128, 狙われたとき、そこにある残高がすべて奪われてしまう点にも着目すべきよ。狙われるのは避けられないため、奪われるのは尻尾分だけで済ませるなどの防御機構は検討されなかったのかしら?
「それは……。」
「それは何かしら、女神ネゲート様? その内容次第では民の安全が脅かされるため、大精霊として看過できないわよ?」
「……。」
ああ……。ネゲートは深い絶望の淵で、助けを求めるかのように俺を見つめてきた。見つめられてもな……、もし莫大な額を奪われたら身の安全的な問題すら生じる点には納得するしかないので……。
「それで、さらに追及したい点があるのよ。よろしいかしら?」
「……。それは何かしら?」
「それはね、狙われたとき、そこにある残高がすべて奪われてしまう点を追求したいのよ。なかなか盲点でしょう。そこで、奪われる瞬間という着眼点から仮想短冊の設計図全体を見直すと……、あら不思議、そこに浮かび上がったのは一つの疑念だったの。」
「一つの疑念……?」
「そうよ。ここで『精霊の推論』が導き出した『シグハッシュオール』が絡んでくるのよ。よろしいかしら?」
いよいよ……「シグハッシュオール」がご登場しました。たしか……、トランザクションを要約する『シグハッシュオール』が、ある条件を満たした短冊に作用するとき、不思議な事象が生じるという点だったかな。
「それは、ただの要約よ。それを基に署名する仕組みになっているだけよ。それがどうしたのよ?」
「ほんと、あなたって……。」
「なによ?」
「短冊が奪われる瞬間を調査したことはあるのかしら? 綺麗に残高がゼロになるのよ。いつも、決まってそうなるの。」
「……。」
「女神ネゲート様。狙われたとき、そこにある残高がすべて奪われてしまう点にも着目すべきよ。公開している以上、狙われるのは避けられないため、奪われるのは尻尾だけで済ませるなどの防御機構は検討されなかったのかしら?」
シィーさんが強く主張したいのは、そこか! そうだよな……。ショーケースには高価な品を置かず、金庫で保管する。そうすれば、防犯だけでなく、万一襲われた場合の備えにもなる。大事だよね。
「それは……。鍵の管理の問題では……?」
「あのね、女神ネゲート様。もし鍵が漏洩したのなら、それはその短冊に対する全権を奪われることになるから、防御機構なんて無意味。残高がゼロになるのは避けられないわ。でも、それは自己責任よ。」
「うん……。」
「今はそのような不手際ではなく『倫理観など欠片もない者』によりコールドなウォレットなどに宿る残高を狙われた場合についての議論よ。それでね、『シグハッシュオール』がくまなくハッシュできていれば、狙われても奪われるのは尻尾分だけで済んだという考察が得られたのよ。」
「なによそれ……?」
「女神ネゲート様、もう……そのゆるさは、ここでお直しください。」
「……、うん。」
「もう……。今一度『シグハッシュオール』に関する『精霊の推論』の考察を思い出すのよ。それは……誤差ベクトルよ。もし誤差ベクトルが生じた場合であっても、その誤差ベクトル自身が『シグハッシュオール』に含まれているのなら、誤差ベクトルの概念が現実に映し出された瞬間にハッシュが変わるため、それにより要求される署名が変わる、あの仕組みよ。」
ネゲートはしばし悩んだ後……、すぐさま理解したようで、奪われる仕組みの概要を話し始めました。
「それって……。誤差ベクトルはトランザクションの入出力の要約に作用するから、普通ではない使い方で誤差ベクトルの概念が短冊とトランザクションに発生するとき、もし誤差ベクトル自身を『シグハッシュオール』に含めていたのなら、誤差ベクトルの概念が現実に映し出された瞬間にハッシュが変わるゆえに誤差ベクトル以上の情報を変更できない。よって、奪われるのは誤差ベクトルの分だけで済むってわけね。……。そういう仕組みか……。」
