新しい『過去の引き継ぎ方』
「おばあちゃん、また今年も来たよ。
___仕事帰りで、また今年もお父さん達よりも遅くなっちゃったけど、今年も顔を見せることが
できて、やっと『お盆』って感じだよ。」
年々厳しくなる暑さは、お盆にも多大な影響を及ぼす。
比較的暑さがまだ本腰ではない『早朝』だったり、ギラギラと照り輝く太陽が傾いた『夕方』に、お参りする人が増えている。
お盆ではあるけど、私はどうしても『行かなくちゃいけない場所』があるから、一人だけで夕方
に、おばあちゃんのお墓参りをする。
お父さん達はもう済ませた様子で、お墓の花立てに、まだみずみずしさのある花が供えられていた。
一人でぼんやり、おばあちゃんのお墓を眺めながら、あの病室での思い出を振り返る。
こうして毎年お墓の前に立つことで、おばあちゃんとの思い出を、鮮明に思い返すことができる。
お盆とは、そうゆう日なのかもしれない。
私がお盆の日、おばあちゃんのお墓と同じく、必ず毎年行っている場所。
それは、この地域で一番大きな『慰霊碑』
毎年参加しては、一緒に手を合わせてくれた人と一緒に、早朝から慰霊碑の手入れをしている。
今年も無事に終わることができてよかった。
まだ手は土の匂いが染み付いているけど、百姓だったおばあちゃんにとっては、『懐かしい匂い』
ということで、許してほしい。
おばあちゃんがいなくなったことで、家にあった小さな畑は、もう使われなくなったけど、最近ではお父さんが『ガーデニング』に目覚めている。
多分、この花受けに添えられている花は、お父さんが育てた花だろう。
形も大きさもバラバラだけど、お父さんの努力や愛が感じられる。
私は、自分で買ってきた花を、お父さんの花々を邪魔しないように押し込み、線香を焚く。
「もう今年が半分終わったけど、もう十数箇所の慰霊碑に手を合わせてきたんだよ。
どの場所にもそれぞれの歴史があって、すごく充実した時間が過ごせたんだ。
『もう一つのワラジ』も、順調に使い慣れてきたよ。」
私は社会人になってから、いきなり『二足のわらじ』を履いた。
片方は『普通のOL』だけど、もう片方は『ブロガー』
ただ、私が普段履いているのは、『OLのヒール』のみ。
『ブロガーのわらじ』は、『ボランティア精神』だ。
私の日々を支えるお金は、地方会社のOLとして働いたお金がほとんど。
ブログの収益は、ほぼ『寄付』に回している。
最近はブログの収益も、会社のの給料に並ぶくらいになって、私の活動を聞いて、参加してくれる
人たちも多く集まるようになった。
当然、『嫌味』や『暴言』を吐かれる事もあるんだけどね。
これもある意味、『戦争』と同じだ。
賛同する人もいる、反対する人もいる、表面と裏で意見が違う人もいる。
人間は、ずっとずっと昔から変わらない、愚かだけど、憎めない存在。
それをおばあちゃんに教えてもらったから、自分が何をやるべきなのかを、見失わずに済んでいる。
私がブログに載せているのは、全国各地にある『慰霊碑』や『供養塔』
もちろん、『心霊スポット巡り』が目的でもなければ、『肝試し』が目的でもない。
誠心誠意、この国の歴史を築き上げてくれた数々の魂に、感謝と畏怖の念を込め、手を合わせる。
そして、ブログには私が踏み入れた場所に、どんな歴史があるのか、何故建てられたのかを、詳細
に記している。
その他にも、当時を知る人の証言を載せたり、慰霊祭が開催される日や、参加する際の注意点もまとめている。
『体験者の口伝』も確かに重要ではあるが、もっと色んな媒体に、時代を保存するには、やはり
『ネット』が一番。
『紙』や『録音』でも記録はできるけど、その記録を発信する方法として、現代では『切っても切り離せない存在』を利用する。
学生時代は、よく先生から言われていた。
「ネットに載った言葉は、二度と取り消しできない」と。
それは悪い意味でも捉えられるし、良い意味でも捉えられる。
きちんとブログに、正確な情報を記載すれば、多くの人が関心を寄せて、活動に参加してくれる。
そして、ネットに蔓延る『根も葉もない噂』を、少しずつでも消していく役目も、私が担わなくち
ゃいけない。
実際、慰霊碑などを管理している人が、口を揃えて言う悩みが、まさにそれ。
