亀裂が夜空を割く(2)
「_______あれは!!!」
丘の上からの景色も、真っ暗闇だった。
暗闇に目が慣れてきたから、辛うじて家々が見える。
でも、おかしいのはそこだけではない。
さっきまで、星や月が見えないくらい、暗闇に包まれていた夜空。
その夜空よりも『もっと黒い 巨大なカラス』が、何匹も何匹も、こちらに飛んで来ている。
『羽ばたかない黒いカラス』は、まるで白鳥のように列を成し、獣よりも恐ろしい声をあげて、我
が物顔で滑空している。
そして、カラスから落ちてくる、『光る花びら』
遠くで傍観している私は、その輝きに見入ってしまいそうになったけど、そんな綺麗な景色も、一
瞬にして『地獄』に変わる。
そう、私はこの景色を『何度も見てきた』 そして心の焼き付けた。
『炎』というのが、どれだけ恐ろしいのか
『飛行機』が、どれだけ強いものなのか
『竹槍』では、決して敵わない。敵うはずもない
『威勢のいい勝ち文句』も、『爆撃機』を前にすれば、全て灰になってしまう事も
花びらが家の群れに降り注いだ瞬間、目の前の暗闇が一気に照らされ、同時に聞こえてきたのは
『鉄を叩く音』
そして、家々から聞こえる『悲痛な叫び声』 老若男女が、炎に呑まれていく。
カラスは、ひとしきり『炎の花びら』を散らすと、また闇夜に消えていった。
私はそのカラスに、何度も殺意を覚え、何度も睨みつけた。
でも、生身の人間と『鉄の鳥』が敵うわけもなく、私たちは、ただただ逃げるしかない。
一区画で燃え盛る炎は、あっという間に周囲を巻き込み、更に大きくなっていく。
その炎自体が、私は『大きな怪物』に思えた。家も、人も、何もかもを巻き込み、灰にしてしまう。
怪物の熱気が、私のいる丘の上まで届き、顔が焼けるくらい熱い。
こんな大きな炎、桶程度で静まるはずない。
炎の怪物が、満足するまで放っておくしかない。
それがまた無性に腹立たしい、暴れるだけ暴れて、あとは消えてしまうんだから。
残された私たちにあるものは、自分自身の肉体み。
炎は、『家』も『財産』も、『命』さえも燃やし尽くし、跡形もなく消し去ってしまう。
だから私は、炎が怖い、嫌い。でも、叫んでも石を投げても、炎は消えてくれない。
ただただ私は、泣き叫ぶ事しかできない。
あの場所にあった、圭太さんとの思い出も、幼い頃の思い出も、全部燃えてしまう。
「__________圭太・・・・・さん?
圭太さん!!!」
炎の渦が丘の足元まで迫っているなか、その中腹辺りで、『圭太さんらしき人影』を見た。
でも、炎の灯りで顔が見えていないから、その表情は読み取れない。
私は熱さを堪えながら、その人影をじっくり見る。
その人が来ているのは、『深緑色の洋服』 『軍服』だった。
私はハッとした、思い出したのだ。
圭太さんが連れて行かれる『遠く』とは、一体何処なのか。
そこは、人の『心』も、『尊厳』も、何もかもが無価値になるような場所。
『死』と『虚無』が支配する場所。
『戦場』
私は圭太さんを引き止めようとした、それが許されない事でも、私が許せなかった。
せめて圭太さんには、『この地』で生きてほしかった、どんなに離れていても、それでもこの地で。
でも圭太さんは、行ってしまった。何も言えぬまま、私は部屋で泣くことしかできなかった。
『彼の最後』に、立ち会うことすらできない自分が、情けなくて。
炎も怖いけど、『汽笛の音』も怖かった。あれは私にとって、『追悼の笛』
耳を塞いでも、『石炭が燃える匂い』が、目にも喉にも沁みて痛かった。
「圭太さん!!! 圭太さん!!!」
私は駆け出した、炎が満ちている、崖の麓へ。圭太さんらしき人影へ向かって。
その人影は、何をするでもなく、ただ立っているだけだった。
私は痛む足を堪えながら、坂を降りていく。しかし炎は、まだまだ元気な様子。
もう熱さも苦しさもどうでもよかった、私ができなかった、『最後の別れ』を告げたかった。
「圭太さん!!! 私、どうしても貴方に言いたかった事があるの!!!
「さよなら」も言えなかった事も、「頑張って」も言えなかった事も・・・!!!
だから圭太さん、私今なら言える気がするの!!! だからお願い、聞いて!!!
私、貴方が帰ってくるのを、ずっとずっと待ってた!!!
何ヶ月も、何年も、貴方をずっと探してたの!!!
帰ってこない事をわかっていても、探さずにはいられなかったのよ!!!」
「__________」
逆光で見えない人影だけど、何故か微笑んでいるように見えた自分。
「___圭太さんも、この場所に帰りたかったんでしょ?!
この場所は、辺鄙で貧しい場所だったけど、それでも私は、今も昔もこの場所が好きなの!!
貴方と一緒なら、どんなに貧しい生活でも、どんなに後ろ指を刺されても、生きていけるから!!
だからお願い!!! 行かないで!!! お願い!!!
