『孫』として(2)
その日も、いつもと変わらない日だった。
何か特別な事があったわけでもなければ、何かの記念日でも、祝日でもない。
そんな当たり前の日が、『病院からの電話』で、ひっくり返った。
「おばあさんが危篤なので、すぐ来て下さい!」
私とお父さんたちは、すぐ車に飛び乗り、病院へ急行。
その後、お父さんは私やお母さんを降ろし、今度は『おばあちゃんの妹たち』を連れて来る。
私とお母さんが病室に来た頃には、もうおばあちゃんは事切れる寸前の様子。
おばあちゃんの表情は、苦しそうでもなければ、幸せそうでもない。
無表情でベッドの横たわるだけの、『マネキン人形』だと感違いしてしまうくらい、正気がない。
ついこの前、お見舞いに来た時、まだおばあちゃんには、私の手を握り返す力があった筈なのに。
私が思っている以上に、時間というのは、残酷だった。
老いると、こんなに早いスピードで、『天への階段』を登ってしまう。
足腰が悪くなってから、階段なんて登れなくなった筈なのに、どうして『そっちの階段』だけ、早足
になってしまうのか。
___いや、気づけば私たちの人生も、これくらい早く過ぎているのかもしれない。
いつも通りの生活が続くと、時間が遅く感じる。
でも、自分が思っている以上に、時間というのは、簡単に私たちの認識を置き去りにしてしまう。
そして、おばあちゃんの妹たちが来てから、私たちは必死におばあちゃんを呼び続けた。
それに何の意味があるのかも分からないまま、私はおばあちゃんとの記憶を思いながら呼び続けた。
一緒に公園に行った時の思い出 町へ買い物に行った思い出
喧嘩して言い合いになった思い出 おじいちゃんの葬式の時、一緒に泣いた思い出
一緒にご飯を作っていた時の思い出 お正月やクリスマスを一緒に祝った時の思い出
それらを全て思い返すと、何度おばあちゃんを呼んでも、まだ呼び足りないような気がした。
たくさんの思い出を貰っても、まだまだ足りない。
まだまだおばあちゃんと、思い出を作りたかった。
「後悔しか残らない」・・・というのは嘘になる。
けれど、やり遂げた感は・・・残念ながら、あんまり感じない。
___いや、やり遂げたのはおばあちゃんの方だ。
そんなおばあちゃん、まだ『やり遂げてない事』があるのか、いきなりカッと見開いた目で、私た
ちを見ている。
まるで、電池を入れ直した人形のように、いきなり元気になっている。
そして、何処にそんな力が残っていたのか、おばあちゃんは急に饒舌に語る。
おばあちゃんの声は、以前と変わらず、優しい声。
まずおばあちゃんが視線を向けたのは、自分の息子、つまり私のお父さん。
「_____あんたは、いっつも泣いてばかりだねぇ。
小っちゃい時から、運動会の前になると「走りたくなーい!」とか、「休みたーい!」とか言って
駄々こねて。
中学生になってもそんな調子だから、おばあちゃん大変だったんだからね。
何度も中学校へ忘れ物を届けては、学校に忘れ物をしたとか何とかで、夜に学校まで行って、用務
員さんに無理を言ったこともあったねぇ。」
「___あははっ、今でも忘れ物癖が抜けてないのは、もうしょうがないよな。
未来もそんな感じだしな。な、未来。」
困った顔をしながら、私を見るお父さん。
「私まで一緒にしないでよ!」・・・と言いたいところだけど、私も私で、教科書やノートを忘れて、高校生になってもまだ怒られている。
___でも、お父さんよりは重症ではない自信はある。___何の自信なのかは分からないけど。
お父さんに至っては、『ランドセル』を学校に忘れ、そのまま家に帰ってきた話を、よくおばあちゃんが話していた。
___で、今もその忘れ癖が抜けておらず、この前なんて、外出先で『カバン』を忘れて車に乗り
そ うになった。
一緒に車へ乗ろうとしていたおばあちゃんは、怒ったり笑ったりで、おばあちゃんが何だかかわいそうに思えてしまった。
「_____これからも、家族をしっかり守るんだよ。
夏江さん、こんな男だけど、これからもよろしくね。」
お母さん(夏江)は、静かに首を縦に降った。嬉しかったんだろう。
