『孫』として(1)
「_____母さん?!」 「お婆ちゃん!!」 「姉ちゃん!!」
私たちは、目を疑った。あともう少し、心電図がもうすぐで真っ直ぐになろうとした・・・直前。
急におばあちゃんが、目をカッと見開いて、私たちを見ていた。
これには危篤を宣告した医者も、目を丸くしている。
心電図も、いきなりピョンピョンと跳ね上がり始めた。
もうおばあちゃんを呼び続けて数時間は経過するけど、ギリギリまで迫っていた私の眠気も、一瞬
にして吹っ飛んだ。
目を開いているおばあちゃんは、数年前のおばあちゃんと、ほぼ変わらないくらい顔色が良い。
おばあちゃんが入院してから、。私もお父さん達も、心の奥底で覚悟していた。
だから毎日毎日、その日が何事もなく過ぎてくれるのを祈っていた。
『病院からの電話』が来ないことを、切に祈る日々。
でも、今日の早朝、ついにその知らせが来たのだ。
私が幼い頃から、いつも一緒にいてくれたおばあちゃん。
強くて、優しくて、おっちょこちょいなところもある、私のおばあちゃん。
そんなおばあちゃんが『入院』になった時、私は自分の耳を疑った。
だっておばあちゃんは、畑仕事を率先してやるくらい、体も心も丈夫だった。
テストや部活で何度も凹んでいた孫の私とは、大違いな人。
そんな人が病院に入れられてしまうのが、信じられなかった。
てっきり、数ヶ月の入院で、また家に戻ってくるものだと思っていた。
でも、お父さんたちが悩んでいたのも納得できるくらい、おばあちゃんは日に日に衰えていた。
私を公園に連れていってくれた手も、もう『皮』と『骨』だけになっている。
畑仕事で鍛えた足腰も、動かすのが辛いくらい、痛そうな顔をしていた。
耳も目も遠くなり、寝ている時間が1日の半分以上を占めるようになった。
私は、そこでようやく、『時の流れの残酷さ』を目の当たりにした気がする。
お世話されていた私が、もう高校生になれば、当然おばあちゃんも、同じ時間を過ごしている。
私は『大人』に向かうけど、おばあちゃんは『老体のその先』へと向かわなくちゃいけない。
どんなに神社に『長生き』を願っても、それにも限界がある。
『長生き』を願うのは、まだ未来のある私たちのエゴなのかもしれない。
それでも、おばあちゃんがどんな姿になろうと、私の大切なおばあちゃんである事にかわりない。
だから私たち家族は、おばあちゃんが入院しても、ちょくちょく病院へお見舞いに行っていた。
でも、入院してからのおばあちゃんは、老いがさらに加速したように思える。
私は日々、おばあちゃんにちゃんと『親孝行』ならぬ、『叔母孝行』できたか、不安だった。
おばあちゃんが足を悪くしてからは、私が『杖代わり』になって、おばあちゃんを誘導した。
おばちゃんの耳が悪くなってからは、何度も同じことを聞かれても、腹を立てずに言い続けた。
それが果たして、ちゃんと孝行になっているのか、おばあちゃんはどう思っているのか。
もっと、おばあちゃんに対して、できる事があったかもしれない。
大人になったら、車の免許を持って、おばあちゃんを色んな場所へ連れて行きたかった。
初めての給料で、おばあちゃんに何か買ってあげたかった。
でも、時は待ってくれない。おばあちゃんの老化は、待ってはくれない。
家で『葬式』と言うワードが頻繁に増えたのは、いつ頃からだっただろうか。
親戚が両親と相談する機会が増えたのは、いつ頃からだっただろうか。
おばあちゃんが入院して、しばらくたった頃には、おばあちゃんがいない生活が当たり前になって
しまったのが、すごく虚しかった。
慣れなかった生活に慣れるのは確かにいい事なのかもしれないけど、私の人生の大半は、おばあちゃんに作ってもらった・・・と言っても過言ではない。
病院へ通うたび、おばあちゃんがだんだん『置物』のように変わっていった。
声をかけても、触っても、何一つ反応がない。
薬も増え、点滴も増え、部屋の中がだんだん物々しくなっていく。
