08
【8】
ゆっくりと瞼を開ける。
射し込んでくる光が少し眩しかった。
目覚めた時、僕は草原ではなく、ベッドの上に横たわっていた。
そこは、見慣れた家だった。
金色の髪。マリーと同じ水色の双眸が、僕をじっと見ている。
その二つの瞳から、涙が溢れ出す。
「……リアナ」
僕は、静かに恋人の名前を呼んだ。
「バート……。よかった……」
リアナが僕に抱きついてきた。
彼女の身体は震えていた。
「よかった……ホントに良かった……」
そればかり、涙声で繰り返す。
彼女の流した涙のひと雫が、僕の唇に落ちる。
それは……あたたかい涙だった。
リアナの体温が僕に伝わってくる。
彼女の鼓動が伝わってくる。
優しくて安心できる響きだった。
……穏やかな愛しさを感じる。
また、リアナの涙が僕の唇へと滑り落ちる。
……おんなじだ。僕は気づいた。
この涙……あの時の……精霊が降らせてくれた、あの雨と同じ……。
……そうか、そうだったのか。
あの雨は、リアナの涙だったんだ。
そして、あの温かさ……。
あれもリアナの想いだったんだ。
いつも側で感じていた、彼女の優しさと温かさ。今も僕の心が感じているものと同じ。
……虹の飴。あの飴は、僕の大切な人の愛情……その純粋な想いの結晶だったんだろう。
だから、マリーは言ったんだ。虹の飴は、僕のための物だと。
リアナはまだ泣いている。
こんなに大切に思っているのに。
どうして、僕は忘れてしまったんだろう。
僕はなんて薄情な奴なんだ。
自分自身に怒りを覚えた。
「うっ……」
身体に鋭い痛みが走った。
顔をしかめた僕に、リアナが慌てたように離れる。
それで、僕は初めて、自分の身体があちこち包帯だらけなのに気づいた。
額に触れると、そこにも布の感触があった。
「良かったな、リアナさん」
やや嗄れた声が聞こえた。
リアナのいる反対側のベッド脇に、白髪の老人が立っていた。
「……ロイド先生」
その老人は、村でただ一人の医者で、僕も子供の頃から何度もお世話になっている人だった。
ここにロイド先生がいて、僕は怪我を……。
ああ……思い出した。僕は……森で足を滑らせて……激流に飲み込まれて……。
「バートくん、気分はどうだい?」
ロイド先生が訊く。
「悪くないみたいです」
僕は答えた。
「そうか、それは幸いなことだ」
──幸いなことだ。それは、この先生の口癖の一つだった。
「しかし」
と、先生が僕を睨む。
「あまり周りに心配を掛けるもんじゃないよ。特に、リアナさんは大事な時期だというのに。呑気に、ひと月近くも眠り続けておってからに……」
……大事な時期?
先生の言葉に、僕はリアナの方を見た。
お腹に手を当てて、彼女は微笑む。
「……赤ちゃん。あなたとわたしの赤ちゃんが、ここにいるの」
「そういうことだよ、バートくん。おめでとう」
しかめ面を解き、先生も穏やかに笑った。
「……僕らの子供」
リアナが頷いた。
ああ、そうか……。
あの娘は……マリーは……。
だから、消えかかっていたのか。
……僕が思い出せば、分かる。
なるほど、そういうことだったのか。
川に落ちた時、僕は激流の中で諦めた。
到底助かるはずがないと、絶望し、希望を捨てた……。
……諦めや弱気な心。
あの見渡す限りの草原は、そんな僕自身の心が生み出したものだったのかもしれない。
自分自身の心が創りだした草原で、僕は独りで勝手に彷徨って、倒れ……。
求めるものは、僕のすぐ側に……僕自身の中にあったというのに。
そこへ、助けに来てくれたんだ。
なのに……巻き添えにしてしまうところだった。
僕がリアナに心配をかけ過ぎて。芽生えたばかりの生命を……。
……馬鹿だ。僕は馬鹿者だ。
でも……良かった。
あの娘は助かったんだ。
……本当に良かった。
「マリー……」
僕はその名を呟いた。
「なあ、リアナ。その子が生まれたら、マリーって名前にしないか?」
「えっ……。でも、まだ女の子かどうかも分からないのに」
「大丈夫。生まれてくるのは女の子だよ。君によく似た可愛い……」
僕は微笑んで、リアナのお腹にそっと手をやった。
「きっと、元気な女の子が生まれてくるよ」
〝ありがとう、マリー〟
リアナのお腹に手を当てたまま、心の中で僕は言った。
〝それから楽しみに待っているよ、また君に会える時を〟
〝うん! またね、お父さん!〟
そう、マリーからの声が聞こえたような気がした。