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324, 「安全だ」と叫ぶ者たちは、すでに出口に向かって走り出しています。銘柄でもチェーンでも……みな同じ過ちを繰り返し、このままだと闇への怒りすら忘れ、また同じ破滅への道をたどることになりますよ?

 ハイパーラグプル。これだけは……絶対に、防がなければならない。


 ……でも。そこに「マニピュレーション」が加わる状況って、いったいなにかしら? その答えは、いずれ……量子アリスから語られることになるのかもしれない。


「……ハイパーラグプルについては、理解できたわ。」


 わたしは小さく息を吐き、アリスをまっすぐ見た。


「それで、イブが量子で活動を始めると……静かに、よね?」

「はい。静かに、そして確実に利益を得ようとするのが、黒い帽子を好むイブです。それは……『サイレントアタック』と呼ぶべきでしょう。」

「サイレントアタック……?」

「はい。この性質すら、さらにイブ側の好条件として上乗せされてしまいます。なぜなら、このアタックは非公開のオフチェーン領域に対して行われるからです。つまり……スタンドアロン、単独環境に対してアタックを仕掛けられるという、非常に特殊な形態となるのです。これはまさに、チェーンの構造そのものから生じた、きわめて稀な現象です。」


 わたしを一点にみつめながら、量子アリスは静かに続ける。


「そして……、オフチェーンから釣り上げた秘密鍵を使い、その秘密鍵が管理する資産の『持ち主』になりすまし、そこにある全残高を一瞬で奪い去る。オンチェーンに記録されるのは、その瞬間だけです。しかも、秘密鍵そのものにアタックの痕跡は残らない。だから、チェーンはこれを正規の取引として問題なく受理してしまう。……つまり、アタックの証拠すら、どこにも残らない。」


 量子アリスはわたしを見つめ、最後に問う。


「以上を踏まえ、『サイレントアタック』という名称……、いかがでしょうか?」

「……。」


 わたしは、何も答えられなかった。たしかに……「ラグのアルゴリズム」は、イブにとってあまりにも好条件すぎる。正直なところ、他のアタックなんて、絶対に見向きもしないわ。リスクが違いすぎるもの。


 そのとき……アリスが、静かに続けた。


「それで、女神ネゲート様。この攻撃が始まっても……量子演算が行われるのはオフチェーン領域。つまり、通常の監視では、まず気づきません。被害がじわじわと広がり、『何かがおかしい』と感じたときには……すでに、手遅れ。このアタックは、『遅延型』なのです。」


 量子アリスの声は、わずかに沈んだ。


「それでも、もし……かろうじて気づくチャンスがあるとすれば、量子冷却に必要な『あの物質』の相場です。」


 わたしは、息を飲んだ。


「宇宙空間よりも低い温度を要求する量子を冷却するには、それしかありません。つまり、量子を使う者は……必ず、それを買うしかない。もし、市場でその物質の値がじわりと上がり始めたなら……それが、唯一のサインになるかもしれません。」


 量子アリスは、わたしを見つめた。


「……いかがでしょうか?」

「……。」

「女神ネゲート様。逆に捉えれば……どんな量子でも、チャンスはあるということです。エンタングルメントを捨て、高度なゲート演算すらできない、ただシンプルなスーパーポジションだけを持つ……、そんな型落ち量子であってもです。ラグのアルゴリズムのようなランダム探索型のアタックなら、十分に実用となります。自分自身を打ち消し合いながら存在するような、あの精緻な高度量子など、イブには必要ありません。『最高性能』でなくてもいい、そう……『目的特化型』であればそれだけで……、致命傷をチェーンに与えることができます。そして、目的を絞り込めば、量子ビット数も……大きく、飛躍できることでしょう。」


 目的特化型……。その言葉に、わたしはまた……大事な点を見落としていたことを痛感した。そうよ。量子ゲートに対して、量子アニーリングの量子ビット数が圧倒的に多い理由は……「任意の量子アルゴリズムを正確に実行」するためではなく「多少のエラーが出ても、全体の最適化傾向が残っていればいい」と、割り切っていたからよ。それでこそ、量子アニーリングは大規模な量子ビットの配置に成功していたわ。


 つまり……ハイパーラグプルを達成するための目的特化型専用量子の構築。その名も「一万量子ビットラグマシン」とか……。それなら今でも、構築できるかもしれないわ。スケールダウンとしても、ちょうどよくて……どこにも隙がない。しかしそれは……チェーンに対してだけは、圧倒的な毒を持つ。


 でも……。目的特化型というのは、ラグ専門に量子を組み立てるということ。そんな莫大なコストをかけてまで……本当に、やるの?


 ……ううん。それだけのコストをかけても、十分に見合うのよね。なぜなら……、チェーンに乗っている額が、桁違いに膨大だから。


 まとめると……。量子に関する脅威は、ゲート型やアニーリング型だけではなかった。ラグのアルゴリズムを稼働させるためだけに組み上げられた、目的特化型の量子……。これにも、注意を払わなければならない。そういうことだったのね。


「女神ネゲート様。それでは、この現在の状況と……過去に起きたある『ショック』とを比較してみましょう。そうすれば、市場の動向が、より鮮明に掴めるはずです。」

「……ショックって……?」

「はい。ここでは、そうですね……。あの、有名なショックを取り上げます。」


 量子アリスは……静かに続けた。


「すでに返済の見通しが立たないジャンクを、うまく束ね、統計を駆使して綺麗に見せかけ、格付けを最高位に仕立て上げた。そして……それを、非常に安全な資産として、闇の勢力が売りさばいていた、あのショックです。」

「それは……!」

「はい。そして、どうでしょう……この現在の状況と、あの当時の空気。何か、似ていませんか?」


 その瞬間、量子アリスは、ゆっくりとわたしを見つめた。


「……あのときも、闇の勢力は叫んでいました。『これは安全だ』『絶対に問題ない』と。そして、バンクやペンション……多くの資本が、それを信じ、飲み込まれました。」

「……。」

「今も、同じです。量子なんて幻覚だ……まだ手も足も出ない、あの有名なアルゴリズムでなければ絶対にチェーンは破れない……。だから絶対に絶対に安全だ、と。今この瞬間も、必死に叫んでいます。」


 ……。


「女神ネゲート様。『安全だ』と叫ぶ者たちは、すでに出口に向かって走り出しています。銘柄でもチェーンでも……みな同じ過ちを繰り返し、このままだと闇への怒りすら忘れ、また同じ破滅への道をたどることになりますよ?」


 安全だと叫ぶ者たち……。それは……その叫び声が、大きければ大きいほど、すでに……。

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