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朝はエスプレッソ

作者: 海馬幸願

(1)


熱い夏の夕暮れ時にお酒は先ずはビールと居酒屋で良く訊く光景である。汗が滲んだ肌と渇いたのどには冷たいビールが最高である事は私も認める。でも、全ての人がそうであろうかと考えると、日本の風習である乾杯と言う行為の前では皆ビールを口にせざる負えない状況を作り出していると思っている。世にいう右に倣え又は流れと言うやつである。先ずはビールで一杯此れが鉄則でも俺はそんな世界は妙に肌に合わない。


朝日が覚め俯せの体を包み込むように沈んだベッドと淡い光の中で鈍よりとした空気の朝を彼は迎えていた。視界に広がる状況を脳に理解させるのに数秒間要し信号が筋肉へと伝わり其れを確かめる様にベッドから立上るとカーテンの隙間から微かに漏れる淡く陰る光に外は雨である事を湿りけを帯びた髪をかき上げながら彼は感じていた。暗闇にブルー色に光る無機質なベッドのカウンター時計に目を移すと、既に時計の針は10時を廻り秒針が急かす如く目に張り付いた。

シャワーを浴びソファーベッドに無造作に置いてある服を一つ一つ確認するように肌に纏わせベッド隠れる靴の先端が茶色で先端に向け徐々に淡くなっているワーキングブーツを足を突っ込むと雨であろう外の世界を確認するようにカーテンを広げた。雨粒が一面に散りばめられ滴の筋が何本も走り汚れの後を浮き上がらせるガラスを通して鉛色の空から刺すような雨を映し、ガラスに映る自分の輪郭に向かい彼は「ビンゴ」と掠れた声を上げた。

部屋を出てEVでロビーを通り駐車場専直通EVに乗り換え彼はB3階の車に向かった。駐車場は閑散としており、コンクリートの支柱側にはカーキ色をしたフルサイズのSUVの運転席に乗り込むと出口に向かいスロープを登り表に出るとフロントガラスから差し込む光の筋と共に滝の如く雨が襲い目を細めながらゲートを抜け平静な世界から動態の世界に来た事を雨が教えていた。其れは車体全体に広がり彼はワイパーを作動し窓越しの雨に向かい

「昨日の出来事を断片的に思い出す。でも都合がいい、雨が洗い流してくれるだろう」と呟いた。

地方都市の朝ともお昼でも無い時間帯の空気を久々に胸一杯に取り込む様に深呼吸をすると、流れに合わせて進む車のボンネットに溜まった雨粒は彼の思いの察しかの様に昨日の出来事を全て一方向に動き始め一斉に過去へと流れ去っていった。


彼はまた「さあ、現実へ戻ろう」と言うと含み笑いを浮かべた。


(2)


真紅の2ドアハードトップの車体に夕日が溶け込みより新車の車体をより際立たせ、地方都市へ向かう高速道路を彼は新車の匂いが充満している社内を高性能なエンジンと大排気量の車体には似つかわしくない法定速度を維持し高架橋の道路は都市部へ向かうべく左に大きくカーブを描き始め、彼は胸ポケットからサングラスを手に持ちカーブにハンドルを合わせた。丁度夕日がフロントガラスへ差し込むと同時にサングラスの縁に達し始め其れはガラス全体に拡散していった。

前方へ凝視する眼に注ぐように夕日に照らされ文字だけが浮上る都市の中心部へ向かう出口の標識を目を遣り、車体はゆっくりと左へ向けスロープを一般道への合流へと降りて行った。都市部へ向かう夕方の渋滞が既に始まり夕日が高架橋の影を混雑する車の列に長く伸びて、ブレーキランプの赤を強調させていた。

彼は慎重に車を進め合流を済ませると、2本目の信号を左折しバス停の前を通り過ぎ今度は右左折を繰り返し川縁の一車線道路へ入った。

川岸に目印のようにある広葉樹の大木と古民家の間を進みうどん屋の看板がある石作りの橋を通り進むと川は右へと蛇行し始め、古民家と田んぼが点在し始めた。夕日は既に山間に差し掛かり辺りは薄暗くライトのスイッチを押し、一本道は前方に高圧線の所で左に折れ風よけの大木と古木の門柱がある民家へ車を進めた。

