今はただの一般庶民です
結局は、露も春一も退場せざるを得なかった。すっかりと先程の賑やかさも落ち着いた個室は、少しだけぎこちない空気が流れている。
時間にしては随分と経っており、お昼休憩は残り時間20分しかない。先程の遥の口ぶりからして、絵里香が受けるはずの午後の授業はどうやらなくなるらしい。1時間だけなのかオールスキップなのかは目の前の優雅な少女に託されている。とりあえずは、何か食べようかと優しい笑みを向けられたので、素直にメニュー表を開いた。
「ここは高級レストラン並ですよね……」
普段から恵梨香が足を向けてる食堂もメニューを見ればお値段だけでもなかなかの物を作ってるなと思っていたが、今メニューを開けばついぽろっといつもは言えないことを口にしてしまう。
「そうか、こっちもそっちもメニューも質も変わらないと聞いたが」
「いえ、一般庶民からの見解です。確かに私が普段口にしてる食堂のメニューも豪華で気後れしております。ただ、そんなことを口にできることはあまりないので、ついうっかりと」
「元、大国の姫、帝国の妃なのにか。これくらいにいいものを食べていたじゃないか」
「今はただの一般庶民です。学費・寮費、教材費等すべて免除の特待生。ここの学園に通うには多少裕福では成り立ちません」
「なるほどな」
話が区切れて遥がウェイターを呼ぶ。学食にウェイターなんて存在するものなのか。その上に、元高級ホテルのホテルマン等を必ず経由しないとなれないとのことで、この学園へ就職するにはかなり大変だとか。
食堂のコックに三ツ星レストランのシェフや高級寿司屋の板前などが宛てがわれている。この学園に通うだけで人生の学費分を1年で損なう勢いだ。その代わり、働いている人たちの羽振りもいいと聞く。高給とりになりたければそれなりのマナーと知識と経験が必要なのだと実感する。国の、下手すれば世界の重鎮の子息令嬢が多く通うため、信用も信頼も高い。この学園に入るには学力も含めて、身内の審査まである。警察に就職する並、それ以上に調べあげられる。
王宮に暮らしていた身としては、それくらいに必要なシステムだと理解するが、実際にここに通う身分の子ども達がどこまでそれを自覚しているかにもよる。自覚せずに享受してる者はただの阿呆だ。世間知らず、箱入りにも程があるだろう。
「あの」
料理を頼んで待ってる間。遥が望むふたりきりになったのだ。もっと会話をするものだと思っていた。しかし、実際は静かな空気を噛み締めてるようにも見える。これでは午後の授業を休んだ意味がなくなってしまうではないか。
「話したいことがあったんじゃないのですか?」
控えめに尋ねる。遥はお冷を口にしながら視線を恵梨香に向けると、1度コップをテーブルに置き、口癖のように「ふむ」と言葉を零す。
「この15年間の話を聞きたい」
「私のですか」
「ああ、君のだが、んー……そうだな」
素直に頷いた後に、思い出したようにハッとした表情を見せる。次いで少しだけ考える素振りを見せたあと、そのふっくらとした小さな唇が開いた。
「前世の記憶はいつから」
落し物を丁寧に拾うようにひとつ、丁寧に言葉を紡いでくれる。きっと、ただ漠然と会話をしたいと思っていないのだ。ちゃんと話題を選んで、ひとつひとつ丁寧になぞろうとしてくれる。ただの前世の話盛り上がりたいかいでは無い。あれだけ彼女から逃げていたのが、申し訳なくなるくらいには丁寧だった。だから恵梨香も落ち着くために空気を少し吸う。
「物心着いたころには、夢で見ておりました。へい……、先輩は」
陛下、と言いかけて言葉を止めた。恵梨香は数秒だけ選ぶように視線を泳がせ、ゆっくりと呼び方を着地させる。
「私か、私は小等部に入学する前だな。きっかけは、別の転生者に会ったことだな」
その言葉に恵梨香は目を丸くした。他に転生してる者がいる。ずっと、恵梨香はひとりだったのだ。共有されることも無く、ただひとりでこの優しくて辛い夢のような記憶を持っていた。確かに、こうやって前世の夫婦がたまたま同じ学園に通って出会うこともできたので。
恵梨香の知らぬところで同じような記憶を持つもの、または別の世界の記憶を持つものがいてもおかしくはない。ただ、それを探すには世界は広すぎて、恵梨香の世界は狭すぎたのだ。
「私はこのような立場だからな。色々な人を見るし会う。色々なところにも飛ぶ。お陰で、私たちと同じ世界の転生者は今のところ君を含めて5人ほど確認をとってるよ」
「私含めて……5人」
それを多いととるのか少ないととるのか。見開かれた恵梨香の瞳に、遥は緩くカーブを作って目を細めた。そのタイミングで、注文した食事が届く。
恵梨香の前には、魚介たっぷりのアラビアータ。遥の前には、伊勢海老フライ。これが学食だと誰が信じるだろうか。ただのレストラン料理だ。見た目もとてもオシャレで、過去は王族でも現世は一般庶民暮らし。
最初の頃は気後れしそうになったが、1ヶ月もすれば慣れるのだ。慣れとは心底恐ろしいと思いながら、魚介の味がしっかりと染み付いたトマトソースを絡めて食べるパスタは絶品である。後味にピリッとくる辛さがまたたまらなく癖になる。きっと、この3年間が終わればこんな贅を駆使した食べ物など食べられないのだ。
今のうちに堪能するべく、会話を途中に食事を進めた。