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4月2日(火)
今日は春休み最終日だ。明日から高校生活が始まる。新入生代表の言葉の定番「期待と不安に胸を膨らませ…」なんてことはこれっぽっちもなく、中学で仲が良かったメンバーはみんな同じ高校になった。
部活も、中学と変わらず陸上部にするつもりだ。
新しいクラスでは、みんなと仲良くなれたらいいと思う。
「…って何だよこれ」
我ながらイイ子過ぎる最後の文に、俺は書いてから一人で突っ込んだ。
そこから先が思い付かず、慣れないことは始めるもんじゃないなとぼんやり考えていると、
コンコンッ。
窓を叩く音がした。俺は窓の外を見て、それから時計を見る。そして溜息を一つ。仕方なく立ち上がり、ベランダのある方の窓を開けた。
「やぁ!」
「やぁ、じゃねぇよ。今何時だと思ってんだ」
「入っていい?」
「聞くフリぐらいしろ」
力なく突っ込み、幼馴染みの西宮楓を部屋に入れた。
時刻は11時を過ぎている。普通の女子中学…じゃない、女子高生が深夜に男の部屋に来るなんて明らかに間違っている。
「一体何の用だ。こんな時間に」
言いながら、あー…笑顔で夜這いとか言いそうだな、こいつ。とか思うと、
「えーっ夜這い?」
ほら言った。そしてなぜ疑問形?
楓は笑顔のまま続ける。
「まぁ、冗談はさておき、明日は何の日でしょーか?」
「入学式」
「あ、覚えてたの。なんだ意外。つまんないの」
来て早々失礼千万だな、お前。
「それだけのために来たのかよ。ならさっさと帰れ」
「やだよ、帰るの大変だし」
「嘘つくな。ものの十秒だろ」
俺らの家は隣だ。俺の部屋のベランダに出ると、楽に越えられる近さのベランダがあり、そこが楓の部屋だ。これが二階とかなら危ないが、マンションの一階なので、さして問題はない。
「ひどいなぁ。私はしぃを心配したんだよ?」
「余計なお世話だ。あと、しぃって呼ぶな」
俺の名前は藤沢時雨だ。由来は生まれた日に雨が降っていたから。という至極単純な理由だ。ちなみに妹の名前は生まれた時に夕方だったから夕日だ。
その「時雨」が一体どう変わって「しぃ」になるのか。いや、わからないわけじゃないが。
「いいじゃん。しぃ」
楓が俺のベッドに腰掛けながら言う。
大きな瞳にくっきりとした輪郭の小さな顔。肌は白く、ほっそりと長い手足が服から伸びていて、はっきり言って楓は美人だ。
対する俺は…言うならばどこにでもいそうな一人の男子と言ったところだ。というか、他に表現のしようがない。強いて言えば、背がわりと高めということぐらいだ。
悲しきかな、幼馴染みと言えども歴然とした人間の差。
俺は小さく溜息を吐いた。
「よくねぇって。絶対高校で呼ぶなよ。面倒だから」
「はいはい」
絶対わかってないな、こいつ。
「明日は一緒に行こうね?寝坊しちゃダメだよ」
「よく言うよ。いっつも時間ギリギリになるのは誰だよ」
「えへへ」
笑った楓の長い黒髪がふわりと揺れる。それから軽い咳をした。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。大げさだなぁ。ちょっと咳しただけじゃん」
むっとなめらかな肌の頬が膨らむ。楓は体があまり丈夫じゃない。喘息持ちでよく熱を出している。
そのくせ、陸上部のマネージャーなんていうハードなことをしたがるもんだから、中学の頃はずいぶん手を焼いた。なにせほっとけば無茶をする。危うくて目が離せないのだ。
「お前さぁ、部活どうすんの?」
「聞くぅ?それ。決まってるでしょ。陸部のマネージャー」
楓が更にぷくっと頬を膨らませた。普通ならかわいこぶってると思われるような表情でも、楓ならなぜか似合ってしまう。
「しぃは陸部でしょ?」
「ん」
「よろしい」
満足げに楓は言い、立ち上がる。そしておもむろに俺の机から茶色い表紙の本…じゃなくて書きかけの日記帳…!!
「おい!ちょっ…読むな!!」
「うわ何これ何これー!ちょっとしぃどうしちゃったの!こんなこと一生しないようなぐうたら人間のめんどくさがりのしぃが日記なんて!」
「さらっとひどいこと言うな!てか返せって!読むな!」
日記帳を手に取り、くるくると部屋の中を逃げ回る楓を、俺は追いかける。
こういう時、男というのは不便だ。しがみついてでも取り返したいのに、美人の幼馴染みにそんな行為ができるはずもない。だいたい、俺は楓以外の女子と話したことなど数えるほどしかないのだ。
「なぁんだ。今日から書き始めたの?面白くなぁい」
「お前に面白がられる必要なんかねぇよ!ほら返せっ!」
やっとの思いで日記帳を取り返し、机の引き出しにしまった。
楓はケラケラと笑い、再びベッドに腰を降ろした。
「でもさぁ。ほんとどうしたの?しぃが日記なんて。しかも私が面白半分であげたやつ」
「自分で言うなよ」
「あ、わかった」
俺のツッコミを気にする風もなく楓はぽんっと手を叩いた。楓の瞳が楽しそうに揺れる。…うーん。嫌な予感。
「楽しみなんだ?高校生活」
「…んなわけあるか」
「えぇー?ウキウキして、急に何か違うことを始めたくなったんじゃないのー?」
「…っ…ち、違う!」
俺はそんなキャラじゃない!…と言いたいところだが、実際そうなのだからどうにもならない。
「なんかさー。しぃって昔からそうだよねー」
うぅんと大きく伸びた楓は眠たそうにあくびをした。
「……寝るな。人のベッドで」
あろうことか、楓はいそいそと俺のベッドに潜り込んだ。
「普段は冷静なくせして、ほんとは妙に熱いんだよねぇ…」
「いい加減話を聞け!そしてベッドから出ろ!」
「明日9時に起こしてー」
これっぽっちも聞く様子はなく、瞬く間に楓の寝息が聞こえてきた。俺は深い溜息をつく。
「9時って、明らかに遅すぎるだろ。入学式始まってるわ」
と寂しくツッコミを入れた。
それから押し入れを開き、寝袋を取り出す。ベッドを奪われるのはこれが初めてじゃない。慣れたものだ。
目覚まし時計を6時半にセットして寝袋に潜り込む。仰向けになり、天井を見上げ息を吐く。
明日は入学式。始まる高校生活。
はっきり言おう。俺は、ものすごく楽しみだ。
こんにちは。関内ミルクです。
ずっと書きたかった学園ものです。
もう一つの方の連載がメインなので、不定期更新になりますが、どうぞよろしくお願いします。