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 その日の帰り道、俺はとても暗かった。

 どの位暗かったかと言うと、望遠鏡で覗く月面の、クレーターの最奥と同じくらい。言いすぎか。

 とにかく暗かった。顔だけに留まらず、俺の半径一メートルに縦線でも浮かんでいるんじゃないかという位、暗かった。

 そろそろくどそうだから、やめておこう。

 俺は今、自宅玄関の前にボーッと突っ立っている。時刻は深夜1時半。辺りは俺と同じくらい暗かった。

 でも、こんな時間になっても。葵はきっと玄関先で俺の帰りを待っているのだろう。

 泣きながら。しかもそれは、俺の見当違いな八つ当たりによるものだ。

 どんな顔して迎えられればいい?

 ただでさえ、香織にビンタされて、絶交めいた発言されて、かといって星奈に相談する事もできず(昨日の朝、不機嫌だったから)、一人でうだうだ考えに考え抜いて、結果こんな有様になっているというのに。

 そこで更に妹の泣き顔を見て、そして何も悪い事をした訳でもないのに必死に謝られろ?・・・無理だね。

 そんな事なら、いっそ死んだ方が・・・。あ、そうだ。死のう。

 俺は思いつくとすぐさま行動に移す・・・訳が無かった。

 視界がいきなり暗転し、とうの昔に死んだはずのおじいちゃんとおばあちゃんが、俺の大好きだった自家製おはぎを両手に抱え微笑んでくることも、無かった。

 俺は呆然と立ち尽くす。どの位の時間が経ったのだろう。あと2時間程すれば葵も諦めて就寝すると思うのだが。

 携帯を開き時刻を確認する。1時32分。・・・時間が経つのが遅すぎる。

 俺が時間という概念を生み出した、というかそんな人いるのだろうか?存在すらはっきりとしない、そんな曖昧な人物を頭の中で勝手に想像し文句を濁流の様に吐き出していると、

「・・・お兄、ちゃん・・・?」

 葵が玄関のドアを開け、顔を出してきた。案の定目は真っ赤に腫れていた。

 俺はこの2週間という短い間に、何回妹を泣かせてきただろう。

 全てが俺に非があったという訳ではないが、こうして何度も妹の泣き顔を見ると、俺は何してんだ・・・といった気持ちにさせられる。

 しかも今回は、完全に俺が悪い。葵は何もしていない。しかもあんな些細な事の為に、謝ってくれたのだ。

 俺は言わなければならない。葵が口を開く前に。その口が紡ぐ言葉はすでにわかりきっているから。

 だが口が動かない。腹に力が入らない。まるで喉の奥に、栓をされたみたいだ。

 何を言ったらいい?どう謝ったらいい。俺は無数にあるその言葉、6文字、あるいは4文字、7文字。数は無数に在れど意味は全て共通している単純明快なその言葉を、どうして言えない。

 葵の唇が揺れた。つい先日俺を求めてきたその唇が、俺が先に言わなければならない言葉を、紡ぎだそうとしていた。

 ここで先に言わなければ、葵に先を越されてしまったら、もう今まで通りの兄妹ではいられない様な気がした。

 俺は葵の言葉に流され、謝るタイミングを見失って。互いが互いに距離を置くようになってしまう、そんな気がした。

 焦燥感。気付けば俺は「待て!」と葵の口を手で塞いでいた。

 葵は元々大きい目を更に大きく見開き、「もご・・・?むご!?」と俺の突然の行動に対しパニックを起こしていた。

「待て、言うな!・・・それは俺が言わなきゃいけない事なんだよ」

「ふぇ?」とやっと俺の手から逃れた葵は、俺の言葉を全く理解していない様だった。

 そして俺は葵と距離を置き、姿勢を正す。腰を90度に折り、

「悪かった。許してくれ」

 素直に謝った。

 俺はしばらくそのまま腰を折り地面を見つめる。

 理解が出来なかったのだろう、葵はしばらく無言のまま、頭を下げる俺をボーっと見つめていた。

「・・・・・・、え?何で?何で・・・お兄ちゃんは謝ってるの?」

 やっと口を開いた葵は、俺が想定していたのとほぼ同じ返答をしてきた。・・・だろうな。

 そこで俺は顔を上げる。葵の顔を真っ直ぐ見据えて、真実を話す。

「葵、ごめんな。お前は何も悪くない。ただ・・・、あの時は色々あって。別に俺は葵に対して何も怒ったりとか、してないから。あれはただ、俺の自分勝手な八つ当たりだったんだ」

 俺の話を未だ理解できていないのか黙って聞く葵。涙を拭う事も、鼻をすする事もせずただ呆然と俺の話を聞いていた。そして、

「え・・・えぇぇ!?何だよぉー・・・。あたし、お兄ちゃん怒っちゃったと思ってすっごい・・・物凄く心配したんだからぁ!!」

 と表情を崩し、再び泣き始める葵。だが今回は先ほどの様に悲しげなものではなく、安堵した為か自然と流れてきた涙だった。

「本当、ごめんな」と俺は再び謝る。ポケットからハンカチを取り出し、顔を拭ってやる。

「いいよぉ、自分でやるからぁ・・・」

 葵は俺の手からハンカチをそっと奪うと、鼻をかみはじめた。おい!

