325, それで……。これを量子アリスから申し上げるのは……少々、心苦しいのですが……。やはり、すでに古典的な手法で破られている可能性も、慎重に考慮すべきかもしれません。
それで……。なんだろう。量子アリスが、どこか話しにくそうな表情を浮かべている。……なによ?
「ちょっと待って? たしかに『目的特化型』の量子は脅威よ。でも……、量子が必要になるはず。まだ、手は打てる……はずよね?」
「……はい。ですが、そこにはもう一つ……あらかじめ想定しておかなければならない事実があります。」
量子アリスの声は、少しだけ沈んでいた。
「以前、お話ししましたよね。すでに『奪われた』可能性があるいくつかの事例について。」
「……。」
「それらはすべて、『秘密鍵の管理ミス』という一言で片づけられ、まるで何事もなかったかのように闇に葬られていきました。でも、本当に……それだけだったのでしょうか?」
量子アリスはゆっくりと、わたしの目を見た。……。
「今、ここでもう一度……、深く考えるべき時なのです。そこで、女神ネゲート様。それで……。これを量子アリスから申し上げるのは……少々、心苦しいのですが……。やはり、すでに古典的な手法で破られている可能性も、慎重に考慮すべきかもしれません。」
「なによそれ……。量子アリスはやっぱり、すでに古典でも破られていると、そう主張したいのかしら?」
「はい。あくまで、推測です。ですが……無視できない推測です。」
……。
「女神ネゲート様。実は……あれから、量子アリスは、淡々と……計算を続けてまいりました。感情を交えず、ただ、与えられた条件と構造だけを元に、いくつかの確率と可能性を導き出します。」
「……。その結果は、どうだったの?」
「そこで、雪崩の影響を考慮すると……、線形モデルではおおよそ五十パーセント前後、非線形モデルでは二十パーセント程度まで絞り込まれるという計算結果が得られています。つまり、それだけ『偏り』が生じている可能性を示唆しています。」
それから量子アリスは少しだけ間を置いて、続けた。
「そして偏りが存在するのなら……、そう、古典で最強と謳われる『推論』の出番です。この偏りに従ってヒートマップを構築し、その『赤い部分……確率密度の高いエリア』に、集中的な演算処理を浴びせることで、量子でなくとも、今この瞬間にでも実行可能なアタックになるのです。」
……。それは、やっぱり嘘よ。そんなこと、あるわけないじゃない……。それだと、量子の脅威なんて言ってるけど……それ以前の問題になってるじゃない……。
わたしだって……それ位はよくわかっているわ。これでは、暗号として体をなしていない部分があることも、気になる事例がいくつかあることも……無視するつもりはないの。でも……。
「女神ネゲート様。もちろん、断定はいたしません。ですが、痕跡が一切ないという事実が、逆に何かを示している可能性もあるのです。」
「あのね、そうは言っても……。」
「よく考えてみてください。量子の脅威を語るときは、本来なら……最低限、こう言えなければならないのです。それは、『現状の古典では絶対に破れない』と、です。」
「……。」
「古典で無理にでも現実的な時間でなんとか解けてしまうのなら……それは、量子にとってはあまりにも容易な演算だったということです。そして、量子的に容易な計算のひとつに……『ラグのアルゴリズム』が出現しました。そこから考えてみましょう。容易な量子的演算で済んでしまう構造が、もし目の前にあるのだとしたら……それはつまり、古典でもワンチャンスあるということです。」
でも、それって……ただの理論でしょう? 映し出された「現実」とは、やっぱり違うはずよ。無理があるわ。いくらなんでも……古典でなんて、そんな……。
「だって……。そんなの、本当にあり得るわけ……ないわ。」
「そうですか……。ところが、採掘の機材のような感覚で『ラグの機材』のようなものも、試されている可能性があります。」
「えっ? 待ちなさい。いくらなんでも、そんなもの……出回るわけがないわ!」
「いいえ、それは否定できません。現時点でも対策可能で、しかも古典的な隙がわずかでも存在するなら……そういったものは、必ず裏で出回るのです。もちろん表向きは『セキュリティ研究用途』などと記されて、しっかり抜け道を確保した上で、正規ルートでは絶対に手に入らないような代物になっていますね。そもそも秘密鍵を釣り上げるような……つまり、完全なアンロックの演算なんて、どう考えても研究目的にはなり得ませんよね? でも、このような『建前上研究なツール』が普通に出回ってきた過去が沢山あります。だからこそ、作ることが可能になった瞬間、こういうのは……必ずやられるのです。」
「建前上『研究用ツール』って……なによそれ。そんなの、本当に普通に出回るの?」
「女神ネゲート様。そうですね……たとえば、こう説明されるのです。」
量子アリスは……それを淡々と語り始めた。
「『これさえあれば検査がスムーズになる便利な鍵』……それは、検査のたびに異なる鍵を要求されては非効率ですので、なぜか一つの鍵ですべて済む……まるで魔法のような鍵。さて、検査効率を上げるために一つ、いかがですか? ……もちろん、それは表向きの話です。そしてなぜか、その鍵は高額で販売されています。いったい、こんなもの……何に使うと思いますか?」
量子アリスはわたしを見た。
「……わかりますよね? この地では、『実現可能』となった瞬間、裏で代表されるようなこんな代物ですら、こうして、平気な顔で出回るのです。」
「……。」
「だからこそ、古典で僅かにでも突破可能なら……、それが量子ではどうなるのか、じっくり精査すべきでした。」
それからも、量子アリスは言葉を続けた。
「そもそも採掘というのは、ターゲットがハッシュであるから成立しているにすぎません。でも、ハッシュ値の正解を『古典でもごく僅かに当てている』のが現状です。つまり、例えとしてそのターゲットがもし『秘密鍵』だったら? それは、もはやただのアタックです。そして、古典でも僅かな正解が出ているので、それならば量子では……当然、採掘の量子脆弱性が現れました。このように、演算量と、その脅威の出現には、あたかもエンタングルメントのような相関があるようにも、見えるのです。」
これで……。とりあえず、演算については整理がついた。……そう。構造次第で「境界」は浮かび上がる。……それが、いちばん重要だった。




