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第16話 ナツキとデート(後編)

 前回までのあらすじ!


 文芸部の後輩、ナツキ──冷水(しみず) 夏希(なつき)が暇してるので、デートすることになった。


「では、行きましょう。ラブラブしましょう。イチャイチャしましょう。ゾンビ映画で真っ先に殺されるバカップルみたいに──最高に愚かで、最高に幸せで、私たちにピッタリでしょう?」


 不謹慎な前口上とは裏腹に、俺たちは普通のデートをした。


 お化け屋敷を探索し、特設お笑いライブを見て笑い合い、焼きそばを分けっこして、タピオカを回し飲みした。


 一通り見て回った頃には、午後三時を過ぎていた。


 俺たちは、体育館裏のベンチに腰を下ろした。


 メインストリートからは外れた、木漏れ日の落ちる場所。遠くから、吹奏楽部の演奏する『いちごの片想い』が、くぐもった音色で聞こえてくる。


「……ふぅ」


 ナツキは紙コップのメロンソーダを一口飲み、一息ついた。


「楽しいですね、先輩」


「ああ。正直、こんなに普通に楽しめるとは思ってなかったよ。もっとソワソワさせられるもんかと」


「でしょう? 私、意外と普通なんです」


 ナツキはベンチから足をぷらぷらさせつつ、にんまりと笑う。いたいけな表情である。


 そして、唐突に言った。


「私って客観的に見て、めちゃくちゃイイ女だと思いませんか?」


「……んん?」


 あまりに脈絡のない自分語りに、俺は吹き出しそうになった。


「なんだ急に。確かにそうだけど」


「事実の確認ですよ。いいですか、よく見てください」


 ナツキは立ち上がり、くるりと回ってみせた。

 スカートがふわりと花のように広がり、しぼむ。


「ご覧の通り、貧相で貧乳でチンチクリンですが」


「自分で言うなよ」


「手足の長さとバランスには定評があります。スレンダーな美少女です」


 ナツキはスカートの裾をつまみ、白い足を強調してみせる。日差しに透けるような透明感。確かに、そのシルエットは芸術的に整っている。


「それに、スペックも悪くない。私は弱冠十六歳にしてミリオンセラーを連発した天才作家です。財力と頭脳には自信がありますよ。――まあ、アキハさんほどではありませんが」


 ナツキは指を一本立てる。


「性格だって、基本的にはドライでフランクです。束縛なんてしません。メンヘラ化して刃傷沙汰なんて断じてありえません。面倒な思いはせずに済みますよ――ま、コハルさんほどではありませんが」


 二本目の指を立てる。


「それでいて一途です。意外と独占欲も強いので、案外かわいげありますよ。先輩は愛されたがりで、ゆるくマゾっ気あるようですから、その需要も満たせます――ま、フユミさんほどではありませんが」


 三本目の指を立て、ナツキは自嘲気味に華奢な肩をすくめた。


「こうして並べると、中途半端ですねぇ。何においても二番手以下。帯に短し(たすき)に長し」


「ナツキ……」


 なんて返せばいいんだ。

 フォローすべきか、笑い飛ばすべきか。

 俺が言葉に詰まっていると、ナツキはスッと俺の隣に座り直した。


 さっきまでよりも、近い距離。

 触れ合う肩から、体温が伝わってくる。


「でもね、先輩」


 ナツキは上目遣いで、俺を覗き込む。

 その瞳に、さっきまでのコミカルな光はない。


 吸い込まれるような深淵の闇だった。


「何においても二番手以下の私ですが、一つだけ、あの人たちに勝てる『一番』があります」


「……一番?」


「ええ」


 ナツキは俺の耳元に唇を寄せた。

 吐息が掛かる距離で、甘く、低く、囁く。


「私が、一番、いけない子です」


 心臓を、冷たい手で鷲掴みにされた。


「私は『一番になりたい』とは言いません。『平等に愛して』とも言いません」


 ナツキの指先が俺の手の甲をなぞる。

 這うように纏わりつく、ささやかで滑らかな感触。


「二番目でも、三番目でもいい。誰かの代わりでも構いません。……ただ、私のところに来てくれればいいんです」


 周囲の景色が色褪せる。

 遠くで鳴る吹奏楽の音が歪む。

 文化祭の喧騒が、取るに足りない背景のごとく遠ざかっていく錯覚。

 

 ナツキの姿と声だけが浮き彫りになって、他のすべてがわからなくなる。


「他愛のないおしゃべりで充分です。欲を言わせてもらえるのなら……」


 白魚のような手が俺の掌を返し、細くしなやかな指を絡める。


「触れてください。それ以上は求めません……なんて」


 ナツキはクスクスと、錆びた鈴のように笑った。


 濡れた瞳は細められ、口角が妖艶に歪んでいる。

 滑らかな白磁の肌は、ほんのりと桜色に火照っている。


 つい先程までの、気安い女友達のようなナツキはもういない。

 今ここにいるのは、ふしだらな堕落に無上の悦びを見出す、ファム・ファタールだった。


「どうですか? 先輩。私、『都合のいい女』ですよ」


 ナツキの手が、俺の太ももに置かれる。

 小さな小さな掌に、底なし沼のような依存性を感じる。


 一度足を踏み入れたら、心地よく沈んでいき、二度と浮かび上がれない。


 俺は思わず喉を鳴らし、乾いた唇を舐める。

 目の前の少女が、この世で最も危険な、禁断の果実に見える。


 答えなくちゃいけない。

 寂しいこと言うな。自分を安売りするな。ナツキが好きだ。


 脳裏に湧き上がる幾つもの言葉は、あまりにも空虚に思えた。浮気者の俺がそれを口にすることに、どれほどの意味があるだろう。


 それでも。


「ナツキ、俺は──」


 続きを口にはできなかった。


 唇を重ねられ、小さな舌が押し込まれる。全体重を預けられ、ナツキ以外のすべてがわからなくなる。


 何秒経ったのか。


「──はっ。ふふふ」


 唇を離したナツキは、嗤った。

 上目遣いで俺を見上げながら、女王が愚者を見下ろすように。


「そういうのは答え合わせの後でしょう。せっかちは女受け悪いですよ」


 小馬鹿にした口調で言ってから、ナツキは立ち上がる。


「外じゃなかったら最後までシてあげたのに。中々どうして、私もせっかちですね」


 では、今日はこのへんで。


 ナツキはそう言い残し、俺のもとを去った。


 俺は呆けたまま自分の顔を撫で、あたりを見回す。

 初夏の木漏れ日が、目に痛いほど眩しかった。



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