「大丈夫だよ。これ、貰うから」

「返すつもりはないのか・・・」

 泣き顔ながらにニコッと微笑む葵を見て、俺はようやく安堵できた。

 良かった。星奈と香織で留まらず、更に葵とまで距離を置かれてしまったら俺は多分生きていけない。

 我ながら情けないと思うが。本当に良かった。

 俺は濡れた顔をハンカチで拭っている葵の頭を撫で、「そろそろ、戻ろうか」と促す。

「ちょっと待って」

 そんな俺を葵が制した。何だ、まだ何かあったか?

 俺は困惑気味ながらも歩みを一旦止め、葵へ顔を向ける。すると、

「プレゼント、強制的に貰っちゃうから」

 葵は足りない背丈を背伸びと俺の首へ抱きつく事で補い、唇を重ねてきた。

 一瞬の出来事だったので、俺は成す術も無く・・・ファーストキスを妹に、奪われた。

 生まれて初めての、その形容しがたい感覚に俺は戸惑い、抵抗するも葵に思い切り脛を蹴られ、怯んでしまった。

 葵の吐息は熱く、口の隙間から口内へ侵入してくる。キスの味はなんとかとか言うが、味なんて全く感じなかった。

 自分の中で、時が止まる。真夜中の静寂の中、五月蝿い位に脈打つ二人の鼓動だけが意識して認識する事が出来た。

 どの位の時間が経ったのだろう。俺の唇を未だ貪る葵は、終始目を閉じ唇のみを動かす。

 吐息と共に声が漏れる。首に巻きつけられた腕には更に力が込められ、身体と身体が密着する。

 遠くで車のクラクションが聞こえ、俺は我に返る。

 誰かに見られてはマズい!?と俺は周囲を確認したかったが、首へ巻かれた腕の力は思ったより強く、加えて眼前には葵の顔がある為上手く周囲を見渡す事が出来なかった。

 角度をつけ強引に重ねられた唇は更に強く、深く押し付けられてくる。

 葵の顔や髪から漂ってくるほのかに甘ったるい香りは、俺の理性を殺すには十分過ぎる凶器だった。

 もうどうなっても知らねえぞ・・・!!

 俺は諦め、もう流れに身を任せようと思った。申し訳程度の抵抗を止め、葵を受け入れようと背中へ腕を回す。

 すると丁度同じタイミングで、散々吸い付いてきた葵の唇が離れ、俺の腕をくぐる様に後ずさり距離を取った。

 そしてゆっくりと深呼吸をする。長く長く、肺の隅々にまで空気を送り込みそれを勢い良く吐き出す。

 葵はうっとりと笑みを浮かべ、

「・・・今日は、この位でいっか!」

 許してあげる、と言った。俺はあまりの落差に状況が把握できず、ただ呆然としていた。

 葵を抱きしめるべく上げた両腕が未だそのままだった事に気が付き、慌てて戻す。

 それを葵はニヤッとしつつ眺め、

「お兄ちゃんも満更じゃなかったでしょ?どうだった?あたしとのチューは」

「は?」

 ちょっと待ってくれ。全然全くこれっぽっちもわからん。どうだった?・・・知るか。

 俺が裏返ってしまった声で返すと、葵は三日月の如く目を細め、笑った。

「ははっ、わかんないよねぇ。あたしもぜんっぜん!わかんなーい!」

 葵はいきなり大声で叫びだした。コラ、今何時だと思ってる!気でも触れたのかと少し心配になった。

 そして大きく伸びをして一息ついた葵は、急に真剣な表情になり、尋ねてきた。

「でも、嫌じゃなかったんでしょ?」

 そう聞かれ俺は、その時の事を思い出そうとしたが、ついさっきの事のはずなのに、ほとんど覚えていなかった。

 その時は物を考える余裕等なく、ただ口先にプニプニした感触がどーだの、そこから熱い吐息が口の中へ流れ込んできただの、そんな事位しか記憶に残っていなかったが、少なくとも嫌悪感は抱いてはいなかったとは思う。

「少なくとも・・・嫌では無かった。・・・かな?」

 そうを伝えると、俺は急に羞恥心がこみ上げ、そっぽを向く。顔が熱い、外が真っ暗で良かった・・・。

 すると葵は「そっか」と頷くと、こちらを見ないまま横を通り過ぎ玄関へ向かう。

 そしてドアノブへ手をかけ振り返り、満面の笑みで

「こーのシスコン!!」

 そう言って勢い良くドアを閉めた。


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