81, これがフィーさんから渡された俺の最後の記憶……。「酷い日」の全貌。それは「ステーク……変更因子」の暴走だ。どうやら俺は「大過去」に固定され、それが「演算」のネゲートの担い手となる条件だった。
異質な夢から目が覚めた。その夢の中で、俺は恐ろしい質問をされたんだ。内容は……思い出せない。でも、あの質問には絶対に答えられないだろう。
ところで時間は……窓の外は真っ暗。ならば朝まで寝ようと何度も試みたが寝付けない。しかたなく、漠然とした不安に駆られながらベッドよりふらふらと立ち上がります。
ずいぶんとくたびれたスマホを手に取ります。新品で買ってからだいぶ経つんだな。いつもの俺なら買い替えていました。しかし、いつの間にかスマホが「高価な品物」となってしまい、みんな大事に使うようになっています。でも案外、使い込むのは悪くないです。愛着が湧きますから。
ああ。何かに追われるように悩み始める。俺の記憶がおかしくなっている何よりの証拠だ。相場で負け過ぎておかしくなったのであろう「酷い日」から続く大きな悩みです。
こんな時間に目が覚めて相場で負けた記憶で悩み始める。これも何かの哲学なのだろう。哲学? そういや「非中央」の哲学というのを「犬」で最近知ったんだ。概念すらもよくわからないが、必要なものになるらしい。
非中央? あれ……? 奥底から急激に記憶の渦がうねりはじめた。えっ……? 相場で大負けした記憶から次々と失われた記憶へ紐づけされていく。おかしくなっていた記憶が急激に蘇ってきたのかもしれない。
……。これは……記憶が蘇ったのだ。俺がトレーダーとして再起不能級の大負けをした絶望感と共に大負けの虚しさ……すなわち大暴落の原因までもが鮮やかに蘇ってきたぞ。
そして俺は思わずスマホを床に放り投げた。もはやスマホなんかどうでもよい。
そうだ……。そうだった。もう、全てが終わっていたことを悟り始めた。
相場で俺が恐ろしい負け方をした「酷い日」の全貌に関する記憶。
それは、俺の理解など遥かに超えた「怪物」が目を覚ました日だった。
ああ。記憶がおかしくなる程のショックを受けた点にも納得できた。俺の友人からは「あんな酷い日のことなど、わざわざ思い出さなくてもよい」というアドバイスをいただいていました。その本当の意味がわかったよ……。その心遣いが身に沁みます。
改めて、この記憶を辿ります。
その「怪物」は、みんなの「全て」を奪っていきました。
その「怪物」は「コンセンサス」と呼ばれる仕組みが誕生した瞬間からずっと存在し、眠ったまま息を潜め、絶対に勝てるタイミングを見計らっていた。
その勝てるタイミングとは? そうです……連日寄らずの大暴落を引き起こした「酷い日」です。
ああ……。楽しかった過去の日々。自由と楽観を満喫しながら楽しめた日々。面倒な事は「コンセンサス」に投げる事で便利に片付けてくれる素敵な仕組みが確立されていました。
始めのうちは使いにくい粗が目立ち敬遠されがちでしたが、そこにスマート……。あれ、なんだっけ。このあたりの用語は未だに不明瞭だ……。とにかく、それにより急速に「コンセンサス」の仕組みが受け入れられ、重要なインフラや自動制御なども任せられるようになりました。
しかし、そんな平和な日々が崩れます。そう……「酷い日」を迎えました。
その「怪物」が目を覚ました日です。
すでに重要なインフラや自動制御などが「コンセンサス」に組み込まれていましたから、すでに後戻りはできません。この「酷い日」がその「怪物」にとっての絶好な「勝てるタイミング」だったのです。
その「怪物」は目を覚ますとすぐに、世界中へこう告げました。
「これからは我らの指示にすべて従ってもらう。貴様らに拒否権はない。もし拒否した場合には、我らの悪意に満ちたコンセンサスで『乗っ取る』ことになるぞ。その瞬間、すべての『コンセンサス』が欺瞞に満ちるだろう。そしたらどうなるのかをよく考えみよ。そうだな、手始めに貴様らの頭上を飛び交う『ハチ達』に貴様らの命を狙わせてみるか? これはおどしではない。我ら『ステーク……変更因子』に栄光あれ!」
ああ……こちらも鮮明に蘇った。その凄まじい衝撃から俺の心を守るためこの記憶が閉ざされたのです。だってさ……、こんな事が「現実」になるか? でも……「現実」になりました。
そして、相場の方では大混乱です。大型すら連日寄らずの大暴落となりました。寄るまで値が付かないのでボードは真っ黒のまま推移します。ブラックですよ、ブラック! もちろん、その影響で俺は強烈な負け方をしましたよ。そして、自由と楽観を失う結果に至ります。
それで……か。四年落ちの車で中央に毎日通い詰める事で有名な俺の友人だ。入院中のあの子が書いたノートに興味を示していた。さらには、あのノートの内容に中央までもが興味を示していた。もしかしたら、この事態に対する対抗策のヒントがそこにあるのかもしれない。
入院中のあの子? あの子……。そうだ……。先日……悲しい出来事が起きました。それが原因でこんな時間に目が覚めるようになったんだ。俺って「弱い存在」なんだと痛感します。
あの子は最期、こう俺に告げました。
「悲しむ必要は……ありません。『大過去』で……また巡り合えます。その時の存在は……人対人ではないかも……しれません。でも、でも、でも……もしそれがわたしであるのなら、その時こそは……。」
大過去? それが何を示すのか俺にはわかりません。でも、あの子がそこまで言い切るのならきっと巡り合えるのでしょう。今すぐにでも……できれば、です。
あの子より託された絶対に他人に渡してはならないと指示されたもう片方のノートについては俺が厳重に保管しています。内容はほぼ一緒なんだ。でもさ、書かれている記号が少し異なっている。もちろん俺にはまったくわかりません。でもね、これは俺にしか託せないのでしょう。直感です。
とにかく俺は……。できる事を実行に移すことにする。今決めた。諦めたら終わりだ。くたびれたスマホを拾い上げ、そう誓います。
あの「怪物」に命じられたら絶対に逆らえません。「コンセンサス」を悪巧みに乗っ取られ、おどされる。すなわち、その「怪物」の「隷属」になる事を意味します。
それでも俺は生き残れる。なぜなら、突如発生した幸運……奇跡に匹敵する連続した勝ちのおかげで、今も生き残れていますから。あれからすぐに「普通の俺」に戻りましたが……。あれは……あの奇跡は……偶然だったのだろうか?
そんな俺らしくない考えを浮かべていたら無意識に体が動き始めて……。その手には、俺があの子に厳重保管を命じられたノートがありました。このノート……。なんだろう。特別な重みが感じられます。それもなぜか……「演算」に対する重みです。
俺が「演算」の重みを感じる? どこかで感じ得たものが体内でくり返し再生される感じがします。俺らしくもない。でもこの「演算」の力に賭けてみる価値はあるよね。なぜか断言できる。そうふと想い描いた瞬間、あの子が示していた「大過去」の扉が開くのであった。