あなたの、特別な日 ≪ままてん二次創作≫
唐突だが、今日はシルヴィスの誕生日らしい。
何故私がそんなことを知っているかと言えば、先ほど道化師が来て、自室でくつろいでいた私とこんなやり取りがあったからだ。
「やっほー継母ちゃん、元気だった?」
「……ええまぁ。あなたも残念ながらお元気そうですね」
「なんで残念なのかな!? いつものことだけど、もうちょっと僕に優しくしてくれてもいいんじゃない!?」
「必要性を感じません。むしろ会話が続くことを感謝してください」
「冷たい! この子ほんと冷たい!」
「……で、要件は何ですか。どうせロクでもないことを言いに来たんでしょう?」
「とか言って実はちょっと楽しみにしちゃってるくせに☆ 実はね、今日はある妖精の誕生日なんだけど、誰だか知りたい?」
「少なくとも茶番に興味はないので、単刀直入にさっさと話してください」
「もう、継母ちゃんったらせっかちさんなんだから☆」
「…………」
「ねぇ無言で睨むのやめてこわいよ」
「……で?」
「そうそう、今日はね、シルヴィス君の誕生日なのでしたー! 親密度を上げるには絶好の機会だから、どうにかして彼が喜ぶように祝ってね!」
「は……? あのシルヴィスですよ? 無理に決まってるじゃないですか」
「それはやってみないと分からないよね? じゃあ僕は伝えたから、あとは頑張ってね☆」
「ちょっ、勝手に何を……!」
以上、回想終了。
そして道化師は姿を消し、呆然とした私が一人残されたというわけだ。
……いや、よく考えれば一人ではなかった。
「リオリム、聴こえてた?」
『はい、お嬢様』
机に置いておいた手鏡に話しかけると、中にいる執事姿の青年が優雅に一礼した。
「あのシルヴィスが喜びそうなことって、なんだと思う?」
『申し訳ございません。明確には分かりかねますが……例えば、他の妖精達に彼の好物について尋ねてみるのはいかがでしょうか?』
「なるほど。普通に考えて、好きな物をもらって悪い気はしないよね。せっかくのお祝いなんだし、何か喜ばれるものを贈れたらいいんだけど……」
異論があるとすれば、あのシルヴィスに好物などという物が存在しているのか……という点だが、口には出さなかった。
せっかくリオリムが意見を出してくれたのだ。無駄にはしたくない。
「ありがとうリオリム、ちょっと誰かに訊いてみるね」
『はい。どうか頑張ってください、お嬢様』
私は手鏡をポケットに入れ、自室を出た。
──リオリムにはああ言ったものの、誰に訊くべきなのかは悩むところだ。
シルヴィスはルーヴァス以外の妖精を信用していないと言っていたし、そんな彼の好物を知っているとするならば、やはりルーヴァスなのだろう。
しかし間の悪いことに、彼は今外出中なのだ。
あの道化師、わざとこのタイミングで伝えに来たんじゃないだろうな……。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ユンファスに声を掛けられた。
「あれ、どしたの姫。なんか元気ない?」
「あ、ユンファス。ちょっと悩んでいることがありまして」
「ふぅん。面白そうなことなら相談に乗るよ?」
私はユンファスに相談したらどうなるかを考えてみた。
……まず面白がるだろう。それは間違いないが、ロクな展開にならないのも容易に想像が付く。
私はシルヴィスを怒らせたいわけではないのだ。
「……いや、やっぱりいいです」
「んー? そうやって避けられると逆に気になっちゃうんだけどな~?」
「じゃあ、真面目に相談に乗ってくれますか?」
「えー。……しょうがないなぁ。分かったよ」
私はユンファスに事の経緯を説明した。
もちろん道化師やリオリムのことは伏せてある。
「へぇ、誕生日ねぇ。しかもシルヴィスの……」
ユンファスは意外そうに小さく目を見張った。
「確か、人間は生まれた日を毎年祝うんだっけ? よくもまぁ律儀に覚えてるよね、そんな日」
「そんな日って……」
私はこの時点で、誕生日という事柄について、人間と妖精との間にかなり温度差があるのではないか、と悟った。