おばあちゃんがまだ元気な頃、二人の仲はちょっとギクシャクしていた。
ある意味、『嫁姑問題』は、時も世界も関係ないことが、女である私も痛感した。
でも、おばあちゃんが体を悪くしてからは、お母さんがおばあちゃんの面倒を見ていた。
お父さんがあんな調子だから、お父さんよりは頼りになるお母さんに、全てを託したのかも。
本当、バランスの取れた二人から生まれてよかったよ、私。
もし、お母さんまで忘れん坊だったら、私はどうなっていたことか・・・・・
「それから、あんた達。」
次におばあちゃんが呼びつけたのは、おばあちゃんの妹。
おばあちゃんの下には、四人も妹がいる。案の定、その全員が、おばあちゃんそっくり。
___いや、厳密に言えばちょっと違うんだけど、顔の感じはもうそっくり。
五人がそれぞれお嫁に行って、家庭を持ったんだから、多少違っても不思議ではない。
「私はもう先に行くから、あんた達は、せいぜい数年後くらいには、『こっち』に来なさいね。
その時に改めて、私がいなくなった後のことを聞くから。」
おばあちゃんの妹たちは、泣いていた。
妹さんも、おばあちゃんとの思い出を思い返しているのかもしれない。
だって、私よりも、ずっとおばあちゃんと同じ時間を共有して、一緒に色々な思い出を作った。
まだ残っている、若かりし頃のおばあちゃんの写真を見ると、必ずと言っていいほど、半分以上に
妹が写り込んでいる。
おばあちゃんも、妹たちが大好きだったんだろう。
年老いてからは、「人と会うのが大変」とか言っていたおばあちゃん。
だけど、妹たちと話している時のおばあちゃんに関しては、こっちが心配になるくらい、元気にハキハキと話をしていた。
昔の話だったり、今流行っている演歌歌手の話だったり、ブラックな噂話だったり・・・
『女性の話は尽きない』・・・と、よく言うけど、いくら私でも、おばあちゃん姉妹の会話の勢いには負けてしまう。
おばあちゃんもおばあちゃんだけど、おばあちゃんの妹たちも、徐々に衰えている。
ほんの少し前まで、真っ黒だった五人の髪は、いつの間にか全部真っ白に。
耳もだんだん遠くなり、足もおぼつかなくなった。
車の免許も持っていない為、おばあちゃんの入院する病院へ、気軽にお見舞いへ行けなかった。
久しぶりに会ったのに、それが『旅立つ寸前』になってしまったけれど、妹たちは、満足そうに笑
っていた。
いつも通りのおばあちゃん(お姉ちゃん)が見れて、ホッとしたのかもしれない。
「_____未来、私の手を握って。」
「うん。」
私はおばあちゃんの、弱々しくなった手を両手で包んだ。
___これが、『最後の力』なのかもしれない。
私は、おばあちゃんの最後の力を、心と両手で受け止める。
そのおばあちゃんの温もりから、おばあちゃんがどんなに壮絶な人生を歩んできたか、少しだけ感
じ取れる気がする。
おばあちゃんは、何十年もの間、自分の人生を精一杯駆け抜けてきた。
辛い事があっても、悲しい事があっても、決して立ち止まる事なく、前へ進み続けた。
だからこそ、お父さんが生まれ、私が生まれた。
おばあちゃんの功績は、どんな偉人にも引けを取らない、偉大なもの。
日本史や世界史の授業より、それを身に染みて実感できる、貴重な体験だ。
「未来、あんたはよく言ってたわよね。
「夢がなくてごめんね」って。」
「_____うん、今も見つけられないのが、本当に情けなくて。」
「じゃあ、そんなあなたに、私から『宿題』をあげる。」
「『宿題』???」
「その宿題を、いつまでも胸に抱えていれば、自然と将来が見えてくるから。
私が未来に渡す宿題、それは
『今の当たり前』を守ること。」
「___『今の当たり前』って???」
「当たり前は当たり前よ。
家族全員で、ご飯をお腹いっぱい食べること。色んな食べ物を食べられる事。
色んな世界を巡れる事。色んな世界の人と、仲良くなれる事。
異性と恋ができる事。結婚できる事。子供の成長を見守る事。
難しい事でも勉強できる事。『未来の可能性』が、無限に見られる事。
そのどれもこれもがね、昔は『当たり前じゃなかった』
_____信じられる?
でもね、私たちは、実際にそんな時代を積んだの。
