43, あれ? 卵って、そんなに高いはずないよ……? レギュラーだって……? おや、俺がおかしいのか。それとも……?
持ち越したまま、後場を寝過ごすという、大馬鹿をやってしまった。ところで、今から自炊は……。無理です。散らかった部屋から脱するように、飛び出ました。
……。なんだろう、違和感を覚えずにいられません。なぜなら、この時間帯にしては交通量が少ない気がします。一時期、例の件により自動車通勤に切り替えた方が増加したはずだったのですが……。あれ……? 例の件って……? まあ、いいや。
まさか、記憶がおかしいとか? 俺……、大丈夫なのかな? ただでさえ、あれ、なのに……。
おっと、俺らしくないです。そんなことを心配する者が、あんなこんな量を持ち越したまま……寝過ごすなんてしませんからね。
ちょっとだけ気にしながら、いつもの気晴らしにと足しげく通うお店に到着いたしました。今日の悩みを、今日悩んでも仕方がないです。それとも夜間で手仕舞うか? ……。どうやら、夜間取引も「進化」をとげているようで、現物だけではなく、あれらも普通に売買できるらしいですね。でも、気にしていません。夜間はやりません。
……。腹が減った。のれん……らしきものをくぐると、あ……おりました。なぜか不気味に微笑んでおります。俺のボトルが無事なのか、心配になりました!
「マスター、いつもの頼むぜ。」
「はいよっ、って、あんたかい。いつもなら夕方から飲んだくれているからな。心配したぞ。生きていて安心だ。」
うう……。生死を心配される俺です。もちろん、いつもの挨拶代わりですよ。ところで、スマホのアプリの件です。たしか……、おっ、いたいた!
「おーい、俺だぜ。」
「えっ? あー、ここに座れ。」
俺は座ると同時に、目の前にある枝豆を手掴みで一気に奪います。そしてすぐさま、何の迷いもなく口に放り込みます。
「うまいうまい。この枝豆は……。たしか、何だっけ? 豆同士が寄り添うように、さやの中に二つで収まっているものは、味が凝縮されていてうまいやつだったよね? そしてここの枝豆は……、違うね。安心安心。いつもの店だな!」
「おまえな……。勝手に人様の枝豆を奪っておいて……。ところで、こんな遅くまで、何をしていたんだ?」
ちょっと悩みます。……。
「何って? 研究だよ。」
「研究? おまえの口からそんな言葉が出てくるとさ、『錬金術』を連想してしまうよ。」
「『錬金術』ね……。俺は、慣れ慣れだよ。それでも持ち越したときにやられたら、痛いけどな。」
「ああ……、その『錬金術』ね。」
「そういや、だいぶ前、株主想いの『錬金術』が開発されたと、話題になっていたよな。」
「……。よくわからない権利を売買できるようにした株主想いの『錬金術』ね。」
「……。それ、最近みないよな。」
愚痴から始まりました。しょうがないです。いつも個人は、蹂躙される立場ですから。
「そんなおまえにおすすめのメニューが登場したんだ。」
「俺におすすめなメニュー?」
「その名も『スペシャルポテト』だ。いいぜ、これ。」
スペシャルだと……。よさげな響きです。
「マスター、なんかスペシャルなポテトがあるらしいね?」
「あるさ。おまえに食べさせることになるとはな。ちょっと待ってな!」
……、なぜか、楽しみです。スペシャルというからには、ポテトサラダの進化系なのかな?
「それにしても、なんかこの雰囲気……。心にしみる。うん……。」
俺は感極まって、涙が出そうになった。あれ……。なんで? なんで、なつかしいのさ?
「ど、どうしたの? 急に?」
「そのあたりで買ってきて、ゆでただけの枝豆に、涙がこぼれ落ちるとはね?」
「おいおい。そのあたりで買ってきたのは事実だが、ゆでただけって、それはひどいぜ?」
「……。よく、近くで特売している、あの豆たちか。」
「特売? 特売り? スペシャルな気配ってやつだな。」
「……。がはは!」
あっ……。いつもの方々が集まってきました。でも、なぜに、なつかしい? 何で? 昨日もこうやって飲み交わしたばかりではないか! なんで、なつかしいのさ!?
「特売りか。負けて、気が動転したままご来店かな?」
「ま、負けてないぜ。」
おっと。負けていませんから! 勝手に負けたことにされるのは、嫌ですから!
そんな、心躍る話で盛り上がっているさなか、スペシャルらしいポテトが、マスターの手によって運ばれてきました。
「これが……、夢にまでみた、『スペシャルポテト』ね。」
……。えっと……、ゆでてからほぐしたじゃがいもに、刻んだ玉ねぎを入れただけっぽいのですが……。えっと……、なにこれ?