「……ということは、妖精にはそういった風習がなかったりします?」
「ないねぇ。ただ、人間にはそういう文化があるってことは知識として知ってるよ。理由までは知らないけど。生まれた日は生まれた日であって、それ以上の価値があるとは思えないなぁ。それを祝って何かメリットでもあるの?」
「あー……。メリットがあるかといえば、確かに祝われる方はともかく、祝う方はないかもしれないですが」
私はそこで一度言葉を切り、ユンファスの目を見た。
ヘラッと笑ってはいるが、その緑の双眸は、感情を読み取らせない不思議な色をしている。
「誕生日というのは、生まれてきてくれてありがとうって伝えることが重要なんです。まぁ、贈り物とか、即物的な面もあることは否定できませんが……一番大事なのは、その人を大切に想う気持ちです」
ユンファスは私の言葉を聴き、少し顔を俯けた。前髪で隠れて表情は見えない。
「……じゃあさ、姫は、……大切に想ってるの? 妖精を……シルヴィスを」
「は!? いや、大切は大切ですけどそういう意味じゃないっていうか、人間とか妖精とか関係ないっていうか、皆さん大切でそこに大小や上下はないっていうか! 今回はたまたまシルヴィスの誕生日だからで、その、深い意味は……!」
「クッ……ハハッ、も、もうだめ、姫、面白すぎ……!」
自分が何を弁明しているか分からなくなってきた頃、ユンファスが顔を上げて爆笑し始めた。
「な、なにいきなり笑ってるんですか、ユンファス」
「いやいや、ちょっとした冗談のつもりだったんだけど、あんまり君が慌ててるからさぁ。可愛いからしばらく見ていたくなっちゃって」
「そんな取って付けたように可愛いとか言われても説得力ゼロなんですが」
「ほんと姫ってつれないよねぇ。そこがいいんだけど」
笑いすぎて涙が出てきたのか、目尻を拭いながらユンファスは微笑んだ。
それはいつものヘラヘラした笑みではなく、どこかスッキリとしたかのような、綺麗な笑顔だった。
「分かったよ。君の可愛さに免じて協力してあげる」
「私が可愛いかはともかく、本当ですか! ありがとうございます!」
「お安い御用だよ。それで、シルヴィスの好物を知りたいんだっけ?」
「そうなんです。何か知ってますか?」
ユンファスは、実はね、と私の耳に顔を近付け、声を潜めて言った。
「ここだけの話だけど。シルヴィスってああ見えて、甘い物が好きなんだよ」
「えっ」
意外すぎる。口と同じで辛党と言われた方がまだ納得できると思った。
「衝撃の事実!! って顔してるねぇ。まぁ僕もそうなんだけど、この間見ちゃったんだよね。シルヴィスがマカロン自作してるとこ」
「シルヴィスが……マカロンを……自作……!?」
「料理が上手いってのは、一緒に暮らしてるから分かってきたんだけどさ。お菓子作りまでやるとはねぇ」
私は空いた口が塞がらなかった。
確かにシルヴィスは料理上手だが、まさか甘い物好きで、しかもマカロンを自作できるレベルだとは夢にも思わなかった。
というか、マカロンってどうすれば作れるのか検討もつかない。
なんなんだその無駄な女子力。
……目の前のユンファスも、別の意味でそうではあるが。
「だから、シルヴィスには適当に甘い物作って渡せばいいんじゃない?」
「適当!? なに言ってるんですか、マカロンを自作できるようなひとに適当に作ったもの渡しても喜ぶわけないでしょう!! むしろ『ハッ、なんですかこれは、豚の餌ですか?』とか言ってくるに違いないです!」
「ははっ、言いそう……!」
「笑いごとじゃないんですよ!!」
ユンファスがとうとう腹を抱えて笑いだしたので本気で怒鳴ると、ごめんごめんと軽く謝ってから、やっと笑うのを止めてくれた。
「お詫びにお菓子作りも付き合うからさ、機嫌直してよ」
「……本当ですか」
「ま、シルヴィスと違って僕は甘い物好きってわけじゃないから、作り方知ってるものなんてほとんどないけど。それでもいいならね」
「私にはレシピすらないので、十分ありがたいです。よろしくお願いします、ユンファス」
