16.ハーブの効果
休み時間、私は人気のない専門棟へ行き、そこでシーラさんと話をした。
例のハーブ製品について話すと、シーラさんは難しい顔をしてうなっていた。
「教団が何かを売りさばいている件については聞いているわ。この地域のあちこちで販売しているらしいわね」
「妙な効果があるみたいなんだ。原材料に何が使われているか分析できる?」
「知り合いに頼んでみるわ。やつらの狙いが分かるかもしれないし」
家から持ってきた芳香剤を一つだけ、シーラさんに渡しておく。もう一つは予備に取っておこう。こっちは警察に提出してもいいし。
「販売ルートは? 街頭販売だけなのかな」
「通販や訪問販売もやってるみたい。信者がネットや口コミで宣伝してるらしいわね。商品の種類も芳香剤や香水、洗剤、石鹸やシャンプーと色々よ。ただ、ハーブそのものを見た人はいないみたい。そいつに秘密がありそうね」
加工前の現物は見せられないのか。邪神を崇拝し、食人鬼や怪物を生み出している組織がまともな物を売っているわけがない。そこらの怪しいドラッグより危険だぞ。
そんな物をよくもうちの母親に売り付けてくれたものだ。連中には地獄を見てもらわなければなるまい……。
「あいつら、世界を浄化するとか言っていたけど……具体的に何をするつもりなのかな」
「さあ? 悪魔崇拝者とか、邪神崇拝者とか、カルト教団の考えなんて信者以外には理解できないわよ。頭がいかれた連中なのは確かね」
「そういうものなのか。教団のトップになれば儲かりそうだね」
「金儲けだけを考えてる俗物ならまだいいわ。厄介なのは、この手の人間には破滅論者が多いって事。世界を壊そうとか、人類を滅ぼそうとか真剣に考えてる連中はタチが悪いわよ。妙な術を使うやつらもいるし」
正義と平和を愛する人間ばかりではないわけか。どこの世界も同じだな。
人間は所詮、生物だ。生物にとって重要なのは生存競争に勝つ事であり、そのためなら正義にも悪にも簡単に転ぶ。
我ら魔族はそういった人間の弱い部分に付け込み、味方に引き入れたり利用したりしてきた。邪神教団も似たような事をしているのだろう。
リラックスできるハーブとやらが人間をおかしくしてしまう物だとすると、連中の狙いは社会を混乱させる事なのかもしれない。
あるいは、少しずつ中毒にでもさせて、最終的には教団の操り人形にしてしまうとか。そんなところだろう。
「こっちは信者の名前も住所も知らないのに、向こうは通ってる学校まで知っているのが痛いわね。私はどうにでもなるけど、あなたは大丈夫なの? 自宅の住所とか突き止められてるかもよ」
「可能性はあるけど、大丈夫だよ。家族は母親だけだし、何かあれば連絡するように言ってあるから。家には防犯対策も施してあるし」
一応、自宅には結界を張っておいた。赤の他人が私の許可なく立ち入る事はできないはずだ。
気になるのは、最初に私と怪物が遭遇した事をなぜ教団の連中が知っていたのかだが……あの怪物は隠しカメラでも身に着けていたのだろうか。
隠しカメラ……? いや、もしかすると……怪物自身にカメラ的な器官があったのか?