最近では、そうゆう『歴史的価値がある場所』が、その成り立ちや暗い歴史が影響して、『心霊ス
ポット』と化している。
『暗い歴史』=『心霊スポット』というのは、あまりにも安直すぎるし、罰当たりだ。
お巡りさん達は、ふざけ半分で夜に騒ぐ人々も取り締まらなければいけない。毎日ご苦労様。
自治体も色々と対策は打っているけど、やっぱり『ネットの噂』に勝るものはない。
根も葉もない、現実離れした噂でも、人は鵜呑みにしてしまう。
___私も、『都市伝説』とかの話は、聞いていると面白く感じる時もあるけど。
でも、そうゆうのは、迷惑をかけないのが、『歴とした噂の楽しみ方』
人に迷惑をかけたり、物を壊したりすれば、もう噂どころではない。犯罪沙汰だ。
そんな馬鹿騒ぎを起こさない為に必要なのは、やっぱり『正確な情報』
真偽はともかく、大半の人間が、どんな噂でも鵜呑みにする。
なら、数多の情報に正確な情報を載せていれば、少しは被害が減るかもしれない。
『ネットの噂』に対抗するには、『同じ土俵の上(ネット上)』に立った方が、説得力がある。
大学に通っていた頃、私は『歴史』を専攻して、日本だけではなく、世界中の慰霊碑や供養塔を調
べていた。
歴史を専攻しながらも『英検』や『英会話』の勉強をして、ブログを海外の人にも見てもらえるように、色々と工夫を凝らす。
ここまで私が勉強に集中できたのは、両親のおかげだ。
今の時代、大学に行く費用もバカにできないのに、海外の短期留学までさせてもらえた。
両親には色々と苦労をかけたから、社会人になってからは、その恩を返しながら活動している。
大学を卒業して、地方ではあるけど『情報系の会社』『に就職した私は、デスクワークをしなが
ら、ブログを管理。
上司に色々と相談やアドバイスをしてもらって、私の生まれ育った地域で毎年行われている『供養祭』のホームページを作成。
その出来次第で、副業の了承を得る、一発勝負だった。
色々と大変ではあったけど、どうにか副業を認めてもらう事に成功。
情報系の会社でしか得られない情報や手法もあって、私の就職する会社選びは、成功を果たした。
就職する際にも、両親は私に色々とアドバイスをくれた。
まず、その会社が主催しているイベントには、積極的に参加するよう、父に言われた。
そして母は、その会社で募集された『清掃のアルバイト』情報を私に教えてくれた。
あれやこれやと、大学時代は色々とやる事が多くて、ほぼ遊べなかったけれど、充実した四年間を
過ごせたと思う。
その努力の甲斐もあって、私は初めて作成したサイトは、公表してからさまざまな反響を呼んだ。
まず、地元の警察や供養塔の管理者から。
「ホームページが公開されてから、肝試し目的で夜中に騒ぐ人が減っていった。」
「夜中に大騒ぎされたり、ゴミを捨てられることが少なくなって、地元住民も安心している。」
「深夜の見回りをしている際、肝試しをしようとする若者に、そのホームページを見せると、あっさ
り帰ってくれる。
帰すのにも一悶着あったのが、ついこの前のように感じる。」
次に、地元の人々。
「今まで慰霊祭に興味がなかったけど、ホームページの詳細を見たことをきっかけに、手を合わせる
事の大切さを学んだ」
「自分たちの歴史を詳しく知ることができて、すごく誇らしい気持ちになった」
「自分の生まれ育った場所が、もっと大切に思えるようになった」
今では、『学校の授業』や、『長期休みの自由研究』にも、このホームページが使われている。
ここまでくるのに、かなり苦労したけれど、評判は上々。
全国ニュースにも取り上げられるようになって、最近はプレッシャーを感じている。
でも、まだまだ私には、やらなくちゃいけない事がたくさんある。
プレッシャーなんて、考える暇もないくらいに。
最近になって、ようやく『地元とは別の地域』にある慰霊碑に、足を踏み入れる事ができた。
そして、『自分のホームページ』を立ち上げる許可も、上司から頂いた。
まだまだ私のホームページは成長段階で、危うい時もあるけど、それでもいろんな人に見てもらえ
ているだけで、やる価値が大いにある。
英語を頑張って勉強したおかげで、最近は外国人からも、応援のメッセージを貰っている。