玄関灯の光が差し込んだ庭先に車を止め彼は助手席にある分厚い書類を取り出し玄関に向かい地面に敷いてある砂利の音と足裏の感触を彼は心地感じていた。


納車の手続を済ませ、オーナーに車の説明を終えてから下取りのカーキ色のSUVに自分の荷物を移すと鍵を受け取り、来た道を戻ろうと真っ暗でライトの明りだけを頼りに遠くに光る町に向け走りは始めた。ホテルに入るにはまだ早く其の儘走るには時間に余裕が無い時を考え


彼は軽い食事を取ろうと決めホテルの地下駐車場へ滑り込んだ。チェックインを済ませ納車手続きの書類整理を部屋で整理し、シャワーを浴びると喉の渇きを感じた彼は町へ足を運んだ。

この地方都市は以前営業をしていた店舗の関係で移動になった後でもオーナーが遠い店舗から車を買ってくれ、その関係で納車の度に1泊にて直接出向くようにしている。其れが彼の流儀だ。

この町に戻ってきたのは数年ぶりで以前より国の地方への補助金の影響かどうか解からないが、オフィースビルが立ち並び高速道路も整備させて変貌していた。現在は地方のモデル地区と言われる程に成長し発展の陰には消えゆく街並みがあり、勤めていた頃の駅前から広がる商店街は忽然と姿を消した姿に駅の方へ歩きながら彼は衝撃を受けていた。小さい居酒屋はチェーン店の店へ変わりカラオケボックスがビルの上階を占領している光景は本来この町が持っている風情を壊し其れを完全に無視し無機質の様に同じ町を作り上げている。其れはこの町に限った事では無くいま日本全体に浸透していると感じた。本来町が持っている空気、匂い、個性を全て台無しにした都市開発は利便性だけが優先された結果であった。


彼はビルとビルとの隙間から小道の裏手に廻ると蛍光灯の明りにBARと書いてある店に目が留まり、窓が蔦で覆いかぶさり其れは

扉の付近にまで達して何故は興味を抱いた彼は徐に扉を開いていた。カランと音がして中から木製のカウンターとダウンライトの光が其れを照らし空気が過去へと流れ、壁際にはカップルシートが数席あり、壁に取り付けてある電球色のライトが淡く演出していた。

「いらっしゃい」と声がカウンターの奥から聞こえその後方へ目を向け、ワンピースを着た女性が笑顔で「御一人ですか」と話しかけて来た。

彼女は40代位であろうか黒髪に赤い口紅がとても印象的な女性で「カウンターでも宜しいですか」と添えると髪を掻き揚げた。

「良いです」と答える声に一番奥の席へ手招きをした。彼女の言われるままにビールを飲み、煙草に彼女は手際よく火を付けこの町は初めてと甘い声を掛けた。

「初めてです」と彼女の眼がそう答えろと誘いその通りに答え、其れは嘘を付いたわけでは無く、所謂成り行きに任せたのだった。厭、長話が似合わないとでも云った方が良いのかもしれない。そんな気分を彼は感じていた。それからは彼女の誘導尋問に誘われ他愛の無い会話の中で数年前にこの町に来て店を開き、後で別の女性が来ることを彼に伝えた。

彼は仕事で来て一泊するために駅前のホテルに泊まっていると小言で云うと彼女はゆっくり出来ますね、と意味深げな言い方をした。

そんな空気の中ビールも3本目で突入し単調な会話へと変化し始めた時突然バタンと和やかな雰囲気を壊す如く1人の女性が店に入ってきた。

繁々と彼は白いシルクのシャツに黒いスカートを着て栗色の髪を手で掻き揚げ店の女性に「ママ、黒い靴知らない」と突拍子もなく親しげに

話掛けた女性は「昨日泥酔し何処かに忘れたのでしょう」と呆れた顔を彼女へ向けた。

彼女は気にもせずにカウンターの3つ目の席に座りマニュキュアを見ながら「昨日はそんなに酔ってない。其れに黒い靴は履いてないし」と指の塗り具合を確認する仕草は綾艶が有り、然し少女の様な顔立ちが其れを打ち消した。

