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今夜は星空が遠く感じた─。
その感覚が自分でも不思議だった。
何百、もしかすると何千と見てきたはずの夜空から目が離せない。
人智の及ばない存在に魅了され、かたやそんな俺を遥か天空から見下しているようだ。
なぜそんな感覚を覚えたのか。――――――それは多分、俺の記憶の中に星空なんていうものが存在していなかったからだ。
一つとして存在しない星空のはずなのに、この初めて見るはずの空はなぜかいつもより遠く感じた。
「ちょっと、肌寒いな……」
俺の名前は新島星太というらしい。
というのも、今朝目覚めてからの記憶がなく、自分の名前すら思い出せないでいたのだ。
歳は十六だったか。背丈は高くも低くもない。黒い髪で見た目も普通。これといった特徴のない少年だ。
しかしそれは俺自身の容姿の話であって、今俺が着ている服には違和感があった。
簡単に言えば、中世の西洋に住んでいた人たちが着ているような、民族衣装風のちょっと変わった服を着ていた。
はたから見ても違和感満載なこの服装であるが、俺自身この服には妙に気持ち悪さを感じていた。
今は芝生に寝転がりながら夜風に打たれ星空を眺めている俺だが、この世界についてはまだ何も知らない。
今朝、俺がこの世界にやって来たときの話をしよう。
※※※
それは突然の出来事だった。
突然意識が降りてきて、目を開けるとそこに立っていた。
はっとして周りを見渡すが、そこは見たこともない場所だった。
というか、この景色どころか今までのことが何一つとして思い出せない。
まわりには建造物らしきものは多く見られるが、どれも風化しており苔に覆われている。
そこには自分と同じようにまだ状況をのみこめていない人々が大勢いた。
皆何が起きているのかわからず、視線を泳がせ突然の状況に頭を混乱させていた。
周囲の人間をよくよく見てみると、皆なにも衣服を纏っていなかった。
そのことに気づき自分の体に目をやると、俺もまた何一つまとっていない素っ裸な状態だった。
突然の出来事にパニックになっているせいか、周りの人間たちも同じ状況だからなのか、不思議と恥ずかしさはない。
さらに皆が裸であることを知って気づいたが、どうやらこの場所には女性はいないみたいだ。
少し残念ではあるが、こんな状況でも心に多少の余裕があることはわかった。
そんな風に自分に感心していると、遠くで突然一人の男が騒ぎ出した。
「な、なんだこれ……。なにか……何か見えるぞ!!」
周りの人間はこいつは何を言っているのだと相手にしていなかったが、次々に何かが見えると言って虚空を凝視しブツブツとつぶやくものが現れはじめた。そしてそれは俺にも訪れた。
突然何もない場所に半透明な薄っぺらい板のようなものが現れた。
どういう原理かわからないが、それは宙に浮き俺にだけしか見えていないようだった。
よくよくみると、その板には見たことのない文字らしきものが書いてある。
そして初めて見るはずのその文字は、理解することができる。
「ようこそ……。アスドレアへ……。どういうことだ一体……」
『アスドレア』とはこの世界の名だろうか。
文字を読むとその文字は消え、新たな文に更新された。
さらに続けて何もない空間から突然折りたたまれた布切れが現れた。
受け取り広げると、それは衣服の形をしていた。
《これはあなたへの最初のプレゼントです……。このパネルが消えた後、指定された行動を行ってください……》
口にせずともまた文字は消え、その板には今度は人の手のような絵が現れた。
口にせずとも消えるなら必ず声に出す必要はないということだろう。
表示の方はなにか動作を表しているようだ。
さっそくその絵にある動きを真似てみた。
すると今度は、先程のものによく似た『メニュー』と書かれたものが現れた。
そして先程の動作を表した絵は消え、またあの文字が現れた。
