45, 「売り売り」同士の修羅場って、やっぱりあるんだね。そして、それに巻き込まれたシィーさんは、うまく立ち回って、余裕の損失ゼロ。でも、それって……。ところで俺は……ゼロ知識から何とかしますね。
俺に変わった習慣ができました。おっと、怪しいものではないぞ。それは、深呼吸後、足を組み、瞑想を始めることです。必ず毎晩、しぶとく生き残るためのルールを守る決意を固める試みをします。これから地獄になり果てた相場に挑んでいく、その覚悟が足りません。あまり考えないようにしていた様々な敗因が、一つ一つ、共に俺に語りかけてきます。
このような習慣が根付いたその理由、それは、あの日……、そうです、あのような状況下でも絶望することなくまっすぐに懸命に生きる力強い姿に、心を動かされたからです。
おっ、また、この繰り返し。そうです……。「攻め」と「守り」のバランスを見直した方がいいのかもしれません、です。ただね、まず、ここでの「攻め」は余力を意味するのですが、あの「酷い日」に大きく奪われたようで、そこまで潤沢ではないのです。そして「守り」までもが深刻です。こちらは損失を抑え込むという意味になるのですが……、うん……、ここがダメなのはわかっているつもりです。はい、こうして、また「振り出し」に戻るのです……。
しかし、たまには理解できる時があります。それで、それを理解できると、なぜ、それを前もって実行しなかったのかと、後悔の念に悩まされます。そして、また「振り出し」に戻るのです……。
ほんと、この決断力のなさに失望しています。でも、今日こそは、変えなくてはならない。今日こそは、変えていきたいです。そこそこ儲けて、損失は限りなくゼロに抑える。……。頑張ります。
ただな……、なんで、俺は生き残れたんだ。その理由については、そのうち思い出すのだろうと期待しているのですが、まったく、記憶として出てきません。完全に消えて復元できない、苦しみがあります。
もちろん、スマホにあった「犬」は覚えていますよ。あれで解決したはず、らしいです。気になりますよね? そこで最近、この犬の勉強も始めて、……。なんだろ、これ? 少し悩んで、すぐに説明のページを閉じました。でも……、時々ね、俺って頭が冴えてくるんですよね。その時なら、「犬」の詳細を理解できるのかもしれませんが、別に、そんな時に冴えなくていいですよ。なぜって……、できればね、その冴えた俺は……「トレード中に出てきてもらいたい」のです。神様……、お願いです。俺をみているのならば、トレード中にお願いいたします。一度くらいは経験したいです。悔しい……。
ああ、油断するとまた変な欲望が……、瞑想を続けます。犬、犬……。そういや、帰り際だったな。犬を飼いたいという話になってきて、そこに出てきた「大切な犬」というフレーズが、なぜが……、頭の中をあちらこちらと掻きむしり、他の思考を阻害するような働きで邪魔してきました。
なんというか……さ、「大切な犬」を考える事以外は受け入れせず、頭を抱えたくなる衝動に駆られるという、おかしな感覚に支配され始めましたよ。
それでも俺はもがきます。それから、俺にとっては珍しく……、数十分は格闘します。
……。いよいよ、だめだ。集中力が切れました。いや、まだだ! しかし、睡魔が襲ってきました……。それでも、それでも、……。
なんか、腹が減りました。そういや、冷蔵庫に……、貴重な卵があります。卵は貴重でね……安売りでも、一個当たり「穴の開いた硬貨」くらいします。しかも物価は右肩上がり。たまりません。
こんな時間ですが、茹でて、おいしくいただきます。ありがたいです。
茹でながら、ふと、です。これはいつまで続くのだろうか。不安で押し潰されそうになります。結局、貴重な卵を食べ終えた後は何もせず、そのまま睡魔に誘われ……、眠りへとつきました。
……。その夜中、急に目が覚めます。あれれ……、なんか、冴えた俺がきている? こんな時ではなくて、トレード中にって、お願いしたのに。なんで……。夜中に突然起き出して頭が冴えるなんて、なんという無駄な使い方なんでしょう。ほんと悔しい。俺……神様に遊ばれていないか?