「スペシャル……。」
思わず、変な言葉の断片を吐き出してしまった。
「悪いな。さすがに、食用油があんなに高騰してしまったら、こうなってしまうよ。なぜなら、他をせこくしないと生き残れないからな。悪いね、まずは生き残れ、だ!」
「えっと……? 食用油の高騰?」
一応トレーダーを生業としていますから、「高騰」という言葉には敏感になります。
「おまえな……。トレーダーをやっているなら、わかるだろうよ! よくそんなんで、持ち越しとかやるよね?」
「えっ……。ああ、はい。」
「ただでさえ十倍以上に跳ね上がっていたのにさ、そこからさらにだからね……。」
「えっ!? ちょっと待ってよ。なんだと? 十倍って!?」
食用油がね……。十倍。十倍……。どこかで聞いたような気がするんだ。そしてさ……、さすがにそんなのはあり得ないと、自分に何度も言い聞かせていたはずなんだ。どこで、どうやって、どうして? ……。まったく思い出せない。
「やっぱりさ、あの件が流れてから、ツキに見放されたのかもな。そりゃあ、理由など何でもいい、後付けで売りまくる奴らからみたら、あの流れた件なんてさ、最高の口実だよな! もう、それを理由にされたら、何を並べても反論できない。」
「あの件……?」
俺、どうしたんだろう。あの件……って、何かしら? 話の流れから考えて、それ……知らなかったらやばいやつ、だね。つまり、それを聞くのは恥ずかしい。参ったね……。俺の記憶、どうなっているんだ?
「牛丼に生卵だった時代がなつかしいね。」
「なつかしい……か。でもさ、ちょっと前の出来事だったのにな!」
「でもでも、紅ショウガは、まだ大丈夫だよな?」
「いや、そうでもないらしい。まあ、牛丼自体も気軽には……だからね。」
えっ、何の話? 牛丼くらい、気軽に食べたいぞ? そして、生卵くらい、気軽にかけたいぞ?
「あのさ……?」
「どうしたの? そのポテト、なかなかいけるでしょう?」
「あ……、そ、そうだね。」
俺さ……。何かに取り残されてしまった、変な感覚に全身が支配されます。そうだ……、こういう時は、やはり相場の話に限る!
「明日は、俺、頑張るぜ!」
「明日? ああ……、相場の明日だから月曜ね。」
「えっ?」
「おいおい。今日は金曜だぞ。」
「……。」
金曜の後場を寝過ごして持ち越したのかよ……。うう……、考えても仕方がありません。
「……。だったら、明日は気晴らしのドライブでもするかな。」
適当に話をつなげるつもりで言っただけです。それなのに……。急に静まりました。なんで?
「おまえ……、やっぱり勝ちまくりかよ。このご時世にドライブって……。余裕あるね? 結局……、あの厳しい相場環境でも勝っているとはな。さすがだよ。」
「いやいやいやいや、そんなに勝ててないぞ。別に、ドライブくらい……?」
「別にって……。あの燃料代をみたら、ドライブをする気など真っ先に消え失せるよ。」
……。
「そんなにやばい水準だった? レギュラーがリッター二百とか?」
「あ、あの……。連日報道されている位のショックな情報ではないか。冗談、きついよ。」
……。また、何ともいえない違和感を覚え始めました。でも、……、そうなんだろう。
「俺……。」
「もしかしたら、変な場所に頭をぶつけてしまったとか?」
「……。えっ? なんだって?」
「最近は、信じ難い高額な電気代なども出てきてさ、まいったね、これ……。」
えっと……? そんな事態に発展していたのか? すなわち、部屋にこもってトレードばかりもよろしくないようですね。そんな堕落的な生活をしていたがゆえに、俺の知らないところで、とんでもない事態が起きていることを察知できなかったということですね。
いやでも……、こうやって外を出歩いているのだから、それも……おかしい。
それとも、それとも……。俺の記憶がおかしいのか? あの「仮眠」からおかしくなったのだろうか? 前場で変な新興株に翻弄され疲れ切って、つい、眠ってしまっただけです。……、考えすぎですね。
そもそも、俺が考えすぎる、だと? あり得ないよ。こうなったら、原点に戻りましょう。スペシャルなのか、それともシンプルなのか? 意図がまったくわかりません。そのようなポテトを口に含みながら、何も考えずにおいしくいただく努力を試みます。味は……たしかにポテトです。
「うまそうだな? スペシャルだからな。」
単に、腹が減っていますから。俺は必死です。それだけのことですよ!
