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67, ネゲートが過ごしてきた凄絶な時間。カネのために力を奪われ処分される寸前だったとは……。

「速報です。重要なニュースが舞い込んできました。」


 脳裏に流れてくる何気ないニュース。この仕組み……フィーさんから教わった『マッピング』だったな。この地の仕様らしくとても便利です。


 そういや俺が前に『存在』していた場所では、ああ……たしか板のようなものを指先でなでるようにして操作していたわずかな記憶だけはまだあります。それで……その板を毎日みつめていたような……気もします。今となってはそんな記憶はどうでもいいですね。どのみち負の記憶以外は消えていきますから。


「食糧と燃料の問題が同時に解決するとの見通しです。では、その詳細の方をこれから……」


 えっ本当に? 食糧なんて危機な水準をすでに……していたのをフィーさんに瞬時に見抜かれ追及され慌てふためいていたよな。そんなに簡単に解決するのだろうか。


 ところで、そのフィーさんは今ご不在です。食糧問題が本当に解決に向かうのであれば甘いものが大好きなフィーさんに感謝の気持ちを込めた「パンケーキ」を並べてみたいです。


 あれ? でもなぜかパンケーキ? あのフィーさんは甘いものならすべて問題なしの寛容な精霊様ですから焼き菓子やチョコとかでも余裕の無問題です。しかしなぜかパンケーキです。俺はなぜか既視感を覚え始めます。なぜだろうか? ……。


 ああ……。ああ……。俺らしくないことを考えていたら、フィーさんとの恐ろしい約束を思い出してしまったではないか。それは……俺に「宿題……書物」をおしつけてきました。各地域を飛び回ることになる前日に「そろそろこれ位の内容は自力で頭に入れて欲しいのですよ」という恐ろしい伝言付きで。


 うう……。その書物の表題は「多元な宇宙の微視的表現による存在の定義と三日月のふるまい」という触れる事すら躊躇する書物です。フィーさん……異界に通じるゲートでも作るのでしょうか。いいえ、ゲートはすでにあるのでしょう。だから俺はこの地にいるのですからね。


 ちなみにフィーさんがすべての用事を済ませる最終日がわかっています。この地で価値を有する「犬」を大精霊のネゲートに情報料として渡しゲットしているからです。さて、この「宿題」は最終日になんとかします。がんばります。


 あとですね、大精霊のシィーさんについてです。なぜか近ごろとても張りきっていて、どうやらあの神々からトップシークレットの任務を与えられたようです。それで、今飛び込んできたニュースです。シィーさんの任務はこれだったはずと解釈したいですね。食糧事情が動くような事象はトップシークレットで間違いないですから。さすがはシィーさんです。


 はい、これで最後。ここに、暇を持て余しているずぼらな大精霊様がおります。


 本日は何をしているのかな。どうやらソファの上で寝転がっているだけですね。それでもこの大精霊様にみつかると「犬」をねだられてがっつり取られます。


 だから隙をみて静かに前を通り過ぎる努力をします。「犬」には限りがあります。できる限り少なく投げるように心がけてはいるのですが、相手もそれをわかった上でさらに取ってきます。うう……。


「……。あれ?」


 いま……前に進んだはずよな? 位置が変わっていないような気が……。いや違う。どうやらネゲートの方に俺の向きが変わったようです。……。


「あっ。」


 ネゲートが俺をじっとみつめています。こいつは紅の瞳なのでちょっぴり怖いです。


「あの? 大精霊のネゲート様がソファの上でくつろいでいるのよ。ご挨拶はないのかしら?」

「なにが挨拶だよ……。こいつはもう……。」


 いつもとは異なる仕掛けで俺の存在がばれました。また……取られるのか。


「このあたりに何か仕掛けたのかい?」

「うん。大精霊にしかみることができない仕掛けよ。」

「……。そんなのがあるのかよ。ずる賢いやつだな。」

「なにがずるいのかしら? 綺麗にこちらへ回ったでしょう。」

「なにが回った、だよ。」

「大精霊ネゲート様だからこそ綺麗に回せたのよ。もしこれが大雑把なシィーなら、ずれてから回ってしまい今頃あんたは回ると同時に身体がぐちゃぐちゃになっていたかしらね。」