うう……。例えば「犬」の詳細が鮮明に記憶から飛び出てきて、俺を誘ってきます。あり得ませんよ。なぜか、不気味なカードが、続々と頭の中に湧いてきます……、冗談はやめてほしいです。まじで、怖くなってきました。……、体が震え、寒気がしてきます。怖い、怖い、怖い。今すぐに何もかもを忘れ、眠りにつきたい。大急ぎでベッドに戻り、とにかく眠ろう、眠ろう……。そう試みます。
……。……。……。……。……。
「ああ……、朝か。」
うん。いつも通りの朝がやってきました。
そうだ……。ああ……、まずいです。僅かに触れるだけでも眠くなる恐ろしい書物を、朝から、淡々と朗読する小さな声が耳に入ってきましたよ。うう……、起きたばかりだというのに、眠くなってきました。そうです、こんなことを朝からするのは、フィーさんです。
書物の内容を声にすることにより「深層にある知識」を、より深く刻むとか言い始め、ごねてね、それから始まった毎朝のイベントなんです。ほんと、参ってしまいますよ。朝からこれですから。つまるところ、「書物の街」の件からフィーさんのテンションが高いのは明白で、その影響からでしょう。俺は気を引き締めます。
それに加えてさ、先日はびっくりでした。突然のご来客……「ネゲート」と名乗るフィーさんそっくりな精霊が、突然、俺の両手をつかんで、力の行使を始めました。
たしか、フィーさんが俺にかけた「魔法」を、何とか、だったかな。……。なんでしょうかね?
というのも結局さ……なんとまあ「不発」でした。精霊様の奇跡というか、あのような力の行使で「不発」ってあるんですね。もうね、あの時のネゲートの表情といったら……。かわいそうにもなりましたね。
すなわち、ネゲートを呼ぶときは「ドジっ子精霊ネゲート」で構いませんね。不発なくせに大精霊らしく「ネゲート様」と呼んでね、だったかな。もちろん、そんな呼び名を口に出したくないですから、……、ドジっ子精霊の部分を省略して「ネゲート」でいいや。
そして、……ここに、まだいるのです。その高貴な存在……ドジっ子精霊ネゲートがね。
もちろん、シィーさんの名を聞くだけで不愉快らしく、相性は最悪です。おかげさまで、常に険悪なムードが漂います。そして、また、朝からです。つまり、フィーさんの小声に混じり、ネゲートとシィーさんの争う声です。うう……。
「あんた、まだ『売り売り』なんかしている訳? ほんと、不愉快だわ!」
「うん、しているよ。それが、私だから。」
……。こんな感じで、ずっと争っております。さすがに、俺が様子を伺いにいこうかな。
ちなみに、ちなみにです。今のフィーさんにみつかると、さあ大変! になります。それを確実に防ぐという意味合いも兼ねています。ああなるくらいなら……です。ここは、大事です。
「おはよう!」
「……。なによ? あんた、マヌケよね? 今のこの局面、みればわかるでしょう? 空気を読みなさいよ?」
軽く挨拶したら、ネゲートにマヌケ呼ばわりされてしまいました。なんか……悔しいです。先日の不発の件は忘れたのか? まったく……、ここは我慢です。
「こんな言い争い、朝からなのかい?」
「当然よ。この狂ったシィーに『売り売り』の危険性について、注意喚起をしているのよ。」
「えっ? 何だって? 別に売りでも買いでも、どっちでも問題ないだろ?」
どうやら、「別に売りでも買いでも」……この俺の言葉に敏感に反応しました。
「何が、問題ないのかしら? 『売り売り』なんてね、市場にとっては害なのよ?」
「……。そうなのかな?」
「当たり前でしょ? こんな事をわざわざ説明する、必要なんてないわ!」
どうやら……、シィーさんも黙っていません。
「ネゲート? 私の事を大いに嫌うのは構わないわ。でも、これだけは理解してね。あなたは『買い』で、わたしは『売り』。ただ、それだけのこと。そうよね?」
「何よそれ? わたしが親しいふりをして関係を保っているお相手……『天の使い』みたいな言い訳ね、それ? だから何、よ?」
「そうね……。たしか『都の支配者』だったかな? いよいよ、財源が底をついたから、赤い部分に目をつむって、『きずな』を決まりのない無制限な状態で出そうとしていたわね?」
「……。だから何? 別に、それ位……。都の民だって困っているのでしょう……?」
