自称・女神さまのお告げで不幸にもすべてを理解しました。
荘厳な音楽が聞こえる――気がする。
勿論それは錯覚でしかないのだけれど、僕の脳内では聞き慣れたメロディが響き続けている。
朽ちかけた神殿の、神を模した像を背に立つ少女は神々しく光を放ちながら、当人のものとは違う声で言葉を紡ぐ。
「あなたがたは、かつてこの世界を救った勇者の生まれ変わり――わたしはずっと、あなたがたを待ち続けていました」
普段はしとやかさの欠片も持ち合わせていない幼馴染が丁寧な口調で、声で紡ぎだす言葉に、僕は爆笑しかけて思わず両手で口を覆った。はたから見れば衝撃を受けて息を呑んだようにでも見えただろう。
「な……なんだって!? なに云ってるんだよ、メル。俺たちが、いや、俺が勇者の生まれ変わりだって!?」
さも当然のように云い直したもうひとりの幼馴染に、僕はじとりと目線を向ける。
おい、別にお前が勇者だなんて断定されてねーぞ。あってるけど。
「わたしはメルという少女ではありません。彼女の体を借りて、あなたがたに話しかけているのです。わたしはかつて、勇者と共にこの世界を導いていた女神――そして彼女こそが、わたしの末裔――」
「メルが、女神の末裔!?」
正確には、メルは女神の依代として身に宿すことができる巫女の血筋だ。なので、今メルの口を借りて喋っているやつは女神というよりは自称・女神である。よくもまぁそれっぽく喋れるものだと感心してしまう。大体、勇者の生まれ変わりだからもう一度世界を救えとか、図々しい頼みだとは思わないのだろうか? なぜにさも当然のようにそんなことを云えるのか、到底理解できそうにない。
そして、先程本人が当たり前のように述べた通り、もうひとりの幼馴染――アースこそが自称・女神の云う勇者の子孫。かつて魔王を封じ、世界に平和をもたらしたとされる勇者さまの末裔だ。希望通りでよかったね?
「あらたなる勇者、アースよ……旅に出るのです。仲間を集め、来るべき魔王の復活に備え、世界に平和を――うっ」
急に顔をしかめ、苦しげに身を捩らせるとメルの体が崩れるようにして折れた。そのまま、どさりと地面に倒れ伏す。驚きの声を上げ、アースが彼女に駆け寄っていく。あ、倒れてる人はあんまり揺さぶらないほうがいいよー。聞いてなさそうだけど。
……はい、まぁそんなわけでね、情報を小出しにしたまま自称・女神様がおかえりになりました。お疲れさまです。ねぇ、僕のことは無視ですか? 僕は頭数に入ってないんですか? それならそれでいいんですけどね。
「メ、メル!? メル、大丈夫か!?」
「うっ……ん……アース? それに、ナツヒも。あたし……そうよ、あたしたち、旅に出なくちゃ!」
「えぇっ!? じゃあ、今のお告げは本当に!」
あー、やっぱりこうなるかー。僕の名前も呼んでくれちゃうかー困ったなー。
頭をかきながら、僕は彼らに対して眉をしかめてみせる。これは僕のいつもの癖で、困ったときに髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしって顔をしかめていても、ただ困惑しているようにしか見えないだろう。
実際、困っているのだから嘘をついているわけでもないが。
「『とてもじゃないけど、信じられそうにないよ……アースが勇者テラの生まれ変わりだなんて。それに、メルや僕も?』」
声に出して、用意されていた台詞をなぞる。
さぁ、どうなる。
「それが本当なのよ、ナツヒ! 最後まではわからなかったけど、あたしから離れる寸前に女神様が教えてくれたわ。勇者の仲間は全部で6人。あたしとナツヒ以外にも、あと4人いるって。だから旅に出て、彼らを探しださないと」
「『それで、魔王を倒せって? いやだよ、なんで僕が!』」
「なにがいやなんだよ、ナツヒ。俺たち、英雄になれるんだぜ!? あの伝説の勇者・テラみたいにさ!」
立ち上がって、目に見えない剣を振るいポーズを決めるアース。