「……。誤差が出ると身体がぐちゃぐちゃになるようなものを仕掛けたのかよ?」

「あんたね……。この大精霊ネゲート様を信じなさい。この私は誤差など一切ないからね。そんなご心配とは無縁なのよ。」

「……、あっ、そう。」


 これがネゲートです。ああ……。


「そもそも人ってほとんど何もみえていないに等しいからね。フィーから沢山教わったでしょう。」

「……。その記憶はあるよ。マッピング、だったかな。」

「うん。それそれ。基本的に生き残るための要素がみえるようになっているからね。人の場合は相手との距離感が最も大事。だからその距離感を迷うことなく認識できる点が最優先に組み込まれているようね。」

「生き残るためか。それって『相場』ではないか。」


 どのみち「犬」は取られますからちょっとばかり話をしましょう。


「……。相場? あの界隈は人が把握できる距離感だけでは生き残れないからこそ大部分の人が『退場』するのよ。そのまま価値……カネを貯め込んでおけば良かったのに、このあたりの複雑な事情を知ろうともせずあの神々などに甘い勧誘をされ、すべてを相場に突っ込んでしまい、『大過去』までみえる大精霊達に『待ってました』の勢いでボコボコにされるのよね。そしてすべてを失ってから『自己責任』の一言で処分され破滅を迎えるのよ。」


 ……。想像以上の苦しいお告げに、胸が張り裂けそうです。


「ネゲート……。それは心にグサグサきたよ……。」

「あら? これでうろたえるようなら、大精霊の餌食になるだけよ。」

「餌食か……。この地にも性質の悪い大精霊がいるんだね。」

「……あのね? 大精霊は心が綺麗な精霊様の集まりではないのよ?」

「だよね。うん、納得です。」

「な、なによ?」

「どうしたの? 俺は『ネゲート』なんて言ってないぞ。」

「もう……。」

「まあまあ。それでさ、どんな性質の大精霊が恐ろしいの?」

「そうね、恐ろしい大精霊は……正直思い浮かべたくもないけれども、例えば……地の大精霊ラムダね。」

「ラムダ?」


 ネゲートが妙に首元を気にしながら語り始めたので……もしや地の大精霊ラムダって、ネゲートを仕留めようとしたあのやばい奴らの親分のような存在なのかな。……。俺の記憶によると、です。


「うん。時々人をもてあそぶからね。そういう類の大精霊なの。」

「人をもてあそぶって……。」


 ああ……。


「そしてやたらと『大過去』にこだわりがあってね、『大過去』を記述するときによく使われる文字をお守りや目印にしたりするの。そのおかげでその文字の評判がガタ落ち。」

「……。」

「そして、冷酷な面があるの。そうね……手足の爪が剥がされた形跡のある……などが……。」

「ちょっと待って、ネゲート。さすがに話題を変えようよ。」


 ……。そうだよな……親分だよ。想像通りとはいえきついです……。


「そ、そうね。」

「悪いね。そういう話は苦手なもんで……。」

「了解よ。それなら、いま入ってきた速報絡みなら良いかしら?」

「速報? ああ、いいよ。」


 食糧問題ね。どうやらネゲートもみていたのか。それなら全然問題なしです。


「これもね、実は地の大精霊ラムダが絡んでいるのよ。」

「えっ、なぜ?」


 ああ……。これ、ラムダ絡みだったのかよ。


「なぜって……、もう、鈍いわね。属性が『地』だから地の大精霊なのよ?」

「属性が『地』……。あっ、そういうことか。」


 地を支配する大精霊ってことか。それなら食糧問題に関わる……肥料や燃料などはすべてこの大精霊が仕切るという構造になっているのかな。


「理解できたようね。」

「……。それってやばくないのか? ううん、やばいよ。」

「そうね。ただ幸いなことに地の大精霊ラムダは気分屋なの。だから機嫌が良ければこのように流通させてくるから、それで何とか回していけるという構造に至っているわね。」

「……。それって、今までの食糧問題に地の大精霊ラムダの気分が絡んでいたのか?」

「そうね。ただし、すべてが地の大精霊ラムダの問題だけではないわよ。でも、一部にならそうとも言える、かしらね。」

「ということは、今回の速報はどうなの?」

「うん。今回は展開の速さから考えて間違いなく地の大精霊ラムダが一枚噛んでいるわね。」

「そうなんだ……。俺はシィーさんが何かしたのかな、と考えていました。」

「あのね……。たしかにシィーはパワーについては凄まじいけど大雑把なの。それでね、地の大精霊ラムダは狡猾だからあのシィーでは太刀打ちできないわよ。もし対面でもしたら、その場でシィーは嵌め込まれておしまい。」