「これで流し込め。おまえにとっては『水』だろう?」
……。ここの生……ではなく「水」は、こだわりがあって美味しいのです。目の前に、間違いなく本物の「水」が出されました。ご命令いただいた通りに、一気に流し込みます。
「いいね。それでこそ、ここの常連客だ。メインとなれる具がなくて悪いな。それでも、価格を上げるよりかは良いと考えてな、スペシャルという名前で押し通すことに決めたんだよ。第一印象と先入観で食わせるってやつだ。シンプルなものほど、『スペシャル』や『高級』などの言葉で飾ると、案外、押し通せるもんだよ!」
マスター……。さすがにそれは、違うと思いますよ……。玉ねぎだけ……、ですから。そこで俺から、正直な提案をしていきたいと考えています。
「……。卵くらい、入れて欲しいです。」
普通の提案でした。卵すらケチる……。ここのマスターらしいです。あれ……? なんか、気まずい雰囲気になりました。俺……、そんなにおかしなことを要求してしまったのでしょうか?
「おいおい、卵だと? 贅沢いうな……本当につぶれてしまうよ。なんといっても、オムレツ屋が全員逃げてしまうくらいだったからな。正直に言っちゃえば、今でも受け入れられねぇよ。でも、これは現実だからな。諦めず、しぶとく生き抜こうぜ。」
……。なにこれ? 俺って、今を生きているはず、だよね? また、何かに縛られ、取り残されているという恐怖が、全身を駆け巡ります。
「まったくおまえさ……。急にどうしちゃったのよ? どのような事があっても常に前向きでさ、それがおまえの魅力だったはずだぞ? 昨日だってここで騒いでいたのに、急に……、まるで別人になったような感じだよ?」
別人……、か。それなのかもな。でも、俺は俺だ。しかし、よくわからない。怖い……です。
「……。俺にもよくわからないんだ。」
「まあまあ、急に落ち込んでしまう場合もあるからさ、そういうときは忘れるまで、『水』、『水』!」
「おいおい……。アルコールを、そうやってあおるのは良くないぞ。」
水、そうだ……。水。水? なにか思い出せそうで……、思い出せない。そうだ……酒を、まるで「水のように飲みまくる」……、何だっけ?
あともう少しで出てきそうなんだ。水、水、……「水」……。ダメだ、思い出せない。
「どうした? 顔色が悪いぞ? 大丈夫か? 負けまくって、おかしくなったのか?」
「……。」
「負けまくって」、この言葉で、我に返ります。この言葉には「とても敏感」ですから!
「……。大丈夫です。そうだよな、考えたってしょうがないよな!」
「そうそうそう! 盛り上がってきました!」
「あの時さ、あんな酷い目にあったにも関わらず、しっかりと復活できたんだよな。すごいぜ!」
えっ……と、俺が「酷い目」にあったと?
「な、何の話だよ……?」
「おいおい? あの日のことだよ。あの時、顔面真っ青で、この店に這うように来てさ、びっくり仰天だったよ。やっぱりおまえのことだ、派手に散ったんだな、と、すぐさま理解しました!」
「現物一筋の俺でも、数ヵ月は落ち込んだからな。『酷い日』だったよ!!」
「まあ、落ち着けや。たしか『人の心』には、思い出したくない酷い記憶に、自分から忘れられるような防御機構が備わっていて、それが正常に働いて、忘れたんでしょう。まあ、ほんと『酷い日』だったから、それを思い出させるなんて、残酷だぜ!!」
……。そうなんだ。俺……、その「酷い日」から一種の「記憶喪失」になっているだけだったのね。納得です! 安堵感に包まれて幸せな俺……、取り残されていたのではなく、記憶喪失だったのか。だったら、もう悩まない。少しずつ思い出していけば済む話ですから!
「俺、もう悩まないぜ!」
「そうそう! しぶとく生きているんだ。それだけでも勝ちだよ、勝ち!」
「でも……。ちょっと不気味です。俺……、どうやって生き残ったんだ。」
……。深呼吸し、落ち着いて考えてみる。もし、もしだよ? 追加の証拠金が払えない状況ならば、例のお取引はできない。でも俺は今、……。いや……、別の口座かもしれない? ううん……、俺は一つ限りの口座で勝負している、はず。つまり、証拠金に追われている訳ではなさそうだ。
「おまえさ……、わざと、演技してない?」
「えっ?」
「だって、すごいもの、持っていたんだよ。正直、うらやましい、だったぜ? ほんとに!」
「すごいもの?」
「……。『犬』だよ、いぬ!!」
……。何? 犬って、なに?
