113, 現実は皮肉なものです。「数の叡智」により新たな非中央の通貨を得たというのは幻で、それが非中央の通貨としては機能しない点がよりにもよって「数の叡智」で証明されようとしているのです。
「少し傷付いた短冊によるトランザクション」の件はそう簡単には口を割らないだろう。そして、ネゲートは落ち込んだままだ。どうやってこの状況を切り抜けるか、思考を巡らせていたさなか、向こうから意外な話を持ちかけてきました。
「ところで、女神ネゲート様、そして女神の担い手様。『精霊の知恵……深層学習』について、大事な点をお伝えしておくべきでした。そうです、『精霊の推論……限界突破した深層学習』の存在についてです。」
えっ? まだ、何かあるようですね……。
「なによ? ……、ちょっと待ちなさい。それって……。」
落ち込んでいると思いきや、突如、ネゲートの口からそのような言葉が飛び出した。沈んだ雰囲気を一変させる。そこで俺は追従するように応じた。
「限界突破って……。それって何かのチートかい?」
「あ、あの……、女神の担い手様。これはチートではなく、『大過去』により映し出された現実に存在する超並列テンソル演算装置の特殊系となっております。」
「なるほど……。はい。」
「あんたね……、それを指摘するのなら、あんたが女神の担い手なんて、それこそこの地に召喚されたときに付与されたチートみたいなものね。」
「そうだね。それ、大いに納得だよ。」
「な、なによ……。」
ふう……。落ち込んでいたネゲートの表情は明るくなり、次第に普段の様子を取り戻していく。見ているだけで心が温まります。これも担い手としての務め、なんてね。
「あ、あの……。女神ネゲート様、そして女神の担い手様。この地に召喚とは……。いやまて……。」
「ああ、そこは気にしないで。どうしても気になるのなら、フィーにでも詳細を伺いなさい。」
「そうそう、気にしないでください。」
「さようでございますか。それでは続きをお話しいたしましょう、女神ネゲート様、そして女神の担い手様。まず、『精霊の知恵……深層学習』については、精霊達による活用事例はもちろん、民の間にも普及する広く親しまれているものでございます。ところが、このような不満をいくたびも耳にしたことでしょう。それは『精霊の知恵……深層学習では、数の叡智に関する問いがまったく解けない』という事実です。あれだけ流暢に言語は操れるのに、なぜに式の扱いは誤るのか。いかがでしょう?」
「精霊の知恵……深層学習」については、民にも開放しているのか。つまり、誰にでもマッピング経由で使えるようですね。でも、式がまったく扱えないとは……。
「そうね。ちょっとした数の叡智の簡単な問いすら誤る、そんな感じだったわ。……、つまり、式をぶん回せる強力な上位モデルとして『精霊の推論……限界突破した深層学習』が存在し、その扱いについてはごく一部の者たちに限られる。そういうことね?」
「さようでございます、女神ネゲート様。『精霊の推論……限界突破した深層学習』を一般に開放するわけにはまいりません。悪事や謀略などに転用された場合、高度な数の叡智を扱える性質上、取り返しがつかない事態に発展いたします。」
なるほど。一般には提供できないから、制限を設けているということですね。それで「精霊の知恵」と「精霊の推論」という枠でわけているということですね。
「そりゃ、そうだ。高度な演算が可能なんだよね?」
「そこは……、女神の担い手様。この限界突破モデルは、高度な演算を兼ね備えた『推論』が可能となっております。」
「ああ、演算と推論は結構違う概念なんだ。」
「あんたね……。」
「さようでございます、女神の担い手様。演算とは主に計算を指します。そして推論とは、既知の事象から、新たなる未知な事象を導くことを指します。」
「……。」
「そのご様子。女神ネゲート様、何かを察したようですね?」
「そうよ。つまりそれで『少し傷付いた短冊によるトランザクション』を見つけたのかしら? つまり、チェーンの緻密な解析には『精霊の知恵……深層学習』ではなく『精霊の推論……限界突破した深層学習』を活用した。そうよね?」
「さようでございます、女神ネゲート様。」