やはり国を跨いでも、国を築き上げた人々の歴史を、大切に思う気持ちは変わらない。
私もお金が貯まったら、もっともっと海外を旅して、歴史的価値のある場所へ行ってみたい。
歴史を降り重ねてきたのは、日本だけの話ではない。
もっと視野を広げれば、もっと多くのドラマや悲劇・喜劇があった。
平和な時代が続いている私達の国、でも、その平和を築くために、命を落とした人々がいた。
そして、彼らは私たちと同じ、『家族』や『友人』を大切にする人間であった。
かつての日本でも、そんな人々が故郷を去り、残酷な行為に手を染めていた。
その歴史は、決して忘れてはいけない。その歴史を繰り返さない事が、故人への弔い。
時代が進めば、残酷な歴史が、だんだん遠ざかっていく。
新たな歴史が、どんどん上に積み重なっていく。
でも、教科書に載せられる歴史にも、限りがある。
全部載せていたら、タブレットの教科書でも足りなくなる。
そうなると、残酷ではあるけど、『歴史の選別』が行われる。
簡単に言えば、『教科書に載せるべき歴史』と、『そこまで重要でもない歴史』を分け、子供たちに教える。
もちろん、もっと深く調べたければ、今はいろんな方法で調べる事ができる。
だからこそ、詳しい歴史もしっかり残していく事も、新しい歴史を学ぶ事と同じくらい大切。
私も日夜、色んな人に興味を持ってもらえるようなサイトを作るため奮闘している。
そう、おばあちゃんのような一般人の歴史は、決して教科書に載せられない。
でも、私たちが一番身近に感じられる歴史は、やっぱり『国』の歴史ではなく、『人』の歴史。
おばあちゃんや圭太さんは、王様でもなければ英雄でもない。
だからこそ、私たちと同じ立場にあった人々が、その時代をどう生きてきたか。
『当たり前が、当たり前ではなかった時代』も、大事にしなければいけない。
それは国からすれば『黒歴史』なのかもしれない。でも、それも国の歴史の一部。
もしその歴史が欠けていたら、もっと違った形なら・・・なんて、『今を生きる』私たちに考える
資格なんてない。
『今』、私たちは生きている。だからこそ、『今』を大切にする。
おばあちゃんの生きてきた『過去』を、決して蔑ろにしてはいけない。
『過去』+『今』=『未来』という公式は、決して揺るがないから。
かつてはおばあちゃんも、『乙女ゲームのヒロイン』のように、様々な恋を満喫する事ができたか
もしれない。
もしくは『日常ほのぼの漫画』のように、平穏な生活を満喫できたかもしれない。
おばあちゃんだけではない、血生臭い戦地で命を落とした人々全員に、そんな未来があったかもし
れない。
その未来を潰してしまったのは、皮肉にも同じ『人間』である。
そんな苦しい時代を乗り越えた、おばあちゃん達の苦労や努力を、大勢の人に知ってほしい。
そんな時代を、決して『他人事』とは思わないでほしい。
世界で戦争や紛争が絶えないのと同じように、私たちも、いつの間にかそんな時代や出来事に巻き
込まれてしまう未来だって、決して0(零)ではない。
その可能性を低くする為には、今のこの平和な生活を、しっかり離さない事。
いつもの生活を大切にして、平穏を守るため、私たちにできる事はある。
争いを起こさない 相手と揉め事を起こさないように努力する
無理に仲良くなる必要はないけれど、トラブルを起こさないように気をつかう事はできる
この時代に生きているのは、自分だけではない事を、常に意識する
争っても、ただ虚しいだけなのを心に留めておく
そして、争いが起きてしまった歴史を忘れず、その悲劇を後世へと繋ぐ。
一部の人は、「怖い」とか「見ていて不快」という、『個人の考え』だけで、自分たちの歴史を蔑ろにしてしまう。
でもこれは『個人』の問題ではない、『全人類』の問題だ。
人として生まれたからには、その義務もしっかり背負う。
私にできる事は限られているけど、それでも私の活動がきっかけに、多くの人が動いてくれたのな
ら、私の頑張りにも価値がついてくる。
おばあちゃんからの宿題は、『形』になって提出できるかもしれない。
私はホームページで得た収益の半分を、慰霊碑や供養塔の維持費へ寄付している。
やっぱり、形ある物は壊れてしまう。修理や維持にも、ある程度のお金が必要になる。
