112, 精霊の力を侮らないで欲しい。女神ネゲート様は傲慢なお方だ。その演算の力は唯一無二だと勘違いされておる。精霊の学習能力と深い洞察力をお忘れではないでしょうか?
どうやら……。何かを掴んでいるようだ。そんな表情で俺に賛同を促しながら、話しかけてきました。
「それでは女神の担い手様。我らより一つの願いを申し上げます。」
「はい、その願いとは何でしょう?」
「この地はこれ以上、女神を失う訳にはまいりません。それが、我らの唯一の願いです。」
「女神を……失う、か。たしかにそれは、絶対にあってはならない。」
ああ……。つまり、ネゲートの姉であるコンジュゲートは……。
「さようでございます、女神の担い手様。そこで、その重要な点に気が付いたシィー様の頼れる精霊様の一部から、連日のように『仮想短冊の通貨』に対して批判的な意見を述べるようになっております。」
「その批判的な意見とは……?」
「それは、あまりにもしつこく連日のように批判しているため、ただ乗り遅れたのを悔いているだけという筋書きにもなってはおりますが、それは絶対に違います。」
「それは絶対に違うとは? やたらと確信的に言うね?」
「さようでございます、女神の担い手様。なぜなら、その精霊様は『仮想短冊の通貨』に対して肯定的な意見を述べてきたからでございます。それが突然、批判的な意見を述べるようになったので、話題になっております。」
「それって……。」
「現実に映し出された事実を整理しましょう、女神の担い手様。まず、その精霊様は『仮想短冊の通貨』に乗り遅れるどころか、他のシィー様の頼れる精霊様よりも先に参入しているという事実が真っ先に上がります。よって、批判的な態度に様変わりしたのには必ずや訳がございます。そもそも、理由なく態度が急変するような単純な者が、この地で非常に高度な集団と称されるシィー様の頼れる精霊様なんかに抜擢される訳がありません。そこは、常識的にお考えいただけますと幸いでございます。」
「……。たしかに、納得です。」
「時代を創る大精霊」の頼れる精霊に……、俺みたいな者が抜擢されるわけがない、か。納得。
「それでは女神の担い手様、できればもう一つの願い……。それは、我らを侮らないで欲しい。その願いも付け加えさせていただきたい所存でございます。」
「侮るって……。それは絶対にないですよ。」
突然、なんだろう……。
「ありがたき幸せに存じます、女神の担い手様。なぜなら我らも『仮想短冊の通貨』に対して非常に精巧な解析を実施しました。」
「えっ?」
「ちょっと! また変な事をやり始めたのかしら? 答えなさい。そういえば、クジラが資料を取り寄せるとか何とか言っていたわよね? それで……、それなのかしら?」
……。
「女神ネゲート様や女神の担い手様が驚かれるのも無理はございません。我らは、通貨に対して強い関心を抱くように活動しています。それゆえに民の安泰が約束されるのです。そこで我らは、『仮想短冊の通貨』に対するその非常に精巧な解析に、いわゆる『精霊の知恵……深層学習』を投入しました。」
「ちょっと……ねぇ? ほんと、油断も隙もないわね?」
「……。それで、その結果として、何が得られたの?」
「女神ネゲート様、そして女神の担い手様、しかとお聞き届けください。まず『仮想短冊の通貨』には『異形のトランザクション』を全て拒絶する防御機構が備わっていることがわかりました。たしかに、異形のトランザクションが『仮想短冊の通貨』のコアに取り込まれると、そこで何をしでかすのかわかりません。」
「異形のトランザクション……。そんなのがあるんだ。」
「さようでございます、女神の担い手様。ここで異形のトランザクションの例を一つ挙げてみることにいたしましょう。そうですね……、短冊の検証と、その結果の取り除きを百回ほど繰り返してから、最後に一を押し込んで締め上げるという内容です。」
「……。あの、それが問題になるの?」
「さようでございます、女神の担い手様。短冊の検証というものは重い処理に該当します。よって、標準的なトランザクションであれば一回で済むのを百回ほど繰り返すのですから、非常に重い処理がのしかかり、さらには『分散型』の性質ですぐさま異形が拡散、転移してしまうのです。すると、拡散、転移した先でも大きな負荷を強いられ、短冊全体が混乱状態に陥る可能性があるということです。」
