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宝玉の乙女  作者: ありさと
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喪失と新たなる道

私はその日、久し振りに浴槽に湯を溜めて、ゆっくりとお風呂に浸かった。

いつも何だかんだで体力は残り少なく、浴槽を洗って湯を溜めてという行程が酷く怠く思っていたからだ。だから手間の少ないシャワーだけで済ませていた。


「ふは~・・・気持ちいい~・・」


約一年前、築八十年のかなり古い山林畑付きの家を購入した。雨漏りこそはないものの、歩けば床板は軋み今にも踏み抜いてしまいそうな程に古い家だった。勿論風呂トイレの水場も年季が入っていたが、途中でリフォームされておりボットン便所や五右衛門風呂といったものではなかった。だが確実に時代を感じる造りではあった。

トレイは水洗であったからそのまま壁紙を張り替えただけで済ませたが、お風呂は業者に依頼してユニットバスにした。お陰で掃除は楽なのだが、それさえも面倒に感じてしまうほど疲れていたのだ。


「よし、今日は最近サボってた手入れを徹底的にしよう!」


この家を買ったのは丁度四十歳を迎えた年だ。つまり今は四十一歳。手入れを怠れば簡単に衰えるのだ。本来であればより手入れに気を遣わねばならなかったのだが、生活の安定の為の作業を優先しすぎてしまっていた。

いくら半隠居状態の環境を整えたとはいえ、年に三~六ヶ月は働きに出なくてはならないのだ。そして働くのであれば、見目を保つのはこの年齢であってもそれなりに必要な事なのだ。というかそもそも手入れは趣味のようなものに近い。執着する程ではないが、していて楽しいと思えるものだ。


「今日は泥パックにしようかな、それか炭か酒麹か米糠か・・汚れてるだろうし、炭にしようかな。トリートメントはお気に入りのアレだな~体はどうしよっかな。入浴剤でいっか」


ここ一年の床板や壁紙の張り替えや棚作りなどのDIY、それから自給自足の為の家庭菜園に家畜の小屋作り含めた世話等で、手の皮は少し分厚くなり、カサつきも目立つ。足の裏はパンプスをずっと履いていた時期に比べると状態は良くなった気がする。


「ふふふ~ん♪」


歌を歌っていれば時間が過ぎるのはあっという間で、炭パックを洗い流せば肌には潤いを感じ、トリートメントを洗い流せば髪には輝きと指通りの良さを感じる事ができる。

追い炊きをしながら湯に浸かっていれば、うつらうつらと眠気が襲ってきた。ほんの少しだけ寝てしまおうか。

そう思って瞼を閉じた。

その瞬間、突然体が冷たい水の中に放り出された。驚きのあまり叫び声を上げることさえ出来ずに立ち上がる。

目を開けているはずなのに視界は真っ暗で、理解できない現象に少しの間呼吸を忘れて固まってしまった。


「ふ~・・・」


ゆっくりと静かに息を吐く。呼吸を思い出したら体が活動することを思い出したかのように動き出した。心臓がやけに煩く鳴っている。

立ち上がる時、確かに手は浴槽の縁のようなものを支えにしていた。家の浴槽とは違う、角張ったものだった。暗闇の中手探りでその位置を確かめる。手に触れたのは確かに石のような冷たく固いもので、一応は座れる程度の幅もある。

冷たい水にいつまでも足を浸けているのは宜しくない。縁に座り、水から片足を出して、反対側の空間に足を下ろす。何も見えない状態で動くのは恐ろしかった。ここは恐らく私の知る浴室ではない。もしかしたら足を下ろした先は何も無いかもしれない。危険な生物がいるかもしれない。そう思うと足が竦む。けれど今足が片方浸かっているこの水の中も安全だとは言い切れない。そんな嫌な思考ばかりが頭の中をぐるぐると回っている。


「ふ~・・・」


 落ち着け。大丈夫だ。視界は暗闇で遮られていても、鼻は利くのだ。

 ここは澄んだ水の匂いしかしない。土臭さもなければ、動物園のような生き物特有の臭いもしない。生臭さとかそういったものもないから、恐らく魚等もいないだろう。

 自分を鼓舞して奮える足を伸ばせば、冷たい床に触れた。縁の高さは丁度足の長さと同じくらいの高さだった。もう少し高さがあれば、床がない可能性を捨てきれずに動けなくなっていただろう。それでもその床が崩れないという保障も、続いているという保障もない。縁を掴まえたまま少しずつ床に体重を乗せていく。全体重を乗せても崩れないことにほっとしながら、今度はその床がどこまで続いているのか足で探る。取り敢えず伸ばせる範囲までは続いているようだ。


