で囁いた。
「トイトイトイ」
「え? なあに?」
「おまじないだ。幸運のな」
「そうなんだ! ありがとう、アル!」
ティトーは嬉しそうに笑みを浮かべると、アルブレヒトを見上げた。無理に笑顔を作っていた表情が緩み、自然な笑顔になっている。
「お兄ちゃん、お父さんによろしくね。アルブレヒトさんも、ちゃんとお父さんに伝えてね、僕のこと!」
「もちろんだ。……ティトー!」
アルブレヒトが大きく手を振りながら、ティトーを振り返る。気恥ずかしそうにレオポルトも小さく手を振っている。ティトーも両手で手を振るが、小さくなっていく二人を追いかけんばかりの勢いだった。7歳の少女が寂しいのは、その場にいる神官たちへも伝わっていく。
「それではティトー様。いきましょう」
「はい」
マリアと手を繋ぎながら、何度も何度も振り返り、もう見えない二人を見送った。