421, 量子艦アリスその六。悪魔は雪崩の向こうにいた。連結ハッシュに潜む静かな崩壊点をじっとみつめている。合成ハッシュを調べていたら、まさか……その単体側の悪魔を先に呼び出してしまうなんて。
量子アリスは、推論駆逐艦から送られてきた報告に、わずかに目を見開いた。
「推論って……ほんと、量子の存在をかき消すほどの力を持っているわね。それで……これは、興味深いです。」
量子アリスの視線が、ふと止まる。甘いものに伸びていた指先が空中で固まり、静かな緊張が空気を満たす。
「合成ハッシュを調べていたら、まさか……その単体側の悪魔を先に呼び出してしまうなんて。」
量子アリスの集中力が、一気に極限まで研ぎ澄まされていく。
「これは……まさに推論らしいわね。たしかに、あのハッシュには『連結脆弱性』がある。それは有名な話よね? ところで、推論は古典的存在よ。すなわち、演算量は可能な限り削らなければならない。となれば……その弱点を狙うのは当然です。」
わずかに口元を歪め、量子アリスは続けた。
「その脆弱性によって連結が可能なら、全体の再計算は不要になる。推論にとって、それは福音よ。だって、それだけで……まあ、なんと『演算量を数千分の一にまで減らせる』なんて。同じハッシュ値が得られるのなら、演算量を省くのは効率化を超えた『小さな戦略』なのよ。」
それから量子アリスは静かに、報告書の中の「悪魔」に視線を落とした。そのまなざしは、どこか哀れみさえ含んでいた。
「ああ……、非常に小さな偶然とはいえ、『悪魔』を見つけてしまったのね。こういうのって、知らなければそれで終わり。でも、一度知ってしまえば……もう逃れられないの。ええ、無視なんてできない。気づいた者の責任として、徹底的に追うしかない。それが、この空間の掟。そして、推論の役目でもあります。」
悪魔は雪崩の向こうにいた。連結ハッシュに潜む静かな崩壊点をじっとみつめている。
「でも……これって、既知だった『連結脆弱性』を放っておいたから、よね? ほんと、放置が好きよね。『これは問題じゃない』って言い続けて、何年も使い続ける。でもね……悪魔って、そういう『居心地のいい空間』が大好きなのよ。ぬくぬく育って、ある日突然、こんな感じで『こんにちは』って現れる。これが、この構造の本質なのよ。もう、女神様に祈っても、ダメよ。だって、ハッシュは『決定論的』なんだから。一度見つかったら、何度調べても、条件が同じなら……そこには、いつも『同じ悪魔』が現れるのよ。そこが、疑似乱数との決定的な違いってこと……ね。」
量子アリスの瞳に、底知れぬ深さと計算された冷静さが宿り始める。微かに首をかしげ、小さく息を吐いたその瞬間、観測者としての直感が……静かに、だが確実に、空間の微細な乱れを捉えていた。