07
【7】
……だけど。気のせいなんかじゃなかった。
目の錯覚でもなかった。
「………………うそ、だろ?」
……透けている。儚く、淡く……。
少しずつ、マリーの身体が透けていく。
その存在を薄れさせてゆく。
「……マリー。君……」
「とうとう来ちゃったみたい……」
出会ってから、五日が過ぎていた。
「そろそろ限界みたいだね、わたし」
マリーが哀しげに僕を見つめる。
「来たって……いったい何が? 限界って何なんだよ!」
「見てのとおり、消えちゃうんだよ。わたしが消えちゃうってことだよ」
「……消える。消えるって、ちょっと待てよ! おい、マリー……」
頭の中で混乱が起きる。
……マリーが消える。
なんで? どうして?
いったい、どういうことなんだ?
──どうしてだ?
…………あっ。混乱の中で見つける。
一つだけ、思い当たることがあった。
「もしかして、あれか……虹の飴……」
……あの飴には、不思議な癒しの力があった。
精霊のお手製だという虹の飴。ひょっとして、あれは精霊使いにとっては生命同然のものだったんじゃ……。
「それを僕にくれたから……。だから、そのせいで君は……」
「違うよ、それは違う。あれは、もともとお兄さんのための物だもの。わたしのじゃない。だから、そのせいじゃないよ。でも……」
「……でも?」
マリーは、ひどく淋しげに笑った。
「やっぱり……お兄さんのせいかな」
「お兄さんが、早く思い出してくれないから……」
少し拗ねたように、マリーが言う。
〝──早く思い出してくれないから〟
その言葉に僕は驚く。
……知っていたのか。
「マリー。君は、僕が記憶を失っていることを知ってたのかい?」
「うん」
とだけ、マリーは頷く。
「だけど、どうして? どうして、そのことを君は知って……」
いいや。今はそんなことは後回しだ。
それよりも……。
「僕の記憶喪失、それが君が消えてしまう原因なんだね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、僕が記憶を取り戻せば、君は消えてしまわなくても済む?」
「たぶん、まだ間に合うと思う」
「でも、どうして……」
…………そうか、記憶喪失。
失くしてしまった記憶。
きっと、その中に、僕が忘れてしまった物の中に……マリーのことも。それが理由なんだろう。
僕が、彼女のことを忘れてしまったから……。だから……。
「……君は消えてしまいそうなんだね」
けれど。
「残念だけど、違うよ。そうじゃないよ」
マリーは首を横に振った。
「わたしが消えちゃうのは、そんな理由じゃないよ。お兄さんが、マリーのことを忘れちゃったからじゃない」
僕の考えは、あっさりと否定されてしまった。
「なら、どういうことなんだ? どうして、何が原因で……」
それが分からないことには、助けようがない。……僕は何を思い出せばいいんだ?
こうやって話をしている間にも、マリーの姿は頼りなくなっているのに。
「教えてくれ、マリー。そうじゃないと、君が……」
「それは、思い出せば分かるよ。記憶を取り戻せば分かることだよ」
この期に及んでも、マリーは語ろうとしなかった。
自分の存在が、消えてしまうかもしれないのに。それでも……。
「マリー……」
僕は、そのあとに続けて彼女に掛ける言葉を見つけられなかった。
「……お家」
不意に、マリーがぽつりと呟く。
「えっ……」
「お兄さん。お家はすぐそこにあるんだよ。ただ、お兄さんが思い出せないだけで」
そう言うマリーの姿はほとんど消えかかっていた。儚げで、幻のように……。
……助けないと。助けたい!
このまま、この娘を消してしまっていいはずがない。僕なんかのせいで。ダメだ。
「そんなの絶対にダメだ!」
思わず、そう叫んだ瞬間。
……お家。
突然、それが目の前に現われた。
丸太で組まれた小さな家。
屋根には四角い煙突と、風見鶏。
大草原の真ん中に現われた家は、ログハウスだった。
……何の飾り気もない、素朴な木の扉。
その扉が僕を誘う。
何かの術にでも掛ってしまったかのように、自然と足が目の前の家へと向かう。
ふらふらと、ゆっくり歩みを進める。
扉の前に立つと、僕は迷うことなくそれを開いた。
開かれた扉の先、そこには一人の女性が立っていた。
僕を見て、その女性が微笑む。
……知っている。
その笑顔を見るのは、初めてじゃない。
僕は、この女性を……彼女の微笑みをよく知っている……。
……そうか、思い出した。ここは……。
そして、彼女は……。
そうだ……ここが、僕の還るべき場所だった。
僕はやっと、自分の大切なものを思い出した……。