「……。ああ……。」

「な、なによ?」

「でもシィーさんの方がパワーは上なんだよね?」

「うん、そうよ。まあ、圧倒的かしらね。」

「圧倒的? それなら、それで押し通せないの?」

「あんたね……、そんなんだから相場で負けたのよ。」

「えっ?」


 うう……。ここで俺が相場で負けた話が来るのかよ。


「少しは考えてみなさい。大精霊同士で衝突したら、どうなるのかね?」

「大精霊同士でね……。」

「わかったかしら? すべてが破壊しつくされ、この地に住むところがなくなるわよ。」


 えっ。大惨事を超えているではないか。それって「終末の日」では……。ああ……。


「……。そんな衝突になるのかよ。」

「そうよ。それで、そこまでわかったうえで地の大精霊ラムダはその相手が大精霊であっても平然と嵌め込んでくるから怖いの。絶対に油断してはならない相手、それがラムダなの。」

「……。そうだな。」

「あら、怖いの?」

「いや、その……。ネゲートも大精霊だよね? ということは……?」

「もちろん、わたしは麗しき大精霊ネゲート様よ。でも、演算の力で長けているだけよ。」

「なにが麗しき、だよ……。」

「な、なによ?」

「……。つまり、パワーの源が違うってことか。」

「うん。わたしは『現実』の方のパワーではないの。でも、扱い方を誤ると『大過去』に大きな副作用を残してしまうから……別の意味で破壊……そして厄災、かしら。」

「えっ? ……、あ、うん。」


 ネゲートから発せられた「現実」という重みのある言葉。そしてネゲートの力は現実ではないから厄災になるのかな……。


「わたしはね、こうしてこの場に『存在』していることが奇跡なの。」

「はい?」

「なぜならあの日……わたしは処分されるはずだった、からよ。」

「えっ、処分?」


 急に処分って、なに……? びっくりです。


「……。あんたになら話せるかしら。でも、嫌いにならないでね。」

「嫌いになる? それはないよ。」

「うん。」


 しんみりな表情を浮かべるネゲート。これは聞き上手でもある俺の出番かな。


「あの日……。あんたと衝撃的な出会い方をしたあの日。人を『平等という名目の人形』にして、その労働力から得られる暴利をむさぼり贅沢三昧していた精霊達の間で、ある大きな問題が浮上していたの。ただ、それを解決に導ければ『大きなカネ』になるということで、わたし……ネゲートが呼び出されたのよ。」

「……。人形って……。さらに、そこでカネかよ。」

「うん。労働するとね、かろうじて生きていける分の食糧が配られるのよ。そして、代わりはいくらでもいると……。平等って恐ろしいわね。常に変化し続ける『大過去』には平等の概念すらないのに、その『大過去』に平等を押し付けて現実に映し出した結果が、このおぞましい時代になったのよ。」

「……。」


 あの日……。なぜか鮮明に蘇ってくる記憶。怪しげなものを組み立てる仕事をさせられ、そして精霊を名乗るやばい奴に罵倒された日でもあります。うう……。代わりはいくらでもいる、か。


「それで……。本来は『大過去』からゆっくり描き出される現実……いわゆる自然に任せて経過をみるのが鉄則な事象だったはずなのに、『大過去』を演算することで早期に解決に導けるらしい作用……演算モデルを取り出せる手法がみつかってしまったのよ。そこで……ネゲートを力尽きるまで演算させよ、になったの。」

