82, 大精霊が一切関与しないチェーンによる非中央の実現は元々難しかった。なぜなら、鍵管理自体の安全性を数の叡智で示す方法が存在しないから。
「姉様……。わたしは元に戻ったのですね。」
「そうよ。私の大切なフィーが戻ってきたの。」
「はい……なのです。」
フィーさんはチェーン管理精霊から解かれ、元のフィーさんに戻りました。それと同時に……俺はフィーさんに封じられていた最後の記憶を完璧に取り戻し、現状の全てを瞬時に理解しました。
あの「酷い日」の後……。気が付いたら漠然とした存在による「完全管理」に統率された。「ユーザ主役による非中央の実現」という甘い言葉にみんなで騙されたんだ。その結果、平和と自由と楽観の全てを失い、心に「鎖」を巻きつけられた状態になりました。選択肢はなく、飼い慣らされた「隷属」として「大過去」に戻るしかありません。ところが、俺だけフィーさんとの出会いを果たしたことにより「大過去」の中を辿る道筋が大きく変動し、その結果が……今のこの俺になりました。
その結果の中に、最重要な現実があります。このフィーさんは「あの子」だった。ああ……。これがあの別れの瞬間に告げられた『大過去でまた巡り合える』という真意だった。それには、フィーさんは精霊になり、「大過去」を操れる時空の力を習得し、俺をこの地へと召喚する必要があった。俺を呼び出すために精霊に……? 時空の力はどこで得たのでしょうか。ああ……そういえば小難しい本が至る所に積み重なっていました。
「フィーさん……。すべての記憶を取り戻したよ。これで『再開』を果たせたね。」
「はい……なのです。わたしも嬉しいのです。」
それからフィーさんは嬉しそうに、俺をこの地に召喚した仕組みを解説し始めました。うーん、俺とフィーさんが出会う事象と、フィーさんが俺をこの地にあのタイミングで召喚する事象が「大過去」で同時に起きるという因果を「演算」の力で事前に得たことにより、フィーさんは俺をこの地にあのタイミングで召喚した、とのことです。うーん、案外複雑でした。
それから、頼みもしないのに召喚の詳細が始まってしまい「大過去に固定した」などの論理が飛び出てしまいました。そこは何とかパンケーキなどで気を紛らわすことで上手に回避しています。
「精霊になったんだ?」
「はい、なのです。この通りなのですよ。あの時は、周りに迷惑ばかりかけてしまい、正直……なぜ生まれてきてしまったのか? それすらも悩む日々だったのです。でも……その分を今、頑張っているのですよ。だから、あの時過ごした時間も有意義だったのです。」
「フィーさん……。そういえばあの時も……もし叶うのなら……、だったよね。」
「『書物の街』ですね。ラムダの件が落ち着いたら、是非ともなのです。」
「そうしよう。」
「はい、なのです。」
「それにしても精霊……か。」
「はい、なのです。精霊という形で『神の領域』を超越したのですよ。」
「『神の領域』……。そんな話があったね。」
「はい、なのです。その超越には『演算』が不可欠でした。」
「『演算』って……。まさか、こいつ?」
ああ……。つい呼んでしまった。面倒な大精霊ネゲート様です。
「あら? ようやく麗しき大精霊ネゲート様のご登場かしら?」
「……。ネゲートで十分だな。」
「なにが十分なのかしら? それとも足りない? それなら麗しきこの地の主要な大精霊ネゲート様でもいいわ。わたしとしては、こちらも気に入ってきているのよ。」
「ああ……。ネゲートがこの地の主要な大精霊になるのか。」
「ネゲート。この地の主要な大精霊の各メンバーは姉様に流されやすいのです。このため、姉様の意向に沿っただけの極端な取り決めになるケースが稀にあるのです。よって、そこを何とかするのですよ。」
「あら、フィー。わたしが『売り売り』で失敗のシィーなんかに流されるなんて絶対にないから。」
「あ、あの……。」
ああ……。シィーさんのあの表情……。ネゲートはしつこいからな。でも……、そういえば「あの子」にも姉さんがいて、その姉さんも……。あっ。
「『売り売り』の件は、わかっているの。だから……。」
「あら? あの神々からの噂を小耳に挟んだわよ。買いを容認しているらしいわね。いつもなら買われると操作するなと怒るのにね。今は買いを容認。便利な解釈よね、これ。」
「姉様……。」
「もう……。いじわるなネゲート。今回『この地の主要な大精霊』に抜擢したのだから、そのような解釈は謹んでいただかないとね?」
「それなら、シィーの悪い癖『売り売り』が再発しないことを強く願っているわ。でも『きずな』に余裕がうまれてきたらすぐにでも売りそうね? それでこそシィーよ。」
「そのかわいらしい性格だけは何とかしないとね? そうね……。再開するにしても『売り』からね。さすがの私でも『売り売り』は我慢我慢。これでよいかしら?」
「……、わかったわよ。もう……、黙るわ。」
「姉様……。」
ネゲートがようやく止まりました。シィーさんが相手でも、ひるむことなく余裕に食らいついていきました。でもそれなら「この地の主要な大精霊」には向いているのかな。フィーさんのお願いの内容から推察して今のこの地の主要な大精霊達にシィーさんを抑え込む力は……、だよね?