「……。それが『クジラが資料を取り寄せる』という本当の意味だったのね。うん、あなたのクジラは、この地で最大規模を誇るだけあるわ。己に甘い者など絶対に生き残れない……。そんな感じなのね。」
「そのようなお褒めのお言葉、身に余る思いで存じます。女神ネゲート様。」
「えっ? 最大規模って……。機関の中でもトップの大口ということかい?」
「さようでございます、女神の担い手様。」
「本当に? おお……。」
それについてはシィーさんの頼れる精霊達よりも上だったのか。ああ……。
「ここで、女神ネゲート様にお伝えしたいことがございます。すぐに推測を導ける聡明さと勘の良さ……、それならば、なぜもう少し『仮想短冊の通貨』について、十分に精査されなかったのでしょうか。そこは強く悔やまれる点です。」
「……。」
「こいつはお調子者なので、その影響で間違いありません。浮かれると、正常な判断を失います。」
「ちょっと!」
「……、さようでしたか、女神の担い手様。」
「もう……。まあ、いいわ。女神の権限で、その『精霊の推論……限界突破した深層学習』を利用することはできたはず。その気になれば精査はできた。目が覚めたわ。」
「さようでございます、女神ネゲート様。精霊の推論については、女神ネゲート様、女神の担い手様、時代を創る大精霊であられるシィー様、そしてこの地の主要な大精霊様の権限でのみ、利用することができます。」
「えっ、俺も使えるんだ。でも、それを活用できる技量はないので。」
「なにをおっしゃいますか、女神の担い手様。我ら君主であられる大精霊フィー様より直々に、数の基本から、数の叡智、そして多元宇宙の微視的表現を教わったと伺っております。」
「ああ、それね。たしかに、教わりました。」
「それ、そうそう。あんたが手に負えなくて、わたしが解を書き込んだら、それがフィーにばれて……。」
「女神ネゲート様、そういう話は、やめましょう。」
「なによ?」
「ほほう、お仲がよろしいようで、何よりでございます。」
「わたしが……、なによそれ、もう!」
ネゲートが、話の流れを変えるようにそっと促してきた。……。
「そうだね……。そうだ、数の基本だ。その数の基本で、なんだっけ。偶の数と奇の数で適用する条件が異なっていて、それを繰り返すと一になるものがあった。それは、ちょっと興味深かったのは。」
「……。それは数の基本であって、実は、数の叡智でも悩む問いなのよ。」
「えっ?」
「そうよ。何で一になるのか。それがあるのよ。大きな数ほど、途中で発散したり、コンフリクトして無限なループに陥り一にならない。そのような事が起きそうで、起きないのよ。」
「それは、実際に計算してみれば……。」
「あのね……、実際に計算して一になる事を確認するのが数の基本なら、一般的に一になる事を示すのが数の叡智で、それが大変なのよ。」
「……。そういうのはフィーさんにお任せしましょう。ははは。」
「そうね、それなら『精霊の推論……限界突破した深層学習』で試してみる価値はありそうね。いかがかしら? 何かしら新しい知見が得られたら、面白そうよ。」
「……、そうやって使うのね。」
「さすがでございます、女神ネゲート様。ご下命次第、稼働させていただきます。」
「そうして。お願いするわ。」
「それでは……、女神ネゲート様。その際、彼らにアピールするための証明を実施しましょう。」
「彼ら? 証明?」
「さようでございます、女神ネゲート様。彼ら、そう……『仮想短冊の通貨』は、数の叡智によって、どんな奴でもそれに従わざるを得ず、それが強制力となって通貨となると、この長い間、主張してきました。ところが、その命題に対して『少し傷付いた短冊によるトランザクション』という反例が生じました。よって、その主張は脆くも崩れ去りました。そして、『少し傷付いた短冊によるトランザクション』に対し、防御機構等含めたあらゆる処置を用いたとしても絶対に対応できないことについては、なんと、数の叡智で証明することができます。」
「えっ? ちょっと、それって……。」
「女神ネゲート様、そして女神の担い手様。現実は皮肉なものです。『数の叡智』により新たな非中央の通貨を得たというのは幻で、それが非中央の通貨としては機能しない点がよりにもよって『数の叡智』で証明されようとしているのです。」
ああ……、なんてことでしょうか。