そう言って頭を下げると、ユンファスはパチパチと目を瞬かせてから、
「……君はホント、変わった人間だよね」
嬉しさと哀しさが混ざり合ったような顔で一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの笑みに戻った。
「せっかくだから、作り方を教える代わりに条件を付けちゃおうかな〜」
「……私にできることでしたら」
ユンファスが考えそうなお願いとは、一体どんなことだろうか。
シルヴィスに喧嘩売りに行こうだとか、リリツァスを一緒にからかおうだとかだったら、ご遠慮願いたいところだが。
「そんなに身構えなくても大丈夫だって〜。ただ、今度は僕もこういう風に祝ってほしいな、ってだけ」
「なんだ、そんなことですか。誕生日を教えて頂ければ、もちろんお祝いしますよ?」
どんな難題が来るかと構えていた私は、肩透かしをくらった気分になった。
「──そういうこと、あっさり簡単に言うんだから、ずるいよねぇ……」
「え?」
「ううん、何でもないよ。それより台所へ参りましょうか、お姫様?」
「き、急にからかわないでください……」
芝居がかった仕草で差し出されたユンファスの手を、私は動揺を隠しながらそっと握ったのだった。
***
「……できました!」
「うん、いいんじゃない?」
ユンファスの提案した甘味とは、『ヴァルトベリートルテ』という、ベリー類をふんだんに乗せたタルトだった。 ベリーは森で手に入るため作りやすく、甘さというより甘酸っぱさが際立つため、甘い物好きではないユンファスもたまに食べるそうだ。
もっとも、今回はシルヴィス用にアレンジを加え、ベリーの上には粉砂糖をたっぷりかけ、下にはカスタードクリームを敷き詰めてみた。
試食もしたが、我ながらなかなか美味しく仕上がったと思う。
シルヴィスにも喜んでもらえたら嬉しい。
「ユンファス、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。片付けはしといてあげるから、姫は出来たてのうちに早く持っていきなよ」
「はい!」
ユンファスと別れた私は、小奇麗な皿に一切れに切ったタルトを乗せ、さらに落とさないようにお盆に乗せて慎重に運んだ。
そして、いよいよシルヴィスの部屋の前に辿り着くと、一度深呼吸をしてからドアをノックした。
「シルヴィス、いますか?」
「はい。……姫?」
反射的な返事の後に怪訝な声が私を呼んで、ドアが開かれた。
現れたシルヴィスは声以上に不審そうな顔で、警戒するように私を上から下まで眺めた。
「貴女が訪ねてくるなんて珍しい。……一体何を企んでいるのですか?」
「企むなんて、そんなことは……」
ない、とも否定しきれないので、途中で言葉を濁す。
誕生日を祝いたい気持ちは確かにあるが、一応は道化師に言われてやってきたのだから。
「まぁいいでしょう。それで、菓子など持って何の用ですか?」
「シルヴィスが今日誕生日だと聞いて、お祝いの気持ちを込めて作ったんです。よかったら、食べてもらえませんか?」
私はタルトの乗ったお盆をずいっと前に出し、シルヴィスの反応を待った。
「……これを、わたくしに?」
「あ、はい」
「何故ですか」
「えっと、妖精には馴染みがないかもしれませんが、人間には誕生日を祝う習慣が、」
「そんなことは存じております。わたくしが訊きたいのはそういうことではありません」
「じゃあ、どういう……?」
問われた意図が見えず、困惑して首をかしげる私に、シルヴィスは非常に言いにくそうに、絞り出すような声で言った。
「……知らないのです」
「え?」
「ですから、誕生日など知りません。自分ですら知らないことを、どうして貴女が知っているというのですか」
「……誕生日を知らないんですか?」
思わずそう訊き返し──私は道化師に嘘を吐かれたことに気が付いた。
むしろ適当なことを言って私に何かさせようとするのは、あいつの常套手段じゃないか。何故今まで気付けなかったのか。
──そういうことか、あの道化野郎……!
