『孫』として(3)
その夜、私は夢を見た。
気づけば私の後ろで、真っ赤な夕日が背中を暖め、目の前では、『見た事のない男女』がいた。
男女は木の天辺付近の太い枝に、まるで小鳥のように、並んでチョコンと座っている。
そして二人は、和やかな顔で談笑していた。
一見、見覚えのない二人に思えたけれど、よく見ると、『女の子』の方に見覚えがある。
私の知っている姿は、しわくちゃだったけど、そのしわを全部引っ張ると、その女の子にピッタリ当てはまる。
その女の子は恐らく、『若かりし頃のおばあちゃん』
顔は私にも似ているし、お父さんにも似ている。そして、おばあちゃんの妹にも似ている。
そして、枝に座った姿からでも、若かりし頃のおばあちゃんが小柄だったのがよく分かる。
私は、『夢特有のなんでも仕様』によって、宙に浮きながら二人の話を聞いていた。
二人は笑い合いながら、今までの事を色々と語っている様子。
話している二人はかなり若いのに、話はだいぶ年季が入っている。
私は初めて見た、おばあちゃんの初恋の相手である『圭太さん』の顔を、もっと見ようとした。
けど、『夢特有のなんでも仕様』によって、その顔は見えづらくなっている。
でも、話し方から察するに、『すごく優しい人』なのは伝わっていた。
それこそ、私のおじいちゃんと同じで。
「_____やっとこっちに来られたわ。
貴方はまだ若いまんまだけど、私は随分歳をとってしまった。」
「でも、あんまり変わんないぞ、お前。」
圭太さんの服装は、日本史の授業で卓上に広げた、教科書に載っている写真のままだった。
載っていた写真に、そのまま色を付け足したような感じ。まごう事なき『軍服』だ。
でも、その軍服のあちこちには『穴』が空き、よく見ると、『血痕』まで染み付いている。
その痛々しい風貌からも、『当時の戦況』が見て取れる。
教科書には決して載せられないような、壮絶な現実があった。
それでも、圭太さんは笑いながら、若いおばあちゃんとお話ししている。
こんな爽やかな青年が、武器を持って戦っていた・・・なんて、想像すらできない。
まだ幼さがある顔から、私と歳は近いように感じられる。
逆に言えば、まだ幼さがある人間を、戦場に送り出さなければいけなかったおばあちゃん達がどれ
だけ辛かったのか、想像するだけで悲しくなる。
おばあちゃんは、圭太さんに言いたい事が沢山あったんだろう。
楽しげに話すおばあちゃんの顔を見て、私は後悔した。
もっともっと、おばあちゃんの話に耳を傾けていれば、おばあちゃんが胸の内にしまい込んだ、辛い過去を少しでも和らげることができたかもしれない。
『お年寄りは昔話ばかりする』とはよく言うけれど、それは単に、今の時代の話についていけない
から・・・という安直な理由だけではなかった。
全てが遠い過去になって、今になって『笑い話』になったからこそ、おばあちゃんは話したかったのかもしれない。
でも私は、そんなおばあちゃんの意図に、耳も意識も傾けず、ただ聞き流すだけだった。
それで、おばあちゃんの心が軽くなったのならまだ良いんだけど、もっと真剣に話を聞いていれば、おばあちゃんはもっと軽い気持ちで旅立てたのかもしれない。
圭太さんは、お喋りが止まらないおばあちゃんの顔を見て、安堵したような顔をしている。
きっと、無事に老いてくれたおばあちゃんを見て、ホッとしたのかもしれない。
圭太さんんも大変だったけど、おばあちゃんも大変だった。
あの時代に、「どっちが大変」なんて、なかったのかもしれない。
___いや、『どんぐりの背比べ』なんて、する余裕もなかったのかもしれない。
いつの時代、みんな苦労している。そもそも苦労なんて、自慢することでもない。
苦労を自慢できる・・・という事は、そこまで苦労していないんだろう。
本当に心身共に苦労していれば、愚痴をこぼす事すらできない。
厳しい時代を、文句ひとつ言わずに乗り切ったおばあちゃん。
そんな時代を、笑い話にしてしまうおばあちゃん。
おばあちゃんは、圭太さんと同じくらい立派だと思う。
圭太さんも、おばあちゃんの苦労を、ひしひしと感じている様子。
「貴方以外の男性と結ばれる・・・なんて、幼い頃は思いもしなかったわ。」
「俺たちの時代じゃ、『恋愛結婚』なんて、稀の稀だったからな。
でも、子供にも孫にも恵まれたんだ。十分頑張ったよ。」
「___私が貴方以外の人と婚約した時、貴方は『空の上』で怒ってた?」
「いんや、むしろずーっと俺を引きずってたら、『心配』を通り越して『激怒』してた。」
圭太さんは、本当におばあちゃんを、心の底から愛していたんだ。
そうじゃなかったら、こんな言葉、すぐには出てこない。
おばあちゃんを愛しているからこそ、『自分たちの幸せ』ではなく、『おばあちゃんの幸せ』を優
先した。
そうなると、必然的に圭太さんは、おばあちゃんの人生から省かれてしまう。
けど、それでも構わなかったんだろう。数学や理科の公式よりも、もっと複雑で難解な話だ。