それなら納得もできるが、どうだろうな。やはり連中から聞き出すしかなさそうだ。
校内のあちこちで妙にテンションの高い人間を見掛けた。例のハーブエキス入り商品の購入者だろう。
今のところ、少しハイになっているだけで特に危険はなさそうだった。あまり強い効果があると当局に目を付けられるからか、流通している商品はハーブエキスの濃度を抑えてあるようだ。
しかし、効果が弱いからといって油断はできない。常用していれば中毒になる可能性がある。
EEPの商品が危険である事を一刻も早く世間に広めた方がいいな。手遅れになる前に。
「おう、平賀、元気か? 相変わらず女みたいな顔しやがって、シャキッとしろよ!」
「……」
声を掛けてきたのはチンピラの小西君だった。いつも不機嫌そうな顔をしていたはずの彼は、やたらと機嫌よさそうにしていた。
まさか、彼もか。みんなよく謎団体が売っている怪しい商品なんかを買うものだな。
「小西君、もしかしてハーブエキス入りの商品を買ったんじゃ……」
「おう、買ったぜ! 今ならシャンプー一本分の値段でシャンプーとリンスのセットが買えるっていうからよ! 駅前で美人の姉ちゃんが売ってたんだ!」
どこの世界でも男というものは美しい女性に弱い。小西君も例外ではなかったわけか。
「ハーブの効果でモテモテになれるってよ! これで俺もイケメンリア充の仲間入りだ!」
「?」
イケメン? リア充? なんだかチンピラとは程遠い単語のような気がするが……。
モテモテというのは、女性にもてるという意味だったか。俗物すぎて泣けてくるな、小西君よ。
近くに野々宮さんがいたので、試しに尋ねてみる。
「野々宮さん、小西君はモテモテになったらしいよ。彼に魅力を感じるかい?」
「えっ? う、うーん……正直言って、私はあんまり……」
野々宮さんは困った顔をして、答えにくそうにしていた。
変な質問をして悪い事をしたな。彼女を困らせてはいけない。
「あまり効果はないみたいだね、小西君」
「へっ、野々宮には俺のワイルドな魅力が分かんねえのさ。平賀みたいな女顔の方がいいんだろ!」
「ばっ……そ、そんな事言ってないし! 私はただ、チンピラくさいのが嫌いなだけよ!」
「照れるなって。堂々とイチャイチャしてればいいじゃねえか。俺が許す!」
「う、うるさいわね! あんたの許可なんかもらっても迷惑よ!」
小西君はゲラゲラ笑いながら去っていった。
あれがハーブの効果なのか。明るくなるだけなら悪くない気もするな。
「まったく……今日はどうなってるの? 色んな人がやたらとハイになってるみたいだけど……」
野々宮さんもさすがにおかしいと思っているようだ。ハーブの影響を受けている人間は少数だが、あれだけ目立っていては無理もない。
「妙なハーブエキス入り商品が流行ってるらしいよ。気を付けた方がいい」
「そうなの? なんか怖いね、そういうの。効き目が強すぎるのって身体に悪そうだし」
不安そうにしている野々宮さんを見て、私は逆に安堵した。
この様子なら野々宮さんが被害にあう事はなさそうだな。そもそもあんな怪しい連中が販売している商品を購入する方がどうかしている。あとで小西君達には説教しておくか。
「平賀君、飴食べる?」
「あっ、うん。いただこうかな……」
野々宮さんが透明のフィルムに包まれた赤黒い飴を差し出してきて、それを受け取った私はフィルムに小さく印刷されている文字を見て「んん?」とうなった。
EEPと記されているような……いや、これはきっとdヨヨと読むのだな。野々宮さんがあんな商品に引っ掛かるはずが……。
「これね、一袋の値段で五袋も買えたの! お買い得でしょ?」
EEPだった! なんという事だ、野々宮さんまでやつらの術中にはまるとは……人間の購買欲を巧みに突いた商法だな。さすがは邪神教団、侮れない真似をする。
「野々宮さん、その飴、全部捨てて」
「えっ、どうして? せっかく十袋も買ったのに……」
「術中にはまりすぎだ! とりあえず持っている分を全部渡して。その団体が作ってる商品は危ないんだ」
「えー……」
野々宮さんは眉根を寄せ、とても不満そうな顔をしていた。
不意にニヤリと笑い、私に挑戦的な目を向けてくる。
「いいよ。じゃあ、平賀君が調べて」
「え?」