壊れない、頑丈な物でも、経年劣化には敵わない。
それに、見た目がボロボロだと、また『よからぬ噂』が漂ってしまう。
壊されたりしたら、犯人を特定して損害賠償を請求できるけど、『自然災害』に対して「損害賠償
を請求する」と言えるわけない。
だからこそ、『寄付』も大切な『社会貢献の一つ』
一部の人からは「本当は寄付なんてしてないんじゃない?」と言われているけど、収益を全部自分
が独り占めしているなら、今こうして仕事に就いていない。
それに私のブログは、お金儲けのための場所ではない。
私の活動は、歴史や時代を振り返る『きっかけ』にしてほしい、ただそれだけ。
学生の頃は、『日本史』や『世界史』などの授業がきっかけになるけど、大人になると、きっかけもなかなか掴みづらくなってしまう。
私も活動を通して思ったけれど、様々な地域の歴史の勉強をしていると、自分の抱える悩みが不安
が、いつの間にか小さくなってしまう。
昔の人も、今の人と同じような不安を抱えていたり、自分達よりもよっぽど重い苦しみを抱えている人が、かつて私たちと同じように生きていた。
そう考えると、歴史の勉強も悪くない。
悩みが小さくなるし、勉強もできるし、一石二鳥にも三鳥にもなる。
勉強というのは、『ストレス解消法』の一つでもあるかもしれない。
そして、自分たちの歴史を築き上げてくれた存在に対して、『無条件の敬意』を送ってくれる人
が、少しでも増えてほしい。
『歴史』に『正義』も『悪』もない、何故なら、同じ人間同士の争いでしかないから。
「___もし、海外の友人ができたらね、おばあちゃんにも紹介しようと思うの。
おばあちゃん、「外国の人は背が高くていいねぇー」って言ってたもんね。
でもね、小さくても可愛らしいおばあちゃんも、私は好きだったよ。
それに、外国人だからって、皆背が高いわけじゃないよ。
それこそ、おばあちゃんくらい歳を取れば、外国人でも背がだんだん低くなって、腰もどんどん曲
がって・・・」
私は、蝋燭に火を灯しながら、花受けに供えられた花に目を向ける。
赤・青・黄色・藍・白、色んな花々が、同じ器のなかに収まっているのが、すごく綺麗。
背の低い花もあれば、背の高い花もある。皆が、それぞれの美しく咲いている。
数日後には萎れてしまう命でも、私はそんな花々こそ、『人生のお手本』にしたい。
もうすっかり夕暮れになり、お腹が空いてくる。
まだ実家暮らしではあるけど、いつもお母さんやお父さんが、美味しいご飯を作って待ってくれているのなら、ありがたくこれからも居座りたい。
おばあちゃんの部屋は、まだそのままの形で残っている。
家族の誰かが使うこともできるんだけど、不思議と誰も手をつけなかった。
きっと、あの家にはまだおばあちゃんがいる感覚が、私たち家族に残っているんだ。
___多分そのうち、物置になりそうだけど。
部屋は仕方ないけど、どんなに時が経っても、墓参りはこの先もずっと欠かさない。
どんなに仕事が忙しくても、県外へお嫁に行くことになっても、帰省したらすぐ、お墓に手を合わせに来るだろう。
慰霊碑を廻り続ける私に対して、大学や高校の友人は「何かに取り憑かれるんじゃない?」と言う
けれど、私にとって怖いのは『幽霊』ではなく、むしろ『生きている人間』
たった一人の人間の一声だけで、何千人もの人間の命を奪うこともあれば、大勢の人間が、たった一人の人間の横行に振り回される。
それに、私は『肝試し』に行くわけではない。
きちんと手を合わせ、事前に調べておいた『ルール』に基づいて、慰霊祭に参加している。
歴史的に貴重な場所へ、深夜に悪ふざけで行けば、当然バチが当たる。
彼らと一緒にされたくないからこそ、私は下調べを欠かさない。
「明日にはまた『新幹線』に乗って行くの。
またお土産買って、仏壇に備えるから、楽しみにしててね。
やっぱりお菓子より、ぬいぐるみとかストラップの方がいいよね。
明後日、おばあちゃんのお墓にではないけど、また手を合わせるから、見守っててね。」
私は名残惜しさを引き摺りながら、お墓を離れる。
そして、私は毎年毎年感じていた。お墓を離れる際、背後から
「頑張ってね」
と、声がするような気がして。