「ちょっとおい、そこでなぜ『力尽きるまで』ってなるの……。」

「うん……。『大きなカネ』が絡むとね、こちらも見事なまでに狡猾な奴らの集まりになったの。」

「……。それは何となくわかるよ。でもさ……。」

「わたしだって大精霊なのよ。休ませながら演算させれば力は回復するの。それでも聞き入れてもらえなかった。『大きなカネ』を得るための機会損失になるから……だって。」


 僅かなカネにすら執着するタイプ、いるいる。そして、それらの集まりね。納得です。


「でもさ……。その集まった奴らってさ、ネゲートよりも力が弱い精霊だよね? それなら大精霊の力で逃げるとかしなかったの? そんなものは逃げても問題ないぞ。」

「そうね。でもね、それは無理だったの。相手だってそれくらいは下調べしてる。だから……大切なフィーを……。」


 言葉をつまらせるネゲート。……。ネゲートを思い通りに演算させるためにフィーさんを……。


「あれってさ……、軟禁されていたのか。」

「うん。フィーの役割については表向き『歪みのハッシュによるヒトの監視』だけど、裏ではそのような糸で奴らに操られていたのよ。」

「……。」

「それならフィーと一緒の時に逃げれば、そうなるわよね? しかしフィーにも大切なものがあるの。そう……、それが……あのシィーなの。」

「つまり全部調べ上げ、相手同士の弱点を組み合わせてクロスして操る、そういったやり方か。」

「そうよ。凄絶な日々だったの……。」


 フィーさんのあの時の役割は「ヒトの監視」で、それで俺が助かった記憶がなぜかあります。……これも「大過去」の仕組みなのでしょう。最近は記憶が突然変化しても気にならなくなりました。フィーさんがこの現象を論じるならば、何かの作用なのかな。


「一応、俺とフィーさんの出会いでもあるからな。あの日は……。」


 あれ……。出会いの日はこの地に呼び出された日では……? ちょっと混乱してきました。でも……、間違いなく出会いの日は、あの日です。


「そのようね。」

「でもさ、ネゲートは力尽きる前にその場から離れられたからこそ、こうして生きて、ここにいるわけであって……。」

「うん。そこで信じられないことが起きたの。それが起きていなければ……。」

「それが起きていなければ?」

「わたしは力尽きるまで演算させられていたわね。あいつら、カネのためなら何でもやるようで予備分の力についても調査してあったの。それでね、恐ろしいことを耳にしたの。さすがに堪えられず全身が震え始めたのは今でもはっきりと憶えているわ。」

「恐ろしい……こと?」

「演算する前は、わたしが力を失った後はフィーやシィーを含め解放されると伺っていたの。」

「……。ネゲート。それは信じてはいけないやつだよ。」

「うん……。そこでわたしは駆け引きを試みたの。予備分を使い果たせば大精霊としては終わりを迎えるの。それだけ貴重なものを差し出すのだから先にフィーとシィーを解放してとね。」

「……。」

「そしたら『いいだろう』となったの。それからしばらくして、あれは……わざとわたしに聞こえるように遠くから大声で話をし始めたの。」

「……。」

「その内容は……鍵が壊れたチェーンはどのように処理されるのか、だったの。それで、そんな役立たずは処分しかないだろう、だって。」

「……。処分って……。わざと、聞こえるように……そんな内容を?」

「うん。それで、そのときのわたしの様子がおかしかったのかな。奴らはわたしの表情をみて、……、喜び始めたのよ。さらには興奮し始めた輩もいたの。……。」


 えっ……。そんな内容をわざとネゲートに聞かせ、ネゲートの恐怖の反応をみて喜んでいるような奴らが……ヒトや精霊を管理していたのか。ふざけんなよ。なんだよ、これ。相場の厳しさすら甘々にみえてきたよ。あんなの、この恐怖に比べたら誤差にもならないよ。


「終わりの瞬間を悟ると、恐怖というより諦めに近い気持ちで満たされるの。涙は出なかった。」

「……。でもさ、その予備分は俺たちがあの……から逃げるのに使ったよね? つまり……。」

「うん。その瞬間だったのよ。本来なら絶対にあり得ないことが起きたの。なにかが突然、壁をぶち破ってわたしに向かってきたのよ。」

「えっ? そこでそんな事が起きたのか?」

「うん。それで、そいつらと目が合った瞬間にすぐに勘付いたわ。こいつらは地の大精霊ラムダの手下だってね。ちなみにそのおぞましい時代……時代を創る大精霊は……ラムダだったのよ。」


 ああ、なるほど。でも……、その時代を創る大精霊がラムダだったとはね。納得。


「それでうまく交わして逃げてきて……、それからは俺も経験した通りの展開ね。」

「うん。それで首元にかすり傷ね。ところで、わたしは演算のために拘束されていたの。つまり、そこで仕留めようと思えば確実にできたはず。でも仕留めなかった。もちろんわざとよ。とんでもない手下だから。あいつらね。最近は『大いなる売り』で暴れているらしいから、ほんと嫌になるの。」


