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 香菜絵が言ったテナントビルはそこそこの広さがあるものの、ほとんど店舗が入っていなかった。1階にはチェーンのハンバーガーショップと喫茶店だけ。他の場所は何もなくて、好意的に見れば広々としていると言えない事もない。しかし、結局のところ、寂しい空間という印象は否めなかった。

 チェーン店の方が無難といえば無難だったものの、せっかくだからという事で喫茶店の方に入る。焦げ茶色の木のインテリアが中心で、水樹はこういう雰囲気のお店が好きだ。しかし、店内にはお客は1人もいない。店員も中年の女性が1人だけだった。きっとそれでも十分間に合うのだろう。

 水樹は紅茶。香菜絵はコーヒーを注文する。2人で喫茶店に入ったら大抵この注文だった。

 一人きりの店員は愛想のいい人で、にこにことしてカウンターの方へ戻っていった。

「ここ、結構いいお店じゃない?」

 両手で頬杖をついてこちらを見ながら、香菜絵は聞いた。明るい髪がテーブルまで垂れ下がっている。まるで絵画のモデルのような雰囲気があって、水樹は人知れず息を呑む。

 笑顔で頷いてから、水樹は答える。

「うん」

「なんとなくだけど、基子さんと一緒じゃない?」

「え?」

 基子さんというのは、平安奈基子という名前の女性の事だった。つまり、水樹の後見人。喫茶店ではなくて、家庭料理の店を営んでいる。

「多分、こういう店を持ってみたいってずっと思ってて、何年も会社勤めしたりして、ようやく手に入れたっていうか・・・・・・お店に愛があるっていうか、そういう感じがしない?」

 多少事情は違うものの、店長の夢だったという点では、確かに似ているかもしれない。

 自然と水樹は穏やかな表情になる。 

「・・・・・・そうかも」

 香菜絵も優しく微笑む。

 そこでタイミング良く、注文した品がやってきた。

 2人の女学生は、同時にカップに口を付ける。

 紅茶は意外にも少し甘くて、そしていい香りがした。

「うん。美味しい」

 コーヒーを一口飲んだ香菜絵もそう呟く。

 心休まるひととき。

 もう少しこのひとときを過ごしたい。

 何も言わずとも、2人には互いの気持ちが分かった。

 外の喧噪を忘れ、しばし癒しの時が続く。

 やがて、香菜絵が話を切り出した。

「・・・・・・じゃあ、予約の時間までもう少しあるから、いろいろ相談しておきましょうか」

 一瞬で、香菜絵は楽しみで堪らないという表情に戻っている。

 よくよく聞いてみると、このビルの2階で営業している占い師に診て貰うには、事前に予約が必要なのだという。予約してまで診て貰うような占いなんてあるのだろうかと水樹は思ってしまうものの、ここまで来たのだから仕方ない。そこまで計算して、わざわざここに至るまで今日の予定を秘密にしていたのだろう。香菜絵の手法としては割と一般的だった。そして、その手法に毎度毎度律儀に引っかかるのも、また水樹なのかもしれない。