「女神ネゲート様。そのあたりの論理解読はさすがね、即答だわ。その誤差ベクトルが『シグハッシュオール』に含まれていないため、そこに『ゆるさ』が発生してしまうのよ。つまり、生じた誤差ベクトルを変更してもハッシュが変わらないので、変え放題。そしたら『倫理観など欠片もない者』は何の迷いもなく『残高』に関わるフィールドを操作するわ。それで残高がゼロになるまで奪われるのよ。」
誤差ベクトルという表現で俺はお手上げですが、「シグハッシュオール」はゆるい、そこは理解できました。
「そうなるわ。」
「女神ネゲート様。この現象はフィクションやファンタジーの類ではなく、現実に仮想短冊の通貨で起きているのよ。」
「そうね……。」
「そこで、疑念についてよ。これについては私だって言いたくないけど……、このゆるさ、わざとではないわよね? 設計時、この現象に気が付いていないとは考えにくいのよ。」
「……。それ以上、その疑念について述べるのは、女神として許さないわよ。」
「わかったわ。今のは聞き流して。悪かった。そこは、信じることにする。そこで、よろしいかしら?」
「えっ……、なにかしら?」
急にシィーさんの表情がほころび、穏やかな空気が漂い始めた。なんだろう。
「この雰囲気のまま、この公開チャンネルを終えたらどうなるのか。私は若い民の支持を全面的に失い、『時代を創る大精霊』の座から滑り落ちる事でしょう。そうよね、女神ネゲート様?」
「急になによ? ……、でも、そうなるわね。」
「そこで私は事前に『大精霊の推論』を用いて、このようなチェーンに絡む問題の解決に挑んでおいたのよ。そのように限界を超えて論理を捻り出せば、一つくらいは光るアイデアが生まれるのよ。そうやって、人や精霊は成長してきたのよね。」
おやおや……。そこでフィーさんが頑なに反対する「大精霊の推論」か……。でも、そこから解決策が出てくるなんて。
「『大精霊の推論』……。まるでわたしを模したような名を与えたようね? それでシィーは女神になるのかしら……?」
「そうよ。でも……、この公開チャンネルで私は女神に向いていない事がはっきりと理解できたわ。だから、女神は諦める。」
……。
「そう……。それならわたしもこの場でゆるいのを改め、デプロイの際には万全を期すために事前のチェックを欠かさないことに決めたわ。」
「えっと……、女神ネゲート様……。チェック、していなかったのね……。うん、それでこそ女神ネゲート様。」
「な、なによ?」
静寂に包まれていたコメントが、次第に活気づいてきました。でも……、そこはチェック不要で、なんてのも……。ああ……。
それでも、このまま事態が悪化していくのではと危惧していたが、急に和やかな雰囲気になり、冗談まで交わし始めたので安心しました。そして、ネゲートはふと話を本題に移す。
「それではシィー、その解決策とは何かしら? その内容次第で、若い民の票がどちらに向かうのか、決まるわ。」
「それでは、私のご支持をお願いしたいわ。その解決策とは、そう……。これから出てくると思われる『鍵の集約』を工夫するのよ。ちなみに、ただ鍵を集約するだけでは『マルチシグ』の延長にしかならないわ。そこで、『精霊の推論』によって考察された各悪影響をこの集約にぶつけるのよ。すると、光るアイデアがそこに一つだけ落ちていた。いかがかしら? 興味あるわよね、女神ネゲート様?」
「それは線形性を活用した『鍵の集約』のことね。そこに、解決策があったとは。でも、ただ集約するだけではダメなのね?」
「そうよ。それだとコンパクトな『マルチシグ』になるだけで、解決策にはならないわ。そこで、なのよ。」
えーと、鍵の集約の原理なんてよくわかりませんが、どうやら新しい鍵の方式ようですね……。鍵か。そうか……。俺はふと、思いにふけった。




