8, さあ、犬を投げるのです!
もともと契約や承認が絡むような物事は、半々で考えないといけない。確実なんて、ないのさ。絶対に、ないのさ。それにも関わらずミィーは、確実に承認されると思い込んでいて、そこに、フィーさんからの承認を拒否され、呆然と……天井の一点をみつめることになりました。
それはわかっているつもりでも、雰囲気に流されやすい俺自身、結局、このような流れは考えておらず、ミィーにかける言葉はまったく見当たりません。
先ほどまでのにぎやかだった時間は一変し、こんなに気まずい沈黙の時間になるとは。しかしながら、フィーさんが、そこまでしても拒否するのだから、それに相応する理由が、ミィーの「設計図」にあるのでしょう。
それ以前に、ミィーは「この界隈でお世話になります」とか、フィーさんと話をしていたよな。その「設計図」で、何かを始めるのは明らかなのだか、それで、何をはじめるのだろうか。それすらも、この地でわずかな俺には、曖昧なんです。「犬」とか「新しいカギ」とか、具体的だけと、ぼやけたものに対する説明は詳細に受けているのですが……。
このままでは、らちが明かないため、さて、どうしましょうかと次のアクトを探していたら……、ミィーが天井からこちらに視線を移し、覚悟を決めた目で、俺に話しかけてきた。
「ディグ……、私は、絶対にいけるようにと、ありったけの考えをふり絞って、ここまで来たの。」
そうは申されましても、その設計図を拝見したのはフィーさんで、俺は見ていません。そして、フィーさんの……その芳しくない表情からくみ取って、とてもじゃないけど、口にすら出すのも億劫な、ひどい内容なんだろうな。
俺はフィーさんを信用しているので、その場しのぎの甘い言葉はかけません。厳しく、いきます。
「フィーさんが見誤るとは思えません。一からしっかりと見直すのが最善だと思いますよ!」
俺がこんなまともな内容を発したところで、説得力はないよ。でも、曖昧な返答は厳禁です。ここで曖昧なことをしたら、絶対に、後悔する流れに乗ってしまいます。それは、一度でも乗ると、何度も乗ってしまい、俺なんかさ、売買の度に乗せられて、何度も担がれて、何度も地に叩きつけられて、本当に……そいつには乗り飽きているのだよっ!
「ディグまで……。相棒だもんね。当然よね。ちょっといい?」
何か用なのかな。でも、ダメでしょう。
「ここは、俺なんかよりもさ、フィーさんと、しっかり話すべきだと。」
「フィー様……。」
その言葉に反応したフィーさん。
「ミィーさん? 今なら、いくらでもやり直しができます。しかし、その設計図であっても、はじめてしまったらもう、後戻りは叶いません。わたしも全面的に協力いたしますので、しっかり……」
フィーさんの言葉を待たず、ミィーが威勢よく、とんでもないことを……。
「フィー様……。私、決めました。私はこの設計図以外で、はじめる気は一切ありません。なぜなら、これは……私だけの問題ではありませんので! ここまで、多数の方々に応援していただき、ここまでようやくきました。それを、どうして、どうして……、フィー様は、そのような多数の方々の想いや、私の覚悟などに考えが至らず、平然と踏みにじるのでしょうか! 私には、これしかありません。フィー様に承認をいただけるなんて、と、夢みたいな時間を過ごさせていただきましたが、こうなった以上……、『魔の者』も視野に入れて、すぐにでも承認をいただき、はじめていきたいと考えています。」
あっ、俺のような鈍いやつでも、すぐにわかったぞ。これって、まずいやつ、だよね? 「魔の者」と承認って、一体、何をはじめる気なんだ、ミィー? ちゃんと話せ!
おっと。フィーさん、なんか、表情が引き締まって……、今ので、スイッチが入ったのかな。
「ミィーさん? あなたはそれで本当に良いのですか? その設計図、本当に、自分の本心が描いたのでしょうか? 違いますよね? ミィーさん、あなたが安易に、そのような恐ろしい内容を思い付いてしまうとは、考えられないのです……。」
恐ろしい内容……。やばいんだな。しかし、ミィーは、それにも全く動じず、臆することなく誓いの言葉を述べ始めた。
「フィー様、これは、私の本心です。今ここで、神々にも誓います。これでも……、承認はいただけませんか?」
「……。」
フィーさんが、目を閉じて、少し考え込む。たしか……「時を詠む」だっけ? このような感じで勝てる手法を瞬時に頭の中で展開し、すばやく利を抜いていくとか、なんてね。
「フィー様! 私には、これしかなく、一から考え直す時間などないんです! 年々、食糧事情の悪化に歯止めがかからず、私のところでは、このままでは飢え死すら出てきてしまいます。私、もう、どうしたらよいのか! そして、そこの方々の期待を背負っています!」
ミィーが必死に哀願する。これは……、嘘ではないな。食糧事情の悪化ね……。すごく納得しました。口に合わなかったとはいえ、残してしまった自分が恥ずかしいです。
「ミィーさん……。たしかに、その事情は深刻です。しかしです、わたしの結論は変わりません。」
「!? フィー様……、いくら何でも冷たすぎます。本当にショックです……。」
ミィーはうなだれて、涙すら出てこない、そんなオーラが漂っていました。
「ミィーさん? もちろん、このまま見放す気はないのです。そこで、やっとですね!」
何が……、やっとなの? フィーさん?