「ネゲートって、このような部分に鈍感なのね? この地の至るところにいる『売り売り』をなめないでよね? そんなことを目の前でやられたらね、まずは笑顔で様子を伺うの。それでね、高く売れそうなものに目を付けて、それらを安く買い叩けるように、その相手を『売り売り』によって全力で追い込むのよ。そして最後はね、無制限に得ようとしていた以上の価値を失う結果に終わるの。でもね、それを実行した世代は一時的に潤うから『満面の笑み』ね? そして、次の世代は……『いつも真っ青』よ?」
……。楽して価値を得ようとしても、それ以上に失うってことか。
「そんな内容を……、平然と話せるなんて、あんた、恥ずかしくないの? 『売り売り』って、本当に、平然と酷い事を並べたがるわね? ほんと、こんなのが……こんなのが! この地を代表する『大精霊』なのかしら? 『売り売り』の本性が剥き出し。ひどいわ、ひどすぎるわ!」
「何が酷いのかしら? 地道に、しぶとく頑張らないといけない局面で、そんな事をしたら、どうなるのか……。その弱い心に対する抑止力の役目が『売り売り』なの。ネゲート、わかるかしら?」
……。俺も、ほぼ間違いなく楽な方に向かってしまう悪い癖があります。そういった弱い部分に対する抑止力の役目が「売り売り」になるの? どうだろう。
まあでも……俺は、このネゲートの言い分も、わからない事はないです。俺……、クソな空売りに、大切な資産を強奪されてきた記憶は未だに残っています。例えば、投資家保護の目的らしい「特別……」何だっけ? たしか、価格差が開くと取引が一定時間止まる、あれです。あのような仕組みすら、クソな空売りには「まったく意味がない」ですからね。なぜなら、あれらは価格差が開いて初めて作用するので、それならば、価格差が開かないように「わざとならべてから地獄へ突き落とす」のが主流だったはずです。一応、悪気はあるのかな……「連続……何とか」がチカチカと板の横で虚しく高速に点滅していたはずです。そして、わずか数秒の間に「数割の資産」を強奪されるのです。さらには、それを目撃してしまった……この地獄の仕組みを知らない方々が真っ青になって、さらに売りが膨らんで、クソな空売り者にとっての楽園が訪れる……そういった「はめ込み」なんです。さらには、その目撃数を増やすためでしょうか……、お昼休みの最中に始まる後場の開始直後がよく狙われていました。
もちろん、このようなおぞましい行為について激しいクレームを入れている投資家さんもおりましたが、間違いなく「徒労に終わる」ようで……。ところで、このような取引ってさ、なおらないのかな……と、つくづく思います。まあ、俺がここで考えたところで「この地」の話ではないので、すでに関係はないのですが、そう、願ってやみません。でも、これから「成熟した資本主義」を名乗るのなら、なおさらこのような行為は、なおすべきだと俺は考えます。
おっと、黙り込んでいたネゲートが、反論かな?
「……。まあ、それはそうね。」
おや? 案外、素直な所をみせてきました。
「少しでもわかっていただけたのなら、嬉しいわ。」
「……。でもね、みんな、狂ったシィーは恐れているのよ。あの出来事とか……。」
「えっ? あの出来事って……?」
突然のネゲートの指摘に、驚きを隠せないシィーさん。
「なによ、シィー? とぼけて、忘れたふりなのかしら? そう、あのときよ……『売り売り』同士による大損失の擦り付け合い、忘れたのかしら? そして、あのような場面で本領発揮の狂ったシィー。真っ先に売買を繰り返して『損失ゼロ』を達成。別の意味で、本当に感心するわ。あれね、結局……あんた以外、損失をかぶったみたいよ? あんた以外って……? なんなのかしら、これ?」
「……。それで、なにかしら?」
うう……。なんかあったみたいですね……。まあでも、もともとそういう界隈、です。
「なにかしらって……。これ、ひどすぎるわよ? あんたね、少し位は良心というものを持っていないのかしら? たしかに相手も『売り売り』だったとはいえ、こんな形で大損失を押し付けられるなんて……、『かわいそう』の一言に尽きるわよ? そうよね?」
……。なんかさ、俺の方を向いて、目で合図をしながら同意を求めてくるのですが……。このドジっ子精霊ネゲートは、俺に、何を求めているのさ?
俺さ……、なんだろう。実はちょっとだけ「幸せな気持ち」になった。……。なぜなんだろうか?