「あの靴高かったのに。其れに、お気に入りの勝負靴」と屈託のない声を上げた。


彼女は俺の存在に気付くと笑顔で「地元の方では無いですね。旅行か何かで」と言ってきた。

彼は自由奔放な笑顔に多少躊躇いながら

「仕事で来ました。この店は今日が初めてです」答え。

「私、恵理と言います」と唐突に手を差し出した。

その手は妙に汗ばみ暖かく見詰める顔に店の女性が「すいません、驚いたでしょう。この子人見知りと言う言葉を知らない子なので」

その言葉に促されるように彼は「本郷一と言います」

彼女は「手を出してくれた男性は初めて。名前も言わない人もいるのに、本郷さんはパーフェクトです。」と言いながら握手を求めてきた。

「本郷さんはどんなお仕事」と聞き

「車関係」と答えると「すごい」と興味有りげに乗り出してきた。

ほんのり髪の毛から薫る香水の匂いが彼の脳裏に突き刺さりそんな恵理は気にも留めないように屈託のない笑顔の儘

「ママ、レッドアイ」と甲高い声にママはカウンターの奥へ消えた。

「本郷さんは御一人ですか」その問いに一人で今日は一泊すると答えると恵理はホテルに泊まるのと聞いてきた。彼は駅から離れたホテルの名前を答えると恵理は「明日の最上階のレストランのカキフライが美味しい」と自慢げに話した。恵理は駅前のオフィースビルの中に入っている保険会社のOLをして傷害担当であり、毎日電話にて顧客とクレームの話をずっと聞いているだけで会社が終わると無性に誰かに話がしたくなり何時もこのバーに来てはお客と会話をしてストレスを解消していると話していた。その他の会話の殆どは彼女の話で成立し彼はただ聞き役に徹していた、尤も彼にとってはその方が疲れもしなく退屈もしなかった。彼女は何の防御もせずに27歳の時西の街からこの都市へ配属になったと言い始め出来ればもっと都心へ行きたいと将来の夢も話し合間にマニュキュアを触り、其れは恵理の癖だと彼は後でベッドで気づく事になる。

恵理は彼に興味があると言い始め色々と質問の投げ掛けたがある程度以上自分の事を話さなかった、初対面の相手に防御をするのは当たり前で恵理がそれほど無防備であったかも知れない。グラスと話、グラスと話を繰り返す恵理は突然口を閉ざすと愁いを帯びた顔に変わり黙っていたかと思うと崩れるように泣き始めた。彼は突然の彼女の突然の行動に戸惑っていると、

カウンターの女性が「たまにあるの、気にしないで下さい。一定量を飲み過ぎるとこうなるから」とグラスを拭きながら彼に言い

「その内朝のエスプレッソが飲みたいと言い出すから」と付け加えた。

彼は泣きじゃくる恵理を見詰めて「自分が何か言ったかと思いました。何か意味が有るのですか、エスプレッソに」と問いかけると女性は眉を潜めて「男なら分かるでしょう。意味くらい」と笑みを浮かべた。

彼は直間的に感じて、カウンターに泣き崩れる彼女を見てしまった。

カウンターの女性は「本郷さん、口説かれたのよ。恵理に」と低く呟いた。

男にとって初めて女性からの誘いに、彼は動揺とこんな衝動的な出会いに半ば当惑して此れから始まる世界に不安と期待が入り乱れ驚きを隠せず視線が様らない顔に、恵理は涙腺の眼を確りと向けたマニュキュアを触りながら彼に甘い声で囁いた


「明日の朝はエスプレッソね。」




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