31 お使い
古峨江に本格的な暑さが訪れる頃、一希の日常生活は家事や雑用以上に、補助士になるための修業の色が濃厚になっていた。
道具渡しに加え、土嚢や防護壁、梯子の設置といった初歩的な補助。最初に体験したザンピードの他、デトンも含め毎度パターンを変えて練習を積んでいる。その最中には、信管離脱の事例や注意事項についてもたっぷりと説明を受け、新藤の実演も間近で見られるというおまけ付きだ。
質問はしたいだけいくらでもしろ、という言葉通り、新藤は一希がどんな疑問を口にしても決してうっとうしがることなく答えてくれた。思えばここに住み込む前にも、新藤にものを尋ねてうるさがられたことはない。これまで人に質問しては嫌がられ、答えを得られないまま不満を募らせてきた一希には、これほどありがたいことはなかった。
その合間を縫ってこなす助手としての仕事の中には、外での用事も多々あった。食材の買い出し、ちょっとした備品の調達に郵便局、銀行、役所。
バス代も馬鹿にならないため、思い切って新藤に相談し、生活費とは別に予算をもらって自転車を買った。中古でだいぶガタは来ているが、基本的な修理なら一希にもできる。体力作りにもなるし、一石二鳥だ。
今日のお使いは、車庫用の電球。ついでに駅前の売店に寄ってこいとの指示。新藤からお菓子を頼まれるとは意外だった。
だいぶ手足に馴染み始めた自転車を飛ばし、まずは最寄りの商店街の電気屋さんで目当ての電球を買う。
ついでに八百屋でネギ。冷蔵庫には解凍中の鯖があるし、今朝の卵焼きも残っている。大葉の佃煮もあるから、あとは味噌汁で十分だろうという算段だ。
商店街から駅前までは自転車なら二十分程度の距離。バス通りの歩道を行くと、両側に立ち並ぶのは住宅の他、クリーニング屋に自転車屋、園芸屋などの個人商店や診療所。これに時々公園や寺が加わる。
県内でも古峨江市内はどちらかといえば車社会だ。バスの利用者は多いが、地元民はあまり電車を利用しない。電車は概ね長距離用で、市外からの通勤客が朝夕に利用するのが主だから、日中の駅前は大抵閑散としている。
一希も一応存在自体は知っていた駅前の売店。入るのは初めてだ。入口から「ごめんください」と声をかけると、奥から「へえ」と声がした。
店の奥が細長い座敷になっており、畳二畳を縦に並べた程度のスペースに小さな卓袱台二つと座布団。左手の壁には漫画がぎっしり詰まった本棚、右手には小型テレビ。天気予報を映しているらしきその画面の前に、背中の丸まった老婆がちんまりと座っていた。首をかしげ耳を澄ましているように見える。
「こんにちは」
と一希が会釈すると、
「へえ、いらっしゃい」
その小さな体がこちらを向き、座敷の端からひょいと両足が投げ出される。老婆は傍らの杖を手に取った。
「あ、おかけになったままで結構で……」
「なんの、これしき」
と言うなり、よっこらしょと立ち上がる。
「すみません、えっと、梅昆布と柚子煎餅くださいな」
すると、老婆はてんてんと腰を叩きながら店内を歩き、独り言のようにぼそぼそと呟く。
「なーに、どっかの爆弾拾いみたいなこと言うね」
「あっ、これ、実は新藤先生のお使いで……」
老婆は「ふへっ」と妙な声を出した。どうやら驚きであるらしい。と、やにわに手を伸ばして一希の肘に触れてきた。あまりに唐突で一希は息を呑む。しわくちゃの手が一希の腕をするりと辿って手を握ると、同じぐらいしわくちゃの顔に困ったような笑みが浮かんだ。その両目が虚ろなままであるのを見て、一希はようやく気が付いた。彼女は目が見えていないのだと。
老婆は探していた相手をやっと見付けたとでも言うように、一希の手を両手で大事そうにさすり、あれあれ、と呟きながら何度も頷いた。
「あの……初めまして。冴島一希と申します」
「あたしは菊乃ちゃん」
自分で「ちゃん」を付けて、いっひっひと笑う。
「もしかして、新藤先生からもう私のこと……」
「そりゃもう偉っそうに、うちの弟子がそのうち行くからー、なんてよ。ひゃーあ、あいつが先生かいな」
菊乃はもはや愉快でたまらない様子。一希は照れくさいやら嬉しいやらで頬を赤らめた。馴染みの店だとは聞いていたが、そんなに親しい相手だとは知らなかった。自分のことを新藤が「弟子」として紹介してくれたのだと思うと、それだけで胸が熱くなる。助手と呼ばれるよりもずっと誇らしかった。