「ディグさん? ここで、あなたに託した『大切な犬』なのです。その一部を、ミィーさんに『投げて』あげてください。」
ミィーが、ハッとして、顔を上げた。
「犬を……、ディグが持っているの!?」
「はい。このフィーさんから、『大切な犬』を成り行きで託されました。」
「フィー様の犬を託されたなんて……。」
犬の一部を投げる? これ自体に価値があるのは、理解したつもりだったが、そんな大切なものに、俺はどうしろと?
「犬を投げるって……?」
「あっ、それは……。少しずつ、相手に『あげる』という意味なのです。」
「あ、『あげる』? ……、そういうことね!」
少しずつ、犬の価値をお分けしていくことを意味するのね。そういうのも、この地では、俺の役目になるのか。まあ、飯が出なくなると生きていけないため、使い方は……一応習得したつもりだ。まかせておきなさい、ミィー。
「ディグ……、いや、ディグさん! 犬をください!」
ミィーは、急に態度を変えやがった。まあ、よい心がけか。なんて……、そんな趣味はないです。
「えっと、この場合は、どうするんだっけ……。」
そう……、使い方は、一応習得したつもり……でした。
つまり、それどころじゃないんです。やばいです。もともと、物覚えが悪い俺です。そこに、故郷の記憶が少しずつ消えていくという「足かせ」まであります。それだけの負を抱えてしまったら、もう、……。実は、投げ方自体が沢山あってさ、どれを、どの場面で使えば最適なのかが、まったくわからないんです。一応、説明は受けてはいますが……、もう、慣れていくしかないみたい。
下手な意地は張らず、さっさとフィーさんに伺おうとしたら、なんとまあ、フィーさんの表情が緩んできて、いつもの、柔らかい感じが戻ってきました。もう察知したんだろうな!
「ディグさん……、ミィーさんはまだ、あなたのコミュニティに参加しておりませんので、『ムーブ』ではなく『トランザクション』を使うのです。」
「……、おっと、そうだった!」
そうそう。ムーブとトランザクションがあって、この状況だとトランザクションみたいだね。理由は、なんでだろうね。はい。まあ、そのうちわかるさ!
「さて、ディグさん。いよいよですね。さあ……、『犬』を投げるのです!」
なんだか……神々しいフィーさん。でも、犬なんだよね! 犬! 一応、なんで「犬」なのか伺ったら、「可愛いから」という、なかなかお茶目な答えが返ってきたんです。可愛い犬を刻印したらしく、そのまま犬と呼ばれるようになったらしいです。それでも「価値のある犬」ですからね。
「ディグさん! これが……私のカギから出てきた犬のアドレスです。よろしく!」
そろそろ、あの忌まわしき記憶「悪夢」から、これから生きていくための……真新しい記憶「犬」にチェンジしていただきたいです。たしか……、トランザクションの場合は、相手から、相手に渡すだけに限定されたカギから得られた「アドレス」を受け取って、そこに、送るんだっけな。おっ、案外……覚えているではないか、俺!
これについては、純粋に凄いというか……なんと「悪意に満ちている者」でも、まともに使えるようになっています。あっ、ここは……まともにしか使えない、と言った方がわかりやすいかな。
なぜなら……俺にミィーから渡されたカギって「相手に渡すだけに限定された」という点なんです。これがもし、出し入れ可能な普通のカギだったらさ……、それでも相手に「犬」を渡すことはできるけどね、悪意のある……それこそ「魔の者」に渡してしまったら……絶対に、懐にその魔の手を突っ込まれ、盗まれちゃいますからね! これについては、絶対に注意です。まあ、誤って出してもやばいため、普通のカギは、簡単には出せないようになっているらしいです。
さてさて、どれ位の犬を送ろうかな。食糧事情の悪化では、多めに渡しても良さそうかな。ただ、この地の金銭的な価値については、ふわふわしていて、がっちり掴めていないんです。どうしようかな……。悩みますね。なぜなら、渡す量については、一切、何の説明も受けていないためです。つまり、自分で決めろ、ですね。
それにしてもさ、年々……食糧事情の悪化って、どういう事情だろうか。さらに気になってきました。これって、作物が育たなくなった……ではなく、別の部分に、大きな障壁がありそうですね。おっと、これは俺のカンです。
……。結局はカン。俺のトレードはいつもこれ。相場の格言、チャートの分析、有名な投資家による心にグッとくる言葉を並べて勉強していたつもりで美辞麗句をならべていたが……、最後はカンでした。そうです、カンです。この地に連れてこられたからといって、俺は俺、何も変わりません。いや、そう簡単には変われないのです。
……。はい。ミィーのアドレスに、そこそこのアマウントを送ってやりました。
「えっ! こんなにたくさん……。」
なんか、ミィーが驚いているぞ。良い感じです! それにしても、ちょっと考えるだけで、価値のあるものを送れるという「この地の仕組み」については、このミィーの表情で、やっと確信に変わりました。価値のあるもの……「大切な犬」は、お金、……、いや、カネみたいなものか。この犬の価値って、本物だったみたいです。
おっと、もちろん、フィーさんは常に信じていますよ。でもね、「フィーさん以外の第三者」に「犬」を送ってみて、本当に価値があるのか……この目で確認するまでは、正直、半信半疑でした。これについては、誰もがそうなりますよ。
だってさ、犬のマークに数字が書いてあってさ、これを渡して、価値がどうのこうって……。その辺を歩いている人に話してみな……、真剣になるどころか、一蹴されるぞ。
「へぇ……、もう、俺が送った犬のアマウントがわかるんだ。」
「こんなにたくさん……。」
おい、ミィー。さすがに、浮かれすぎだぞ。
うっ……。フィーさんが妙な笑顔を浮かべております。お勉強のお時間でしょうか?
