ラアラ、死神王子に打ち明ける
王宮の庭の一角に設けられた弓技場。
王妃・サニーは矢をつがえて弓をキリリと引きしぼった。矢が放たれる。
矢羽根は風を切り、矢じりは的へ吸い込まれるように到達した。
「的中!」
侍女達は拍手喝采だ。
子供達は少し離れた場所で遊んでいる。
サニーの弓は、彼女の高い身長に合わせて作らている。
サニーの立ち位置と的との距離も、初心者のラアラの3倍はありそうだ。
ラアラは右ひざに魔道具のサポーターをつけることで
以前より自由に運動が出来るようになった。
最近の魔道具の進化は素晴らしい。まるで乾電池のような魔術をこめるバッテリーが
開発されたのだ。このバッテリーは様々な魔道具に使用できる。
お陰でラアラもサポーターをつけて体力強化に勤しんでいる。
いや、勤しまざるを得ないのだ。
このサングレイス王国も、故郷のスカイ・ハイ王国も、多くの面で男女平等だ。
王家の家督相続は第1子と決まっていることが大きい。身分制度はあるものの、
女性が一家の主となることに抵抗の無い風土だ。
街に出て見ると、女性店主が切り盛りする店の多い事に驚かされる。
その代わりといっては何だが、女性の体力増進が推奨されている。
ラアラのようにハンディキャップがある者は少々生きづらい世の中なのだ。
でも、魔道具でサポートしてもらえれば、出来る事の幅が広がってくる。
「ラアラ、足はどう?」
サニーが声をかけてきた。高い身長、筋肉がしっかりついた長い手足。
健康美に溢れる彼女は時代が求める女性像を体現している。
今日は三人目の子供を産んでから初めての弓の稽古だというのに、ブランクを感じさせない。
「大丈夫。お姉様こそ、久しぶりの弓はどうですか?」
ラアラは大きな声で返事をする。
「さすがにまだ勘が戻らないわ。力で引いているだけね。」
侍女の差し出したタオルで汗を拭いながらサニーは言う。
達人のいう事は良く分からない、と思いつつ、
ラアラは弓を放つ。しかし、的に届くことなく地面に突き刺さってしまった。
「大丈夫よ。段々と出来るようになるわ。」
サニーは常にラアラを励ましてくれる。彼女は子供の頃から太陽のように明るく温かい。
このサニーが、ベラ王太后に仕返しなんてするだろうか?ラアラはあれから考えている。
足環が紛失したということは、内部の人間が持ち出したに違いないのだ。
しかし・・・。そもそも、ラアラが巫女を辞めてまでサングレイス王国に来ているのは
サニーとその子供達、そしてラアラ自身に身の危険が迫っているからだ。
先読みの巫女であるラアラの予知夢は外れる事はない。
だからこそ、巫女として命を落とした自分が
巫女の座を捨てることで、危機を回避するという選択をしたのだ。
それを知るサニーが、わざわざ自分から恨みを買うような行動を起こすだろうか?