あー、全身全霊を込めてぶん殴りたいほどうっざい。見慣れてるけど。
勇者・テラの伝説を、この世界で知らないものはいないだろう。かつて仲間を率いて魔王を封じ、世界に平和をもたらした存在。子供たちは誰しも勇者の冒険譚に目を輝かせ、森で拾った棒切れで勇者ごっこをして遊ぶ。勇者役は当然取り合いになるけれど、勇者には他に6人もの仲間がいるから役割分担ができる。中には女性のメンバーもいるので、女の子も混ざって一緒に遊べるのだ。
アースは、小さい頃から勇者の伝説に憧れていた。
「いつか俺も冒険者になるんだ!」と云って、木で作ったおもちゃの剣を振り回し、勇者ごっこに興じていた。アースはいつだって勇者役。メルは勇者の恋人だった巫女の役を好んでいた。
僕はと云えば、他に遊ぶ仲間もいなかったのでその時々にいろんな役をやらされた。弓師、銃士、騎士、それからアサシン――勇者のPTにいたとされるいろいろな役を割り振られ、時には同時に2役も3役もこなす。そういった遊びを小さな頃から強いられたきた。
僕たちの住む村には子供が少なくて、同じ年頃だったのが僕とアースとメルの3人だけだったから、自然と僕らは幼馴染として一緒に過ごし、成長してきた。
メルは、魔術の素養を持たない人間が多いこの国では珍しく、僅かだが癒やしの力が使える貴重な存在として普段は病院で看護師の手伝いをしている。
僕は一人前になったと認められる10歳になってすぐに村から少し外れた森の中に小屋を作り、狩人として暮らすようになった。
それだけでも「幼馴染なのに離れて暮らすなんて」とうるさく騒がれたものだが、僕としては平穏であり孤独に暮らせる環境づくりがもっとも重要だったので、ほとんど強硬手段をとって独立宣言をした。
それでも、幼馴染たちとの関係は切れることもなく続いている。
否、強制的に、結ばされているのだ。
アースは、ほとんど毎日のように僕の小屋に訪れる。メルを伴うことも多いが、彼女は病院での仕事があるので忙しくしていることもある。
しかし、アースは違う。彼は、既にこの国では一人前とされる10歳を通り過ぎ、既に14歳になっているにも関わらず、いまだに無職のまま、日々を遊び歩いている。
森の中で大木相手におもちゃの剣を振るい、剣の修業をする。
ちいさな野生動物を相手に、剣を振り回して突撃していく。
冒険者になるための修行なのだと、そうアースは云うが、僕からすればそれはただ遊んでいるにすぎない。しかし、それを咎める大人はいない。村でも実力者である役人の息子であるアースは天真爛漫で人当たりもよく、頼まれさえすれば荷を運んだり畑仕事を手伝ったりはするので、むしろ周りからは働き者とさえ思われているらしい。ただ漠然と将来の夢を決めかねて惑っている少年――それがアースの『設定』だからだ。
そう、『設定』である。
アースが冒険者を目指しているのも、実は伝説の勇者その人の生まれ変わりであるのも、メルが癒やしの魔力を有する霊媒体質で巫女としての素質を持ち合わせているのも。
僕が、村はずれの森のなかで狩人として弓の腕を磨いているのだって。
全部が全部、『設定』なのだ。
あー。うん。おかしいとは思ってたんだよ。
だってさっきまでの光景、すっごく見覚えあったからさー。脳内で勝手にBGMが再生されてくるくらいに、見飽きるほどによく見てたんだもの。
自称・女神は僕らの前世が伝説の勇者とその仲間たちだと云った。
それは間違っていない。『設定』の上では正しい。
でも、僕に関しては少しばかり違う。違ったのだ。
幼い頃から時折違和感をおぼえることはあった。どうしてか、幼馴染たちを好きになりきれず、早く離れたくてたまらなかった。それは、こうなることがわかっていたからなのだとたった今理解した――もう、遅いけど。
今日は朝からアースとメルの襲撃を受けて、食事もろくに取れないままに僕の住む森とは真逆の、湖がきれいな洞窟の奥にある不思議な建物を見に行こうと誘われたのだ。
半ば引きずられるように訪れた森のなかで、僕たちはモンスターの襲撃を受けた。
