綾人の間違い
「お受け取り下さい」
机の上に置かれた革袋の口から金貨が覗いていた。
初めて間近で見た黄金の輝きに目を奪われ、思わず食入りそうになるのを理性を総動員して制止する。
混乱する頭を抱えたまた、なんとか宰相に向き直った。
「……すみません、最初からもう一度言ってもらえますか?」
「高羽様をこれ以上この城に置いているわけにはいきません。この金貨を受け取って城から出て行ってくださいませ」
「……なぜ、俺が? それにいきなりそんなこと言われても……」
「【祝福】です」
宰相の声が氷の刃のように室内の空気を切り裂いた。
感情の欠落した怜悧で冷徹な言葉が俺の胸に突き刺さる。
(俺の【祝福】のことがバレた? それで使えない能力の持ち主だから追い出そうとしているのか?)
早鐘の様に暴れる心臓の鼓動を聞きながら、なんとか言葉を搾り出す。
「【祝福】、ですか? でも、俺はまだ【祝福】に目覚めていない――」
「――だからです」
「……え?」
「【祝福】とは神々から与えられた【力】。この世界を統べる【権能】。そして、王たる【証明】。
【祝福】がないということは即ち、その者が王に相応しくない、候補者ではないということになるのです」
「……【祝福】がなければ候補者では、ない?」
(待て、待て待て、もしかして、俺はとんでもない勘違いを――!?)
「我々はこの一ヶ月待ち続けていました。今までの候補者の方々は遅くても二週間ほどで【祝福】を得ていたから、高羽様も時を置けば【祝福】に目覚めくださるだろうと」
俺が目覚めたのは、この世界に召喚された翌日だった。
そして、それを誰にも言わずに今日まで秘密にし続けていた。
「ですが、高羽様は一向に目覚めない。これはどういうことなのかと私どもは日々話し合い、一つの結論に達しました」
――高羽綾人は候補者ではない
「なぜ、高羽様が候補者でないのか。それは私どもにもわかりません。ですが、以前にも候補者の方が【祝福】を失い、候補者としての資格を失うという事例は存在しました。
そのことから類推し、高羽様を候補者から外すという結論に至ったのです」
宰相の言うことは至極真っ当で、だからこそ理解したくない現実が、そこにあった。
足元から世界が崩れ落ちていくような感覚が俺を襲う。
ぶるぶると、寒くもないのに体が震えた。
俺は、とんでもないことをしてしまった――そう思ったが、後の祭りだった。
(ヤバい、ヤバいヤバいヤバい……! まさか、黙っていたことがこんなことになるなんて……! 言わなきゃ、今すぐ、俺に【祝福】があることを――)
「あ、あの――!!」
「……高羽様」
「――っ!?」
宰相の視線が俺を貫く。
一瞬で【深紅】に染まったオーラが、俺の舌を縛り付けた。
俺の後暗い部分を直視するような、有無を言わさない圧力。
声が出ない。何かを言おうとしていたのに、頭の中が真っ白になって、何を言えばいいのかわからない。
知らず知らずのうちに涙が浮かんできて、ひどく自分が惨めな存在に思えてきた。
「これはもう決定したことなのです。百万ダリル入っております。
……どうぞ、お受け取り下さい」
◇
いつの間にか自室に戻ってきていた。
金貨の詰まった袋は俺の心のように、両腕に重くのしかかっていた。
袋を床に放り投げる。黄金の雫が真紅の絨毯の上に広がった。
陽光を跳ね返し煌めくそれが、俺の心を千千に乱れさせた。
何も言えなかった。反論の一つもできなかった。
この金貨を渡されて、俺はこの城から放り出されるのだ。
候補者として地位も、国家という庇護者も失い、何も知らないこの世界を一人で生きていかないといかない。
――全部、俺が一人で小賢しく立ち回ろうとした結果だ。
怖い。俺には何もない。
力も、知識も、寄る辺も。頼るべきものがなにもないということが、こんなにも心細いことだとは知らなかった。
俺はこの日、僅かな金貨と引き換えに全てを失った。
――自らの愚かさ故に。
◇
宰相が用意してくれた馬車に乗る。
最低限の旅の荷物も用意してくれて、後は俺が乗り込めば走り出す状態だ。
向かう先は城から一週間ほどの場所にある小さな町。
俺が持っている金貨を使えば商売の元手にするなり、田畑を買うなりして十分に食べていくことはできるだろうと言っていた。
御者の騎士は俺の知らない人間だった。
道中の護衛と、サバイバルなんてしたことのない俺の身の回りの世話をしてくれるのだと言う。
(放り出すと言ったのに最後まで面倒見はいいんだな……)
わざわざ、俺なんかのために。
ぬけがらのような心に、そう自嘲の気持ちが湧き上がった。
王城の人たちに特に恨みはない。候補者というものを理解していなかった俺の自業自得だからだ。
むしろ、ここまで手を回してくれることに感謝の念を抱いていた。
「道中迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
騎士に頭を下げて、馬車に乗り込む。このひと月で住み慣れてきた王城を振り返るような真似はしない。
柔らかな座席に鉛のように重い体を沈めながら、金貨の詰まった袋を抱え込む。
これが唯一、俺の頼れるものだから。