「犬が全て、犬に全てを捧げ、俺は生きていますと、急に元気になっていたではないか!」
「えっ、なにそれ?」
「……。あれは凄かった。おまえのスマホに出ていた『犬の残高』には、みな……、邪な気持ちで震えていたんだぜ? まあ、ゆっくり思い出せ。損失は出なかったとかいえ、追って迫る証拠金の催促を蹴散らすために、『大切な犬』を大量に失った訳だからな。ショックだよな。」
「大切な犬」……。なんで? これも、どこかで聞いた気がします。でも、どうせ思い出せないでしょう。ところで、スマホ……。そうだ……、俺のスマホに、見知らぬアプリがあった。
「スマホで重大なことを思い出した!」
「おっ! ついに、思い出したのか。それとも、思い出してしまった、か!」
「俺のスマホにさ、入れた記憶がない、怪しげなアプリがインストールされているんだ。」
「……。おまえのスマホだからな。ちょっとあれでピンク色な誘導をついタップして、入り込んだだけだろ?」
「うん、そうだね。否定はしない。ちょっとあれね、うんうん!」
……。俺らしいです。
「本当に、記憶が失われたんだな。そんな大事なことすら、覚えていないのか……。」
「……。それは一瞬思った。そして、気になって仕方がない。でも、開かないほうがいいかな?」
俺……、この瞬間、見知らぬ誰かに記憶を操作されたような違和感まで来たぞ。うう……。このアプリ、なにこれ、です。
「……。あのな……。それ、『犬』の残高をみるためのアプリではないか。」
「……、えっ?」
「まったくさ……。またあの驚異的な『犬の残高』を思い出したぜ。いいよな……。」
「しかもそのスマホ、新品ではないか。余裕があって、うらやましい限りです。」
これが、……、その「犬」なんだ。
「なんだい? 『犬』を忘れたのかい? だったら、もらってあげてもいいぜ。」
「さすがに思い出すだろう。あれだけの残高があるのなら、まだ、たっぷり残っているはずだぜ。」
「……。」
俺……その「犬」というのものがよくわかりません。でも、安全なアプリなら……。
「では、開いてみるか。これ。」
「いいね。」
「俺は、この『犬』に救われたんだよね。」
「間違いないよ。あの『酷い日』、全力持ち越しなんてしていたら、命すらないからね。それでも自己責任。命が散っても同情なし。相変わらずの厳しい世界ですね!」
「……。」
とにかく、残高という表現から推測して「カネ」だよな? でも、こんなのを買った記憶がまったくない。本当に俺って……。
心配な気持ちと、なぜか……ちょっとした期待感から湧いてくるあの小刻みなドキドキを感じます。
「では、開きます。」
そのアイコンをタップします。
「なにこれ?」
数字が並んでいます。そして、そこそこの桁……。
「例のカンマ」にはおよびませんが、もしこれが「あれ」なら……。でも、「あれ」ではないよ……。やはり、「なにこれ?」です。
でもさ、いたずら半分の遊びで作った安っぽさはまったくなく、それどころか、本格的です。いわゆる……、何とかレス系の決済画面に似ております。
「なにこれ? じゃ、ないぜ。冗談きついぜ……。かなりあるではないか!」
かなりある、だと? 本当に……?
「だったら、これは、使えるの?」
「……? まじで言っているのか?」
「うん。」
「だったらさ、少し『投げて』よ?」
「投げる?」
「……。本当に記憶が壊れたんだな?」
「俺さ……、もともと、こんなレベルだから。いつも記憶は壊れています!」
「……。ほんと、おまえってやつは憎めないよな。」
……。どうやら、ここでの「投げる」とは……、このようなものを不特定多数に「ばらまく」行為を示すらしいですね。つまり、「ばらまく」から「投げる」、か。なるほどね。
画面を見回すと……、うん! それらしい機能があります。
「この……『チップ機能』が、もしかしたら……?」
「するどい着眼だね。それが『投げる』に相当する機能だよ。そうだな……今、オンラインの奴らに『投げる』でいいね。」
「オンライン?」
「そうだよ。いわゆる『コミュニティ』ってやつだね。その中でオンラインの方々に『恵みの雨』として『犬』とかを投げるのが主流なんだよ。どう? 思い出してきた?」
「……。今、なんて?」
「えっ……?」
コミュニティ。この言葉が、がつんときました! ものすごく大切な、かけがえのない想い出を取り戻そうと、俺の心が熱くなります。
「何か、きた……。記憶の一部が復活するかも。」
「本当に?」
俺が欠けた記憶と戦っている、まさにそのときでした。このちんけな店の扉が開き、そこから、こんな店には似つかない方が、迷うことなく入ってきました。
おや? マスターが飛び跳ねて喜んでいるぞ。……。俺も、そのお姿を見た瞬間……記憶の復元が中断しました。……、まさか、ね?
