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第13話 決意の朝に(中編)

「《《これから》》のお話をしましょうか」


 隣に座るアキハ先輩が、静かに口を開いた。

 俺たちは黒塗りの高級車の中、本革のシートに深く腰を沈め、七曜学園へと向かっていた。


「まず一つ、ご安心ください。今トーマさんが心配しているようなことは起こりえません」


 アキハ先輩は、窓の外を流れる景色を眺めながらそう言った。スモークガラス越しに差し込む陽射しが、白磁の肌を尚更(なおさら)透き通らせている。


「昨日今日でおおかたの根回しは済んでいます」


 アキハ先輩は窓から視線を外し、俺のほうを向いた。長い睫毛(まつげ)が、すっきりした鼻筋に片影を落としている。


 美人画みたいに美しい。

 薄薔薇色の唇から言の葉が紡がれる。


「そもそも父は私に頭が上がりませんから。私は小学生の頃、父の不倫を目撃しましたからね」


「え」


「その他のスキャンダルも記録済みですし」


「えっえっ」


「きゃっ、言っちゃった」


 アキハ先輩は自分の頭をコツンと拳で小突き、テヘペロとばかりに舌を出した。


「えぇ……」


 俺は覚えている。

 一ヶ月前、俺がアキハ先輩を問い詰めたとき、彼女が語ってくれた過去だ。


 小学生時代に父親の不倫現場を目撃し、すぐさまアリバイを用意してあげたせいで、父親から畏怖されているというエピソード。


 笑うに笑えない。

 窓に映った俺の顔は引きつっている。


「どうか笑ってください」


 アキハ先輩は、温かい声でそう言った。


「私とトーマさんの幸せのためですから」


 木漏れ日のような笑顔。温度差で風邪引きそう。


 とはいえ、


「ありがとうございます」


 俺は心から感謝していた。

 アキハ先輩の手腕と、俺のためにそこまでしてくれる愛情。絶対に応えようと、改めて決意した。


 アキハ先輩は満足気に、さきほどよりも少しだけ幼気いたいけな微笑みを浮かべた。


「──が、問題は他にもあります」


 ふっ、と。

 アキハ先輩の顔から笑みが消えた。

 凄むでも声を低めるでもない。ただ極めて事務的な冷たさが、彼女の黒い瞳に宿った。


「昨日の演劇中、トーマさんとナツキさんは衆前で口づけを交わしました。今、学園中が、『冷水(しみず) 夏希(なつき)日村(ひむら) 斗真(トーマ)は恋人同士である』と認識しています。この状況で学内を歩けば、どうなるか……想像に難くないでしょう」


