駆け落ちした婚約者が見つかった
ある意味ホラーかなと。
大きな日本庭園が窓から一望出来る豪邸の応接間。
ここが都内である事を忘れてしまいそうになる。
俺が最後に来たのは何年前だろう?
あれがあったのは...
「久しぶりだね隆二君」
「ご無沙汰しております」
襖が開き、一人の男性が声を掛けた。
俺はゆっくりと頭を下げる。
伊集院財閥の現当主、伊集院周陽。
射貫く視線は昔と変わらないが、どこか疲れている様に感じた。
「座りなさい」
「失礼します」
促され、隣に置いてある座布団へ身体をずらす。
久しぶりの作法だが、身体は覚えていた。
「本日はどのような?」
上座に座った周陽様に伺う。
2日前、突然周陽様から直々の呼び出し。
理由は教えられ無かった。
ただ『来てくれ』とだけ。
暫し無言のまま、息を整えた周陽様が座卓に置かれていた湯呑みのお茶を一口啜る。
言いにくい事みたいだ、ひょっとしたら孫に会いたいとか。
そうなら難しい、瑠璃花が絶対許さないだろう。
「...由梨花が見つかった」
「え?」
予想外の答えに思わず無作法な言葉が出る。
それは仕方ない、それだけの衝撃を受けてしまったのだ。
[伊集院由梨花]
周陽様の娘で伊集院家の長女、そして俺の婚約者...いや『7年前までは』と言うべきか。
親同士が決めた許嫁だった。
「すまない、今さらアイツの名前なんか聞きたくも無かっただろうが」
「...いえ」
その通りです...とても言えない。
瑠璃花を連れて来なくて良かった、ここに居たら周陽様を怒鳴り付けていただろう。
もっとも、絶対に来ないだろうが。
「いつ頃ですか...?」
「先週だ...病院に担ぎ込まれてな。
身分証が無かったので、由梨花だと判明するのに時間が掛かってしまったよ」
「病院ですか...」
一体なぜ病院に?
事故か何かに巻き込まれたのか?
「知り合いの男から暴行を受けたそうだ」
「知り合いの男ですか」
由梨花が俺の元から消えて7年、そして家族の監視から逃げて5年か。
その後に知り合った人間だろう。
余り幸せな人生を歩めて無かったみたいだな。
「隆二君、君もよく知る男だよ」
「...まさか?」
由梨花に暴行を働く卑劣な男。
一人の顔が頭に浮かんだ。
「竜ヶ崎...」
「そう、竜ヶ崎亮二だ。
もっとも奴は竜ヶ崎家を勘当され、現在の繋がりは無いがな」
「そうでしたね」
[竜ヶ崎亮二]
名家竜ヶ崎家の次男に生まれたアイツは幼い頃から甘やかされて育った。
亮二の幼少期は余り知らないが、記憶にある奴の印象は、我が儘で尊大な奴だった。
「あんな奴のどこに由梨花は...」
「...周陽様」
辛そうな周陽様は見たくない。
そこには一人の父親が苦悩する姿があった。
「...すまない、私も凡庸な男なのだよ」
「そんな事は」
周陽様は自嘲の笑みを浮かべる。
名家の父親とは哀しい物。
家名を守る為に奔走し、娘の許嫁を決めた。
名ばかりの、今は衰退した俺みたいな人間と由梨花は5歳で決められたんだ、俺自身も7歳だったが。
「由梨花...由梨花さんは今までどうやって?」
「学生時代の伝でな...随分と遠くに居た」
「そうですか」
伊集院家が総力を挙げていたなら、由梨花は簡単に見つかっていただろう。
それをしなかったのは...おそらく俺が由梨花の妹、瑠璃花と新たに婚約を結び直したからだ。
「勘違いするな隆二君。
瑠璃花は、娘が望んだ結果だからな」
「はい」
確かにそうだ。
瑠璃花はずっと姉の婚約者である俺に好意を寄せていた。
過度なアプローチは無かったが、ずっと熱い目で見られたら、さすがに気づいた。
「...私は何を間違えたのだろう」
周陽様は呻く様な声をあげる。
両肘を突き、頭を抱えた姿には威厳の欠片さえ見いだせない。
「瑠璃花に...娘や孫にさえ会えない。
アイツは私をまだ恨んでいるのだろ?」
「そんな事は...」
無いと言えない。
