22.邪神対魔騎士
それは、巨大な生き物に見えた。
膝を曲げ、背を丸めた状態で高さが五メートルぐらいあり、立ち上がれば十メートル近いと思われる。
皮膚は赤黒い色をしていて、筋肉が発達している。体型は人型に近いが、手足がそれぞれ四本もある。
頭部は口と鼻が一体化して突き出ていて、爬虫類のようだった。頭頂部には立派な角が生えている。
ビクッ、ビクッと筋肉が脈動し、そいつはゆっくりと立ち上がった。
胸の部分には小さな顔らしきものが無数に並んでいて、それは食人鬼と同じ顔に見えた。
腹部には花弁らしきものがあり、その周囲には無数の触手が生えている。
異形の怪生物を眺め、私は首をひねった。
まともな生き物ではないのは分かったが、はて、どこかで見たような……。
どこで見たのだったか、思い出せない。遠い昔に見たような気がするのだが……。
「さあ、我らが神よ! あの愚か者に神罰をお与えください!」
教団長が叫び、怪物が彼に顔を向ける。
あっ、と思った時には、怪物の巨大な手が教団長をワシッとつかんでいた。
「か、神よ、何を!? 敵は向こうですぞ!」
もがく教団長を口元へ運び、怪物は大口を開けて彼をパクッと食べてしまった。
ゴクンと飲み込み、長い舌を出して舌舐りをする。
神だと信じていた怪物に喰われてしまうとは……自らを供物にする事ができたのだから、彼も本望かもな。私に殺されるよりはよかったのではないか。
人間一人では足りないのか、怪物は私に目を向けてきた。四本の腕を左右に大きく展開し、足を踏み鳴らして近付いてくる。
『おいおい、私を喰うつもりなのか? 冗談はよせ』
迫り来る怪物に手をかざし、魔力をぶつけて爆発させる。
あっさり片付いたと思いきや、怪物はまったくの無傷だった。爆発によって一瞬だけ動きを止めたものの、何事もなかったように迫ってくる。
『意外と丈夫だな。ならば、これでどうだ?』
魔力を高め、先程の十倍ぐらいの威力の爆発をくらわせてやる。
だが、怪物は無傷だった。超人鬼なら百匹ぐらいをまとめて倒せるぐらいのやつをお見舞いしてやったというのに。
戦闘形態の私が本気で攻撃したのに無傷とは……悪い夢でも見ている気分だ。
攻撃を受けた事で腹を立てたのか、怪物がうなり、その巨体に殺気をみなぎらせる。
とてつもないパワーを感じる。しかもこれは……この世界では感じた事のない力だ。
『グルォオオオオオオオ……!』
こいつ、まさか。
食人鬼、邪神教団、超常的な力……私が元いた世界では珍しくなく、この世界では異質な要素。
それらの大元である怪物が有している力。それは私にとって、とても馴染み深いものだった。
――魔力。この怪物は魔力を持っている。
基本、魔力とは闇に属する者が備えている力だ。その力を持つ者を、私がいた世界では、『魔族』と呼んだ。
つまり、この怪物は……この世界の魔族なのか?
……なるほどな。それでようやく分かったぞ。一五年もの間、人間として生きてきた私が、唐突に目覚めた理由が。
例のハーブの大元はこいつだ。ハーブを原料にした香水を自宅にまかれ、その影響で私は魔族として覚醒したわけか。
魔族の匂いというか力そのものが、記憶の奥に眠っていた私の前世を思い出させる引き金となったのか。
すなわち、こいつのおかげで私は本来の自分に目覚めたわけだな。喜ぶべきなのかどうか、微妙な気分だが。
『魔族なら、私の同胞という事になるが……』
『グォオオオオオ、オオォ――――ッ!』
『残念だが、話が通じそうにはないな……!』
怪物が吠え、左右の腕を交互に振るって殴り掛かってくる。
慌ててそれをかわし、後ろ向きに飛び退いて大きく距離を取る。あんなパワフルなやつと接近戦はまずい。戦いやすい間合いを維持しなければ。
『駆動爆……!』
右手に魔力弾を作りつつ、左手を地面に向けてかざして魔力円を作る。
やつが本当に邪神なのか、それともこの世界の魔族なのかは分からないが、意思の疎通ができないのでは話にならない。
少なくとも友好的な態度ではないし、こうなるともはや倒すしかあるまい。
……というのは、建前で。あれが何者だろうと、生かしておいても害にしかなるまい。
私以外の魔族など邪魔になるだけだ。部下にできそうなレベルならいいが、無駄に強い力を持っていて操りにくそうな者などいらない。やつにはここで消えてもらう……!
