『芸術祭におけるカオスとコスモス』・・・『詩の群れ』から
『芸術祭におけるカオスとコスモス』・・・『詩の群れ』から
㈠
自己の、何ともし難い、宿命とやらは、芸術祭で、芸術にせねばな、だろうだ。
だろう、言葉の問題でもある、芸術祭の手を借りない訳にはいかないな。
だろう、しかし、本質的には、其処にはカオスがあるだろう、え?
だろうだ、そして、コスモスもあるだろうだ。
㈡
コスモス、何で花の名前が出て来るんだい、何とも不可思議だろうだ。
いや、違うんだ、此処で言う処の、コスモスは、宇宙観の意味のほうだよ。
成程な、俺は俺で、お前はお前で、我々は我々、と言った意味だろうだ。
そうなんだ、芸術祭で、それらは復活祭だよ、だろうだ。
㈢
つまりは、芸術祭におけるカオスとコスモスってことで、神羅万象だな。
だろうだろうだ、奇跡も通り越して、神不在的虚無、万歳って感じか、だろうだ。