「私がどこに飴を隠してるのか、身体検査して」
「……」
野々宮さんは両腕を水平に伸ばして胸を張り、できるものならやってみなさい、という態度だった。
なんだか野々宮さんらしくない気がする。彼女も例のハーブの影響を受けているのかもしれない。
……やれやれだな。この私の目を欺けるとでも思っているのか? あまり侮らないでもらいたいな。
「分かった。じゃあ、調べるよ」
「えっ?」
席を立ち、野々宮さんに近付く。なぜか目を丸くして、驚いたような戸惑っているような顔をしている野々宮さんに首をひねりつつ、彼女に手を伸ばす。
まずは上着から。両袖、腋の下、脇腹に手を這わせ、ポケットなどに飴が収納されていない事を確認する。
上着の内ポケットに手を入れようとしたところで、野々宮さんが私の手首をつかんできた。
「ちょ、ちょっと待って! そこまで調べる必要ないでしょ?」
「何を言っているんだい? 身体検査なんだから身体中隈無くチェックするに決まってるじゃないか。ブラウスの胸ポケットやスカートのポケットも確認するし、最終的にはソックスの中まであらためさせてもらうよ」
「私を丸裸にするつもりなの!? そんなのだめ!」
「大丈夫、公衆の面前で服をはだけるような真似はしないから安心して。服を脱がさずに下着の中まで確認するぐらいわけないさ」
「どこでそんなスキルを得たの!? これも仕事だと割り切ってる職業軍人みたいな顔はやめて!」
野々宮さんは頬を赤くしてうろたえ、少し泣きそうな顔をしていた。
驚き、戸惑い、羞恥、恐怖……様々な感情が入り交じっているようだな。
彼女をいじめるつもりはないが……ちょっとだけゾクゾクする。怯えた顔の野々宮さんも悪くない。
この時点で野々宮さんがハーブの影響を受けていないらしいのは分かった。問題の飴はまだ食べていないのか、食べていても少量なら問題ないのだろう。
それはそれとして、身体検査を続けようか。少しは私の恐ろしさを教えてあげなくてはな。
上着の前を押さえてオロオロしている野々宮さんに手を伸ばそうとしていると、そこへ長い髪の少女が割り込んできた。白原さんだ。
「待って、平賀君! 身体検査なら私にして!」
「白原さん? 何を言って……」
「隅々まで調べて欲しいの! さあ、どうぞ!」
上着の前を開き、胸を張る白原さん。
ブラウスを突き破らんばかりに隆起した胸のふくらみが圧倒的なボリュームを誇示し、思わず目を奪われてしまう。
なぜか野々宮さんが自分の胸元を押さえつつ、白原さんの胸をギロッとにらんでいて怖い。まるで人殺しの目だ。
しかし、困ったな。ここで白原さんの身体検査を行う理由がないというか、彼女の目的が何なのか意味不明だ。
これもおそらく例のハーブの影響だろう。あとで正気に戻った時、白原さんがショックで倒れてしまわないか心配だ。
「悪いけど、白原さん。君はまた今度という事にしよう」
「私じゃ駄目なの? やっぱり胸が大きすぎて気持ち悪いから?」
「そんな事はないよ。どうしてもと言うのなら日を改めて検査しよう。その時に君の気が変わっていなければね」
「う、うん! お願いします!」
ハーブの影響か、白原さんはうっとりとした表情で私を見つめていた。
ふっ、かわいい子だな。やはり秘書にでもしてやるか。
なぜか女子のみんなの目が冷たいような気がするが、もしや皆も身体検査をして欲しかったのか? 希望するのならいくらでも引き受けるのだが。
いつの間にか野々宮さんは隠し持っていた飴を取り出し、私の机の上に置いていた。
「は、はい、これで全部よ。もう身体検査の必要ないよね?」
「……残念だな。野々宮さんの身体を徹底的に調べてみたかったのに」
「ええっ!? そ、それはちょっと困るかも……」
「冗談だよ。本気にした?」
「も、もう! 平賀君の馬鹿!」
野々宮さんは真っ赤になり、左右の掌底を同時に私の胸に叩き込んできた。
ちょっと呼吸が止まってしまったが、ダメージは軽微だ。かわいいな、野々宮さんは。
クラスの皆は呆れたような顔で私達を見ていた。先程は非難めいた目で見られていたのに、この反応の違いはなんだ? よく分からないな。
私は今日の放課後にでも街中で怪しい商品を販売しているEEPの連中を捜し出すつもりでいたのだが。
先に動いたのは連中の方だった。