でも何故だろう、私も互いの気持ちが理解できてしまうのは。
数学や理科では、本気で教科書や参考書と睨めっこしないと、理解どころか暗記もできない。
教科書や参考書がない筈の、『人生』や『恋愛』の方が難しいのに。
「それにしても、君の息子も孫も、本当に君そっくりだ。」
「悪いところまで似なくてもよかったのに。私のせいで、皆背が低くなっちゃったんだから。」
「でも、お前の背が俺と同じくらい・・・なんて、考えられないぞ。」
よくおばあちゃんは言っていた、「背が低くてごめんね」と。
まだ小さい頃は、その言葉の意味が分からなかったけど、今ならその言葉の意味が、笑えるくらい分かってしまう。
確かに、私も背はそんなに高いわけではない。だから、教室ではいつも手前。
身体測定の時、一年の手本のちょびっとずつしか伸びないから、いつの間にか健康診断に期待するのを諦めていた。
私もモデルくらい、綺麗な体型なら良かったんだろうけど、お父さん達を見ていると、そんな望み
は捨てた方が無難だと思った。
でも今の若かりしおばあちゃんと見ていると、私も圭太さんと同じく、背の高いおばあちゃんなんて想像できない。
それに、高校に入ると、色んな身長や体型を目にして、自分の身長が変ではない事を知った。
やっぱり『成長期』は侮れない。___私は成長期に入っても、そんなに変わらなかったけどね。
「そういえば、洋子さんって、どうしてるんだろう・・・
まだ生きてるのかな?」
「いんや、『俺と同じくらい』で、もうこっちに来ちまった。」
「___あ。まさか・・・・・」
「あぁ、東京が、『焼け野原』になった時、巻き込まれちまったんだ。」
『洋子さん』というのは知らない名前ではあるけど、『東京』『焼け野原』というワードだけで、
洋子さんに何があったのか、私でも察せた。
その話を聞いたおばあちゃんは、『不思議な顔』をしていた。
『納得できない顔』にも見えるけど、『懐かしさで頬が緩んでいる顔』にも見える。
___多分、『洋子さん』という人物は、おばあちゃんにとって、『そんなに良いイメージのない人』なのかもしれない。
でも、やっぱり虚しさは隠せないんだろう。
どんな相手であっても、『理不尽な死』を迎えたのなら、誰だって同情する。
私も、洋子さんは知らない人だけど、その無念さは伝わってくる。
想像を絶する『炎の海』のなかで、洋子さんはどんな思いだったのか、想像するのも怖い。
「_____よし、じゃあそろそろ行こうか。
お前の『旦那』も、『洋子』も、『あっち』で待ってる。
あんまりにも遅いから、もう待ちくたびれたんじゃないか?」
「圭太さんは? 待ちくたびれた?」
「__________いや。待つのも案外、楽しかったから。」
そう言ってはにかむ圭太さん、おばあちゃんが寿命を全うした事を、心の底から喜んでいる様子。
きっと彼は、ただ見ていたんじゃない、おばあちゃんの長寿を願いつつ、見守っていたんだ。
自らが戦っている最中も、国同士の争いが終わった後も、おじいちゃんと結婚した後も。
そんな人に見守られてきたおばあちゃんの人生は、フィナーレにふさわしい、満員御礼の形で幕を
下ろした。
おばあちゃんと圭太さんは、互いの手を取り、そのままスーッと、天へと昇っていく。
私は、おばあちゃんが羨ましく思う。
結ばれはしなかったけど、それでも愛し続ける事ができる二人が、どれだけ互いを信じていたか、どれだけ理解していたか。
そんな関係、滅多にない。絆をつくる事自体、かなり大変なのに。
それでも、こんな関係をずーっと続けられるおばあちゃん達は、果たして『悲恋』なのか、それとも『純愛』なのか。
歴史の教科書に載ることのない、『一般人の歴史』は、同じ一般人の私の心に深く突き刺さった。
今まで現実味を帯びなかった『日本の歴史』が、今ではすごく近く感じる。
過去を生きたのも、今を生きるのも、感情や絆を築き上げてきた人間。
そんな彼らの生き様は、今を生きる私たちを、強く後押ししているのかもしれない。
自分の部屋で目覚めた時、私の目からは、とめどなく涙が溢れていた。
___おばあちゃんが息絶えた時よりも、涙が止まらない。
そして、私はようやく実感した。おばあちゃんが、もうこの世にはいない事を。
寂しさはあるけど、あの夢を見た後だと、気持ちはそれだけではない。
あの夢で、おばあちゃんや圭太さんが、私に何を伝えようとしていたのか、まだよく分からない。
でも、私がやるべきことは一つ。私の人生をかけて、『おばあちゃんの宿題』を全うする。
決して『完成』もない、『ゴール』もない宿題だけど、一気に未来が広がったように感じた。
おばあちゃんが私に託してくれた思いは、私だけのものではない。
『手段』は色々とある、後は私次第。
まだ朝の五時ではあるけど、まず何をしようか、考えているだけで楽しくなる。
まだおばあちゃんのお葬式は終わっていないけど、私の心にある覚悟は、もう決まっている。