163, ネゲートが捕らえられたって……。その速報を目にした瞬間、頭が真っ白になり、背筋が凍り付くような感覚に襲われました。シィーさんの通貨を危険にさらし、この地に対する大逆の罪って……。
やはり、この地は異世界でした。現実ではあり得ない事が普通に起きます。俺はそのような現実が中々受け入れられず、かなり凹みましたよ。なぜなら、まるで地獄から這い上がるようにシィーさんが勝った上、ネゲートが捕らえられたからです。
今ここで、改めて状況を整理します。先日、この地の覇権を決める民の審判が開かれました。それは……シィーさんが女神として信を問う、あの審判です。そこでシィーさんは民の審判に向けた準備として、あの政敵やネゲートが強く反対していた「利率の下げ」を実施します。しかもそれは……いつもより高い利率でした。その上、都合の悪い事はひたすら隠し通します。例えば、若い民が渇望する「仮想短冊の通貨」に対する方針は曖昧なまま、うまく逃げ回っていました。
それでも討論は苦手だったはずです。この素人の俺に対してすら「錆びついた工場……奴隷労働」の件で全く反論できずにその場から消え去ったくらいです。よって、あの政敵との討論なんて、あの公開チャンネルと似たような流れで弱い姿をさらすのかなと……、マッピングを眺めていました。
ところがシィーさんは「推論」の力によって軽々とあの政敵を論破していきました。この「推論」の力については……、俺とネゲート、そしてフィーさん以外は知らないのだろう。明らかに、あの時の公開チャンネル時とは明らかに異なるシィーさんの姿に疑問を投げかける意見が急増していました。討論が苦手なシィーさんは、この討論に備え、何かしらの補助を身に着けていたのでは? という疑問です。まあ、そうなりますよね。
それでも一つだけ……、ある質問の回答に言葉を詰まらせたシィーさんの姿がそこにありました。それは「推論」の処理に失敗し、自分の意見をぶつける必要が生じたのでしょう。さて、その質問とは「血が流れ続けている件について」です。あーあ、こんなの「推論」では難しいでしょう。「精霊の知恵」にもよくありがちな、回答が出ないまま停止する、あれですね。あのようなエラーで止まったのかな? あの政敵は迷わず「すぐに止めてみせる。この瞬間にも、頼れる精霊の炸裂により身体をバラバラに破壊された者たちが大勢いる」と力強く回答した一方で、シィーさんはうつむいたままだった……。これすら自分の意見を持てないの? いったい、今まで何をしてきたのさ。
こんな感じで時が過ぎていき、取り計られた数々のイベントによって表向き「シィーさん優勢な状況」を生み出しながら、民の審判へと突入です。ところが、本来なら「錆びついた工場……奴隷労働」「返せない借金」「シィーさんの頼れる精霊が豪快に炸裂」「仮想短冊の通貨は近いうち禁止」、ここに……「大不況」、さらには「大精霊の承諾を得ないまま勝手に移り住んだ民を是認した上、不透明なボーナスを毎月支給」まで加わる悲惨な状況ですから、こんな状況からシィーさんがいくら経済対策を主張したところで「おまえは現職だろ? だったら今やれよ!」「仮想短冊の通貨に対する前向きな方針は出せないのかよ! この……が!」などの罵声が次々に飛び交っていたと、フィーさんより伺いました。
まあ、そのような事態から民を守るために大精霊の交代を促すのが民の審判の役割ですよね。こんな状況ですから、結果など、すでに明らかなはず。よって……、表面上は優勢な状況を重ねてはいましたが、案外、接戦には満たない水準となりました。つまり……、あの政敵とは結構な差が開いていましたよ。ああ、やっぱり現職のシィーさんは、あの政の内容では勝てるわけがない。そう感じていた所……、突如、勝敗が決まるまで数日から数週間を要するとのアナウンスがありました。
えっ……? 開票に深夜遅くまで要するとかなら理解できますが、なぜ数日から数週間も要するのか? ……、そうだった。票は「投じる」だけではなく「送る」こともできた。それで、そんな票は遅れて到着することが多く、そのような場合であっても正式に受理され開票されるとのことです。そうして、それらが魔物だった。