「はじめまして。ところで、ここが……投資家さん達の憩いの場でいいのかな?」
「はい! いいです!」
「まじで……。まじで? こんな店に来るのか。」
俺も、それは瞬時に考えたよ。こんな記憶がぶっ壊れた俺がよく知っているくらいだからね。なぜならこの方……彼女は、ソーシャルネットワーキングにて「売り一筋」で有名なんだ!
売り一筋……先に売ってから安値で買い戻して利益を得るという「空売り」です。もちろん、このような有名になる方は数多く存在するのですが、彼女に限っては「売り一筋」でさ、それで、俺らみたいのを虜にする……です。それだけでも、人気はすぐに彼女に集中ですよ。
そのような方が、なんで、こんなマスターが経営する半分以上傾いた店に、足を運ぶとはね。
「ここ、よいかしら?」
「まじ? 俺らのところに?」
「いいです! 構いません! ぜひ、どうぞ!」
「マスター! 具の入ったスペシャルポテトを持ってこい!」
ここって……、お、俺の隣ではないか。ああ……、はい。でも、ラッキー! では、いってみましょう!
「俺、毎日みていますよ!」
「あっ……。あ、ありがとうございます。」
その瞬間、ほんの少しですが……、あの「酷い日」の記憶が蘇ってきました。
「そうだった……。あの『酷い日』の出来事です。数日前だったかな……、何かに誘惑されるように、全力で買い越ししないと気が済まない雰囲気にされ、それにのみこまれる形で、恐ろしい事になりました。」
「『酷い日』……。あの日の事ね。でも、十分に前触れはあったのよ。例えばね、いつも『暴落する』と豪語していた予想屋の方々が、なぜか急に態度を変え、これからは強い相場が訪れると言い出していたわ。」
「予想屋……。そんなのいたな。たしかに、です。」
「あとね、例の……の情報が急に出始めていたのも気になっていたのよ。」
……。それだ。ほんと俺……、情けないです。でも、普通は気になんか留めないし……。だから、これか。……。
「それで、あの雰囲気になったのか。『買わずにはいられない』でした。それもあなたは、堂々の売り、でしたね?」
「うん。私は、売り一筋だからね。自然とそうなりますわ。」
売り一筋……。たしかに、その手法を嫌う方は多くいます。でも、相場ってそれらが半々で、できています。だから俺は、利益が出せるなら別に問題ないという考え方です。
「売り一筋……。つまり、『売り売り』ってことか。」
「えっ……。ふふ、面白い事をおっしゃるのね? でも……、悪くないわ、それ。」
えっと。俺は……、何を言い出しているんだ? 思わず口から出てしまった「売り売り」って……? 恥ずかしいです……。なんか、周りから冷たい視線を感じます。
「『売り売り』? すごいな、それ!」
「ぎゃは。でも、気に入っておられるようで……。」
「売り売り」の話で大いに盛り上がってしまった。まあでも俺ね、この雰囲気が大好きです。
「はいよ! スペシャルポテトだよ!」
そのとき、明らかに、明らかに……! 俺とはまったく異なる、具がたっぷりの「スペシャルポテト」が上品に置かれました。うう……、マスター……。
「うわ……、贅沢なポテトね?」
「あっ、俺のとは全然違うんですよ!」
俺に出されたポテトの「残骸」を、彼女にみてもらいます。
「それは……、シンプルなポテトを注文されたのでは……?」
「シンプル……。いや、間違いなくスペシャルを注文したぞ。間違いなく、だ?」
「ふふ。」
その瞬間、その贅沢なポテトの一部が、なんと、俺の器に……。嬉しいです……。
「うわ……、いいな……。」
「いやいや、餌をやる感覚だろう。」
「それだ。」
おいこら……、好き勝手に言いやがって! あれ……、俺は、飼われている……? えっ……、なんでそんな冗談にまで、俺の記憶に引っ掛かるんだ?
なんか苦しいです……。なんだろう、これ?
おや……。それは、彼女も、でした。
「私……、最近つらいことが続いて、落ち込んでいたの。でも、スッキリしてきましたわ。」
「つらいこと? あっ、思い出しなくなければ、何も言わなくていいよ。」
「……。私ね、妹がいるの。それでね……それで……、最期くらいは、希望を叶えてあげたいの。」
「えっ……? 最期、って……?」
……。