「なに……? いま、あんた、にやけたわよ?」
「……。なんか、幸せな気持ちになったよ。」
「えっ……。」
「どうしたのさ?」
「今……なんて言ったのかしら? うそでしょ? あんたも、狂ったシィーの仲間なのかしら?」
「今の俺の気持ちは……、どう説明したらよいのか、わからないんだ。」
ネゲートが騒がしいなか、シィーさんは毅然としていて、なぜか笑みを浮かべています。……。ああ……、それ位は余裕にこなすのね、シィーさんって……。
「もう、いったい何なの? 信じられない……。あんた、『大精霊としての品格』はないのかしら?」
「はい? 品格って、なにかしら、それ? 損失を抑えるのはトレードの基本でしょう。だから、そう判断しただけよ。」
「それ本気なの? ひどいわ……。今こそ、あんたには失望したわ……。さらに、何かしらの『制裁』すらなかったようね? ううん……、そうよね、この地で最も大きな力を持つ『大精霊』なんかに、制裁なんかできる訳ないわ。そんな事をしたら、その地域一帯を任された者のクビだけじゃ済まないからね。そして、そこまで企んで平然と実行に移した、この狂ったシィー。これが『売り売り』の本性なのね。よくわかったわ。びっくりよ!」
さすがに俺も……、驚きを隠せません。ちらっとシィーさんをみます。……。何か言わないとね。
「そうです。損失を抑えるのはトレードの基本! 俺は……できなかった。ああ……はい。」
これはだめだ……。俺がまごまごしていると、シィーさんがとびきりの笑顔で「売り売り」に対する考え方を語り始めました。
「ああそれ、たしかにね。でもね、『売り売り』に品格なんか求められてもね……、それなら座右の銘の方がいいわね。それならあるわ。そう……どんな手を使っても、とにかく先に売る、これね。」
……。シィーさんらしいです。
「……。こんなのが『大精霊』だなんて、失望を通り過ごして、わたしの方が、狂いそうよ? やっぱり、創造神に愛されるべきは、わたしの方なのよ!」
はい? このネゲートは、創造神が好みなのか? たしか……シィーさんは快く思っていない相手だった、はずです。となると、創造神って……。
こんな感じでにらみ合いが続き、終わる気配が見いだせないなか、遠方より微かに混ざっていた呪文のような声が止まりました。これはね……、フィーさんが書物を読み終えた合図です。……。
その謎深きフィーさんが、こちらに向かってくる足音がします。そして……、戸が開きます。ドジっ子精霊ネゲートと目が合います。そして、フィーさんの表情が微かに変化します。これは間違いなく、怒っていますよ。実は最近……、フィーさんの感情を読めるようになってきました。
「ネゲート。朝から、なんなのですか?」
予測通りです。怒っていますね。
「あら、フィー? それ、今のあなたからは、絶対に言われたくないわよ?」
そ、それは! ……。……。……。思わず吹き出しそうになりましたが、しっかり抑え込みます。あぶないあぶない。まったく、です。ここで吹き出したら、あとが怖いですから!
「ネゲート、このような試みについては、よく考えるのです。これは、わたしの大切な日課になったのですよ? 朝の貴重な時間を、別の形から結合させる『知識』として脳裏に刻み込む、新しい試みなのです。」
新しい試みね……。フィーさんにお願いです。俺を巻き込まないでね、です。ほんと、これはまじですから!
「……。よくもまあ、朝からそんなものに邁進できるなんてね。別の意味で尊敬するわ。ほんと。」
ぶっきらぼうに言い放つネゲート。そんな態度でフィーさんに突っ込むと、数倍以上にして返されるぞ、ドジっ子精霊ネゲートさんよ? おっと、この雰囲気のフィーさんは久々ですね。あっ、あれだ。あれだよ。あの神々が嬉しそうに語っていた「燃え尽きぬ計画」だっけ? その計画を全力で拒否していた、あの時に似ています。怒るのは当たり前で、相手の切り札が「シィーさんの命と引き換え」だったからね。今思い返してみても、あれは「酷い日」だったね。ただ、最後はぶっ飛んでなぜか「旅行キャンペーン」だった、かな。まったく、です。ほんと、訳がわかりません。
「そうなのですか。ところでネゲート? あなたは、わたしの大切な姉様に朝から食らいついているのですが、あなたは自身は、真面目になったのでしょうか? わたし……、つい最近なのですが、あなたのよくない噂を、耳にしたのですよ? あの神々が大切にしている『演算装置』の……に手をつけたとか、なのです。これは、本当なのですか、ネゲート? ここで、必ず答えるのです。」
やはりね? 倍以上にして言い返されました。……。
あれれ? ちょっとおかしくないか? このネゲートさ……、やばいことに首を突っ込んではいませんか?