 それはそれとして、水樹には聞いておかなければならない事があった。

「占いはいいんだけど、それより、事件っていうのは?」

 大袈裟に頷く香菜絵。

「よくぞ聞いてくれました。やっぱり水樹も気になるでしょ?」

「気になるっていうより、危ない話だったら引っ張ってでも連れて帰らないと」

 じっと目に力を込めてそう言ったものの、香菜絵はどこ吹く風だった。

「大丈夫。私達には無害なはずだから」

「私達には、なの?」

「そう。というか、全然聞いた事ない?知らないのって水樹くらいなものじゃない?」

「だから、どういう話?」

 笑みがこぼれる香菜絵。雰囲気のある容姿をしているだけに、どこか凄みのある表情だった。

 彼女はそっと告げる。

「ここね・・・・・・呪われてるんだって」

 それだけ言って、香菜絵はじっとこちらを見つめる。

 瞬きしながら、その視線を受け止める水樹。

 たっぷり沈黙があってから、水樹は聞いた。

「それで?」

 他の感想なんてあるわけない。

 そう思っていた水樹に、香菜絵は少し不満そうに告げる。

「普通、少しくらい怖がるものじゃない?サービスとして」

「怖がるところだったの?」

 笑顔のまま溜息を吐く香菜絵。

「薄々分かってはいたけど、水樹ってホラーに対して無敵よねえ。呪いとか幽霊とか、今まで怖いって思った事ないでしょ?」

「うん」

 これ以上ないくらいあっさりとした返事をする水樹だが、心中は少し複雑だった。

 呪いや幽霊なんてこの世界には存在しない。

 何故なら、自分はもう何度も確認したのだから。

 この世界では魔術が使えないという事を。

 一般的にオカルトと呼ばれるものについては、水樹はあまり楽しむ気になれない。そして、怖がるようなものでもなかった。

 もしそんなものが存在するなら、魔術が使える方法があるなら、是非教えて欲しい。

 魔術が使えれば、向こうに帰れるかもしれない。約束が果たせるかもしれない。

 そんな水樹の心境が分かるわけもなく、香菜絵は楽しそうに尋ねてくる。

「というかね、幽霊とか呪いとか、言葉の意味分かってる?」

 落ち込んだ心境を悟られないように、水樹は表情に気を遣った。これは結局のところ、自分の問題でしかない。大切な人までつまらない事で落ち込ませたくはない。

「一度だけだけど、基子さんと映画を見に行った事があるから、多分」

「映画ってどんなやつ?」

「凄い乱れ髪の女の子が、井戸から出てくる話」

 どういうわけか半眼になる香奈絵。

「へえ・・・・・・で、その映画の感想は?」

「女優さんの仕事って大変だなって・・・・・・」

 水絡みの話だったので、幽霊役の女の子も、主人公の女の人も、ほとんどのシーンでずぶ濡れだった。何度も何度もやり直したシーンもあっただろうから、その苦労は計り知れない。

 他の感想はあまりなかった。随分ストーリーがあっさりしていたし、あまり教訓のようなものもない映画だったので、内容は覚えていても印象がほとんどない。

 コーヒーに口を付けてから、香菜絵はまた息を吐く。

「ホラー映画を見に行く時は、下手な男連れて行くより、水樹を連れて行った方がいいかもね。あと、お化け屋敷とかも」

「あ、私、お化け屋敷は怖かった」

 何故か香菜絵は驚いたようだった。

「そうなの?なんで?」

「普通怖いと思うけど・・・・・・」

「映画の方が怖いでしょ。お化け屋敷なんて、下手なとこだとほんとハリボテだし」

「ハリボテかどうかは知らないけど、人が突然出てくるから」

「ああ・・・・・・そういう怖さ?」

 少し呆れ気味の香菜絵だった。 

「まあねえ・・・・・・暗くて狭い屋内で、男が寄ってたかって女の子を驚かしている場合もあるわけだし。お化け屋敷の怖さって、半分くらいはそういう怖さかもね」

「あとの半分って?」

 真顔で聞く水樹に、香菜絵は苦笑を返す。

「いいのいいの。水樹はそのままでいてくれれば。むしろ、それくらい無敵でいてくれた方が、いろいろ心強いわけだし」

 水樹には未だに話が見えなかった。

「結局、その呪いっていうのは、具体的にどんな話なの?」

 再び香菜絵は微笑んだ。透けるような明るい瞳に見とれそうになる。彼女に魔力がないのは分かっているけれど、その瞳には抵抗しがたい魅力がある。さざ波が押し寄せてくるように、静かにこちらの心の奥に浸食してくる。面と向かって頼みごとをされたら、きっと断れる人は多くない。

 こうして、香菜絵は事の顛末を話し始めた。



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