魔力を集中、限界まで威力を高めた駆動爆を作り出す。
怪物の様子を見てみると、やつはゆっくりとこちらへ向かってきていた。
歯ぎしりでもしているのか、大きな口をかすかに動かしてギャリギャリと不快な音を立てている。
さて、やつがもしも邪神クラスの怪物なら私の勝ち目はほぼゼロだろうが……試してみるか。
『行くぞ……天地駆動爆!』
左右の腕を交互に振るい、魔力弾と魔力円を解き放つ。
二つを同時に操作し、標的へ向かわせる。まずは魔力弾を怪物の頭部にぶつけ、爆破する。
『グエッ、グォオオオオオ!』
少しは効いたのか、怪物は苦しげな声を上げ、頭を押さえていた。
そこへ魔力円を向かわせ、四本ある脚の一つにぶつけて爆破する。地面が吹き飛び、怪物の巨体がグラリと傾く。
命中するのと同時に私は駆け出し、怪物が傾いたところで地面を蹴り、跳躍した。
右手に魔力を集中、新たな魔力弾を生み出しつつ怪物の巨体に飛び掛かる。倒れそうになった怪物が鳴き声を上げ、その口が開く。
魔力弾をつかんだままの右手を口の中にズボッと押し込み、そこで魔力弾を放ち、飲み込ませる。
『グオォ、グルォオオオオ!』
怪物が私の右腕に食い付き、ものすごい力で噛み砕こうとしてくる。腕の装甲が破られ、巨大な牙が突き刺さり、右腕がすり潰されそうになる。
残念だが、私は腕を食いちぎられても平気だ。このぐらい問題ない。
怪物の体内に潜り込ませた魔力弾はすぐには爆発しないようにしてある。時限爆という能力だ。
外側から爆破できないなら内側から爆破するまで。これはさすがに耐えられまい。
右腕を切り離し、怪物から離れようとして――気付いた。身体が、動かない事に。
『こ、これは……まさか……!』
全身を覆う鎧の表面が凍り付いている。見ると、怪物の身体が急激に冷え、霜を被っていた。
こいつにこんな能力があったのか? しかし、体温を下げただけにしては強力すぎる冷気だが……。
そうか、さっき歯ぎしりしていたのは……呪文を唱えていたな?
つまりこいつは氷結系の魔法を使ったわけだ。本当は私に向けて放つつもりだったのだろうが、私が接近してきたので自分ごと氷漬けにする事にしたのか。
くそ、なんて事だ。頭の悪そうなこいつが魔法を使えたというのも驚きだが、よりによって氷結系の魔法とは……!
私は身体の形状を自由に変形させる事ができるわけだが、冷気はそれを妨げるのだ。これは私の数少ない弱点の一つであり、他者に知られてはならない秘密でもある。
無論、少々の冷気で動きを制限される私ではないが、怪物が使った魔法はかなり強力なものだった。おそらくは氷結系の極大呪文か。
動きが止まった私を、怪物の巨大な手がガシッとつかむ。身体がさらに冷却され、氷に覆われてしまう。
『……やるじゃないか。まさか、冷気を使うとは……大したものだ』
『ギギ、ギギギギ……』
怪物が口元を歪め、笑い声のような声を漏らす。
氷漬けにした私を噛み砕いて食べるつもりか。どんな味がするのだろうな。
この私を食い殺す事ができるのかどうか、やれるものならやってみろと思うが……一瞬でも、こいつに勝ったと思われるのは癪だな。
身動きの取れない状態でできる事と言えば、もはやこれしかない。
身体の中心に魔力を集中、一気に限界まで高ぶらせる。鎧の胸部が光を放ち、全身がガクガクと震え始めた私を見て、怪物がギョッとしたような表情を浮かべる。
『ふ、ふふ、いい顔だ……絶望しながら死ぬがいい……!』
『グエッ、グォオオオオオ!』
『くたばれ。……極大自爆!』
体内で高めた魔力を解放、全身の細胞を爆弾に変え、爆発させる。
同時に怪物の腹に仕込んだ時限爆が起爆し、内と外で同時に大爆発を起こす。
怪物が絶叫を上げ、その巨体が粉々に吹き飛ぶ。
『ヘ、ヘル……ガ、イオ……?』
死に際に怪物が私の名を呟いたような気がしたが、よく聞き取れなかった。
怪物の最期を確認しながら、私もまた粉微塵に吹き飛び、怪物と運命を共にしたのだった――。