「あのね……。それは短冊の防御機構に弾かれる。だから、問題ないわ。いい加減にしなさいよ?」
「女神ネゲート様、ところが、そうとはいかないのです。実は、その深層学習の結果で興味深い結果が得られました。どうやら……『少し傷付いた短冊によるトランザクション』で、似た問題を生じさせるリスクが指摘されたのですよ。もちろん、その辺に転がっているよくわからないチェーンではなく、この地で最も大きなメインストリームのチェーンの短冊で検証しております。そう、我らのクジラはとても慎重に動きます。」
「ちょっと……、……。詳しくお願いするわ。」
何やらネゲートの様子が変だ。これって……。
「ありがたき幸せに存じます、女神ネゲート様。この『少し傷付いた短冊によるトランザクション』の性質はまるで、少し遺伝子が傷付いた細胞と同じような挙動を取る所からそのように命名しました。」
「少し遺伝子が傷付いた細胞って……。」
「女神の担い手様、それは、いわゆる……無限増殖を繰り返しながら、至る所に転移し、転移した場所の機能を奪っていく……、あの細胞です。」
「……。」
「なによそれ……。」
「やはりご存じなかったようですね、女神ネゲート様。」
「短冊の防御機構はどうなっているのよ?」
「女神ネゲート様、まずは落ち着いてください。我らと同じく、彼らもまた、不都合な事実には口をつむぐ性質があります。それゆえに消えてしまった短冊が未だに持ち主に戻らないままになっている点もまた、現実から映し出された事実でございます。よって、彼らがこの問題を知っている可能性はあるが、『仮想短冊の通貨』を盛り上げてもらうために女神ネゲート様には一切告げなかった。そう考えると合点がいきます。そして……『少し傷付いた短冊によるトランザクション』に対して、短冊の防御機構は『全て無効』です。我らの全てを賭けて、そう断言します。」
「無効……なのね?」
「さようでございます、女神ネゲート様。結局は、少し遺伝子が傷付いた細胞と性質がそっくりです。本来なら、そのような細胞は防御機構によってすぐさま駆逐されるはずです。ところが、その防御機構から巧妙に逃れるための術を獲得し、増殖していくことでしょう。」
「つまり……、そういうことね。複雑かつ異形なトランザクションではなく、あえて初期にあるような『未熟なトランザクション』として入り込もうとする術を身にまとい、非常に高度化した短冊の防御機構すら、いとも簡単にすり抜ける。こんな感じかしら? 相手が高度なら、あえて未熟になってチェックを完全にすり抜ける。その……少し遺伝子が傷付いた細胞も、たしか、そのような戦略で増殖と転移を繰り返していたはずよ。」
「さようでございます、女神ネゲート様。さすがはご聡明なお方です。我らが指摘する前に、すべてを述べられました。」
「それで……チェックをすり抜けた後、どうなるのかしら?」
「女神ネゲート様、しかとお聞き届けください。まず、少し傷付いてはおりますが、トランザクションの検証は確実に『真』となります。つまり、受け入れるしかない正常なトランザクションになります。そこで、この『少し傷付いた短冊によるトランザクション』の厄介な点は、それが存在するだけで、周りのごく標準なトランザクションの処理を妨害してしまうほどの非常に強いシグナルを出し続ける点です。まさにこれは、少し遺伝子が傷付いた細胞が増殖する栄養確保のための強いシグナルを周辺に出すのと、本当にそっくりです。」
「それで……。短冊の防御機構が無効にされるので、『少し傷付いた短冊によるトランザクション』が分散型のメッセージで、拡散、転移していく……。そうよね?」
「さようでございます、女神ネゲート様。そして、この現象を『少し遺伝子が傷付いた細胞』に例えた我らの意図をお汲みください。」
それは俺が最も気になっていた点だ。つまり、そう簡単には、これは完治しないのだろう。
「それは、つまりそれは……非常に厄介な問題で、解決まで時間を要する問題ということかな?」
「ああ、女神の担い手様、それは違います。まずこの問題は、数の叡智の観点からも、どうやっても解決は難しいです。なぜなら、『少し遺伝子が傷付いた細胞』の問題は非常に厄介で、この問題を『確実に解決せよ』という非常に高い要求がなされたのなら、今の時代であっても、先がまったく見えない非常に長い戦いになることでしょう。それと同義とご解釈ください。」