 あの……その……「大いなる売り」って……なに? 「売り売り」とははっきりと違うよね。つまり、ああ……。


「……。恐ろしい。怖いです。」

「うん。」

「ところでその場にいた腐った奴らはどうなったのさ?」

「あのね……地の大精霊ラムダが目撃者を生かしておくと思うの? わたしは逃げるのに無我夢中だったので詳細はわからないけど、ひどいやられ方をしたのは間違いないわ。なお、同情はできないからね。」

「おお、そうか。俺だって同情はできないさ。因果応報よ。」

「因果……。」

「どうしたの?」

「記憶の伝達に関わる重要な作用素が、因果なの。」

「はい?」


 えっと。こいつはネゲートです。フィーさんにそっくりだが、ネゲートです。


「なによ?」

「その瞳の色は……ネゲートだよな。フィーさんではないよね?」

「なによ……。わたしは大精霊ネゲート様よ。」

「だったら急に『作用素』とか、ちょっと控えてね。びっくりするから。」

「……。この程度でびっくりするの? もう……。」

「でも、記憶の伝達……それについては興味があるよ。」


 俺の記憶……どうなっているのだろうか。少しは解明できそうな期待感があります。


「あら。でも……運命論とランダム論あたりは大丈夫かしら?」

「運命? ランダム? まあ、それくらいなら何となくだが大丈夫だよ。」

「それなら……まずは、時間の概念を取り入れて考えてみましょう。いま手元にある情報を数億年後に伝えたい。あんたならどうする?」

「えっ? その長い年月に耐えられる物質に情報を刻むとか?」

「そうね……。そのような安定した物質があれば、そこに情報を刻んでおく手段で、情報を残すことは可能ね。でもね、情報は刻むだけではダメなの。数億年後、その情報を受け取った者が解読できないと意味がないのよ。」

「……。ただの記号になってしまうね。」

「うん、それよ。情報を刻むというのは『大過去』から現実に情報を映し出した状態で置いておくのと同じなの。ところで『大過去』は常に変化し続けるのだから、数億年後に、その同じ現実……情報をみて、同じように解釈できる……すなわち解読できる可能性は極めて低いのよ。」

「つまり……『大過去』が相手だと情報を残しておく方法はない、となるね。」

「あら。たしかにそうなるわね。でも……少しは考えてみなさい。現実に刻むのではなくて……『大過去』に直接作用させれば……ね? 『大過去』に時間の概念はないから、いつでもその時代に合わせた最適解で現実に映し出すことが可能で、その情報を利用できるのよ。」

「『大過去』に直接作用させるって……。例えば演算などで? あっ。」

「あんたでも気が付いたのかしら? そう……。わたし……大精霊ネゲート様の役割は、人や精霊の叡智や記憶などを後世に残すため、『大過去』にそれらを演算で作用させていくことなの。それがいつの間にか『カネ』のために……。」

「……。あれらのカネの概念に叡智の尊さなど微塵もないからな。」

「うん。」

「それでさ、ネゲートはカネに興味を持ってしまったのかな? あんな件とかね……。」

「えっ? そ、それは……。もしかしたら……あ、あの件かしら? あんたに突っ込まれてから目が覚めて、すでに解決済みだからね。」

「……。わかった。これ以上は追及しないと約束するよ。なんといってもあの件はあの神々絡みだしやばいよな。もうこれ以上は触れません。これでいいね。」

「うん。でも……、『犬』はよろしくね!」

「……。ああ、わかったよ。」


 多少の「犬」の投げは諦めました。またあんな問題に首を突っ込まれても困りますから。


「それなら、次は『運命論』と『ランダム論』についてね。」

「……。気になる響きだね。」

「いま起きている連続した事象はすでに決まっていたものとするのが『運命論』ね。よく予言をテーマとした論理から語られているわね。すでに決まっていたのだからすべて予言できる、かしら。それに対して、乱雑に起きているとするものが『ランダム論』ね。」