「あ……、そ、それはね。問題ないのよ。」
「なにが、問題ないのですか?」
「このわたしの力……『目に見える理なら超越できる演算能力』について、フィーもご存じよね?」
「はい、なのです。」
「だったらわかるわよね? ……。わたしの方が頼りになるのよ。」
フィーさんが首を横に振ります。
「……。いますぐ、その件を『白紙』にしてきてください、なのです。」
おいおい。このドジっ子精霊ネゲート様……?、シィーさんにあんな言い方して、自分自身はこれかよ、です。明らかに、あれ、ですよね? 何をしているんだ、ネゲート……。
「……。どうして? わたしの方が頼りになるのよ? わたしの力に比べたら、あんな『演算装置』、どうでもいいレベルなのよ?」
「ネゲート。目を覚ましてください、なのです。」
「いやよ。」
はっきりと拒否、か。
「ネゲート……。あなたが今、手にしているものは、『帰り道がない迷宮に保管された財宝』と同じ、なのですよ。」
「な、なによそれ?」
フィーさんが……落ち着きながら話し始めます。長くなりそうです。
「この迷宮は、非常に危険なのです。なぜなら、財宝をわざと取りやすい位置に置いて、それを実際に取らせるから、なのです。しかし、財宝を取れても、持ち帰ることができないと、意味がありませんね? そこで、財宝を取るまでは比較的簡単な道にして、あの迷宮には財宝があるぞと噂を流し、心が弱き者たちを誘い込みます。そして、無作為に選ばれた僅かな『幸運な者たち』だけを『安全に』返すのです。ところで、なぜ一部は返すのか。それは、噂が流れないと誘い込めないため、噂を流す役割として返すのです。ただし、その者たちにも最後だけは『とびきり怖い思い』をさせるのです。そうすることにより、一度入って無事生還できた者たちは二度と来ませんし、そして、生還できた者たちは……それを『自慢話』として他の方々に話したがり、それらが噂になるのですね。しかし『幸運な者たち』以外については、非常に残酷な苦しい死が待つ、恐ろしい数々の罠に、出口までの道で引っ掛かるのです。ちなみに、そのような残酷な罠については、噂に乗りません。なぜなら、みな息絶えてしまい、迷宮から出られないため、なのです。」
……。ドジっ子精霊ネゲートは、こんな罠に? ……。一応、ネゲートも大精霊だっけ? ははは……。
「フィー? あなたらしいわ。そういった、変な『知識』から現実を結び付けて、これまた変な例えで説得を試みるあたりがね。ほんと、姉妹揃って、あれね、あれ!」
「これでも、ダメなのですか?」
「ダメよ。そんなの。『演算装置』より、わたしの方が、すべてにおいて頼りのなるの。だから、その分の……として……だからね。」
「そうなのですか……。」
「そもそもフィーだって、わたしの事を言えるのかしら? フィーは、細かすぎるのよ。それこそ、妙な知識に乗っ取られてない? そんな知識で固めるよりも、素の部分を出すべきよ……。そうね、なぜか価値が付与された『犬』だっけ? あの取引の時、『こんなことして、なんで、ここで買い上げないの?』とかを、かわいらしい声であげている方がお似合いよ。ふふ……。」
「ネ、ネゲート……。ここで、その取引の件を出すのですか……。やめてください、なのです。」
……。フィーさんがね……、想像してしまいました。でも、シィーさんが「売り売り」ですからね。さらに、トレード中は性格が変わる方って、普通に多かったですよ。だから、まあ、そんなもんでしょう。
そして、俺の出番みたいです。これ、本当にまずいから。関わってはいけない、です。
「おい、このドジっ子精霊、こっちだ。」
「……。えっ? なに急に? えっ? それって、わたしのこと?」
「そうだよ。」
「な、なによ、その呼び方?」
「当たり前だろ。先日のあの不発……ね?」
「あ、あれは……。」
ネゲートが言葉を詰まらせました。もう忘れていたのか……。
「よく聞け。いいか? それね、『カネ』を失うと、周りから誰もいなくなるパターンだぞ。つまり、ネゲートが頼りになるのは、あくまで『カネ』が湧き出る場面『限定』だから。まあ、今なら間に合うから、こっちに戻ってこい。」
「な、何よそれ? わたしが……、わたしが、頼りにならないっていうの? わたしの方が使えるのよ? 絶対に、役に立つのよ? だってね、わたしの演算処理能力については、みな、喉から手が出るほど欲しがっているのよ?」
「そうだね。『大精霊』は奪い合いだって、シィーさんから聞いたことあるよ。」
「……。シィーが、そんな事をね……。まあ、あの狂ったシィーの場合は、『天の使い』の奴らには需要があるのかしら。」
「まったく……、だったらきちんと説明します。」
「えっ? 何をわたしに説明するのよ?」
