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1.覚醒《めざめ》の朝

「……」


 目の前には、洗面台の鏡がある。

 そこに映っているのは、一人の少年の顔だった。

 線の細い、気弱そうな少年の顔。一瞬、誰だコイツと思ったが――すぐに自分の顔なのだと理解した。

 そうだ。私はこれまでずっと人間として生活してきたのだ。

 期間としては一五年ちょっとか。短いようで長い年月だな。

 そしてなぜか、唐突に前世の記憶が目覚めてしまった。


 ……何かきっかけがあったのではないかと思うのだが、まったく記憶にないな。頭でも打ったのか?

 これまで人間として過ごしてきた一五年間が夢だったように思う。全てが曖昧で、記憶がはっきりしない。

 その代わり、転生前の前世については昨日の事のようにはっきりと覚えている。

 自分が何者なのかも――いや、何者だったのかも、と言った方が正確か。


 かつていた世界で、私は魔族の騎士だった。

 闇の帝王配下、闇に蠢く邪悪な存在。それが魔族だ。

 無数に存在する魔族の中で、ずば抜けて強い力を持った者にのみ騎士の称号が与えられる。

 魔族の騎士――魔騎士と呼ぶのが一般的だ。

 その魔騎士の中でもさらに優秀な、闇の帝王直属の部下を『一三の闇』と呼んだ。

 全魔族の頂点に君臨する、一三体の魔騎士。その一人が、何を隠そうこの私だった。

 魔騎士、ヘルガイオ。

 それが前世における私の名だ。

 私は同僚である『一三の闇』をまとめ上げ、我らが主である闇の帝王のご意志に従い、魔族全軍を指揮して憎むべき敵と戦った。


 我ら魔族の敵。それは人類である。

 神の加護を受け、地上を支配していた人間共を駆逐し、滅ぼす事こそ、我らの使命。

 惰弱な人間ごとき我らの敵ではなかったはずなのだが……やつらは神の力を借りて強力な戦士を生み出し、我らに対抗してきた。

 長い長い戦いの末、敗れたのは我ら魔族だった。

 同僚は死に絶え、部下達もことごとく打ち倒された。

 そして、この私も……人間の戦士に敗れてしまった。

 私が倒された後、最後の戦いがどうなったのかは見ていないが、感覚で分かった。我が主である闇の帝王は倒され、我ら魔族は滅ぼされたのだ。

 全てを失い、絶望の淵に叩き落とされた私は……魂のみの存在となり、死後の世界へと旅立っていった。


 その後、何がどうなったのかは知らないが……どうやら私は、以前とは異なる世界に転生してしまったらしい。

 しかも魔族としてではなく、我らが滅ぼそうとしていた敵である人間として。

 ……皮肉にしてもひどすぎる状況だ。運命の女神とやらが存在するのなら、今すぐそいつの頭を吹き飛ばしてやりたい。


 改めて目の前にある鏡を見てみる。

 人間として転生した自分の顔をしげしげと眺め、なんとも微妙な気分になる。

 以前の私とは似ても似つかないのは種族が違うのだから仕方がないにしても……なんだ、この弱そうな顔は?