送られてきた票が開票される度に、シィーさんの票が一方的に伸びていきます。それにより各地域の勝敗が次々と僅差でシィーさんの勝ちとなっていき、その結果、シィーさんの総取りとなりました。よって、民の審判の結果は「シィーさんの勝利」となったわけです。つまり、ネゲートが懸念していた「票を送る」に対する仮説は……どうやら真実だった。ああ……。
これでは、もやもやした不満が拭いきれませんが、それでも結果が全てです。フィーさんすらこのような結果に対して複雑な想いを抱えながら、今の立場上、祝辞は送っておいたそうです。それでも、あの政敵やネゲートがこの結果に納得するはずがなく、このままでは「内戦」に発展するだろうと……。
内戦って……。その兆候はすでにあります。「自由と楽観を取り戻せ!」というスローガンを掲げた精霊がマッピングで同志を集めていたり、あの政敵も行動力が以前よりも増しており、猛抗議の演説を増やしていました。
ちなみにネゲートは案外楽観的でした。まあ、もともとそんな女神様です。あんな酷い内容で、やれるものならやってみろ、そんな強気な態度を崩しません。インフレが未解決のまま、あのような利率の下げ方では軟着陸どころではなく、長くは持たない。そのうち泣き付いてくるだろう。その時、改めて猛省させた上で、罷免ではなく自ら辞任するよう促すとのことでした。それで、その間の民の生活ですよ。そこはネゲートらしいやり方……あのミームで補うとのことでした。ネゲートに深く共感した精霊がそのミームに価値を投入しているようで、何とかなりそう……、でした。
ところが……。そこに信じ難い速報が飛び込んできました。なんと、ネゲートが捕らえられたって……。その速報を目にした瞬間、頭が真っ白になり、背筋が凍り付くような感覚に襲われました。シィーさんの通貨を危険にさらし、この地に対する大逆の罪って……。シィーさんの周辺では「仮想短冊の通貨は近いうち禁止」なんて噂が立つくらいだ、これ位は平気だよな。実際、「仮想短冊の通貨」を大きく買い支えていた精霊が、シィーさんの勝利が決まったその日、別の地域一帯への脱出を試みたという噂がありました。……。それだけ危険だったにも関わらずあいつは……。
この速報に、フィーさんすらその場でどうすることもできず、固まってしまいました。俺だって、やり場のない怒りをシィーさんにぶつけたいです。大逆って、どうあがいても助からない最も重い罪だよね? ……。
とにかく、このままではネゲートの身が危ういため、その救出方法を探る事になりました。それで……本来なら協力的であるべき姿のあの神々が、この件では尻込みしているのが気に障ります。ネゲートには返せぬほどの恩があると話していたよね?
そんな尻込みをフィーさんが許すはずもなく「フィーの推薦」という推薦状をちらつかせていました。それは、こちらにもある民の審判で自分たちが生き残るためにフィーさんに取り繕ってきたあの神々にとって、ここでフィーさんに嫌われてしまうと「フィーの推薦」を失うことになり、その審判で落ちるのでしょう。それだけはあってはならず、絶対に避けなくてはならない。そんな思惑からか、すぐさま協力的となりました。
またそこには、思い悩んだ表情を浮かべるフィーさんの神官……、ミィーの姿もありました。自分の過去……「渦の件」と、シィーさんによる今回の暴走を照らし合わせているのでしょうか。俺は詳しい事情を知っているだけに、複雑な想いです。
「女神ネゲート様が捕らわれた件について、わたしは女神シィー様に対して猛抗議を出すことになるのです。」
フィーさんのこの発言で、瞬く間に動揺が広がります。
「あの……フィー様、一つよろしいですか?」
「はい、なのです。」
「女神シィー様に抗議をお出しするとなると、その反動というべき障壁の発生、すなわち順調に邁進してきた政に影響が生じてしまい……。」
「つまり、女神ネゲート様を見捨てろと、あなたはそう、わたしに進言しているのですか? それなら、わたしはあなたを先に見捨てるのです。」
「そ、それは……、フィー様! 度重なる失言の数々、大変申し訳ございません!」
「そうなのです。わかればよいのです。」
この件でのフィーさんの本気度が垣間見えます。そして……、フィーさんがネゲート救出に向けた奇策を提言しました。




