昭和の空手の話
私の祖父は空手道場主だった。
父に継がせようと空手の練習をさせようとしたが・・・・
『やだい、ディスコに行くんだ!』
『こら、健待て!』
父は少しも空手に興味を示さなかった。
祖父はなだめすかして何とか空手の練習をさせた。
『ほら、猫足立ちはツイストに似ていないか?』
『発想がおじんだな!』
父は高校を卒業してから当然のごとく空手に何の未練もなく就職を機に完全にやめた。
やがて、結婚、私が生まれた。
小学3年生の時だった。
父と祭りに行ったのだ。
☆☆☆1980年代
『オラ!コラ!』
『上等だ!』
『ダリーな。おい』
ヤンキー3人がな。祭りの屋台通りのど真ん中でグダをまいていた。
みるからに、短ラン、髪は恐鳥類の・・・テレビでやっていたな。始祖鳥のトサカのような髪型の奴らだった。
「あの、先生、何でヤンキーは祭りにいたのですか?」
「さあ、人の集まるところに出てくるのがヤンキーだ。この時代のヤンキーは決して政治家や、ましてや教師にも絶対ならないような人種だった」
話を続ける。
座って袋を吸い出した。多分、シンナー遊びだ。
ラリっていたのだな。
すると、親父は。
「悟、少し待っていろな」
と言って、真ん中の一番大きい、デブなヤンキーの前に立った。
「はん?おじん、ケンカ上等!!」
親父はニカッと笑って、立ち上がったヤンキーの右手首を取った。
「はあ?おい、おい・・・」
それから引っ張り。手首を握ったままヤンキーの側面に立った。空手の型ならばここから膝関節に乗るように蹴る危険な状態だ。
「行こうか・・」
「おい、おい・・・」
ヤンキー達は呆気にとられた。
どうやら戦意を喪失したようだ。
祭りの本部まで連れて行き役員さん立ちに引き渡した。
紋々・・・入れ墨の入っている役員さん達だ。
表向きは漁師さんだ。漁師さんは慣例で入れ墨をいれるからOKだった。
膨れ上がった水死体を見分ける印が入れ墨なのだ。
役員さんたちは驚いていたよ。
父は腹の出た中年だった。とても強そうに見えない。
『ほい、アンパンをやっていたゴン太たちです』
『兄さん。どこの組?』
『サラリーマンです』
『まるでヤクザの掛け合いじゃないか?』
『いえ、本当にサラリーマンです』
ヤクザと間違われたよ。
何でもヤクザのケンカは、刃物を持っているかも知れない相手には手首を掴んで引っ張ると後で知った。
父に聞いたよ。
『お父さん。強いの?』
『いや弱いよ。これは型で手首を掴まれたら外す稽古があったから自然と掴めたよ』
何でも、祖父の流派の仮想敵は柔術で、手首を取ってねじ上げる流儀だった。
祖父に練習で掴まれているうちに自然と覚えたそうだ。
『パンチも被弾覚悟で捕られたら技をかけられ骨を砕かれるから伸ばしきらない変なパンチだったよ』
『お父さん。どうして空手を嫌ったの?』
『ああ、それはな。親父と高弟たちの突きは人を殺せると思ったからだ。楽しく生きたいだろう?』
おそらく、父が現代の空手の試合に出たら1回戦も勝てないだろう。
しかし、こんな強さもあるのだな。と今なら分かる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「いいか、ケンカが始まりそうになったら、手に力がはいる。そっと抑えてケンカを止められる男になれ!」
「「「はい!」」」
以上が子供空手教室で先生から聞いた話だ。
それから私も大人になり。サラリーマンになった。
令和になり。
物価が1.5倍に感じた頃。
社食でケンカが起きた。
「おい、カレーが400円って何だよ!前は250円だったぞ」
「お客さん。この物価で何もかも高いのですよ」
皆、イライラしている。中年の社員と社食の調理師の言い争いが始まった。
「こっちの給料は上がっていないよ!」
「それは社長に言って下さい」
「はあ、何だと!不味いくせに安くなかったらこないぜ!」
「はあ?」
俺の出番か?ケンカを止める男になれ。が頭の中に浮かんで来た。
社員の右手がプルプル震えている。
右手で殴りかかるのだな。
と思って社員に近づいたら。
「オラ、オラ」
「手は出す勇気もないくせに」
大の男が、両手を後ろで組んでセイウチのように胸を押し当てている。
先に手を出した方が負けだ。という勝負になったらしい。
その後。
「まあ、まあ」と言いながら他の人の仲裁が入った。
もう、暴力があふれた昭和の時代は昔話だな。
そう言えば、ケンカの仲裁で「まあ、まあ」って言うのを初めて聞いたのではないのかなと思った。
最後までお読み頂き有難うございました。