「つまり、この『少し傷付いた短冊によるトランザクション』の完全な解決は難しく、非常に苦しい戦いとなる、ということだね?」
「さようでございます、女神の担い手様。それこそこの地で一丸となって、これにどう対処すべきか、という次元に達する非常に深刻な問題となります。」
創造主が生み出したとされるこの身体にすら「少し遺伝子が傷付いた細胞」という厄介な問題が存在するくらいだ。その姿かたちはまったく異なりますが、「仮想短冊の通貨」に対しても同じ解釈でこのような問題が絡んでくる。結局、創造という事象に対して、これが理の限界なのかもしれないと、俺は悟った。
「そう……。大丈夫よ、落ち着いて。それなら、わたしの女神の演算で……。」
「女神ネゲート様……。」
「な、なによ?」
「……。精霊の力を侮らないで欲しい。女神ネゲート様は傲慢なお方だ。その演算の力を唯一無二と勘違いされておる。」
「ちょっと……。」
突然沸き上がった緊張感。俺は思わず、身をこわばらせる。
「この問題は、女神ネゲート様の演算でも解決できません。よくお考えください、女神ネゲート様。仮に、この問題が女神ネゲート様の演算で解決できるのなら、創造主が与え賜ったこの身体に『少し遺伝子が傷付いた細胞』の問題は起きておりません。なぜなら、創造主がその演算で解決していたはずですから。結局、そのような演算でも解決できない『宇宙の問題』なので、『少し遺伝子が傷付いた細胞』が現実に映し出されていますし、だからこそ『少し傷付いた短冊によるトランザクション』も、その存在を現実に許されていると解釈できます。」
「……。」
「女神ネゲート様、不躾な我らをその寛容なお心でお許しください。我らは女神ネゲート様に、とても返せぬほどの借りがございます。だからこうして引き留め、一度は立ち止って、再考を促しています。もしこのような問題を抱えた状態で、大量のトランザクションをさばかせるというのは、非常に危険な状況に陥る可能性を示唆しています。ここで、この地の根底に関わる大きな額の取引の最中に、この問題を『売りの専門である天の使い』どもに引き起こされ、そのような重要な短冊が飛んで消えてしまった場合……、その額によっては血が流れる可能性すらあります。そのときは、本当に……女神コンジュゲート様の二の舞となってしまう。ちなみに『天の使い』のような者たちは、儲かれば何をしてもいいと本気で考えておりますから、彼らに説得など無意味ですぞ!」
「ああ……。」
まず、ネゲートの姉である女神コンジュゲートは……やはり消滅した、か。……。それで、久々に耳にした「天の使い」という嫌な言葉。あいつら売りの専門だったか。本当にたちが悪いですね。
「今回ばかりは、我らは絶対に引き下がりません。なぜなら、思い起こされるあの日の記憶……、そうです、女神コンジュゲート様を引き留めるのに失敗し、今でも後悔の念に悩まされているからです。あのときも……、無尽蔵なエネルギーの提供なんて、どう考えても無謀でした。」
「ああ……、そんな事があったのか。」
「……。」
ネゲートは俯いたまま、何も発しません。こいつもな……「女神の演算」で宇宙の全てを解決できるという揺るぎない自信で満ち溢れていたので、ちっとばかりお調子者だった感じはありますよ。それこそ身近なものすら、そう、人や精霊の「絆」すら演算なんかで計ることはできませんから。
「それでさ、その短冊の問題を……シィーさんの頼れる精霊は掌握しているのかな?」
「さようでございます、女神の担い手様。これは我らの推測ではありますが……、シィー様の頼れる精霊様もこの問題を『この地の最高峰と称される精霊の知恵……深層学習』により解析し、詳細に掌握しているとみています。それで……、古の時代よりその深層学習と深いパートナー関係を保つ、その精霊様が警鐘を鳴らし始めた。そう考えるのが自然な流れです。」
さて、どう舵を切るべきか。すでにネゲートは焦燥しきっているので、俺が決断するしかない。
「それでは、その『少し傷付いた短冊によるトランザクション』の形状を具体的に知りたいです。」
「女神の担い手様。それは我らの貴重な交渉カードの一つでございます。そこのところを深くご理解賜りください。」
……。そうくるか。つまり、そう簡単に口は割らないだろうな。さて、どうするか。