私は内心でそう吐き捨て、道化師にありとあらゆる言葉の刃を突き刺す想像をしてから、さらにあることに思い至った。
──いや、待て。道化師の言葉の真偽はともかく、先ほどのユンファスの反応を思い出すと、妖精が誕生日を知らないというのは無理からぬことなのかもしれない。
人間と違って、妖精にとって誕生日とは、きっとそれほど関心のない事柄なのだ。
「えっと、……すみません、私の勘違いだったみたいです。でも、せっかくお祝いに作ってきたので、お菓子だけでも食べてもらえませんか?」
リオリムにも悩んでもらい、ユンファスにまで手伝ってもらった大事なお菓子なのだ。
意味は薄れてしまったかもしれないし、恩着せがましいとも思うが、シルヴィスのために作ったのだから、どうせなら美味しく食べてほしい。
しかしシルヴィスは、素直に頷いてはくれないようで、渋い顔をしたままだった。
「……貴女には、わたくしを祝う理由などないでしょう。今までわたくしは貴女に対して、明らかに不愉快な言動ばかりしてきたと思いますが?」
「そんなの、今更ですよ。確かにシルヴィスはいつも毒舌で物騒ですけど、優しいところもあるって知ってますから。ほら、私の怪我を治してくれたり……落ち込んだときには洗濯を手伝いに来てくれたりしましたよね」
シルヴィスは記憶を思い返すように、顎に手を当てて考える仕草をした。
「……ああ、思い出したら苛々してきました。そうです、わざわざわたくしが時間を作って差し上げたというのに、よくも無碍に断ってくださいましたね」
「あのときはすみませんでした。あれって、たぶん……心配、してくれたんですよね?」
「だっ、誰が貴女の心配など……! 自惚れるのも大概にして頂けますか」
シルヴィスは私から思いっきり顔を背け、苦虫を噛み潰したような声で否定した。
だが、その長い耳がほんのりと朱く染まっていることまでは隠し切れておらず、私はくすくすと込み上げる笑いを抑えることができなかった。
「耳は口ほどに物を言う……」
「何かおっしゃいましたか。余計なことを考えているようなら、今すぐ頭に風穴を開けて差し上げますが?」
「いえいえ、何も考えてません!!」
微笑ましいところもあるなと思った瞬間にこれだ。まぁ、これも照れ隠しなのかもしれないけれども。
私は気を取り直すと、あらためて本題について訊いてみた。
「それで、あの、お菓子は食べてもらえるんでしょうか?」
「……いいでしょう。貴女が作ったとはいえ、菓子に罪はありませんからね」
シルヴィスはタルトが乗った皿を手に取り、そのまま口に入れた。
……緊張の瞬間である。
少なくとも見た目では何も言われなかったが、いつ豚の餌呼ばわりが飛んできても不思議ではない。
シルヴィスは無言で食べ続け、やがて手に残った最後の一口を咀嚼し終え、静かに口を開いた。
「ご馳走様でした。……まぁ、悪くはない、ですね」
「本当ですか!? 良かった……お口に合って何よりです」
「ですが、まだまだ美味と言うには程遠い。ベリーの酸味が強すぎて甘さが負けています。これでは真のヴァルトベリートルテとは言えませんね」
「そう、ですか……」
初めて作ったにしては上出来だと自分では思っていたので、手厳しい言葉に私はほんの少しがっかりしたが、すぐに苦笑に変わった。
考えてみれば、豚の餌呼ばわりされずまともに食べてもらえただけでも、予想より随分とマシだというのに。
だがそんな私を見たシルヴィスは、何故か狼狽えていた。
「そ、そこまで落ち込むようなことは……。仕方ありませんね、今度特別に手本を見せて差し上げましょう」
「え、それは別に遠慮します……」
「……貴女、わたくしの気遣いをまた断ると? いい根性です。タルトのお礼に鉛弾をご馳走いたしましょう。何発お召し上がりで?」
「一発も要らないですから!! 分かりました、ご教授よろしくお願いいたします!!」
「よろしいでしょう。せいぜい頑張りなさい」
やけくそ気味の私の言葉に、シルヴィスは存外気を良くしたのか、珍しく口角が上がっていた。
それを見た私は安堵の溜め息を吐き、ふと、まだ〝あの言葉〟を言っていないことを思い出した。
「あ、言うのを忘れていました」
