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爆弾拾いがついた嘘 【旧バージョン】  作者: 生津直
第3章 血の叫び
86/116

86 謝意

 人が死んでも夜は()ける。風呂に入る者あり、二階へと引き上げる者ありで、みんな三々五々散っていった。


 庭に見える後ろ姿は、いつの間にか一つになっていた。一希はしばらくそれを見つめた。泣きそぼっているわけではないらしい。


 持参した風呂敷包みを手に、そっと引き戸を開けてみる。新藤が肩越しに疲れた目を向けた。


「これ、置いときますね。一応着替えと、歯ブラシとか……」


 新藤の視線が縁側の風呂敷包みに落ちる。これほど動作が緩慢(かんまん)な新藤をこれまでに見たことがあったろうか。新藤はいつまでも風呂敷の結び目を見つめていた。


「すみません、お邪魔しました」


と、一希が去ろうとした時だった。


「すぐに知らせなくて悪かった」


 一瞬何のことかわからなかった。


「デトンが片付いて上がってきてみたら、伝令の二等兵が待っててな。何かと思えばこれだ」


 兄弟の誰かが埜岩(のいわ)基地に電話を入れてくれたのだろう。


「まっすぐ病院に向かった後、仕事の調整とこっちのあれこれでつい遅くなっちまって」


「いえ、いいんです、私、どうせ出かけてましたし……帰ってきてからそう経たないうちに先生からのお電話が鳴った感じだったので」


 当初、一希をここへ呼ぶつもりはなかっただろうと想像がつく。新藤にとって一希は、打ちひしがれている姿を最も見られたくない相手のはずだ。


 本来、親の葬式に弟子を呼ぶ義務などない。一希がたまたま菊乃を知っていたというだけのこと。菊乃の顔を見ているうちに一希に会わせてやろうと思い立ってくれたのだと思うと、それだけでありがたく、胸が一杯になった。


「いろいろと……動いてくれて助かった」


 新藤なりの精一杯の謝辞が、一希の照れ笑いを誘う。


「まあ、大したことはできませんでしたけど」


「でも、そういう……ことのために呼んだわけじゃないぞ」


 わかっている。新藤が一希を小間使いとして呼んだのではないことも、そう誤解されるのではないかと気にしていることも、なぜだか手に取るようにわかった。


「先生、ありがとうございました。菊乃さんに、会わせてくださって」


 最後に一目会えてよかった。そして、生きている間に出会えてよかった。一希の方こそ、もう一人母親ができたような心地だった。


 新藤はふと月を見上げ、すぐにまた視線を落とした。それを見て一希は、こんな時なのに不謹慎にも頬が染まってしまうのを感じた。急な訃報で忘れかけていたが、昨日の今日で張本人と対峙するのはあまりに気恥ずかしい。


 一希が残したボタンは、今朝、元通りに畳まれた布団や枕の上からは消えていたし、畳に落ちてもいなかった。目立つ色だから、見落とすことはそうそうない。問題は、その意味が通じたかどうか。


 一希と同様に二つの血を持って生まれ、母親代わりのスムに育てられた新藤は、どの程度スム文化に染まって生きてきたのだろう。牛骨から髄をすする様などは一希の父と相違ないほど板についていた。美夜月(みよつき)の第三ボタンに対する認識は果たしてどの辺りにあるのだろうか。


 一希が混血であることを知った時、新藤は血に対する執着心に敏感だと言っていた。自分にできることばかりを説いてるわけじゃない、とも。(くく)りを忘れることは、もしかしたら新藤自身にとっても難しいことなのかもしれない。


 記憶にない生みの母も、実子以上にかわいがってくれた育ての母も、ともにスム族。一方、父親はといえば、スムが落とした爆弾の後始末に日々取り組んでいるばかりか、その道の第一人者だ。そんな家庭に生まれ育った新藤の身の上は、多分に複雑と言わざるを得ない。


 不発弾そのものと一緒くたにしてスムが責められる度、本当にスム族だけの罪なのか? 人類共通の罪ではないのか? と、一希は自問し続けてきた。もともと正当な理由などない単なる憎しみが、戦犯としての連帯責任という都合の良い口実を手に入れただけのようにしか見えない。両者がもめればもめるほど、どちら側に付けばよいのかわからなくなる。


 混じりもんの一人として、新藤だって似たような葛藤を抱えているのではないだろうか。しかし、血の話になった時、その片鱗(へんりん)すらも一希に話してはくれなかった。師弟という明白な立場の違いがあるのだから当然といえば当然かもしれないが、指導の一環として心境を共有するにすら値しないと見なされた気がして、一希は少し寂しかった。


 寝食をともにし、個人的な相談にも乗ってもらう中で、ある種の親密さが生まれたような気がしていた。それもあったからこそ、昨晩、勢いに任せてボタンを残すことができたのだ。早まったかもしれない、という不安が、今になって顔を出しそうになる。


 こちらに背を向けた新藤は、何も語ってはくれない。一希は、このままこの場にいていいのかどうか迷った。


「きれいなお顔でしたね、菊乃さん」


 長い間が空いてから、「ああ」と短く返事があった。


「私、お風呂いただいてきます」


 一希が静かに立ち上がり、居間に上がって戸を閉める頃になって、「ん」が聞こえた。


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