世界を覆う呪い
この世界は、都市国家という小国家群から成る。
長老が治めるルチコル村や、聖女という名の女司祭長が治めるアルトグレンツェは、独立小国家と数えられてはいるが、城塞都市シュネーケンのような強大な都市国家ではない。各国はそれぞれ同盟で結ばれて良好な関係を築いている。
各国の代表者たちが、議場である教会の円卓の間にそろった。
どの代表者もいずれ劣らぬ美女ばかりで、議場の隅で静かに見学しているヴァルも気後れしていた。
リーゼロッテも緊張しているのか、小柄な体をさらに縮こめている。
「お集まりくださいまして感謝します。皆さまがこうして、一堂に会するのも久しぶりですので、あいさつから始めるべきかもしれませんが、世界に起こっている事態は非常に深刻で、緊急を要するもの。さっそくですが、本題に入ります――」
口火を切ったのは、アンネローゼ。
黒髪にまぶしいほどの白い肌と、蠱惑的な赤い唇を持ち、民衆から“白雪姫”とも呼ばれ敬愛される美女。城塞都市シュネーケンの次期女王である。
「――ルクレティアが、謎の呪いにより、深い眠りにつきました」
抑揚なく話すアンネローゼ。
驚きの声がさざ波のように広がる。
「呪い? いったいどういうことなの?」
プラチナブロンドの長い髪が揺れて、ひとりの美女が尋ねた。
「オズヴァルトと申します。僕から話の続きを」
進み出たのは、眼鏡をかけた若い男。
穏やかな声の調子とやわらかな物腰は、いかにも聡明そうな優男という風情だが、一重まぶたの細い目の奥に、複雑でミステリアスな色をたたえている。
「ルクレティアは、先代の聖女――ルクレティアの母親ルイーズから聖女の力を継ぐという、まさにその瞬間に、何者かの呪いを受けました」
何者か、という言葉を用いたオズヴァルト。
彼の話によれば、聖女を退き、娘に力を託そうとした瞬間、ルイーズから離れた力をルクレティアが受け取る前に何者かに奪われた。
つまり、横取りされたのだ。
聖女とは巫女のような存在で、聖女の力とは人智の及ばぬ神通力のようなもの。
強大な力だが、先代から次の清らかな魂へ継承という形で連綿と引き継がれてきたものである。先代の聖女であったルイーズが手放さない限り力は継承されないし、力が継承された後のルクレティアに悪しきものが触れることは決してできない。
しかし、力が継承される前に、ルクレティアは呪いにかけられた。
ルクレティアは、聖女たる魂と資格を有していたに過ぎない。聖女としての力は、まだ受け継いではいなかった。
確かに、これまで聖女ルクレティアの正式なお披露目や通達はなかった。
年齢を理由にしたルイーズの退位の噂は世界中に広まっており、新たな聖女の誕生だと世界が勝手に沸き立っていたのだ。後継者ルクレティアはすでに聖女だという誤った認識すら人々には定着していた。
そして、アンネローゼの父王の側妃として、かつてルクレティアを産んだルイーズは、聖女としての力を放出した後、亡くなったのだという。
各国の代表者たちに動揺が走る。
ヴァルさえも混乱していた。
(ルクレティア……まさか、こんなことになるなんて……)
「この世界にも、同様に呪いがかけられています」
オズヴァルトは淡々と続ける。
「世界の均衡を保つとされる聖女が不在となったのですから、呪いをかけることは造作もなかったのでしょう。どのような呪いか、明確にはわかっていませんが、すでに世界各地に危険な魔物が多数出没し、平和をおびやかしているという報告も入ってきていることから、それも呪いによるものかと推測――」
「今こそわたしたちは聖女の力に頼らない世界を築くべきです!」
オズヴァルトを遮って、アンネローゼが声を上げる。
「ルクレティアにかけられた呪いを解くことは、この世界にかけられた呪いの謎を解くことにもなるでしょう。世界の平和を取り戻すことが、第一に求められます。しかし、そもそも聖女という存在があること自体、聖女の力というものがあること自体が、世界に混沌と恐怖をもたらす原因になっているのではないでしょうか?」
「聞き捨てならない」
凛とした声が議場に響く。
「聖女の存在があるからこそ、世界は平和であり続けられるのだ。聖女の不在によって、世界の均衡が崩れたために世界は呪われた。これはまぎれもない事実。呪いが解け、ルクレティアに意識が戻れば、聖女の力を取り戻すすべがわかるかもしれない」
切れ長の瞳に鋭い光が宿る美女――シンデレラ。
プラチナブロンドのつややかな長い髪とサファイアのような碧眼が印象的な彼女は、神聖都市ルヴェールの代表者たる有力な貴族の娘。
「世界の平和は、聖女の存在を欠いては得られないもの。その証拠に、二千年もの間、聖女のもとで世界は平和を保ってこられた」
「十二年前に美景都市ミラ・カが滅亡した事件をもうお忘れのようね。歴史の勉強をなさってきた? あのときから、世界の平和は徐々にひび割れてきていた。喉元過ぎれば熱さを忘れるという典型的な例だわ」
アンネローゼがシンデレラを睨みつける。
「わたしは世界を大きな視野で捉えていただきたいの。世界は二千年もの間、ずっと平和であったわけではない。自分のそばに火の粉が降りかからなければ、それを異常もしくは平和の乱れとは認めないなんておかしいわ」
「わたしも認めていないわけではない。ただ、世界の存続が危ぶまれるほどの危機的状況には陥らなかったと言いたいだけだ」
「静粛に! 二人とも落ち着きなさい」
オズヴァルトが一喝する。
「今、我々がすべきことは、仲違いをすることではありません。ルクレティアの呪いを解くことです。違いますか?」
アンネローゼとシンデレラは口をつぐむ。ルクレティアの呪いを解くことについては、二人とも異論はないのだ。
「ルクレティアは、〈シピリカフルーフ〉の中のどこかに眠っているらしい。だが、今やあの塔は呪いのいばらに覆われていて、大変危険です。迂闊に近づくと命に関わります」
「でも、塔の中の様子を探らないことには、呪いを解く糸口も見つけられないわ」
アンネローゼが不満げに漏らす。
壁にもたれて立っていたヴァルは、聖女の住まいであった〈シピリカフルーフ〉を、窓の外に見た。輝いていた白亜の塔は、鉄条網のようないばらに巻きつかれ、どす黒く変貌している。
「皆さまが塔に立ち入るのを禁止はしません。僕としても、ぜひ探索をお願いしたいのです。ただ、立ち入る際には、騎士をお供にしていただくという鉄則を課したいと思います」
「……騎士?」
「そうですよ――お嬢さん、お名前は?」
思わずつぶやいた独り言を拾われ、なぜかオズヴァルトに唐突に注目された少女がどぎまぎしている。ヴァルがぴくりと反応して、窓から円卓に視線を戻す。
「……ルチコル村代表の、リーゼロッテと申します」
「リーゼロッテ、僕は騎士試験の試験官をしていましてね。もちろん率先してやっているというわけではないが――騎士になるためには、僕の試験を受けていただき、合格する必要があります。そうして騎士になれた者を、お供としてあなたに付き添わせてください」
オズヴァルトが、そう話した直後、リーゼロッテからヴァルへと視線を流した一瞬のできごとに気づいたのは、目が合ったヴァルだけだった。