「アマウントの通知については、すぐにわかるのですが、まだ確定はしないのです。」
「えっ? まだ確定しない? 俺が送って、相手に通知が向かったのだから、確定じゃないの?」
「ディグさん……。それだけで確定させることはできません。なぜなら、送り主が『正直者』とは限りません。その送ったアマウントが正当かどうか、しっかり調べる必要があるのです。」
なるほど。ごまかしたアマウントを送っていないか……とか、詳細に調べるのね。
「納得です。でも、誰が調べるのさ? 例えば、フィーさんが、その能力を発揮して詳細に調べ上げて、それから確定するのかな?」
「ディグさん……。その仕組みでは、わたしがごまかしたら、ダメですよね?」
「まあ……、そうなるね。」
「そこで、第三者を混ぜて、検証するのです。それであれば、ごまかせません。」
えっ!? 第三者を混ぜてって? なにそれ……。
「どうしても、なのです。なぜか、一部に検証を集めると、ごまかしたくなる誘惑が芽生え始めます。書きかえ、消す、マージ、デストロイ、ドロップ、再構成、塗りつぶし……、いろいろなのです。」
うん……。マージと再構成はよくわからんが、その他は、どこにでもありますね。別に、驚きもしません。というかフィーさんって……。
「まあまあ……、そういうやつらもいるでしょう。そして、それらが『魔の者』ではないの?」
「えっ! あっ……、そ、そうなのです。そ、そういうことなのです。」
「そういうことって……?」
なんかさ……、今のフィーさんの表情……、なにか引っかかるね。何かを否定しつつ、いや、そうして欲しいという願望ってやつか。
「すみません……。少し取り乱しました。」
「いえいえ、別に気にしてませんよ!」
正直、気になっています。でも、気にしないことにします。……。これも、ごまかしの一つですね。でもこれは「必要なごまかし」です。フィーさんにとって触れられたくない話題なのは明らかなので。
「ディグさん! 今、送った犬が確定したのです。」
「えっ?」
「第三者が、検証した結果を『ブロック』にまとめるのです。そして、そのブロックを拡散させ、他の第三者にも認められれば、確定となります。」
ここでもまた、また、「ブロック」かい。この地はとにかく、その「ブロック」と呼ばれるもので処理するのかな。まあ、習うより慣れろだな、ブロックについては、ね。
「ありがとうございますっ! ディグ! はじめ、このアマウントは本物なの? と、疑ってしまったよ。」
「おいおい……。」
わめいたり喜んだり、色々と忙しいやつみたいだな。
「それにしても、なかなかのアマウントを送られたのですね。」
満面の笑みで、フィーさんが俺に突っ込んできました。はいっ? なぜフィーさんが、俺がミィーに投げたアマウントを把握しているの……? これだと俺に託されたお犬様の状況がフィーさんに筒抜けってこと?
「えっ! フィーさん……、なんでわかるのさ? ミィーに送ったはずなのに?」
「それはです、すべて検証結果は『公開』されているからです。もちろん『ブロック』自体には、多数の方々のアマウントが寄り添う形で含まれていますので、『常識的な量』であれば、ミィーさんのアドレスがわからない限り、掌握できません。しかしです、こんなにも突出したアマウントでは、すぐに、バレバレなのです。」
公開!? 公開って!? いや、普通さ、こういうのって公開するものなのか? かなりの衝撃というか、これがカルチャーショックというものなのか。俺の故郷では、議論にすらならず、考えられないからな。さすがに、冗談で、言っているんだよね?
「公開されているって本当なの?」
「はい、なのです。」
本当みたいですね。ああ……、はい。
「本当に、ごまかせないんだね、これ……。」
「間違っても、おかしなことは、やめた方が賢明なのです。すべてバレますから、ね。例えば、おかしな取引で得た利潤を、犬で洗うとか、絶対にやめてください、ね。」
「おかしなことは、やめた方が賢明」か。心に深く突き刺さりました。とにかく! 犬を投げることに成功しました。とても、うれしいです! なんとか、この地でやっていくしかないからね。
それにしても……、この地でも「おかしな取引」か。ああ……、はい。