答えはノー、である。
サニーは正々堂々と勝負をすることを至上とする。
それゆえに、ねちねちとした嫌がらせなどに対処するのは苦手なのだ。
ただ、ショーンとアーサーとの話から、姉が現在の生活に満足していない可能性は大いにあると知った。
人間は変化する。内面に何を抱えているのかはなかなかうかがい知ることはできないものだ。
ラアラの転生前の世界、令和時代なら、アーロン国王(当時は王太子)の求愛行動は問答無用の犯罪だ。
わずか8歳の童女に対して、18歳の成人がラブレターを公然と送り続ける。しかも毎日。
聴いているだけで鳥肌が立つようなことをしても、この世界では罰を与えられることは無い。
それどころか求愛を始めてから8年後にはアーロンは念願通り、サニーと結婚している。
サニーは12歳になった時に、自分の人生の選択肢が潰されていたと知らされた。
王家に生まれた身として、将来どんな公職に就くか考えていたこと、描いていた夢も。
隣国の王太子からの求愛を受けること以外の道が既に無かったのだ。
王になれなければ王妃になることは、王女と生まれた者にとっては幸せ、という考え方もある。
しかし、サニーはより活動的に生きることを望んでいたのだ。
国王となって子供が3人生まれても、アーロンからの愛情は変わらない。
そのことが単純にサニーの幸せには結び付くとは限らないのだ。
ラアラが考え事をしていると。
「国王陛下のおなりです。」
という侍女の声がした。
アーロン国王が、サニー王妃の弓の稽古を見に来たのだ。
なにしろ、8歳のサニーが狩猟の際に弓を放つ姿にハートを射抜かれた人だから、
愛する妻の勇姿を目に焼き付けに来たのだろう。
「ああ、そのまま続けて。私はちょっと休憩に来ただけだから。」
お辞儀をする侍女達に鷹揚に語り掛けるアーロン国王。
サニーは構わず矢を放つ。
的中。
国王は全力で拍手を送る。すかさずサニーにキッと睨まれる。
「お静かに。気が散ります。」
肩をすくめる国王。怒られたのにめちゃくちゃ嬉しそうだ。デレデレである。
(奥さんが強い夫婦って割と普通だと思うんだよね。)
やめ巫女で、転生前も中学生だったラアラには、夫婦間のこまやかな情はわからない領域だ。
それでも、世のお父さんは嬉しそうに奥さんが怖い怖いと言っているものだとしっている。
サニーは続けて矢を放つ。
それを熱く見つめる国王。いや、見すぎでしょ。
「おとーさまーっ」
子供達が王の姿を見つけて呼んでいる。
「あなた。子供達の所へ行ってあげてくださいな。」
サニーが声をかける。
「うん。それでは。」
と、国王は名残惜しそうに、少し離れた子供達のいるサークルへ歩いて行った。
(ごく平凡な夫婦の姿よね)
「もう、妹の前だっていうのに、あなたに声もかけないなんて。」
と、サニーがラアラの方を見て恥じらいを見せた。
「国王陛下は王妃様に夢中ですから。」
と侍女達が口々に言う。
「愛されていますね、お姉様。」
とラアラはいう。ちょっと照れている?心配のしすぎだったかな?と
弓の稽古を再開した。
そこへ、
「ごきげんよう、王妃様、ラアラ姫。私も稽古に混ぜてくれませんか?」
と、アーサーが弓矢を携えてやってきた。
「ごきげんよう。どうぞ、空いている的に。」
と、サニーは快諾した。
アーサーとは、先日ショーンの経営する「S&ライアン商会」に出かけて以来である。
あの時、アーサーは途中から貝のように黙り込んでしまい、帰りの馬車の中でも
無言であった。
足環の紛失の知らせを受けたことで、次の調査の相談もしないままだった。
「ラアラ姫の腕前を拝見してもよろしいかな?」
と、アーサーは明るく話しかけてきた。
「わ、私は初心者ですのでお見せするようなものでは。」
「よろしければ私がお手伝いいたしますよ。さぁ。一射。」
戸惑うラアラに、あくまでも陽気に話しかけてくる。
ラアラは仕方なく、弓を構え、矢を放った。
矢は上にぶれて、ぽとりと落ちた。
「弓が強すぎるようですね。もう少し小さな弓から始められては?