だが、おそらくそのまま言っても真意は伝わらないだろう。言い換えるとすれば、やはり──
「生まれて来てくれてありがとうございます、シルヴィス」
〝誕生日おめでとう〟に込められたニュアンスを出来るだけ伝えようと、言い方を大分ストレートにしてみたのだが、ちゃんと伝わっただろうか。
「……ッ」
シルヴィスは一瞬大きく目を見開き、
「貴女というひとは……本当に馬鹿で能天気ですね。何も知らないくせに……」
また顔を背けてそう呟いた。
今度は耳も朱くなっていないので、彼が何を考えているかは分からない。
ただ言葉と、その声音のみで判断するなら、やはり喜んでもらえた、という印象には遠い。
「──、」
私は否定のために口を開きかけたが、その声を発することはできなかった。
違う、とは言えなかった。
たとえ、私なりに考えた結果で、ただ何も考えずにやったことではなかったとしても。
「……そうですよね。出過ぎた真似をしてすみませんでした」
結局口から出てきたのは、肯定と謝罪の言葉。
だって、何も知らないというのは、一切の反論ができないほど、明らかに、正しい。
妖精と人間の確執だって、ようやく先日知ったばかりなのだから。
私は無知なのだ。この世界に対して。彼らに対して。自分に対してすら。
それでも、たとえ道化師から言われたからだとしても、誕生日を祝いたいという気持ちに偽りはなかった。
私なりに彼らとの関係を良くしたいと願った、そのための行動でもあったのだが──やはり、今回のことは踏み込み過ぎたことだったのだろうか?
せめてこれ以上彼を怒らせたくなくて、失礼します、と空になったお盆をぎゅっと握り締めてその場から立ち去ろうとしたそのとき。
「待ちなさい!」
シルヴィスに腕を掴まれて、私の動きは止められた。
「まだ話は終わっておりません。勝手に判断しないでください」
「え……」
──私の無知が、彼を不快にさせた。
わかっている、けれどそれを責め立てられるのは、さすがにつらい。
それでも、このまま顔を背けているのは、失礼だ。
恐る恐る彼と視線を合わせると、彼は大変バツが悪そうに眉間にシワを寄せた。
それは、怒っている表情では、なかった。
「まず、わたくしは、その……貴女が思っているほど、善良でも親切でもありません。人間など大嫌いです」
「……はい」
「そのわたくしが、例え好物とはいえ、嫌いな者から食べ物を差し出されて、素直に食べるとお思いですか?」
「……はい?」
彼の言いたいことが分からず、相槌でしか返事ができない。
「ですから!」
シルヴィスは愚鈍な私に苛つくように、声を荒げた。
掴まれたままの腕がさらに強く握られて、痛い。
「……ですから! 貴女のことは、それほど嫌いではない、と言っているんです!」
「……、」
私はしばし腕の痛みも忘れ、シルヴィスに言われたことを反芻して、飲み込んだ。
〝人間は嫌いでも、『私』のことは嫌いではない〟
彼がこの言葉を吐き出すのに、どれだけの勇気と葛藤が必要だっただろう。
人間なんてどれも同じ、彼にとっては等しく憎しみの対象のはずなのに──彼は、シルヴィスは、『私』自身を見てくれたのだ。
妖精の本能も影響はしているだろうが、私にはそれが彼の優しさや強さに他ならないと思う。
「ありがとう、ございます」
私は心から感謝の言葉を口にした。
彼の優しさに触れられたことへの、嬉しさを込めて。
「……礼を言われるようなことはしておりません。……むしろ、こちらの方が……」
「え? すみません、途中からよく聴こえな」
「何も言っておりません! ……っ、失礼」
食い気味で否定したシルヴィスは、ようやく私の腕をずっと掴んでいたことに意識が向いたらしく、申し訳なさそうに慌てて離してくれた。
解放された腕は、握られていた部分だけがくっきりと赤くなっていた。
「痕が……。痛みますか?」
「まぁ、それなりには。でもこれくらい、ほっとけばそのうち治るので大丈夫です」
「何が大丈夫なものですか。前回といい、貴女の言うその類の言葉は全く信用できません。……腕を出してください」
言われた通りにすると、シルヴィスは壊れ物を扱うような慎重さで私の腕をとり、赤くなった箇所へ息が触れるほど口元を近付け、何事かを呟いた。