このドジっ子精霊ネゲート様って……。演算以外は、何もできないのかも。それで、この手の話には疎いのかな。きちんと説明します。
「その手の勧誘で『役に立つ』という意味は、使える、使えないの問題ではないんだよ。結局、『カネ』になるか、ならないかの問題なんだ。すなわち、ドジっ子精霊の演算能力だっけ? そのような中身よりもね、『カネ』になるか、ならないか、それだけなんだよ。本当の意味で優れていて、それが非常に役に立つものであってもね、『カネ』にならないのなら、『使えないもの』に分類されてしまうんだ。」
ネゲートはうつむいたまま、静かになりました。かなり強めにいきましたから、仕方がないです。悪いけどね、これは大事な事なので。この件で嫌われても悔いはないです。
「……。あの『演算装置』……。ううん、わたしは……『カネ』、そう、『カネ』なのよ。」
あれ……。なんか、なつかしい。ネゲートって「カネ」に執着するんだ。ただね、そんなものに執着するなんてのは、いただけませんね。幅広い分野に精通していた頼れる強者だったにも関わらず、肝心の「それ……」に弱くて破滅した者、いたはずなんです。ただな……、もう憶えていないです。
「ネゲート、『カネ』がすべてか?」
念のため、うかがいました。それにしても「カネ」か……。久々に聞いたな。
「当然よ。本心よ。本心、のはず……。」
本心ね……。本当かな? 俺が迷っていると、そこに優しく……フィーさんが声をかけました。
「ネゲート、ここで目を覚ますのです。よく聞いてください。あの『演算装置』は、今、ちょっとした問題で稼働していないのです。ちょっとした『鍵』が、かけられているのです。」
えっ、鍵……? ああ……、なんとなく、覚えている。俺、さらに難しい事を頼まれていたな。
「……、な、なに? なにそれ……?」
「あれを動かしてしまったら、ネゲートが、ここに戻ってこれなくなると直感したからなのです。」
「……。ちょっとなによそれ……。それは、あの神々は……。」
「当然、知っているのですよ。まさか、天があのような事態に陥り……、魔の者にまで迷惑が及んでしまった点は想定外だったのですが、ネゲートがそれだけ首を突っ込んでいたのに、具体的なアクションはなかったはずなのです。」
「……。まだ使えるのかわからないものに『カネ』をかけようと……? 違うわね。違うわ……。何となくわかってきた。結局、『演算装置』なんてどうでもよく、わたしを『カネ』になるように上手に使いこなしたい、それだけだったのね。」
「……。はい、なのです。この事情を知らない魔の者が『演算装置』の鍵を外そうとしていたので、正直、わたしは焦ったのです。そのため、代わりの強化された別の鍵をこの方に託したのですが……、『今回』は、必要ないなんて……。」
「あっ、鍵の話ね。あったね。」
すっかり忘れていました。でも、これで解決? なのかな。でもフィーさん……? 気になる表現がありました。「今回」って、なに? ……。まあ、フィーさんだからね。気にしないでおきます。でも、気になるな……。
「わたしのこと……、フィーは嫌っていたのではないの? わたしはあなたに用はないと突き放され、冷たい態度だったから……、気になって……、その……。」
「あっ、それは、ごめんなさい、なのです。その前の日、朗読の件でちょっと……なのです。」
ああ……ごねてたね。うん。それでネゲートに、か。フィーさん……それは直さないとダメだよ。
「なぜ、あなたを嫌うのですか? あなたは……この地で間違いなく貴重な存在なのですよ? その優しい心で……、沢山の方々を救ってください。『予知』を名乗っていた大精霊さん?」
「……。結局、フィーは何でもお見通しなのね。何だか、今日は……すっきりした!」
あのよくわからない予知って、ネゲートの仕業だったのか。……、納得です。
「わたしは……嬉しいのです。ディグさんに感謝なのです。」
「俺に?」
「はい、なのです。」
何で俺に感謝なんだ? おっと……、ネゲートが、何か用みたいです。
「ねえ? それでわたしは、何をすればいいのかしら?」
「はい、なのです。あの神々と会話を交わしていたという事は、わたしの姉様が『市場の精霊』を任される件、ご存じですよね?」
「……。そ、それそれ、それなのよ。フィーとは打ち解けたけど、シィーは別よ? それ、何かの間違いよね? あんな『売り売り』が、何を始めるの?」
「……。そうなのですか。わたしは、姉様とあなたで組んで、お願いしたいのです。もちろん、あの神々には、あなたの件は秘密なのです。」
ネゲートが、あまりの驚きのあまり、後ずさりする。
「フィー……。わたしが、この『売り売り』と組んで、活動せよと、そう命じるの……?」
そのまま青ざめるネゲート。でも、その予知については……、使えるのでは?