由梨花の裏切りに、伊集院家は俺に対し簡単な謝罪と手切れ金で話を終わらせようとした。
金では無いと言いたかった。
だが正直な所、俺の実家は既に衰退していた、今更家名に泥を塗られても強く抗議なんか出来そうも無かったのだ。
竜ヶ崎家は息子の起こした不始末に、持ち逃げした俺の貯金を弁済したが、最後まで謝らなかった。
逆に由梨花を繋ぎ止められなかった俺を詰った。
婚約者だった由梨花を寝取り、更に俺の預貯金まで根こそぎ奪ったのにだ。
最後まで由梨花が勝手にやったと言い訳していたが。
「竜ヶ崎家は?」
「バカは自分の仕出かした事が恐ろしくなったか、実家に助けを求めよった。
そのまま竜ヶ崎家はバカを私の所に差し出して来たのだ」
「そうでしたか」
亮二が由梨花を寝取った際に、酒や媚薬を用いた事を知った伊集院家は莫大な慰謝料を請求した。
そりゃそうだ、結婚前の娘を手篭めにしたんだし。
余りの剣幕に恐れをなした竜ヶ崎家は全面的に非を認め、亮二の勘当を約束した。
しかし、亮二はどうやって7年も今まで生きて来られたんだ?
幼稚園から大学までエスカレーターだし、就職も一族の会社、全く仕事の出来ない男だったと噂で聞いたが。
「アイツは処分させて貰った。
随分と悪事に手を染めていた様だ...由梨花を差し出して逃げよう等と」
「はあ...」
最後まで亮二はクズだったって事だな。
7年前、俺の金を奪い、逃げた由梨花と亮二だったが、由梨花はあっさりと捕まった。
ホテルで見つかったのだ、亮二に見捨てられた状態で...
「由梨花を売ろうとしていた奴等も纏めて処分した。
君や瑠璃花、孫に何かあったら大変だからな」
「ありがとうございます、でもなぜ亮二は由梨花の場所を?」
亮二に見捨てられて以来、由梨花は亮二と連絡を取れなかった筈だ。
由梨花が親戚の家から失踪したと聞いたのが、5年前だから。
「調べたら分かる事だ」
「そんな物ですか?」
「ああ、簡単にな」
それなのに調べなかったのか。
せめて居場所くらい調べるべきだったのでは?
いや、伊集院家として由梨花は家名に泥を塗った忌まわしい存在。
繋がりを持ちたく無かったのか。
「そろそろ許しては?」
「許す?君は裏切った婚約者を許してやれと?」
「はい、そして今からでも私の家族と...お義父さん」
もう怒りは余り感じない。
金を持ち逃げされた時は確かに悲しかったが、それ以上に瑠璃花の気持ちが俺を救ってくれたから。
「...妻にも言われたよ、私が意地を張るから娘家族と会う事が出来ないと」
「お義母さんが?」
いや、しょっちゅう来てるぞ。
昨日も瑠璃花と娘でチャットしてたし。
「これから頼むよ隆二君」
「はい」
差し出されたお義父さんの手を握る。
やっと家族になれたんだ。
「最後に」
お義父さんが懐から一通の通帳を差し出した。
「由梨花が毎月の給料から余った分を貯めていたんだ、他人名義の通帳を譲り受けてな」
「...まさか」
架空口座、犯罪行為じゃないか。
だが、そうして生きて来たんだ由梨花は...
「アイツなりの償いだったんだ、まだ全然足りないが」
「...いいえ」
毎月僅かに振り込まれている金額。
何の仕事をしていたか分からない。
だが、就職はおろか、バイトすらした事が無かった由梨花、生活は楽では無かったろう。
「由梨花は今?」
「親戚に預けてるよ、何か伝えるかね?」
「お幸せにと、これはお義父さんが預かって下さい」
通帳をお義父さんに戻す。
こんな金は要らない、かといって突き返す気にもならない。
なにより自己満足な行為は他人には不快だ。
「隆二君...分かった」
「それでは」
「ああ、近い内に」
「お待ちしております」
お義父さんに見送られ家を出る。
止まっていた時間が動き出した、俺の蟠りが...
気づけば脳裏から由梨花の面影が消えていた。
.....一方で背中に気持ち悪い視線も感じた。