離れないで!!! 一緒に居よう!!! 一緒に暮らそう!!!」
私の声が人影に届いたのか、人影がついに動き出す。人影は、私に手を差し伸べてきた。
その手を掴もうと、私も左手を伸ばす。
でもどんなに私が走っても、人影との距離が、少しずつしか縮まっていないような気がする。
でも今の私は、そんなの気にしていられなかった。
圭太さんが手を差し伸べてくれたのが、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
早く圭太さんの、暖かくて大きな手に触れたい一心で、私は必死に走る。
着物が破れようと、全身傷だらけになろうと、私は走り続ける。
「_______だ
_____チ _____サチ
_______サチ 行っちゃダメだ
まだ行っちゃダメだ!!! サチィィィ!!!」
後ろから叫び声が聞こえた瞬間、私はゆっくり走るスピードを緩めた。
後ろから、明らかに『圭太さんの声』が聞こえる。
幼馴染だから、間違うはずない。
喉が枯れる限界くらい、掠れている声ではあるけど、後ろで私を必死に呼んでいる。
私は、一気に冷や汗を流す。後ろにいる人が圭太さんだとすれば
私の目の前にいるのは
誰???
「__________チッ」
もう目の前まで迫っていた『黒い人』は、舌打ちをすると同時に、炎の中へと消えていく。
そこで私は、ようやく全てを理解した。それと同時に、私はその場にへたり込む。
さっきから、私が圭太さんだと思っていた人影。あれは、人間ですらない
『死神』
「_____サチ、お前には、まだもう少し、時間が残っている。」
「圭太さん、私・・・・・」
「後ろは向くな。」
彼の姿を見ようと、後ろを振り向こうとした私の顔を、圭太さんが両手で押さえる。
その手は、暖かくて、大きい。圭太さんの手で、間違いない。
私はすぐ後ろを振り向きたいけど、圭太さんがそれを止めている理由、何となく分かった。
「ほら、上を見ろ。『皆』がお前を、しっかり見ているぞ。
『最後の別れ』くらい、ちゃんと言ってくるんだ。
俺にはできなかった事だ、お前はしっかりやってくれ。」
上を見てみると、真っ暗だった夜空に『穴』が空き、そこから『大勢の人』が覗き込んでいた。
『私にそっくりな顔の男女』『大人っぽくなった女の子たち』『白衣を着た男性』
彼らは揃って、寂しげで、悲しげな顔をしている。
ようやく私は『目を覚ます決心』をする。
この世界がなくなってしまうのは寂しいけれど、私は『自分の人生』を、完全に否定したくない。
この夢で、圭太さんと一緒に、僅かだけど一緒に過ごせた事だけでも、私は十分幸せだった。
「_____あぁ、そうか。あの子たちに、随分寂しい思いをさせてしまったみたいね。」
「そうだ、お前は幸せ者だぞ。こんなに大勢の人から『看取って』もらえるんだからな。
___俺もせめて、『大和』で息を引き取りたかったものだ。」
「いいのよ、もう。もう私も『こんな歳』になっちゃったわけだから。
私が『こんな風』になるまで、生きられたのも、貴方のおかげね。」
「俺だけじゃない、俺と同じような思いをした奴らが、『敵国』問わず、何万といた。」
『貴方と再会する』には、もうこれしかなかったのよ。」
私は、溢れる涙を手で拭おうとする。その時には既に、私の両手は『シワシワ』になっていた。
そして、目の前の光景もぼんやりして、立っているだけでも精一杯な状態に。
これが、『今の私の姿』 よく見ると、服も『寝巻き』になっていた。
髪も白髪だらけで、歯もボロボロ。でも、ようやく私が帰ってきた感じで、不思議と後悔はない。
「ほら、行ってこい!!」
圭太さんは、私を持ち上げ、そのまま上へ放り投げる。
そのまま私は真上に吹っ飛ばされ、大勢の人が見ているであろう『空の上』へと上がっていく。
さっきは遠くて聞こえなかったけど、大勢の人が必死に私の名前を呼んでいるのが分かった。
その声に混じって聞こえるのは、『機械の心臓音』
その音も、もうすぐ途絶えそうなくらい、弱々しくなっている。
___どうやら、もう時間はないみたい。
私は頑張って上を目指し、今度は彼らに手を伸ばす。
_____私って、いつもこうだ。言えない事ばかりが増えて、結局最後に後悔する。
「ああすればよかった」「こうすればよかった」なんて後悔は、人生の悔いのなかで、一番無駄なのを分かっていても。
どうして、私は、人間は、『同じ過ち』を繰り返してしまうのか。
散々懲りても、散々学んでも、また繰り返す。馬鹿以下だよ、全く。
_____でも、決して「不幸ばかりだった」とも言えないから、余計に腹立たしい。
結局、圭太さんとは結ばれなかったし、その後も色々と苦労を重ねた。
でも、圭太さんは、私のような人生を、羨んでくれた。
何の取り柄もない、普通よりもちょっと下の人生でも、圭太さんは羨ましかったんだろう。
圭太さんは、結局どこで天に昇ったのか、それすらも分からないくらいだから。
私には、看取ってくれる人がたくさんいる。
人生で積み上げてきた集大成が、『一つの部屋』に集まっているのを感じると、少し誇らしい。
妹には振り回され、子供や孫にも振り回される人生だったけど、『時代』に振り回されるよりはマ
シだった。
だからせめて、彼らに一言でもいいから、送ってあげないとね。