もう『上着』や『帽子』が使う機会がなくなって、おばあちゃんの病室にあるのは、パジャマや
櫛くらいしかない。
使わなくなった物は全部家に戻されたけど、捨てる気にもならなかった。
オシャレには興味がなかったおばあちゃんでも、髪だけは綺麗に梳かしていた。
「髪は女の命」と、よく言っていたのを覚えている。
その言葉通り、おばあちゃんは小さい頃から髪を大切にしていたのか、白髪ばかりになっても、お
ばあちゃんの髪はすごく艶々(つやつや)。
まだ白髪にもなっていない自分の髪が、枝毛だらけ・癖っ毛だらけで、おばあちゃんに申し訳なさすら感じてしまう。
小学生の時、寝坊して遅刻しそうになって、ご飯も食べずにそのまま出ていこうとした時、おばあ
ち ゃんに止められた。
何なのかと思ったら、櫛で頭を梳かしてくれた。
当時は、「急いでるの!!」と言って逃げてしまったけど、今ならおばあちゃんが言っていた事
が、身に染みて理解できる。
高校生になった辺りで、「もっと幼い頃から美容に気をつけていればよかった・・・」と思う事が増えたような気がする。
おばあちゃんが子供の頃の話は、よく聞いていた。
おしゃれができないくらい、貧しい家庭だったからこそ、『最初から備わっているもの』を磨いて、美を意識していた。
話を聞いて、私はキュンとした。
今も昔も、髪を大事にする文化が変わっていないのが不思議でもあり、感慨深いものがあったから。
昔の写真を、カラーで復元した動画をつい最近見ていたけど、その写真に写っている女性たちも、
皆髪が綺麗だった。
むしろ昔の人のほうが、今の人より髪が綺麗だったのかもしれない。
おばあちゃんの写っている、一番古い写真は、もうある程度おばあちゃんが歳をとった時のものし
かない。
でも、そんな一番古い写真でも、おばあちゃんの髪はとても綺麗だった。
入院してからは、もう髪を梳かす気力さえも湧かなくなったのか、看護師さんたちにやってもらわ
ないと、自分の髪もいじれなくなっていた。
歳をとり、何もかもが億劫になってしまうと、『女としての尊厳』も台無しになってしまう。
おばあちゃんの色々と面白いエピソードのなかで、一番私にとって衝撃的だったのが、『ボーイフ
レンド』の存在。
その話を聞いた時は、大声をあげて驚いていた私。
おばあちゃんは、こんな事も言っていた。
「昔はね、今とは違って、『遊び道具』も『遊び場所』もなかったの。
だから、私たち『貧乏人』の暇つぶしといえば、『おしゃべり』しかないの。
でも、毎日同じ人と話していても仕方ないから、友達は多いに越したことはなかったの。」
私の勝手なイメージだったけど、昔の人は今より、もっと堅苦しくて、もっと男女の間に差がある
と思っていた。
歴史の教科書やドラマでは、そうゆうのが『定石』だったから。
もしかしたら、それは私の勘違いで、もっと昔の男女関係は、気楽でハードルが低かったのかもし
れない。
___おばあちゃんが『上手』だった可能性もあるんだけど。
おばあちゃんの話は、男縁のない私にとって、遥か遠くの話に聞こえた。
でも、その時のおばあちゃんの顔は、まんま『恋愛漫画の主人公』
聞いていた私が羨ましくなるくらい、キラキラしたエピソードもいっぱい聞かせてもらった。
昔は今とは、だいぶ違う恋愛観のはずなのに、どうして共感できるのか、どうしてときめくのか。
それは、私もおばあちゃんも、同じ『女の子』だから。
私もいずれ、おばあちゃんのように、シワシワになって、寝ているだけの日々を送ることになる。
そんな時、私もおばあちゃんのように、大勢の人に囲まれてみたい。
今は彼氏すらできない私だけど、私もおばあちゃんのように、ときめく恋愛をしたい。
おばあちゃんの話を聞いていると、毎回『恋の種』を植え付けられた気分になる。
でも、その種は発芽するどころか、そのまま朽ちて無くなってしまうのが、私なんだけどね。