姫専用の弓を作らせましょう。工兵に専門の者がおります。
ご案内しますよ。さぁ。」
と、アーサーは王宮内を移動する為の馬車にラアラを乗せてしまった。
御者はアーサーのお付きの者だ。
「この間はすまなかった。」
馬車が走り出すなり、アーサーは言った。
「自分の口から彼女のことがあっさりと出て来たことに、自分で驚いてしまった。」
ラアラはアーサーの横顔を見た。
「辛い思いをしたんだものね。口に出せるようになったという自分の気持ちの変化を、
素直に受け入れていくと良いと思う。」
アーサーはしばらく黙っていた。
「あんたも当然知っているんだよな。」
ぼそりとアーサーは言った。
「死神王子って何のことですか?って姉に尋ねたわ。いけないとは
言わないでね。自分で死神王子って食事会で名乗っていたでしょ。」
ラアラは素っ気なく言った。
「うん。まあそんなわけだ。ちなみに花嫁は毒殺。直後に侍女の一人が
服毒自殺を図った。黒幕は未だに不明だ。」
アーサーは淡々と言う。
(未解決事件なのね。毒、どんな毒だったのだろうか。)
工兵の建物に馬車が到着した。
女性工兵がラアラの腕の長さと身長を測った。
そして一番弱い弓を、矢をつがえないで引いてみた。
「これよりも柔らかな弓から始められますことをお勧めします。」
真面目そうな工兵は言った。
「そうですね。私は・・・っ。」
不意にぐらりとラアラの体が右側に傾いた。
右ひざに力が入らなくなったのだ。サポーターの魔術が切れたのだ。
「危ない!」
と工兵が支えてくれた。
出された椅子に腰かけて、ラアラは簡単に右ひざのことを説明する。
アーサーは初めて知ったようで驚いていた。
「歩くのに不自由はございませんし、今度から魔術を籠めたバッテリーの
予備を持ち歩くようにしますわ。」
と、ラアラは努めて平静に話をした。
そして、少し休憩したいので、と人払いをした。
実は結構動揺していた。このサポーターを贈られて以来、睡眠時以外は
装着して過ごしていた。
数日間は筋肉痛があったものの、自由に動けることに慣れてきたところだった。
元来、ラアラは新しい環境にすぐに順応する性質だ。それが便利で快適なことだったら
尚のことだ。
「右ひざのことなんて忘れていたのに。」
ラアラはぼやいた。それに対してアーサーは目を丸くした。
「4歳の時から10年以上、不自由な思いをしていたのに忘れるのか?そんなものなのか?」
「忘れていたわね。歩き方を変えるんだから忘れないと体が覚えないでしょ。」
歩き方くらい変えますよ、そりゃ。こちとら異世界から転生して人生歩き直してる上に、
巫女まで辞めてるんだし!とラアラは心の中で思った。
「そうそう、思い出したくなければいいんだけど。
その、あなたの『例の事件』で使われた毒物はどんなものだったの?」
ラアラは尋ねる。
「なぜ、そんなことを?」
アーサーは不愉快そうに顔をしかめる。
「未解決事件でしょ?実は私の姉とその子供達が狙われる可能性がある。」
ラアラは思い切って踏み込んだ。
「義姉上達が?まさか。」
ラアラはふん、と鼻を鳴らした。所詮おぼっちゃまか。とドラマのベテラン刑事のような気分になった。
「あのねぇ。先読みの巫女がなにゆえにその座を捨ててこの場にいるとお思い?
物好きな悪逆王女だとあなたは信じてるわけじゃないでしょう。死神王子。」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情をした王子。
「え・・・。それじゃあ。」
「私はサニーと子供達、そして自分の命を守るために先読みの巫女を引退したの。」
うなづくラアラに、アーサーは顔色を変える。そして周囲を見回すと声を潜めた。
「兄上はご存じなのか?」
「言えると思う?王様が知ったら、姉達は軟禁、いいえ、監禁されてしまうわよ。」
「それもそうだ。兄上はきっと四六時中妻子と行動を共にするだろう。それでは政務は滞るし
子供達が可哀そうだ。何より義姉上がまいってしまうだろう。」
アーロン王は、トイレまでついて来るに違いない。絶対にそうする。
アーサーは考え込んだ。そして
「俺の話を聞いてくれるか?」と切り出した。
それは、3年前の結婚式の惨劇についてだった。