「少なくとも、フユミのファンクラブの人らに殴られそうですね……」


 俺の脳裏に、昨日の文化祭での光景が蘇る。

 メイド服姿のフユミが、衆人環視の中で俺の頬についたクリームを拭い、舐め取ったあの瞬間。


 周囲を取り囲んでいた生徒たちの、あの質量を持った殺意。


 ただでさえ「月澄様につきまとう不届き者」として目をつけられていたのに、その直後に舞台上でナツキと公開キスである。


 フユミファンクラブにコハルファンクラブも合わさっている。


 いま俺が無防備に学園へ入れば、文字通り八つ裂きにされるだろう。それか火炙り。


 身震いしそうだ。


「つまり、潜入の必要があります」


 アキハ先輩は澄まし顔で断言すると、


「用務員さんの服を用意したので、それを着てお入りください」


 足元にあった紙袋をスッと差し出した。


「用務員……マジですか。先輩、準備良すぎません?」


 俺は少しビビりながらも紙袋を受け取る。

 まさか変装用の衣装まで手配済みとは。アキハ先輩の計算高さは青天井だ。すさまじく空恐ろしい。


 だが、今の俺にはそれが最高に頼もしい。


「どこに向かって何をすべきか、分かっておられますね?」


 アキハ先輩の切れ長の瞳が、試すように俺を見据える。


 俺は紙袋を膝の上に置き、しっかりと頷いた。


「ええ。ナツキとコハルに会って、話をします」


 俺の声に、力が入った。

 俺は空白の一週間の記憶を取り戻した。だから今、それについて語る必要がある。


 ナツキとコハルにも改めて自分の想いを伝える。絶対にそうする。


 ただ、話すのは一人ずつだ。どちらが先かを選ぶのだ。


 複雑に絡み合った事情を踏まえ、どちらから話をするべきか。俺の頭の中では、まだその答えが出せずにいた。


「先にナツキさんに会うべきでしょうね」


 俺の迷いを見透かしたアキハ先輩が、助言をくれた。


「何か、理由があるんですか?」


「ナツキさんのほうが気難しいからです」


 あまりに淡々と、事実だけを切り捨てるような冷たい声音。俺の身が少しだけすくんだ。


「彼女との付き合いは二年になりますが、まあ、ご存知の通り、面倒な子ですよ。頑固で、強情で、欲張りで、頭でっかちで、嫉妬深く、身勝手で、臆病で、傲慢です」


 アキハ先輩は容赦なくコキ下ろした後、ふと、自嘲するように短く息を吐いた。


「私に、そっくり」


 窓の外、どこか遠くの虚空を見つめるような彼女の横顔に、俺は言葉を失う。


 アキハ先輩もナツキの中に自分と同じ不器用さを見出しているのだろうか。


 ……考えてみれば、当たり前か。


 空白の一週間。

 その発端となる、俺の脳の異常。

 脳動静脈奇形。命にかかわるものだったらしい。

 幸い簡単に治せるものだったそうだが、術後の記憶障害のリスクを聞かされた俺は、手術を拒んだ。


 それでも、アキハ先輩は手術を強行した。

 俺の意志を否定してまで俺の命を救ってくれた彼女は、罪悪感に苛まれている。


 彼女は俺に、『世界一嫌いだと言ってください』と頼んだ。


 その瞬間の、あの表情。

 ついさっきのことみたいに、鮮明に思い出せる。


「ナツキさんは」


 アキハ先輩は、外の景色に視線を向けたまま続ける。


「あなたが倒れた後、罪悪感に打ちのめされていました」


 黒曜の瞳はずっと遠くを見つめている。


「泣きじゃくって、声を()らすほどでした。だからというのも何ですが……どうぞ、優しくしてあげてください」


「……そのつもりです。もともと」


 俺が短く答えると、アキハ先輩はこちらに顔を向けた。


「それはなによりです」


 切れ長の瞳が、ふわりと柔らかな弧を描いた。

 いつもの鋭い光は鳴りを潜め、代わりに、凪のような静寂が広がっている。小さな吐息は、さざなみのようだった。


「さて」


 アキハ先輩は瞬き一つで空気を切り替える。


(おおやけ)の話はこれでおしまいです。ここからは(わたくし)の、私情の話です」


 きた。

 俺はギュッと拳を握り、居住まいを正した。

 木南財閥の裏工作から、学園潜入作戦の手配まで。すべてを取り仕切ってくれた彼女が、改まって告げる《《私情》》。


 俺はどんな過酷な要求でも、血ヘド吐いてでも応える覚悟だ。


 すると、アキハ先輩は「んっ」と小さく声を上げ、両腕を上へ突き出した。


 特注の高級車ゆえに天井は高いが、アキハ先輩の手足の長さには、少々物足りない。しなやかに引き締まった体が、やや窮屈そうに反り返る。


 制服が引っ張られる。

 何とは言わんが強調されて、俺は目を逸らす。


 ぽん、と第二ボタンが飛んだ。


「あら失敬。サイズを見誤りました」


 アキハ先輩は白々しく詫び、


「あなたに愛してもらったおかげですかね」


 蠱惑的に微笑んだ。


「ちょっ!」


 俺が言葉に詰まった次の瞬間。


 こてん。

 アキハ先輩の頭が、俺の太ももの上に乗せられた。ダマスクローズの匂いが上品に香る。


 さらり。

 俺の膝の上に、アキハ先輩の黒髪が広がる。漆黒一色なのに、黒薔薇が咲き乱れているような絢爛さがある。


 何はともあれ膝枕。

 想定外の物理的接触である。


「ちょ、アキハ先輩!?」


 カッコつけた俺の覚悟は一瞬で吹き飛び、声は情けなく裏返る。


「撫でてください」


 アキハ先輩の俺の膝の上から要求した。上目遣いにはキューブリック映画みたいな凄味がある。


「いや、えっと、その」


 俺は目のやり場に困る。両手のやり場にも困る。


「昨日今日で、流石の私も少し疲れました」


 アキハ先輩は、俺の膝にすりすりと頬を寄せ、安心しきったように目を閉じた。


「撫でてください。マッサージしてください」




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