 線が細くて、女みたいな顔付きだ。パッチリした目には何の眼力も感じない。軽く脅されただけで泣き出してしまいそうな顔をしている。

 身体付きも細く、ロクに筋肉も付いていない。身長もかなり低いようだ。

 大丈夫なのか、これで。今までよく生きてこられたものだな。

 それだけ、この世界は平和という事なのかもしれないが……どうにも不安だ。


 自分の右手を持ち上げ、拳を握り締めてみる。力を込めても強い力などは感じない。非力もいいところだ。

 だが、そこで変化があった。右腕の肘から先の部分が、ドロドロに溶け始めたのだ。

 ヌルヌルした粘液が皮膚からにじみ出し、したたり落ちていく。

 軽く念じると、粘液が戻ってきて即座に固まり、皮膚の質感を取り戻した。

 指を曲げ伸ばししてみて、完全に右腕が元通りになったのを確認し、安堵する。


 ……どうやら、戻ったのは前世の記憶だけではないらしい。

 覚醒した私には、魔族の力が戻っていた。


 人間として生まれ変わった私の名は、平賀依緒ひらがいお

 現在、一五歳で、高校に入学したばかり。ごく普通の少年だ。

 ……ヘルガイオがヒラガイオになったわけか。何だか格下げされたようで嫌な感じだな……。


 洗面所を出た私は、ダイニングへ行ってみた。

 そこには私の家族がいた。テーブルの上には朝食が用意されている。


「おはよう。早くご飯食べちゃいなさい。遅刻するわよ」


 声を掛けてきたのは、長い髪を後ろで縛った中年女性だった。今の私に顔が似ている。

 彼女は私を生んだ母親だ。前世での私には親などいなかったのだが……。


「おはようございます、母上」

「は、母上?」


 私が気を付けをして頭を下げ、挨拶を返したところ、彼女は目を丸くして驚いていた。

 はて、何かまずかったか? そう言えば、これまでの私は彼女を何と呼んでいたのだったか……どうも記憶がぼんやりしているな。


「……ママ?」

「マ、ママ? ど、どうしたの、一体」

「おふくろ?」

「だ、大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」


 違ったか。えーと確か……そうだ、これだ。


「大丈夫ですよ、母さん」

「そ、そう? なんだか口調が変だけど……」


 母はまだ不安そうだったが、それ以上は追求してこなかった。私が寝ぼけているとでも思ったようだ。

 いかんな。意外と難しいぞ、これは……前世の記憶が甦ったせいか、人間としての記憶がすごく曖昧だ。

 今の私は人間で、ここは人間の世界なのだから、人間社会のルールに従って行動しなければならない。

 魔族は邪悪な存在であり、人間の敵だ。魔族だと知られた瞬間、私は人間達によって滅ぼされてしまうだろう。前世と同じく。

 いくら私でも、単独でこの世界に存在する全人類と渡り合うのは危険すぎる。ここはやつらの仲間として振る舞い、人間社会に上手く溶け込まなくては。


 登校の準備を整えた私は、家を出た。今から学校に行かなければならない。

 学校というところにはこれまでもずっと通ってきたはずなのだが、今の私にはそのあたりの記憶がほとんどなかった。

 人間社会に慣れるためにできれば今日一日、じっくり時間を掛けて街中を歩き回ってみたいのだが……学生は学校へ行くのが常識らしいのでそれに従う事にする。

 家を出てからしばらく歩き、私は少しばかりあせってしまった。

 何も考えずにここまで歩いてきたが、学校はどこにあるのだったか。いや、そもそもここはどこだ?

 いかん、いかんぞ……魔族のトップに君臨していたこの私が迷子などと……部下に知られたら信用をなくしてしまう事態だ。今は部下などいないが、ともかくまずい。

 そのへんを歩いている人間に訊いてみるか? そう言えば、学校の正式名称はなんだったか……だめだ、思い出せない。


「平賀君。何してるの?」

「?」


 そこで何者かに声を掛けられ、私は首をかしげた。

 平賀君、とは私の事であるはず。ならば、私の知人か?

 声の主は、若い女性だった。顔付きから見て、まだ少女といったところか。

 肩にかかるぐらいまで伸ばした、ふんわりとした栗色の髪に、つぶらな瞳、小さな唇。なかなか美しい容姿をしている。

 少女の顔には見覚えがあり、私は安堵した。少なくとも敵ではなさそうだ。


「どうしたの、こんなとこで。早く学校に行かないと遅刻しちゃうよ」


 ほう。つまり彼女は学校の場所を知っているのか。

 ならば、案内してもらおう。まさか嫌とは言うまいな?


「やあ、どうも。学校はどこにあるのかな?」

「ど、どうしたの? 何か変……まるで別人みたいだよ」


 ……鋭いな。いや、私は平賀依緒本人で間違いないのだが、昨日までの私とはまるで違うので、そういう意味では別人とも言える。

 不審に思われてはまずい。それらしい言い訳をして誤魔化しておこう。


「実は昨日、頭に隕石が当たってしまってね」

「い、隕石? だ、大丈夫なの?」

「傷はないが、記憶の一部が飛んでしまったのだよ。それで学校の場所が思い出せないのだ」

「そ、そうなの? 大変だね」


 私の説明を聞き、彼女は納得してくれた様子だった。とても心配そうな顔をしている。

 ……この子は誰だったか。顔には見覚えがあるのに名前が出てこない。できれば自己紹介をして欲しいが……。


「それじゃ、私が案内してあげるよ。付いてきて」

「そうしてもらえると助かる。君はいい子だな」

「……ねえ、本当に大丈夫? 口調がおじさんみたいになってるよ」

「問題ない」


 彼女の指摘をサラリと流し、道案内をお願いする。

 しかし、おじさんはないだろう。結構失礼な子だな。


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