モンスター自体は大したことのない、スライムみたいな物体だ。一撃当てればすぐに倒せるような弱小モンスター。アースが勇気を出して突撃していって、振り回した剣が当たってすぐに倒せた。僕も一応、弓を持ってフォローしたけど。
そもそも、この村にはモンスターなんて出ない。森も安全で、野生動物は多く見かけられてもモンスターが出現することなんてありえない。大体、あの手のモンスターは生態系からしてもこの辺にいるわけがないのだ。
なにかがおかしい。最初に感じた違和感はそれだった。
でも、今にしてみればあまりにも簡単な答えがそこにはあった。
あれは、必要な『イベント戦闘』だったのだ。
これからなにかが起こるぞ、という導入部分であり、プレイヤーに戦闘の仕方を理解してもらうために必要なチュートリアル戦闘。コマンドを覚えたり、動かし方を確認したり、このゲームでの戦闘パートはターン制を取っていて、アイテムの使い方は次の戦闘にならないとわからなくって……そんなやつ。
頭によぎったそんな画面映像に疑念を抱きながらも、半ば確信的に、僕を引きずるアースたちは洞窟の奥の神殿へと辿りつく。
神を祀った神殿のかつての姿。こんなところにこんなものがあったなんて、と口々に云いながら今は朽ちてしまった柱を縫うように歩き、神像の下に広がる石碑に触れた途端、メルが目を見開き、凍りついた。
彼女はふっと意識が途切れたように目を閉じ、開いたときにはその瞳の色が変わっていた。風もないのに髪がたなびき、ふわふわとスカートの裾が膨れ上がる。神々しい光が体を覆っていき、開かれた彼女の唇からは聞き覚えのない別人の声が紡ぎだされて――
そして、冒頭の台詞をご確認ください。これで冒頭イベントが終了です。
……やっぱ、そうだよねー。これってあれだよねー。間違いなく。
僕ってば「生前」にプレイしてたゲームの世界のキャラクターになってる。というか、「転生」してるよね、これ。
転生は転生でも勇者の仲間であった弓師じゃなくって――プレイヤー側の人間ですよ、僕。
なにがどうしてこうなった。とか思っても遅いでしょ、もう。
だって僕は「生前」の自分が死んだことを覚えているし、この世界で、ナツヒとして生まれてから10年を暮らしてしまっている。ここがゲームの世界なのかと云われると、答えはほとんどイエスに近いだろうけれど、僕にとって現実の世界でもあるのだ。
だから僕はいろんなことを諦めて、この世界で二度目の人生をやり直す以外にないのだろう。
……まぁ、前世なんてものには既に未練はないし、そもそも死んだ理由も理由なのでどうでもいい。ただ、なんでまた生まれ変わって、しかもこんな世界で過ごさなきゃならないんだと思うとやりきれない。
なぜならこのゲーム、前世においてものすごく有名だったんですよ。クソゲーとして。
頭がお花畑な勇者さまと彼に追随する脳内はっぴーなご一行が世界を救うためと旅をしていくRPGとしては実にありふれた展開なのに個々のエピソードがことごとくぶち壊れたクソ展開。シナリオというシナリオに整合性がなく、破綻し尽くした意味のわからないストーリー運び。
中でも、キャラクターの扱いの酷さには定評があって。
このゲーム、いわゆる主人公マンセー型の頭ゆるっゆるなライターが作ったのだというのはファンの中でも有名な話だ。
主人公ちゃんかわいい。主人公ちゃんが正義。主人公ちゃんこそがすべて。……腐女子だったそうですよ、そのライター。有害BBAは早々に業界から消えていただきたいものである。
つまり、主人公のアースこそが法律であり、彼のすることに間違いはない。そんな思い込みと勢いだけで突っ走っていく勇者さまご一行の物語に、これから僕は強制的に巻き込まれていくことがたった今決定したわけですよ。みなさま、現状がおわかりいただけましたでしょうか? 僕は逃げたいです。
気づけば、アースとメルは出発は明日だとかいやむしろ今日からだとかいう話題で盛り上がっている。