その時代があったから、今の未来たちが、自由に生きられるの。
_____私もね、あなた達と同じ、『普通の女の子』だった。
お腹いっぱい、色んな料理を食べてみたかった。
色んな世界を旅して、色んな世界の人と、仲良くなってみたかった。
『初恋の人』と、結ばれたかった。白無垢も着てみたかった。
もっと色んな事を学びたかった、もっと色んな経験をしたかった。」
おばあちゃんは、好奇心旺盛で、子供に負けないくらい、やる気に満ち溢れている人。
多分それは、昔からずっと変わらなかったんだろう。
でも、おばあちゃんが願った『当たり前』が現実となった頃には、もう既におばあちゃんの人生
は、半分以上も過ぎていた。
だからこそ、余計に無念なのかもしれない。
当然だ、おばあちゃんだって、普通に恋がしたかった筈だし、普通に学校へ通い続けたかった筈。
それが当たり前ではなかった時代があった事も、学校の授業で学んでいる。
___いや、悲しいことに、まだまだ世界中には、『当たり前の平和』がない場所だってある。
でも、おばあちゃんがまだ幼かった頃も、現代社会で平和に暮らせない子供も、同じ人間。
色々とやりたい事もある、行ってみたい所だってある、学んでみたい事だってある。
何十年も前の話ではあるけど、おばあちゃんもかつては、平和に憧れる、『普通の女子』だった。
私の話を、よくおばあちゃんが聞いていたのは、『憧れ』だから・・・なのかも。
友達と遊びに行く度に、おばあちゃんは私を質問攻めにした。
「今日は何を食べたの?」「何を買ったの?」「どんな人がいた?」
幼い頃は、うるさいだけでしかなかったけれど、最近になって、その質問の意図が理解できるよう
になってきた。
もう足が悪くなってからは、お父さんの車や手押し車が必要になり、行ける場所もだんだんと減ってしまう。
今の世間では、『バリアフリー』はほぼ当たり前ではあるけど、昔は当たり前ではなかった。
だから、ある程度体が悪くなっても、今は何処でも行ける。
でも、おばあちゃんが望んでいたのは、そうではなかったのかも。
もっともっと、おばあちゃんは杖も手押し車も使わず、色んな場所へ行きたかったのかも。
勉強はそんなに好きではない私だけど、学びたくても学べない苦しみを、おばあちゃんはよく知っ
ている。
だからおばあちゃんは、学校でどんな勉強をしたのか、よく聞いていた。
よくおばあちゃんは、「私はバカだから」と言っていたけど、私はそうでもないと思う。
だって、私より色んな事を知っているし、私では絶対習得できないようなテクニックも持っている。
『農具の使い方』や、『天気予報に頼らない天気予測』
今の時代の人間にも通じる、『昔のことわざ』が、私の心に深く突き刺さったのを覚えている。
そして、時折おばあちゃんが話していた、『初恋の相手』
それはおじいちゃんではなかったけれど、その人と結ばれた未来も、見てみたかった。
おじいちゃんと結婚したから、今の私がいるんだけど、『おばあちゃんの幸せ』を考えると、喜ん
でばかりもいられない。
『お見合い』という言葉、私もギリギリ知っているくらい、古い言葉だから。
昔と違って、今は『異性との出会い』『パートナーを見つける方法』は沢山ある。
それでトラブルが発生する事はあっても、それは今も昔も変わらない。
恋愛というのは、いつの時代も、『悩み・トラブルの火種』
『初恋』というのも、人によっては『トラウマ』になるかもしれない。
おばあちゃんも、その一人なのかも。
初めて恋をした相手が、『消息不明』になったら、誰だってトラウマになる。
それでもおばあちゃんは、まだ初恋を思っては、しみじみ私に語っていた。
よっぽど好きだったんだろう、よっぽど無念だったんだろう。
確か、その人の名前は・・・・・『圭太』さん。
あんまり漢字を知らないおばあちゃんでも、その人の名前は、きっちり覚えていた。
圭太さんは、ある日『招集』され、それきり故郷には、帰ってこなかったそう。
何故帰ってこなかったのか、私でも何となく分かるけど、おばあちゃんが頑なに「行方知れず」と言い続けているのは、やっぱり受け入れ難いんだろう。