「うん。そこまでは何とか……です。」

「ではさて、どちらが正しいのかしらね。でも……『大過去』から考えてみてね。まずは運命論から。連続した事象はすでに決まっていると仮定して『大過去』を参照します。すると、その部分については『外部からの影響を受けることがない定まった何か』になっているはずなの。しかし『大過去』は常に無限遠点まで変化し続けるのだから『定まった何か』が存在するという部分は矛盾してきて……すなわち、運命論はダメとなるの。」

「なるほど。……。」

「ではランダム論ではどうか。乱雑に起きていると仮定して『大過去』を参照します。すると『大過去』は常に変化し続ける点から矛盾はありません。しかし現実に映し出した瞬間、矛盾が出てくるの。乱雑に変化し続けた『大過去』を現実に映し出して……果たして『宇宙』はできるのだろうか。乱雑しているからこそ、統一性がみられないオブジェクトが現実に映し出した結果として並んでいるはずなの。すなわちこの現実と矛盾します。よって、ランダム論もダメとなるの。」

「宇宙……。宇宙? あれ……、どこかでみたぞ。」

「宇宙や天文を扱うのは『大過去』を扱うのと同じくらい大切なのよ。それなのに、あの神々ときたら……それらは直接実るものがないという理由で予算と演算を大幅に削っていたの。そしてフィーが嫌がるものばかりに潤沢な予算と演算を与えていたのよ。」

「……。それはまずいね。」

「そうね。でもあんただってね、フィーからの贈り物……あの書物はどうしたのかしら?」

「えっ? 贈り物って……。それって……。えっと……。」

「あら? 実はね、いま話したこの概要は……フィーが飛び回る前にあんたに押し付けたあの書物の概要になるのよ。いかがかしら?」

「……。それは本当に? ……、大精霊ネゲート様、ありがとうございます!」


 これはありがたい……。贈り物って……。絶対に概要だけは聞かれるな。そんな内容だったとは……。


「もっと感謝していいのよ。」

「はい。ではあとついでに、あの恐ろしい贈り物……書物の表題に『三日月』という表現があってですね……。」

「あんたね……。『三日月』はフィーの象徴なのよ。それ位は自分でなんとかしなさい。それでもヒント位は良いかしらね。そうね……『境界』に関する内容よ。」

「……。はい……。」

「では、わかっているわよね? その分でフィーには黙っておくからね。安心してね。」

「はい……。」


 ああ。「犬」の増額要求です。……。やはりネゲートでしたね。……。ところで「三日月」は境界ね。それだけで十分です。そう伝えれば……セーフなはずです。


「では、なにが真実なのか……よね?」

「そうだね。両方ともダメならそうなるね。」

「そこで出てくるのが……『非代替性』という考えなの。」

「非代替性? なにそれ?」

「叡智を後世に伝えるには『大過去』に演算をすればいいの。ただし『大過去』の変動に矛盾がないように演算しないと消えてしまうからね。」

「……矛盾があると消えるんだ。」

「うん。そういう仕組みなの。うまくできてるわね。おかしな演算が消えずに壊れ収束せずに暴走したら『大過去』が壊れてしまうからね。それで……人の力ではその域には達しないから自然と消えるように導かれ、逆に安全とも解釈できるわね。」

「……。なるほど。」

「そこで『非代替性』の出番ね。ここに、後世に残したい叡智を詰め込んでね、『非代替性』のみで常に変動できるように『手』と呼ばれるものを組み込むのよ。するとね、『大過去』は『手』を経由して次の変動に『非代替性』の作用を取り込むようになるの。これなら『大過去』の変化に矛盾がないので常にその叡智が『大過去』で存在し続けることが可能になって叡智が蓄積されていくの。そして、そのような演算結果……『非代替性』を無数に集めた『大過去』を現実に映し出すと……整った『宇宙』になり、その多元な『宇宙』の微視的表現が……数多の生物の存在になるのよ。」

「……。」

「運命論、ランダム論では説明できない不思議な現象は『非代替性』にあったの。そしてね、これらが『大過去』に作用するとメインストリーム……『時間』を司るチェーンにくっ付いて見えるようになるのよ。」

