プロローグ
「少し前……、いや、ほんのちょっと前だ! あの、あの熱狂はどこに消えた!?」
朝っぱらから、次々に積まれていく他人様の売り注文に吐き気を覚えつつ、汗ばむ指先で執拗にマウスを連打した。もうそれらが、右なのか、左なのか、わからない。とにかく、すべてをぶん投げる売り注文は入ったはずだ。
よし……、たしかに、たしかに、たしかに、俺の売り注文が確認できた。何度も確認してしまい、そして、その度に僅かだが、落ち着きを取り戻していく。
……。いつもながら、気が付かないうちに調子に乗っていて、最後はこの展開なんだよな。しかも今回は、こんな相場は「最後かな」と勘違いして、いつもなら絶対にやらない「全力で買ったまま翌日に持ち越す」という、もはや言い訳すらできない愚かな行いを、何の考えもなく実行してしまいました!
自分以外は信じるな。それは、わかっています。いや、わかっていないんだろうな。今回は、何度も世間に向けて連呼されていた「しっかりと回復してきている」という言葉に油断して買い込んだという、思い出したくもないはめ込みに、笑顔で全力で突っ込んだ訳か……。うっ……、吐き気が戻ってきた。
こんな言い訳を並べている時間があるなら、日頃から、危険な臭いを見抜く能力を磨いておけば良かったと、何度も何度も後悔するんです。そして、それが……、後悔では済まなくなりました。
「………………。」
これは……、果たして、売れるのでしょうか。普段と、何かが違う。なんで、こんな時に全力持ち越したんだよ、俺。いつもの日常……、そうです、リバウンド狙いで構えているだけなら、なんと、気楽だったでしょうか!
何度も、何度も、売り数量をじっとみつめてしまう。いつもなら、持ち越した個人をあざ笑うような、大口の暇つぶし、いや、お遊びの売り注文というべきか、そういうのも多いため、急に売りが減って買ってもらえることが多いんです。まあ、そこがリバウンド狙いの作用点なのですが。
でも、でも! 今日のは違う。俺の本能が、それを訴えてきています。その辺を飛び回る虫にすら備わる、逃げたい気持ちを大幅に増幅させる、あの嫌な本能です。なぜならこれ……、「本気」の売り数量だからです。暇つぶしやお遊びではない、本気の、本気の売りです。こんな日に持ち越しとは……、絶望を通り過ごして微かに笑ってしまった! ハハハッ! 全部さ、大口の手の平で踊らされ、すべての絶望を押し付けられる、そういう運命だったみたいですね、俺!
震える腕を伸ばして、そっとマウスを握り、おそるおそる「主要」銘柄の一覧を開いてみた。そこには、俺が好んで買うような狂ったものではなく、ちゃんとした銘柄の一覧が並んでいます。それで、なぜこのタイミングで、これを開きたくなったのだろうか。見なきゃいいのに! いや、この時は、なぜか見ずにはいられなかった。そして、いつもなら、無数に散りばめられた数字が、ピカピカ光りながら踊っているはずなのですが……。
……。全面「真っ黒」で、停止したかのような「主要」銘柄の一覧。えっ? なにが起きたの? まさか……主要の大半にすら、売り注文が膨らみ過ぎて値が付いていないのか!? その瞬間、無意識に胃の内容物をすべて吐き出してしまった。それすらを認識できず、そこに顔をうずめて、頭を抱え込んだ。そのまま掻きむしり、無数に抜け落ちた髪が、先ほどまで朝食だった汚物の上に積もっていく。