もし私が圭太さんの立場でも、『見ず知らずの土地』で命を絶つのは、無念すぎる。
もう何十年も経過した今、圭太さんが生きていた事を知っている、数少ない人こそ、おばあちゃん。
『灰色の家(墓)』を作ってもらえず、『遺品』も残せなかった、圭太さんと同じような故人を考
えると、虚しくなる。
だからこそ、おばあちゃんは忘れられない、忘れたくないんだろう。
圭太さんのような思いをした人が、一昔前は大勢いた事を考えると、おばあちゃんの『最後の宿
題』も頷ける。
おばあちゃんは、未来を生きる私たちに託したんだ。
もう圭太さんと同じような思いをする人をつくらない為、そもそも、人の命を『駒』にするような
事を起こさないように。
それが、私たちにもできる、圭太さん達への『恩返し』
『今の当たり前を維持する』
言うだけなら簡単だけど、実際は相当難しいのかも知れない。
喧嘩をするのは簡単だけど、仲直りは難しい。そして、良好な関係を維持するのも、大変なこと。
でも、決して諦めてはいけない事を、おばあちゃんが教えてくれた。
何故なら今の『平和』は、過去を生きてきた人間にとって、『最も望んでいた事』だから。
それでも、まだ世界には、喧嘩をやめない場所がいっぱいある。
その理由は様々だけど、巻き込まれている人々も、普通の人間である事に変わりない。
家族で仲良く、温かいご飯を食べる権利もある。外を自由に出歩く権利もある。
そんな当たり前の権利さえ、争いは打ち壊してしまう。
漫画やゲームのように、突然この世界に降り立って、武器を持って勇猛果敢に戦う『英雄』や『王
様』なんて存在しない。
それに、同じ人間同士が争っても、どっちもどっちなのは、今までの歴史に散々刻まれてきた筈。
なのに、人は何故、『当たり前』を維持できないのか。
何度も何度も性懲りもなく、傍迷惑な争いをしてしまうのだろうか。
___少なくとも、『巻き込まれる側』である私は、二度と繰り返して欲しくない。そう思う。
『企てる側』が、どう思っているかは、分からないけど・・・
でも、私たちにだって、できる事はある。
それは、『当たり前』を『当たり前』にしない。
今こうして、おばあちゃんの旅立ちに立ち会えるのも、『特別』だと思い、胸に刻む。
かつては誰からも看取ってもらえず、見ず知らずの地で命を落とす人も、珍しくなかったから。
そんな時代があった、そんな歴史があった。
決して無視できない、『不快』という言葉だけで片付けてはいけない、人類の『黒歴史』
後世に生きる私たちがむき合わないと、数多の魂は浮かばれない。
ふざけ半分でちょっかいをかけたり、一方的に批判するなんて、もっての外だ。
「_____分かった。私、この生活に感謝するよ。
もっといっぱい勉強して、もっといっぱい友達を作って、幸せな時間を大切にするよ!
おばあちゃんの思いを胸に、私、自分の人生を楽しむから!」
「そうよ、今この時代に生まれた事に、心から感謝しなさい。
___でもね、時々でいいから、私たちの事も思い出して、労ってほしいの。
未来もおばあちゃんと同じか、それ以上に生きて、時代を繋いでね。」
「ちゃんと毎年、お墓参りに行くから。おばあちゃんとの思い出も、未来にしっかり繋ぐから!!
おばあちゃんが苦労した事も、一緒に楽しんだ事も、私が全部未来に繋ぐから!!!」
おばあちゃんの妹たちは、泣いていた。
お医者さんに付き添っている看護師さんまで、一緒になって大泣き。
お母さんは、私の頭を撫で、お父さんは、涙を堪えるのに必死な様子。
こうゆう時くらい、泣いてもいいのに・・・
「___皆で守りなさい、私たちが、掴めなかった幸せを。
どうか、もう『あんな思い』をする事のない、穏やかな・・・・・」
ピー
おばあちゃんは、満足した様子で、ゆっくりと目を閉じ、自分自身の生涯を終えた。
全ての人生を、全力で走り、使い切ったおばあちゃんの顔は、とてもとても綺麗。
不思議と、悲しさをそこまで感じない。私まで、『達成感』に浸ってしまう。
私は、息を引き取ったおばあちゃんに、「お疲れ様」と言いながら、手を合わせた。