「──、ここに其が力を示せ」
すると、いつかのように腕から金色の眩しい光が溢れだし、それが消えた頃には痛みも掴まれた痕もすっかり消えていた。
「……ありがとうございます。相変わらず、すごいですね」
「この程度、別にすごくも何ともありません。それより、そのお盆を渡しなさい」
「は?」
「鈍いひとですね。……皿くらい洗って差し上げますから、貴女は部屋へすっ込んでなさい、と言っているのです」
「え、でも」
「いいから言われた通りにすればいいんです。菓子作りなんて慣れないことをして、疲労で皿でも割られたら堪りませんからね」
……ここまでいくと、もはや一周回って逆に素直なのではないかと思ったが、もちろん無粋な指摘はせずに、私はお盆をシルヴィスに手渡した。
「では、お言葉に甘えて、部屋で休ませてもらいますね」
「無駄口を叩いている暇があったら、さっさと行動なさい」
「……はい」
どうしても笑みの形に歪もうとする口元を必死に隠して、私はシルヴィスの部屋を出た。
***
『上手くいったようで、ようございました。お嬢様』
自室へ戻ると、リオリムが心から嬉しそうにそう言ってくれた。
「リオリムのおかげだよ。ありがとう」
『いえ。わたしにできたのは些細な提案のみ。得られた結果は、すべてお嬢様の努力の賜物でございます』
「そんなことないよ。リオリムがいてくれなかったら、今頃まだ途方に暮れてたと思うし」
『そうでしょうか。わたしがおらずとも、お嬢様の大切な方々がきっと力になってくれたはずですよ』
心からそう思っているという顔で微笑むリオリムを見て嬉しく思う一方、胸が一瞬軋んだような気がした。
──どうして、いつも。
「……その言い方、」
私は思わずそう言いかけて、口を噤んだ。
この鏡の精は、いつだって私に親切で、優しくしてくれる。
そのことに私がどれだけ感謝の気持ちを伝えても、彼は一歩下がって受け止めてしまうのだ。
私はたまに、それを悔しく感じてしまう。
──どうしたら、何と言えば、リオリムに届くだろうか。
私は自分にできる最大限を心掛け、想いを込めて笑った。
「リオリムだって、私の大切なひとなんだからね?」
『……身に余る光栄でございます』
「リオリムはいつも謙虚すぎ……ん?」
何やら遠くの方で騒がしい音が聴こえる気がする。
「上で何かあったのかな」
『ああ……。おそらく、お嬢様がお気を煩わす必要のないことかと』
「何があったか分かるの、リオリム?」
『ええ。大したことではございませんので、お嬢様はどうぞお休みください』
「うーん……リオリムがそう言うなら、大丈夫だよね。じゃあちょっとだけ仮眠するから、1時間したら起こして……」
『かしこまりました。ごゆるりとお休みくださいませ』
シルヴィスの言う通り、慣れないことをした反動で少し疲れを感じていた私は、リオリムの言葉に安心して一眠りすることにした。
……なお、このときの騒ぎは、後片付けをしてくれていたユンファスと皿を洗いにきたシルヴィスが鉢合わせ、口論になっていたことが原因だと、夢の中にいる私には知る由もなかったのだった。
ままてんの二次創作を書かせて頂きました、翠と申します。
テーマは読んでお分かりになる通り「誕生日」なのですが、シルヴィスが一番好きなので彼の誕生日となりました。
いや、書き終えてみれば、見事に私の好みがこれでもかと注ぎ込まれた話というか……これ私以外の皆様が読んで面白いのか、不安は絶えません。
ですが、少なくとも、作者様である天音さんには楽しんで頂けたようなので、私としてはそれでいいかなと思っています。
ちなみに、この話の裏話(リオリム、ユンファス、シルヴィス視点)を天音さん自らに書いて頂きました。
このあとがきを最後まで読んで頂けた素晴らしいままてんファンの皆様、是非裏話の方も読んで頂ければ幸いです。
むしろ裏話の方がメインです(断言)
それでは、ここまでお読みくださいまして誠にありがとうございました。
あなたの、特別な日――another view――↓
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