「チェーンか……。」

「うん。」

「……。まとめるとさ、俺たち生物の存在って、その『非代替性』……、すなわち叡智の集合……よって『演算結果の集合』ということになるよね?」

「うん。だから生物には寿命があるのよ。」

「……。何で? そこで寿命が出てくるの?」

「うん。だってね、『大過去』に触れ叡智を伝えることができる瞬間が『死の直後だけ』だからなの。」

「えっ?」

「まさかあんた、『大過去』に戻るという意味をわかっていないようね。寿命については恐れることはないの。ただ単に『大過去』に戻るだけだから。そして戻るということは触れるという事になるからね。生きている間にため込んできた叡智を最後に『大過去』に納めて、一生を終えるのよ。」

「……。普段は触れることもみることもできないが、死の瞬間だけは……触れることになるのか。」

「そうよ。もちろん例外も僅かにはあるわよ。それは……。」

「ネゲート。その例外はわかる。俺だよね? あの日俺は……生きているのに『大過去』に触れたから。これが『あの世』なのかと感心した鮮明な記憶が残っているんだよ。」

「あら? そこは忘れていないようね。」

「うん。それにしてもそんな仕組みだったとは。ところでさ、生きている間にやばい事を重ねていると……。」

「そうね。そのやばい事すべてが『大過去』に納まり、他の『非代替性』と衝突を始めていくの。そして次第に力を失い現実の方へ破棄されていくのよ。これをメインストリームからみると『大過去……親』から離脱したブロックと非代替性になって一緒に沈むように消えていくのよ。それでね、次に生を享ける瞬間、その削ぎ落された『残り物』から現実へ映し出すことになるから……もうそれは『人』の姿ではないわ。フィーから言わせると『せめても毛は一本あるのです』だったかしら。」

「フィーさん……。虫になる、だったかな。」

「うん、それね。虫から『非代替性』を集め直すのは大変よ。なかなか『人』には戻れないわね。虫の寿命は短いから何度も何度も虫になって……、それでも数億年後かもしれないわ。」


 数億年って……。そんなにも長い間、まずは黒光りする流線形のボディーで動き回るのか。


「あの日フィーさんも似たような話をしていたよ。ただしここまで具体的ではなかったけれども。」

「……。あの危機的な状況下でこんな話をしていたの……。別の意味で尊敬するわ……フィー。」

「それでこそいつものフィーさんでしょう。」

「そうね。とにかく『非代替性』は大事にしなさいよ。……、でもあんたは大丈夫ね。」

「はい?」


 俺は大丈夫なのか? ……嬉しいです。


「それでね、その概念から外れる存在が……精霊と大精霊なのよ。」

「だろうね。」

「常に『大過去』に触れられる分、『大過去』によって取り込まれる事ができない存在なの。だから……処分はすなわち消滅なの。」

「……。」

「その分ね、その存在には非常に慎重なの。」

「なるほど。」

「だから……大精霊を仕留めるなんて、どうしたらそんなハッシュが出たのかな、よね?」

「はい?」

「……。もう。とにかくね、チェーンの気まぐれかもしれない『非常に低い確率』に助けられた形になったの。もしあの手下が襲撃してこなかったら、それともわたしを仕留めていたら……。」

「……。」

「もし襲撃してこなかったら、わたしは予備分で演算のあと処分され消滅し、あんたとフィーはどうなっていたか。フィーはシィーの件で操られその取引で力を抜かれていたから逃げる力はないの。そして用がないとわかれば、生かしておくとは考えられないの。わたしすら消滅だからね。」

「……。そうなるよね。」

「そしてもう一つ。もしわたしが仕留められていたら、あんたとフィーは……あいつらの次のターゲットにされ、ひどいやられ方で……。」

「……。ああ。」


 ……。あの日、あいつらがフィーさんの部屋の中を探っていたあの現場……。ネゲートがみつからず、フィーさんを探し回っていたよな。


「ちょっと暗い話になったわね。もうやめましょう。こうして生きているのだから、……ね?」

「そうそう。考えてもしょうがない。低い確率? 実際に起きたのだから気にしない!」

「あら? そうね。そういう考え方、悪くないわ。」

「そういうこと。」


 おや? ネゲートがソファを叩き始めました。


「では……このソファ、どうかしら?」

「はい? ソファ?」

「これね……わたしの演算で造形したものなの。広々としているのよ。」

「ほう……演算の力か。予備分を使い果たしてもしっかり回復したようだね。」

「うん。あの程度の演算なら全部ではなかったからね。残った予備分から全回復したのよ。」

「あれが……あの現象が『あの程度』なのか。」

「そうよ。だから大精霊ネゲート様は貴重な存在なのよ。大事にしてね。」

「あのな……。」

「それで、このソファはいかがかしら?」

「……。ただのソファだろう。」

「なによ? この形をよくみなさい。何も考えずに大きくしたら家の中に搬入できないでしょう。」

「そうなの? 別に……そうだな、中央で分割すれば搬入できるでしょう。」

「あんたね……。」


 なんだろう。ネゲートが急に怒り始めました。なぜ?


