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 食堂は女学生達で溢れかえっている。

「水樹センパーイ。おはようございます!」

「さすがに早いなー。安奈は」

 顔見知りの友人達が、思い思いの挨拶を投げかけてくる。

 平安奈水樹。

 それがこの世界での、自分の名前。

 平安奈というのは、自分の後見人となってくれた人の名字。水樹というのも、その人がつけてくれた名前だった。自分の本当の名前と特に関係はない。他にもいろいろ候補があったものの、なんとなく語感がよかったのと、水や木が好きだったからという理由で選んだ名前だった。向こうの世界では、森林や川辺でくつろぐのが最もポピュラーなレジャーだったのもある。

 本当の名前はまだ誰にも話していない。本当は、この世界に来た時に自分を保護してくれた機関の職員の人には名乗っているものの、全く本気にはされなかった。その時に、どうやらこの国ではあり得ないような名前らしいという事を学んだ。いつか元の世界に帰る時が来たら、親しい人達には打ち明けようとは思うけれど、そんな機会はないかもしれないと、最近は思わずにはいられない。それこそ、この国で言う、墓場にまで持って行くべき事なのかもしれない。

 気付けば、また変な事を考えている。

 水樹は意識して微笑んで挨拶を返しながら、深いところまで沈んでいきそうだった気を落ち着けた。

 今の自分は平安奈水樹でしかない。

 平安奈という名字が珍しいという事も、もちろん知っている。学校に通い出してからは特に、初対面の人にはまず、珍しい名前ですねと言われるからだ。

 友人達は、最初こそ平安奈さんと呼ぶものの、そのうち水樹と呼び捨てにするか、もっと砕けて安奈と呼ぶようになる。本人としては、名前で呼び捨てにして貰うのが一番しっくりくる。さすがに慣れてはきたものの、安奈と呼ばれても、今でもたまに自分の事だと気づかない事があるからだった。

 食堂の朝の山場がようやく一段落つきそうになったところで、ここの主とも言うべき忍が調理場の奥から姿を見せた。

「そろそろ減ってくる頃だろう。安奈ももういいから、朝飯食ってこい」

「あ、はい」

 実のところ、もう安奈が調理場にいる意味はあまりない。他の当番の子達は、とっくに朝食をとってしまっている。

 それでも水樹がここにいたのは理由がある。

 忍にもそれが分かったらしく、少し顔をしかめながら言った。

「なんだ・・・・・・アイツはまだか?」

 アイツという言葉だけでも十分伝わるような、ある意味有名な人物なのだ。苦笑しながらも、水樹は頷く。

「本当によく寝るな・・・・・・どんだけ育つつもりだ?アイツは」

「セクハラです」

 少し上目遣いになって釘を刺した水樹に、忍は笑いを返す。

「まあいいから、そろそろ起こしにいったらどうだ?というか、安奈がいちいち待ってやる義理はないんじゃないか?」

「でも・・・・・・そうすると香菜は朝食を食べないんです。面倒くさいからって」

「安奈がいたって、面倒くさいのは変わらんだろう?食べさせてくれるわけでもなし」

「そうですけど・・・・・・でも、一緒だと食べるんです。多分、1人で食べるのが嫌なんだと思うんですけど」

 呆れた顔で首を回す忍。

「面倒くさいやつだな。朝飯食うよりも、アイツの方がよっぽど面倒くさい」

「そうですか?」

 水樹は首を傾げる。

 忍はそんな水樹をじっと見つめる。

「な、何ですか・・・・・・?」

「安奈。ひとつアドバイスしてやろう」

「セクハラならやめて下さい」

 咄嗟に言った水樹に対して、忍は意味深に笑いかける。いつだったか見に行った美術館に展示してあった抽象画に似ている。確かタイトルは、般若の焦燥。

 ところが、ちょうどそのタイミングだった。

 急に食堂の入り口の方が騒がしくなる。

 笑い声や軽い悲鳴のようなものに混じって、誰かが確かにこう言うのが聞こえた。

「凄いな、香菜。うちの制服をどうやって着たら、そんなに色っぽくなるんだ?」

 その声の後、一際笑い声が大きくなる。

 水樹はもう一度忍の方を見た。

「すみません。ちょっと行ってきます」

 言い終わる頃には、既にエプロンを取り払っていた。

 忍の返事を待たずに水樹はそれを手渡して、入り口の方へ早足で向かう。

 その後ろ姿が見えなくなってから、忍は肩を軽く回しながら言った。

「アイツの格好の方が、よっぽどセクハラだと思うんだがなあ」

 正論かもしれないその声は、結局水樹には届かなかった。



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