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 またあの夢を見た。

 最近よく見るような気がする。

 夜。屋根の上。そして、崩れ落ちる彼。

 特に思い出したいわけでもない。

 だけど、忘れられない。忘れるわけにはいかない記憶。

 彼を振りきって、そして、あの世界を振り切って、私はこの世界に来た。絶対に帰ると約束して。

 水樹は微睡みながら、ぼんやりと思考する。

 その約束が果たせないかもしれない。初めてそう思ったのは、高校に進学する少し前の頃だった。その時ようやく子供の殻を破ったのかもしれない。自分の夢が叶わない事があるなんて、それまでに考えた事はなかった。向こうにいた頃の自分は、いい意味でも悪い意味でも特別な子供だったから、その名残もあったのかもしれない。普通よりも気付くのが遅かった。

 ただ、遅くても早くても、現実は同じ。

 問題なのは、忘れてしまった方がいいのかどうか。

 諦めてしまった方がいいのかどうか。

 自分がまだ子供なだけで、もしかしたら、向こうの世界の人達はもう諦めているのかもしれない。両親も、友達も、先生も、そして彼も、みんな自分より大人だった。帰ってこられるわけがないと、半ば分かっていたに違いない。

 彼だって、最後にそう忠告してくれたのだから。

 でも、もしもまだみんなが待っていてくれたら。

 そう考えると、どうしても諦められない。

 そこで水樹はふっと微笑んだ。そうしたかったわけでもないのに、自分でも不思議だった。

 要するに、まだまだ自分は子供なんだ。

 そう思えば気は楽になる。

 ベッドの上で身体を起こし、枕元にあった携帯を確認する。アラームをセットしておいた時間のちょうど5分前だった。

 静かにベッドから下りて、二段ベッドの上に寝ている友人を確認する。いつも通り、ぐっすり眠っているようだった。

 そのままなるべく音を立てないように部屋を出て、洗面所で身支度をする。その後一旦部屋に戻って制服に着替えてから、1階の食堂に向かった。廊下でもエレベーターでも、誰とも会わなかった。

 白を基調にした開放感ある食堂も、電灯が消えている今はどこかうら寂しい。その少し冷たい空気を感じながら食堂を抜け、水樹は奥の調理場へと向かう。そちらは既に明るい。その光に近付くにつれ、機材の駆動音と水流の音、湿った温かい空気が感じられるようになる。

 水樹が調理場に入るとすぐに、頭に三角巾を巻いた白い割烹着姿の女性と目が合う。かなり時代がかった調理服だと水樹の親友は笑っていたが、彼女はまだかなり若い。高校生の水樹と一回りも変わらないのだから。そして、背が高くてスタイルもよくて、割と気軽に話が出来るお姉さんという事で、水樹の同級生の間でも人気が高い。

 それはともかくとして、水樹は頭を下げて挨拶した。

「おはようございます。忍さん」

 忍と呼ばれた女性は、かなり大きなプラスチックの箱を両手で抱えていた。しかも3段重ね。物凄く大変そうに見えたが、彼女は顔色ひとつ変えずに食堂の方を一瞥する。

「安奈か。今日も早いな・・・・・・・というか、早過ぎるな。若いんだから、もう少し寝てから来てもいいんだぞ」

「若いんだから、ですか?・・・・・・えっと、どういう意味ですか?」

 首を動かしてから、忍はつまらなそうに答える。

「大人になるとな、眠ろうと思っても眠れなくなるんだ。私なんか、休みの日なんかは爆睡してやろうといつも思うんだが、大抵いつも通り起きてしまうんだよなあ」

「はあ・・・・・・」

 生返事を返すしかない水樹。そんな経験はまだないというより、休みだから爆睡してやろうと思った事すらない。そもそも、爆睡という言葉はたまに聞くものの、その状態が未だにはっきりとイメージ出来なかった。

 まったく普段通りの口調で忍は言葉を続ける。

「よくよく考えてみれば、これは睡眠障害って事にならないのか?もしかしたら、上手くすれば労災が下りるかもしれんな。その辺りの事、安奈は知らないか?」

 高校生に聞かれても困ってしまうような質問である。しかし、労災の意味は理解出来た。

「さあ・・・・・・」

「そうか・・・・・・まあ、そういうわけだから、寝直してきてもいいぞ。寝直すなんて出来るのは、子供のうちというか、学生のうちだけだ。今に出来なくなる」

 水樹は微笑む。

「いえ。もう今更寝られませんよ」

「まあそうか。だが、機会を見つけて寝ておけよ。寝る子は育つって言うしな」

 口元を上げながら、忍はこちらを見る。

 その視線が、こちらの顔とその少し下を行き来しているような気がして、水樹は不満顔になった。

「どこを見て言ってるんですか?」

 忍はどこ吹く風といった表情で答える。

「いや、しかし・・・・・・大きければいいってわけでもないんだなあ、これが」

「何の話ですか?」

「それに、まあ、小さいってほどでもないしな。それくらいがちょうどいいと、言えない事もない」

「セクハラですよ」

 ついに水樹が言うと、忍は可笑しそうに笑った。

 しかし、言葉は止まらなかった。

「だが、ほら、安奈と同部屋のアイツ。アイツは安奈と同じ物を食って、その上ほとんど同じ生活してるのに、やっぱり寝てる分だけ立派に・・・・・・」

「セクハラです」

「いやあ、アイツは高校生にしておくには、ちょっと・・・・・・」

「忍さん」

 精一杯の力を込めて睨みつける水樹。

 もちろん、相手にとっては微風程度の圧力にしかならなかったけれど。

 意味深に微笑みながら、忍はそこで箱を調理台の上に置く。そして、こちらを横目で一瞥してから、不意に言った。

「私も高校は女子高だったんだが・・・・・・」

「はい?」

 急な話題転換に戸惑う水樹。

 答える忍は、もうこちらを見なかった。

「やはり、いるところにはいるんだなと思ってね」

「・・・・・・はい?」

 全く意味が分からない。

 しかし、からかうのはもう気が済んだらしい。忍は既に事務的な口調になっていた。

「じゃあとりあえず、いつも通り食器を出しておいてくれるか?」

「あ、はい」

 慌てて水樹も返事をする。確かに、いつまでも話し込んでいるわけにはいかない。朝はあっという間に終わってしまうのだから。

 まずエプロンを取る為に、水樹は忍の脇を通って調理場の奥へと進んでいった。



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