「分かってたけど、ここ、家じゃないな・・」


 途中で意識が途絶えた訳でもないのに、突然場所が変わった。意味が分からない。しかしこうして落ち着いていられるのは、昔よく読んでいた小説やマンガで異世界転移というものを知っているからだろう。現実には当てはまる現象はなくとも、空想の世界では似たような現象がある。それを結び付けてしまうあたりはどうにもオタクくさいが、それで多少の落ち着きを得られるならば悪いことでもない。


 水が入っている入れ物から離れれば、チョロチョロと少しの水音がしている事に気が付く。先ほどまで自分が立てる水音に混じっていて気付かなかった。無音の空間よりも少しだけでも音がある方が落ち着く気がした。水音の方へ向かおうと思ったが、音か反響して方向がよく分からない。

 座り込んで足を伸ばせば階段が数段あり、その先にまだ床が暫く続いていることを知ることが出来る。そのまま少しずつ移動して、漸く壁へとたどり着く。後は扉を探すだけだ。あればの話ではあるが、あると信じたい。突然床がなくなったり崩れたりする妄想を消し去ることが出来ない。歩みは随分と襲いが、取り敢えず進む事は出来ている。時々装飾のような凹凸が手に触れる。


慎重に進んでいると、何かが動く気配がした。

息を殺して様子を伺う。何かいるのだろうか、危険な生物ではないだろうか、嫌な想像ばかりが頭を掠める。

ああ、心臓の音がうるさい。耳鳴りがしそうだ。


「ふ~・・」


暫く待っていても状況は変わらなかった。気の所為だったのかもしれない。暗闇で神経質になっているのだろう。ゆっくりと静かに息を吐き気持ちを落ち着けて、また足を動かす。少し、震えている。

漸く扉のようなものを探し当てることが出来た。冷たい石の感覚から、恐らくこれは木の感触か、冷たさが和らいだ。

 取っ手らしきものにも辿り着き安心したのもつかの間、押しても引いても開かない。ドアノブではないので回すことは出来ない。引き戸かと思い横にスライドさせてみようとするもそれも動かない。重厚な扉はそれだけ動かそうとしても音一つ立てなかった。扉ではないのかもしれない。そう思いまた壁伝いに動こうとしたとき、ガチャリと木造の壁の向こうから音がした。


 ゆっくりと開かれる扉を見て、なるほど鍵が掛かっていたのか。そう思った。


現れたのは銀髪を腰まで伸ばした男で、薄明かりで色素の薄い肌と鮮やかな緑色の虹彩が浮かび上がっていた。多分、凄く整った顔をしている。


「ここは立入禁止区域ですよ」

「立ち入った覚えはないんですが、突然ここにいたんです」

「・・・住まいは?」

「東京の池袋・・」

「東京・・良いでしょう。事情を伺います。これを」


銀髪の男は羽織りを外すと私に掛けた。そういえば裸だった。


「ありがとうございます」

「こちらへ」

「あ、少し待って下さい」


明かりがあるのなら、今いた場所を確認しておきたい。

私の体から滴り落ちた水が道しるべとなっている。目で追えば最初にいた水の中が中央にある祭壇にも見えるものなのだと分かる。


「灯りはお持ちではありませんか?」

「ありません」

「そうですか」


祭壇へと足を進めようとすれば、銀髪の男が手を取り引き止める。


「仕事の合間で来ていますので、時間はあまりないのです」

「直ぐに終わります」


祭壇へ近付けば先程とは違い、暗いながらも輪郭が確認出来る。しかしそこに水の流れる場所はない。奥へ目線をやれば祭壇の斜め右奥に手洗い場のようなものを見つける。水音はあれか。

降りる時は出口から遠い方へと降りたらしい。ただ真っ直ぐ進んでいるつもりだったが、水音を意識していたからか、水場に寄るように水跡が残っている。どの方向にあるか理解は出来ていなかったが、無意識下では認識出来ていたのかもしれない。


(あの時、多分誰かがいた、気がする)


隠れるようなスペースはないように見えるが、部屋は全体的に暗くて構造は不明だ。祭壇より奥へと進もうとすれば、銀髪の男に再び手を取られる。


「また後日、確認の機会は設けましょう。手続きを先に行わなくては、今夜貴方が過ごす場所が牢屋になります」

「・・・はい。分かりました」


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