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第25話 ここでキスして。

 前回までのあらすじ。


 玄関でシミズに誘惑されて放心してたら、フユミが後ろで仁王立ちしてた。


 終わった。


「随分と楽しそうだったわね。サルトルだかお猿さんだか知らないけど」


「い、いや、あれは委員長としての仕事でして……」


「ふーん。仕事ねぇ」


 フユミはゆっくりと近づいてきて、俺の前を素通りする。


 そして向き直り、後ろ手で家の鍵を閉めた。


 ガチャリ。

 この音で逃げ道を塞がれたように感じるのは不思議だ。自宅の鍵を閉めてもらっただけなのに。俺の感覚は変だ。


 ダメだ、現状が怖すぎて現実逃避しかできない。俺ここで死ぬかも(ファルマンくん)。


 誰か助けて!

 いややっぱ誰も助けないで!


 俺が悪いから!


 俺が走馬灯の準備をしていると、フユミが一歩近づいてきた。


「キスして」


「はっ?」


 想定外の一言に、俺の口は間の抜けた音を返した。


「キスして。ここで。今すぐに」


 フユミは有無を言わせぬ口調で言って、目を閉じた。


 かすかに上がったアゴ。ふるふる震える唇。


 それは懇願であり、命令だった。


 何も考えられない。

 退路も猶予もありはしない。


 俺は覚悟を決めた。


 フユミの肩に手を回す。ニット生地越しに伝わる体温は熱いくらいだった。

 フユミの薄いまぶたに、ぎゅっと力がこもる。金糸の睫毛がぷるぷる震える。


 俺はゆっくりと顔を寄せ、唇を重ねた。


 ファーストキスだ。


 俺の記憶の中では、の話だが。

 心臓が痛いほど高鳴る。他の感覚は何もわからない。止まった息をどう再開すればいいのかわからない。ここからどうするんだ?


 誰か教えてくれ!


 その瞬間だった。


 フユミの体が、ビリッと電流が走ったように跳ねる。

 俺が唇を離すと、フユミは石像のように固まっていた。


 碧眼は見開かれ、瞳孔はゆらゆら揺れている。


 焦点が定まっていない。


「あ、あ、あ……」


 艷やかな唇をパクパク開閉させている。

 さっきまでの妖艶な大人の雰囲気はどこへやら、今のフユミは完全にテンパった一人の女の子だった。


「ふ、フユミ?」


「あ、アンタねぇ……! いきなり、その、ほんとに、するなんて……!」


「してって言うからしたんだけど!?」


「そ、そうだけど! もっとムードとか、心の準備とか……ふ、ふひゅう……」


 フユミは空気の抜けるような音を漏らすと、膝からカクンと崩れ落ちた。


「っと!」


 俺はとっさに腕を伸ばし、その体を支える。

 フユミは俺の胸の中で、ぐったり力を失っていた。


 ……なんだこれ。


 フユミの奴、攻めまくるくせに攻められると弱いのか。


 『どこにも行けないようにしてあげる』とか『早くシましょ』とか言ってた魔性の若奥様フォームと、本当に同一人物なのか?


 俺は苦笑しながら、へたり込んだフユミの膝裏と背中に手を回した。


「ひゃうっ!?」


「暴れんなよ。運ぶから」


 よっこいせと抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこだ。 


 フユミは体格が良いだけあって、それなりの重さがある。


「お、おろして! 自分で歩けるから!」


「無理でしょ、腰抜けてんじゃん」


「お、重くない?」


「ぜ〜んぜん。羽毛みたいですねぇ」


「もぉ〜……!」


 フユミは顔を赤らめてうつむき、俺の胸に顔を埋めた。その仕草が、あまりにもいじらしく、愛おしい。


 リビングのソファまで数歩歩き、俺は静かにフユミを下ろした。


 彼女はクッションに顔をうずめ、小さくつぶやいた。


「……バカ」


「はいはい」


「……シミズさんに、されたこと。これで、上書きできた?」


 か細く、消え入りそうな声。

 その言葉を聞いて、俺はようやく理解した。


 フユミはただ、必死だったのだ。

 ライバルの出現に焦り、幼なじみというアドバンテージを失うまいと、無理をして背伸びをしていたのだ。


 俺は笑みをこぼした。

 なんて可愛い奴なんだ。


「上書きも何も、シミズはシミズでフユミはフユミだよ」


「……そう」


 声色は、まだまだ沈んでいる。

 やがてフユミは、ぽつりと漏らした。


「わたし、シミズさんみたいに可愛くないし」


「え?」


「体も大きいから、シミズさんみたいなガーリーなファッション、似合わないの。あんな、お姫様みたいに可愛い格好、私にはできないの。私、高校生にもなってツーサイドアップしてるけど、似合ってないってわかってるのに、私、やめられなくて……」


 声は尻すぼみだった。

 フユミの表情は、小さなクッションに隠されて見えない。


「いや、可愛いだろ」


「可愛くないわよ」


「いや、可愛いよ」


「可愛くないわよ。大柄で、やきもち焼きで、お節介で、表裏激しくて、めんどくさくて、重くて」 


「ぜんぶ可愛いじゃん、何言ってんの?」


 フユミはクッションからガバっと顔を上げた。

 長い睫毛が濡れている。なんだ、泣いてたのか。


「……私、中身だけ、子供っぽいままなの。もう高校生で、もうちょっとで大人になるのに」


「まだ大人じゃないよ」


 きょとんとするフユミに、俺を肩をすくめて見せる。


「まだ大人じゃないんだよ、俺たちは」


 かく言う俺も、フユミにおんぶにだっこだし、アキハ先輩の計画に沿って動いてるだけだし、四天王からの誘惑にタジタジで、ギリギリの日々を過ごしているワケで……


 若気の至りの真っ最中だ。


「まあ少なくとも、フユミはずっと俺よりは大人だよ。靴ひも結べるようになったのも自転車に乗れるようになったのも、フユミのほうが早かったし」


「いつの話よ、それ」


 フユミが笑った。よかった、調子が戻ってきてる。


「フユミ、しばらく寝ててよ。欲しいものがあったら何でも言って」


「おおげさね、このくらいなんとも」


「ゆうべ寝れなかったんだろ?」


 図星だったのか、フユミが言葉を詰まらせる。

 目の下にうっすら浮かぶクマは、アイメイクによるものだけではない。


「……なんでわかるのよ」


「何年いっしょにいると思ってんだよ」


「……じゃあ、そばにいて」


 フユミは蚊の鳴くような声で言った。


 俺はゆっくりと、ソファの前のラグに腰を下ろした。


 やれやれ。

 最強の幼なじみの正体は、こんなにも寂しがり屋で、手のかかる女の子だったらしい。

 

 俺はフユミが寝息を立て始めるまで、その黄金色の髪を撫で続けた。

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