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導きの夢

 そこに世界はあった。

 ただひとつの世界。創世神が、ありとあらゆる色の光をより集めて創ったとされる、光にあふれた世界。

 真の統率者は、創世神の血を継ぐという聖女であった。その存在は尊く、統率者といえども独裁を行っているのではない。

 聖女ルクレティアは、世界の安寧と平和を祈る巫女のようなもの。人々を精神的に支える太陽のような存在であった。


 そろそろ世界に夜が訪れる。

 大地に光と恩恵をもたらし、人々に昼の労働を義務づける太陽が、山の向こうへ沈む。


 その代わりに夜空に昇ってくるのは、月。夜は人々を昼の労働から解放し、体を休ませるためにやってくる。

 また、夜にまぎれて闇に似たものたちが世界を徘徊しないように、創世神がいつでも見守っているということを示すために月はある。

 世界には、聖女ルクレティアと対を成す月のような存在もあった。

 ルクレティアの腹違いの妹、アンネローゼ。



 吹けば飛びそうなあばら屋に、男は住んでいた。

 森の中は、動物と、それから闇に似たものたちが住んでいる。息をひそめて、時には――おそらく空腹のときは――人々の前に突如現れて人々を襲い、喰らう。

 森は危険だが、ルチコル村の人々は森と共存していた。森のそばに長くすんでいると、特別な能力が発達するのだ。村の人々は、動物や魔物の心が読めた。もっともそれは、動物はともかく、魔物にも心があった場合に限る。

 豊穣の里という別の名を持つルチコル村は、男の住むあばら屋の目と鼻の先にある。

 しかし、ルチコル村に住む人々の中にそれを知る者は少なかった。男は、猫の額ほどの畑を耕しながら、たったひとりで生きていた。


 ルチコル村で“姫”と呼ばれる少女は、男の暮らしを、「隠遁生活」だと言った。

 人と話さないと、「いつか人の言葉を忘れてしまう」とも。


(人と関わるのは面倒だ)


 好奇心で森の奥に分け入り迷子になって、そのうえ熊の晩飯にまでなりかけた少女を、男が助けてから、もう十年が過ぎた。今はもう十六歳の“姫”――リーゼロッテ。

 トレードマークの赤い頭巾をかぶって、パンと葡萄酒を持って、男のもとをたびたび訪れる。

 彼女が幼いころは、彼女の唯一の肉親である父親と一緒に男を訪ねてきたものだが、最近は彼女がひとりきりでやってくる。

 うら若き乙女が、独房で隠遁生活を送る不精な男を訪ねるのは、いかがなものか。

 男は一度、父親にわざわざ会いに行き、彼女が自分を訪ねるのをやめさせてほしいと頼んだこともある。

 だが、聞き入れられなかった。父親は娘の命の恩人である男をないがしろにはできない、と言ったのだ。

 それからは諦めて、男はリーゼロッテの訪問を心ならずも受け入れている。


 豊穣の里の名を持つだけあって、ルチコル村に作物は何でもよく実った。動物と心を通わせることができる村の人々に動物は殺せない。食すものはすべて植物だ。

 リーゼロッテの父親はパンを焼く職人だった。ヘンゼルとグレーテルという偏屈な兄妹の営む果樹園でできた葡萄から作られる酒は絶品だと、村よりずっと都会の、シュネーケンという都市でも評判がよい。

 今日も、リーゼロッテは籐編みの籠を提げて、男を訪れた。


『このごろ、なんか不安だわ。魔物が村にもよく出没するのよ』

 と、彼女は顔を陰らせる。

『じゃあ、こんなところに来るなよ』

 男が言うと、リーゼロッテは頬を膨らませた。そうしなくても、ふっくらとした頬を。

『そういうことを言ってるんじゃないの。わたしはヴァルを心配してるのよ』

 ヴァル――ヴァレリアンというのが、男の名前だ。リーゼロッテはたいてい、勝手に彼女が付けた愛称で、男をヴァルと呼ぶ。

『こんなところにひとりでいるのは危険よ。今、世界は何だかおかしいわ。わたし、感じるの』

 真剣な面持ちでリーゼロッテがこぶしを握り込むのを見て、ヴァルはいぶかしむ。いつもの明るく快闊で天真爛漫な彼女ではない。

『ヴァル、わたし、アルトグレンツェに行くの。ルチコル村の代表として』

『アルトグレンツェ? なぜ、おまえが村の代表なんだ?』


 教会の村アルトグレンツェは、都市シュネーケンから程近い場所にある神聖な村。

 世界の各地にある教会を統括する最上位の教会と、世界の守り神とされる聖女ルクレティアの住む塔〈シピリカフルーフ〉が建っていることから、聖都とも呼ばれる。

 世界にまたがる問題を協議するとき、人々の代表者は必ずアルトグレンツェに集められるのだ。


『村の長老はもうお年でアルトグレンツェまで行くのも難しいわ。それに、アンネローゼから直々に手紙をもらったのよ。ぜひ、わたしに来てほしいって』

『高慢ちきなシュネーケンの王女様か……』

『アンネローゼのことを悪く言うのはやめて』


 城塞都市シュネーケンの王女アンネローゼは、聖女ルクレティアの義妹。

 アンネローゼの父である国王は、正妃がアンネローゼを出産する前に、代々聖女となる女傑の家系を継ぐ側妃との間に、ルクレティアをもうけた。

 ルクレティアは聖女となるべく、側妃とともにアルトグレンツェに移って暮らし、アンネローゼはシュネーケンで王女として育った。ゆくゆくは父の後を継ぎ女王に即位することが決まっている。


『ねぇお願い、ヴァル。わたしと一緒に、アルトグレンツェに行ってくれない?』

『……はあっ?』

 リーゼロッテの唐突な申し出に、ヴァルは間の抜けた声を出してしまった。

『なぜ俺が? 用心棒を買って出る男なら、村にいくらもいるだろ?』

 ルチコル村でいちばん器量のよい娘を、アルトグレンツェへの道中、騎士よろしく守りたいと手を挙げる若い男は、たくさんいるはずだ。剣や弓の手習いなど、男に生まれれば幼少からたたき込まれるのは当たり前で、いくら小さな村といえども筋のよいのはいるだろう。

『夢を見たの、誰かに呼ばれる夢よ。ヴァルと一緒に、アルトグレンツェを訪ねてきてほしいって、夢の中でわたし、確かにそう言われたの』



(夢――か)

 リーゼロッテの夢を操ったに違いない。きっとヴァルの夢をもまた、不思議の力をもって操るのだ。

 眠りについてしまえば、ヴァルに逃げ道はない。


* * *


「ここへ来て」

 聞き覚えのある声。


(あれは――〈シピリカフルーフ〉……?)

 ヴァルが十数年前に見たきりの姿を保つ白亜の塔。空まで届きそうに高くそびえるその塔には、平穏な世界を統べる聖女ルクレティアが住んでいる。

 しかし、塔の上に広がっていた青い空はたちまち暗雲に飲み込まれた。稲光がぎらぎらといくつも地上へ突き刺さる。

 いつしか灰色に染まった〈シピリカフルーフ〉は、どこからかみしみしと這い出してきたいばらに覆われるように絡みつかれていく。


「ここへ、アルトグレンツェへ来て――あなただけが頼りなの」

 骨の髄までじんと熱くしびれるような声だった。

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