僕は試しに、用意されていたイベント台詞以外を口にしてみようと思い立って、彼らに声をかけた。
「ねえ、アース、それにメル……僕、旅になんて出たくないんだけど」
僕には仕事もあるしさぁ、と言外にお前らと一緒にいたくないという意志を滲ませながら告げれば、ふたりはきょとんとまばたきをして。
「心配すんなよ、ナツヒ! 俺たちは伝説の勇者の生まれ変わりなんだぜ? なにも怖いことなんてないって!」
いえ、別に怖いとかそういうんじゃないです。怖気づいてはないです。興味がないだけなんです。
「そうよナツヒ。あたしだって多少は役に立てるし……それに、アースがいれば大丈夫よ!」
無職のアースのなにが大丈夫なんですか。むしろメルという唯一の回復役がいないと早々に詰むんだよこのゲーム。どうしてか回復アイテムの使用回数が限られてるせいで、戦闘になったらとにかく回復役をもたせないと本当にやばいんだよ。知ってんの? 知らないよね。うん、知ってた。
「それに、俺たちいつも一緒じゃんか。この先だって、俺たち3人なら大丈夫だって!」
「そうよ! あたしたち幼馴染だもの。ずっと一緒よ!」
「あぁ……うん」
昔からわかっていたことだけど。
ふたりは、僕が心底自分たちのことを拒絶したとしても、それを理解はしないだろう。なぜ僕が早々に独立して、村はずれに住むようになったのかもわかってないに違いない。
幼馴染だから。ずっと一緒に過ごしてたから。だからなに?
僕がお前たちのことを嫌ってないだなんて、どうして思い込んでいられるの?
ずっとずっとずっとずっとずーっと前から、僕はお前たちのことが大嫌いなのに、なんで?
「……そう、だね。幼馴染だから、ね。僕も一緒に、行くんだよ、ね」
「あぁ、そうだ! 俺たちで世界を救うんだ!」
「えぇ、そうよ! がんばろうね、アース!」
引き攣れた僕の笑顔を見ても、このバカふたりはなにも感じないらしい。昔からそうだったから、もう諦めてはいたけれど。ようやく、納得することができた。
この世界は、いわゆるクソゲーのそれであって。
ここでは、主人公であるアースの云うことがすべて正しくって。
だから僕は、アースの思い通りに振る舞っていればそれでよくって。
…………………………でも僕は、この世界とは別のどこかから来たであろう、『転生者』なので。
「……うん、そうだね。僕、がんばるよ!」
にっこりと笑顔を浮かべると、バカふたりは歓声をあげて喜びだす。
「おっ! やっとその気になったな?」
「まったく、ナツヒったら本当怖がりなんだから! 昔っからアースの後ろに隠れてばっかりでさ。そうそう、小さいころって云えば――」
かつて冒険者になりたいと思った日の思い出を語り出すアースとメル。バカふたりから一歩後ろに離れたところからついて歩き出しながら、僕は貼りつけた笑みを引っ込める。
そうだね。僕、がんばるよ。
ここがあのクソゲーの世界だとしても、僕はそれを既に知っているから、僕にしか出来ないことがこの世界にもあるのだとたったいま理解したのだから。
主人公キャラの仲間に転生? なるほど、立場としては都合がいい。そう割り切ってしまえば今の状況も環境も悪くはない。
大体「生前」プレイしていた頃から気に食わなかったんだよね、このクソゲー。クソシナリオ。
だから、だからさ。
僕が責任をもって、このクソみたいなシナリオをぶち壊してみせようじゃないか。
お前たちのクソみたいな世界なんて、僕が全部ぶち壊してやる。
そして、今度こそ救ってみせる。
僕自身を。
これから出会うだろう不幸で不憫なキャラクターたちを、お前たちから救ってやるんだ。
楽しげに前を歩くあらたな勇者の背中に向けて、僕は目に見えない弓を引き絞る。
幼いころに遊んだごっこ遊びのように、弓をひく。
放った矢が彼の背を、胸を、心臓を突き破るところを思い浮かべながら、僕は薄っすらと笑っている自分に気がついた。
――さぁ、楽しくない冒険のはじまりだ。