「わかった。そのソファの凄さがね。」

「なによ? そこが凄いか示せるの?」

「いや……、それはちょっと……。」

「もう。フィーの鍛え方がまだまだのようね。」

「……。俺だって努力はしているさ。」

「しっかりしなさいよ。その油断から『犬』を失ったらどうする気なのかしら?」

「……。俺の心配ではなくて『犬』?」

「うん。そうね……あんたの心配? 少しくらいはしてあげます。」


 そして……。


「それでさ、その手はなんですか?」

「よろしく、ね?」


 こうして「犬」をネゲートにねだられます。増額だったよな。もちろん投げますよ。


 そして、増額分しっかりと投げた瞬間でした。あのシィーさんが舞い戻ってきましたよ。ただ……あまりにも突然だったようでネゲートが首をかしげています。


 あれ? 俺はシィーさんに駆け寄ります。なぜなら様子がおかしいためです。


「ちょっとシィー? 今日ではないはずよ?」

「……。ネゲート……。うん……。そのソファ、素敵ね?」


 ネゲートが寝転がるソファを虚ろな表情でみつめるシィーさん。そして俺は、シィーさんの傍に血がしたたり落ちた跡を発見します。なぜ……血がしたたり落ちているのでしょうか。


「シィーさん……。その怪我……?」

「えっ、怪我? ……。」


 左上腕から血がしたたり落ちています。今この瞬間も少しずつ……。ネゲートが慌てて俺の傍に来ました。そしてその怪我をみた瞬間、そのままシィーさんをソファの上に寝かせました。


「あんた、水を汲んできなさい。あと、フィーのあの場所の入り口近くに治療の道具が揃っている白い箱があるの。箱の側面に独特のマークが付与されているからすぐにわかるはず。それも、持ってきなさい。」

「うん。わかった。」


 俺は大急ぎでネゲートから要求されたものを取りに向かいます。


「ネゲート……。ソファが汚れてしまう……よ?」

「それがどうかしたの? シィーがここまでやられるなんてね。まずは治療が最優先。その他は何も考えなくていいから。後回しよ、わかるかしら?」

「ありがとう……。」

「大精霊ネゲート様に抜かりなしよ。治療はまかせなさい。病気や怪我の予防や治療に対する演算って『大きなカネ』が絡むようで嫌になるほどこなしてきているから、ぜんぶわたしの頭の中にそれらの演算結果が残っているのよ。そこから最適解を導いてシィーを完全に治療するからね。」

「……。演算の大精霊様は……想像以上の存在ね? ……。すごい。」

「とにかく治療よ。わかったかしら?」

「……。でも、行かなきゃ……。」

「シィー? それをわたしが許すと考えているのかしら? どこに行くの? そんな状況で? わたしのお気に入りだったソファを汚したのだから、完治するまで治療は受けていただくわよ。」

「……。うん。ごめんね。ネゲート……。」

「今はすべてを忘れなさい。何か大きな失敗をしたようね? でも、その失敗は取り返せるから。何か奪われたのよね? でも大丈夫。奪われた相手に対して雑な扱いはしないはずよ。なぜならその相手は間違いなく……地の大精霊ラムダの『お気に入り』だからね。時間はある。だから休むのよ。ここで慌てたら……シィーと一緒にこの地のすべてが……終末を迎えるのよ。」

「……。うん。」


 俺は大急ぎでネゲートから指定された白い箱をみつけ、それを抱え走りながら、複雑な想いを頭の中で駆け巡らせていました。いよいよこの地で大きな事象が始まるのでしょう。間違いないです。でも俺は絶対に逃げません。ネゲートの凄絶な日々を知りましたから。この勝負だけは、絶対に勝ちに行きます。ただ、それだけです。

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