「はい、なのです。あなたは、その演算の力を過小評価しているのです。わたしの……その、事象とゆらぎと孤児ブロックを活用した、事象の分岐のような予知とは異なり、完全な形としての予知なのですよ。悔しいのですが、これが力の差、なのです。」
あのフィーさんが簡単に「負けを認める」なんて。普段はごねて大変なのに……。ネゲートの力は「本物」で間違いないですね。なんか……悔しいです!
「そ、そこまで言われるとね……。まあ、シィーは嫌だけど、断れないわね?」
話がまとまってきたところで、タイミング良くシィーさんです。
「あら? さすがはフィーね。話がまとまったね!」
「はい、なのです。姉様。」
「そういえば、あの精霊……、まったくもう……恐ろしいほど買い込んでいるわね。」
「はい、なのです。ただ、その原因を生み出した危機は去っていないのです。」
「そうね……。だったら、とにかく、早く売りたい……。」
えっ……? 思わずネゲートと目が合います。
「な、今……、なんて? あんた……。」
「うん。とにかく、早く売りたい……。と言ったの。」
シィーさん……。
「いつもの姉様で安心したのです。では、ネゲート、お願いなのですよ?」
「……。こんな『売り売り』と、わたしが……。うう……。」
なぜか……、ネゲートが興味深そうに俺をみつめています。
「わたしが、『売り売り』の手伝いで演算するなんてね。……、今回が『最初で最後』だからね?」
「はい、なのです。」
「フィーさん? これってさ、大精霊同士で組むんだよね? なかなか凄いことではないか?」
「はい、なのです。逆に、この組み合わせで助からないのなら……、諦めるしか……。それ位の構成なのです。」
「助からない……そんな場合もあるのか……。」
助からない場合もあるのかな。うう……。まあ、何事も「絶対」はないからね。
「わたしの姉様と、ネゲートの力の組み合わせ……。相手がどのような『空売り者』であっても、絶対に勝てませんね。そこは安心なのです。大丈夫です。きっと、助かるのです。」
そこまで言われると、気になることが出てきました。
「フィーさん? その演算についてなんだけどさ、本当に、先が読めるの?」
「はい、なのです。もちろん、そう組めば、となります。使い道は無数なのです。」
「そうなんだ。でも、俺に対しての行使は……不発。ちょっと不安。」
「不発……だったのですか。そうですね……、なのです。もしかしたらディグさん、気が付いていないだけ、かもしれませんよ。」
「気が付いていない?」
「はい、なのです。作用の気配はありました。だから、なのです。」
「作用の気配……?」
おっと、ネゲートが騒がしくなってきました。
「不発ですって? もうね……、そこまで言うのなら、今ここで、わたしの力をみせてあげるわ!」
「そうですね。それが一番なのですね。」
「また不発だったり……して?」
「わたしを、信じていないのかしら?」
「ディグさん? それは、いいえ、なのです。あの時は、突然の出来事で『観測可能な結果』がないゆえに、ネゲートの作用に気が付いていないだけ、なのです。」
うう……。俺の頭を混乱させてきました。……、ああ、はい。
「さすがはフィーね。見抜いていたのね。だいたい、わたしが不発なんて、あり得ないのよ!」
ネゲートがまた騒いでいます。ほんと、このネゲートって、外見はフィーさんにそっくりですが、内面的な部分が大きく異なります。特に、感情が非常に豊かです。事あるごとに騒いでいます。その分、口は軽そうです。いや……、秘密を守るのは「無理」だとみました。でも、そんなネゲートがシィーさんと組んで、果たして大丈夫なのだろうか? そこは心配になります。
「では、観測可能な結果を作り、あらためて、ネゲートの力をみるのです。」
観測可能な結果ね……。なにそれ?