《今後はこのメニュー画面で操作を行うことができます……。なお、これで説明は全てとなります……。読了後、強制的にこのパネルは消去されます。皆さんのこの世界での無事を祈ります……。》
すると宣言通り、何もない場所から現れたパネルはメニューと書かれたパネルだけを残して消えてしまった。
すでに周りには受け取った服を着ている者もいた。
しかしまだ混乱して頭を抱えているものもいる。
いつまでもだらしない格好ではいられないし、俺はすぐに服を着たのだが何かが違う。
すると後ろから男の声がした。
「ねえ。着方、わからないなら教えてあげようか」
長身で金髪の清潔感のある爽やかな男だった。
だらしなく着ていた俺とは違って、渡された服をしっかりと着こなしていた。
その容姿に似合った爽やかな笑顔と口調で喋りかけてくる。
「ほら、貸してみて。ここをこうしてしっかり止めないとかっこよく見えないよ」
「悪いな。助かるよ」
なされるがままに服を着せられていたが、ふと思った。
なぜ俺が知らないことをこの男は知っているだろうか。
もしかすると記憶を失っていないのではないだろうか。
いやそもそも、記憶を失っているのは俺だけで、他のものは皆記憶があるのではないだろうか。
「なあ、なんであんたはこの服の着方がわかるんだ?」
「さあ、なんでだろうね。自分でもわからないんだ」
そう思ったがやはりこの男も同じだった。
勘違いかとがっかりしながらも、しっかりと着せられた服を確認した。
やはりなれない服のせいか着心地はあまりよろしくない。
体をひねったり服を引っ張ったりしている俺を見て男は笑った。
「そういえば名前を名乗ってなかったね。僕の名前は宇山穂生。君は?」
「名前? 名前なんて覚えてねえけど」
当然のように名前を聞いてきた男に、なぜこいつには自分の名前がわかるのかと疑問に思った。
俺は記憶を失った影響で自分の名前すらも忘れてしまっていたからだ。
やはりこいつは全て覚えているのではないか。
疑いの視線を向けていると男が口を開いた。
「まだ名前の確認もしてなかったんだね」
同じことで期待を裏切られるのも二度目になると、自分にさえ呆れてくる。
よくよく見るとメニューの端の方に名前の欄がある。
結局はこの男も何も覚えておらず、ただメニューから自分の名前を確認しただけのことであった。
男はひとつひとつ丁寧にメニュー画面の操作の仕方を教えてくれた。
いろいろと触れていくとわかるが、このメニュー画面から様々なパネルを出現させることができるようだ。
使いそうなもので言うと、ステータスパネル・インベントリパネル・スキルパネル・といったところだろうか。
インベントリパネル・スキルパネルはまっさらな状態、ステータスパネルには数字があったが全て1と記されてあった。
「完全な初期状態かよ……。肝心の名前は……新島星太」
「新島星太。いい名前だね。よろしく、星太」
穂生は握手を求めた。
馴れ馴れしいやつだなと思ったがなぜか憎めないやつだった。
彼の差し出した手を握り握手をかわした。
「それと、なにかあったらここに連絡をくれ」
穂生は何もない空間を不慣れな手つきで操作した。
すると目の前にフレンドと書かれたパネルが現れた。
画面には承認と拒否の文字がある。
「フレンドになればいつどこで誰とでも連絡が取れるようになる。よかったら僕とフレンドになってほしい」
「いいけど、随分と操作に慣れてるな」
「それもなんでかよくわからないけど、なんとなく感覚的にわかるんだ。忘れてしまったけど、今までにしてきたことと関係があるのかもね」
今までしてきたことか。俺が得意なことを見つければ、もしかすると以前まで同じようなことをしていたのかもしれないってことか。
「じゃあ僕はまだやることがあるから」
そう言い残すと穂生はまた困っている別の人のもとへ行き、何やら話をしていた。
彼の目的は何かわからないが、悪いやつではなさそうだ。
星太は表示された画面を見つめ、承認という文字をタッチした。