「さて。おしゃべりなネゲートがようやく黙ったので、やっと本題に入れるわ。」
「姉様。……。わたしは覚悟を決めているのです。『時空の精霊』をやめる、なのです。」
「えっ?」
やめるって? 時空の精霊を……?
「フィー。『仮想短冊』の異変に途中で気が付いたが、手に負えなくなったのよね?」
「はい……なのです。」
「大精霊に一切管理されない『非中央』を仮想短冊で構築するには、そう……。まず最初に、あの重要な命題を数の叡智で証明する必要があったのよね。そして、それが困難だった。つまり、初めから『非中央』の構築なんてものは難しく、それを知ってから悩み苦しんでいたのよね?」
「はい……なのです。その命題は『鍵管理自体の安全性を数の叡智で証明すること』なのです。そしてこれは……無理なのです。その証明を『仮想短冊』に加えることでようやく完全なものになるのですが、それは叶わず……元々不完全なものだったのです。結局、大精霊の信頼を担保にして確保する以外に方法がなく、『非中央』の構築というものは……元々無理だったのです。それを、数の叡智を尊重する『時空の精霊』のわたしが……引くに引けず、それを証明できたと偽って管理精霊を執り行い、ラムダが心を奪われ、あのような惨劇を招いてしまった。もう……。姉様……。わたし……。」
「フィー。私が不調だった点も悪いの。だから『時空の精霊』をやめるのではなく、できる限りラムダより先手を打つことで頑張りなさい。やめても何も変わらないわよ? それなら行動あるのみ。これは『時代を創る大精霊』としての命令よ。」
「姉様……。」
「ちょっとフィー。もう……。そんな事態になっていたの? それだとラムダは笑っている頃かしら? あらかじめ仕掛けておいた罠にかかっている『仮想短冊』を引き抜き始めるわよ? なぜなら『仮想短冊』が価値を持った瞬間からいつでも罠を仕掛けられたはずだから。長い間、そのような危険にさらされてきたことになるわね。『仮想短冊』をいきなり奪われるのはつらいが、ラムダに手を出された地域一帯はもっとつらいわよ。それならシィーの言う通り、頑張るしかないわね。」
「ネゲート……。はい、なのです。」
フィーさんでも大きなミスをするんだ……。証明とかはよくわかりませんが、深刻な事態なのは何となく感じ取れます。フィーさんは断れずに巻き込まれたのでしょう。それは間違いありません。相手の弱みへつけこむのに長けた精霊……多そうですから。
「ラムダはね、そんな簡単には諦めないわよ。簡単に諦めるような者がこの地の『大精霊』になることは絶対にないから。私が想定しているあらゆる事態を超えてくる試みは必ずあるわね。すでに燃料を絞り始めているわ。もちろんその前に『変更因子』で対策済み。なかなかやるわね、ラムダ。でも……『時代を創る大精霊』の私を超えられるかしら?」
「姉様……。」
シィーさんの最後の一言がちょっと怖いです。そこだけ妙な重みを感じます。ただ、これだけは確信に変わりました。ラムダの件、長引きそうだ……です。懐が寂しくなってきたら短冊を引き抜けばいい。それでは……「無限回復」のような気もしてきましたよ。ああ……。でも、そこまで詰めてからではないと、あのような手段には出られないだろう。何とかならないかな……。