「フィーさん?」
「はい、なのです?」
「観測可能な結果って、なに?」
「わたしが今、用意してきますので、しばらくお待ちください、なのです。」
……。それから数分後かな、フィーさんが戻ってきました。
「これなのです。」
「これって……?」
これは……無地のトランプのようなカードの束です。軽く百枚以上あるぞ。手に取って、ざっと眺めてみると……。
どうやら表面に「シィー」「フィー」「ネゲート」「売り売り」「都の支配者」などの文字列が書かれていて、裏面はすべて真っ白です。えっと……、これらが「観測可能な結果」なのか?
「フィーらしいものが出てきたわね。こんなものを常備してるなんて、相変わらずね。」
「まあ俺は、フィーさんだからね、特に驚きもしませんよ。」
「……。はい、なのです。そして、すべて裏面にしてから手の中でシャッフルするのです。」
「それで?」
「そこで、ネゲートの演算を開始するのです。その演算中に、ディグさんが一枚を選びます。そして、表面に書かれている文字列をネゲートが『それを演算結果として確実に言い当てる』のです。」
……。確実に言い当てるって、ちょっと、まじで? 俺が無作為に選んで抜き出すカードだぞ? どうやって確実に当てるんだよ? それって、手品みたいなものかな?
「すごいね、それって……、なにかの手品なのかな?」
「いいえ、なのです。種がある手品ではなく、精霊の力による、たしかな論拠から導かれる事象、なのです。」
「へえ……。よくわからん。」
「そうなのですか……。」
うん。よくわかりません。そうですね、その論拠が「種」としましょう。それとも……?
「わかった! 俺の心を読むのかな? それなら、ね? 精霊なら、それ位はできそうだから。」
「いいえ、なのです。それは言われると思い、この方法にしたのです。いいですか? 表の文字列を見ながら引くわけではないのですよ? つまり、ディグさんも、書かれている文字列はわからない状態で、一枚を引き抜くのです。これなら、仮にネゲートが心の内容を読めたとしても、言い当てることはできないのです。」
……。なるほど。俺が知らない状態で、カードを無作為に引くのね。それなら、たしかにです。
「そうですか……。あっ! これなら、どうですか? この力は『ゼロ知識』を証明することへの脅威になったのです。」
「えっ?」
フィーさん……。さらに、おかしなことをいうのは……、避けられませんね。
「ゼロ知識? それって『俺みたいな者』を指すのかな?」
「あっ……、なのです。」
「ちょっとね……、それは、ちょっとだけ笑えるわ。」
ああ、ネゲートに笑われています……。なんか悔しいです。でも、いったい何を証明するの、これは? 俺の頭で考えても……わかりません。
「ネゲート、笑い過ぎ、なのです。」
「えっ……。でも、でも! こんなにも純粋な気持ちで笑えたのは久々よ。わたし……、なにかとっても大切な物を見失っていたようね。そう……、間違いないわ。」
「そうなのですか……。」
「たしかにそれね、脅威にはなったけれど、そんなことをできるのは『わたしだけ』だからね。だから、一般的な証明として普段利用する分には、何の脅威でもないわね。それでも、そんな程度のネタで『脅かすやつら』がいるので、たちが悪いのよ。さらには、あの用途では『枝分かれが多過ぎて』ね、わたしでも容易には演算できないのよ。」
「……。そうだったのですか。はい、なのです。」
……。「枝分かれ」ね。フィーさんが好きそうな単語ですね。そして、そこに突っ込むのは「厳禁」ですね! ここは黙って、時が過ぎるのを待ちます。
ネゲートが、フィーさんと「証明」について話し始めました。黙って、時が過ぎるのを待ちます。
そして……。
「では……。はじめるのです。」
「いよいよか。」
フィーさんが手の中でシャッフルしたカードの中から、一枚を選ぼうとします。
「どれにしようかな?」
「……。迷うかしら? 今、あなたの頭の中はどうかしら?」
「はい? 単に迷っているだけだよ。」
ネゲートが妙な事を言い始めました。どうって言われても……。まあ、迷ってはいるよ。
「『迷う』って不思議よね。」
「そうなの?」
「そうよ。今回は『そのプロセス』を探るのが、私の力なの。」
「……。」
急にネゲートが、空いている俺の片手を握りしめてきました。そして、両目を閉じました。
「さて、一枚を選び出すのです。誰の名が出るのか……、選ばれた直後に、ネゲートが答えるのです。」
このフィーさん雰囲気……。俺が、ミィーに犬をあげる時に、フィーさんから突如告げられた「犬を投げるのです」だったかな。あの時の神々しさがあります。これは、「何か」が大きく前兆かもしれません。
あれ……。俺の意識が……? いや、単にカードを引くのに迷っているだけなの、に……。……。